第19話 借金取りの来訪
金曜日の夜。
スタミナ満点の回鍋肉の香りが漂う鈴木悠作のアパート『ひまわり荘』203号室。
その玄関ドアを開け放ち、我が物顔で踏み込んできたのは、骨董店主にして俺の最大の債権者、加藤茜だった。
矢絣柄の着物に袴姿。手には分厚い帳簿。
その背後には、笑顔の仮面を被った「商魂」という名のオーラが渦巻いている。
「こんばんは、悠作様。……そして、そこにいらっしゃるのは?」
茜の視線が、ちゃぶ台を囲む二人の女性――ギャルのゆき子と、白衣の瞳に向けられた。
ゆき子は箸に豚肉を挟んだまま固まり、瞳は分析中の回鍋肉を守るように抱え込んでいる。
「……誰? 師匠の知り合い?」
「……生体反応から強烈な『金銭への執着』を感知。危険人物です」
二人が本能的に警戒心を露わにする。
俺は頭を抱えながら、茜に問うた。
「……何の用だ、茜。今日は店は休みだろ」
「ええ。ですが、商人に休みはありませんの。今月のローンの集金と……『資産管理』に参りましたわ」
茜は優雅な所作で靴を脱ぎ、当然のように部屋の真ん中に座った。
そして、扇子で口元を隠し、目を細める。
「悠作様。貴方様は私の大事な『資産』ですの。その資産価値を下げるような行為、および無断で物件を占拠する『害虫』……失礼、お客様の存在は、債権者として看過できませんわ」
害虫呼ばわりされた二人が色めき立つ。
「はあ!? 誰が害虫だって!? アタシは師匠の弟子なんだけど!」
「訂正を求めます。私は共同研究者です。不法占拠ではありません」
ゆき子と瞳が抗議するが、茜は涼しい顔で帳簿を開いた。
「山本ゆき子様。……貴女、悠作様の食費をどれだけ圧迫しているか自覚がおありで? 床に落ちたスナック菓子のクリーニング代も含め、日割りで請求させていただきます」
「なっ……!?」
「中村瞳様。……貴女の持ち込んだ機材、電気代が通常の三倍になっております。悠作様の家計を蝕む『不良債権』ですわ。即刻撤去か、使用料をお支払いください」
「……ぐっ」
一瞬にして、二人を論破し黙らせる茜。
彼女は満足げに微笑むと、卓上の回鍋肉に目を向けた。
「あら、美味しそうですわね。少し冷めていますが……一口いただきましょうか」
茜は勝手に俺の箸を奪い、豚肉とキャベツを口に運んだ。
「ん〜っ♡ 美味ですわ〜! 甘辛い味噌が疲れた体に染みます……。悠作様、この味噌ダレ、瓶詰めにしてうちの店で売りませんこと?」
この状況でビジネスの話か。
俺は深くため息をついた。
「……で、いくら払えば帰ってくれるんだ」
「ふふ。皆様がこうして集まっているのなら、良い提案がありますわ」
茜は帳簿をパタンと閉じた。
「明日の土曜日、関係者全員を集めた『親睦会』を開きましょう。場所はこのアパート。悠作様には最高のお料理を振る舞っていただきます。そして……」
茜の目が「¥」マークに輝く。
「参加費として、お一人様につき『金貨1枚』を徴収させていただきます。もちろん、売上は悠作様の返済に充てますわ」
「……高すぎだろ」
「悠作様の手料理と、S級探索者とのコネクション。安いものですわよ? 他の『お仲間』にも声をかけておいてくださいませ」
逆らえない。
こうして、俺の意思とは無関係に、週末の宴会が決定してしまった。
そして翌日、土曜日の夜。
悠作のアパートは、さらなるカオスに包まれていた。
「かんぱーい!!」
狭い6畳間に、女性たちの声が響く。
メンバーは増えていた。
ゆき子と瞳に加え、茜に呼び出されたトップランカーの高橋すず、そして協会職員の伊藤みのりも参加している。
コンビニ店員の純子ちゃんにも声をかけたのだが、「その日はどうしても外せないシフトが……」と残念そうに断られてしまった。真面目な子だ。
「悠作さーん! このカニ、凄いです! 身がぎっしり!」
「あー、酒が進むわねぇ。これ経費で落ちないかしら」
すずとみのりが上機嫌で騒いでいる。
ちゃぶ台の中央には、巨大な土鍋が鎮座していた。
本日のメインディッシュ、『カニちり鍋』だ。
茜の命令により、俺が埼玉ダンジョンの地下湖エリアまで遠征して捕獲してきた、最高級の『ダンジョン・ズワイガニ』である。
鮮やかな赤色の殻に、雪のように白い身。
鍋の中で昆布出汁を吸い、プリプリに膨れ上がっている。
「はい、ポン酢だ。熱いから気をつけろよ」
俺は甲斐甲斐しく世話を焼く。
カニを捌き、雑炊の準備をし、空いたグラスに酒を注ぐ。
ホスト役といえば聞こえはいいが、実態は借金返済のための労働だ。
「ん〜! 甘い! 悠作さん、これ最高です!」
「この葛切りも美味しいですね。カニの旨味を吸って……データによれば、旨味成分が飽和状態です」
女性陣は夢中でカニを貪っている。
カニを食べる時は無口になるというが、こいつらに限っては当てはまらないらしい。
「さて、副菜もあるぞ」
俺は『里芋の煮転がし』と『焼きしいたけ』を出す。
里芋はねっとりと柔らかく、甘辛い味が芯まで染みている。焼きしいたけは、醤油の焦げた香りが食欲をそそる。
これに合わせるのは、茜が持参した『甲州ワイン』だ。
「合う〜! 和食にワイン、最高っしょ!」
「ふふ、皆様に喜んでいただけて何よりですわ」
茜は部屋の隅で、電卓を叩きながらほくそ笑んでいる。
彼女にとって、この光景は全て「金」に見えているのだろう。
「……俺の家は、いつから食堂兼集会所になったんだ?」
俺はグラスに残ったワインを飲み干し、遠い目をした。
すず、ゆき子、瞳、みのり、そして茜。
五人の女性たちが、俺の生活圏を完全に侵食している。
「ワフッ!(カニの殻よこせ!)」
ポチも興奮して走り回り、また壁にぶつかりそうになっている。
五右衛門は『旦那、このカニの殻、いい魔素が出てるでヤンスねぇ』と出汁を吸っている。
騒がしい。
けれど、不思議と悪い気分ではなかった。
一人でカップ麺をすすっていた頃に比べれば、料理の作り甲斐があるというものだ。
その時。
ふと、部屋の隅でモゾモゾしているポチが気になった。
「……ん? どうしたポチ」
ポチは落ち着かなさそうに、その場でクルクルと回っている。
クゥーン、と小さく鳴き、俺の顔と部屋の隅を交互に見ている。
「ああ、トイレか?」
「ワフッ!」
魔獣とはいえ、生理現象はある。
室内飼いをする以上、トイレの躾は必須事項だ。
もし畳の上で粗相でもされたら、この古いアパートの床板ごと腐り落ちるかもしれない。魔獣の排泄物は、それ自体が高濃度の魔素を含んだ汚染物質になり得るからだ。
「ちょっとストップだ。トイレを覚えるぞ」
俺は食事を中断し、洗面所からペットシーツを持ってきて、部屋の隅に敷いた。
一般的に、犬のトイレトレーニングは根気がいる。
匂いをつけて誘導し、成功したら褒める。失敗したら現行犯で叱る。
これを何週間、時には何ヶ月も繰り返して、ようやく覚えるものだ。
専門書によれば、完璧にマスターするには平均で3ヶ月から5ヶ月はかかると言われている。
「いいかポチ。ここがトイレだ。用を足す時はここでしろ」
俺はシーツを指差して言った。
女性陣が興味津々で見守る中、ポチはトテトテとシーツに近づいた。
フンフンと匂いを嗅ぐ。
そして、俺の顔をじっと見た。
そのブルーの瞳に、知性的な光が宿る。
「ワフッ!(了解!)」
ポチは短く鳴くと、クルリと回ってシーツの上にお尻を落とした。
そして、迷うことなく。
シーーッ……。
完璧なポジショニングで、一滴も外すことなく用を足した。
「……え?」
部屋中の時間が止まった。
すずが箸を落とす音が響く。
ポチはスッキリした顔で立ち上がり、さらに驚くべき行動に出た。
前足でシーツの端を器用に掴み、汚れた面を内側にしてパタパタと折りたたみ始めたのだ。
そして、それを口にくわえてゴミ箱まで運び、ポイッと捨てた。
戻ってきたポチは、俺の前に座り、ビシッと背筋を伸ばした。
「ワフン(できたぞ。褒めろ)」
「……天才か?」
俺は思わず呟いた。
5ヶ月かかると言われるトイレトレーニングを、たった一回の指示、わずか10秒でマスターしたのだ。
しかも、後始末まで完璧に。
こいつ、中身は人間なんじゃないか?
「きゃあああ! すごい! ポチちゃん賢すぎます!」
「ヤバっ! アタシより頭いいかも! てか、畳み方めっちゃ綺麗なんだけど!」
「……驚異的な学習能力です。言語理解力と空間認識能力が、人間の幼児並み……いえ、それ以上です。この知能指数は、新たな論文のテーマになります」
すず、ゆき子、瞳が興奮してポチを取り囲む。
ポチは「ふふん」と得意げに胸を張り、尻尾をブンブン振っている。
その姿があまりにも可愛らしく、そして賢い。
「あらあら、優秀な番犬ですわねぇ。……これなら、『しつけ教室』と称して動画を配信すれば、再生数が稼げそうですわ」
茜が電卓を叩き始めた。
この女、ブレないな。
「よしよし、偉いぞポチ」
俺はポケットから魔石を取り出し、ポチに与えた。
ポチは嬉しそうにそれを齧る。
賢い上に手がかからない。最高の同居人だ。
……質量が重いのと、壁に穴を開ける癖さえなければ。
和やかな空気が流れる中、再び食事に戻ろうとした、その時だった。
ドスン。
アパートの外で、何かが重く着地する音がした。
全員の動きが止まる。
カニの殻を割る音だけが響く静寂。
「……今の音、なに?」
「震度2相当の振動を検知。地震ではありません。局所的な衝撃です」
すずと瞳が警戒する。
俺は箸を置き、立ち上がった。
「……客か?」
こんな時間に?
いや、普通の客ならチャイムを鳴らすはずだ。
いきなり地面を揺らすような真似はしない。
俺が玄関に向かおうとすると、ドアがノックされることもなく、いきなり開け放たれた。
鍵はかけていたはずだ。
つまり、鍵ごと壊されたか、あるいは――。
「失礼するわ」
現れたのは、長身の女性だった。
エキゾチックな顔立ちに、鍛え上げられた肉体。
そして何より目を引くのは、彼女が背負っている巨大な物体だ。
冷蔵庫サイズの、鋼鉄製のコンテナ。
それを、まるでリュックサックのように軽々と背負っている。
「……貴方が、鈴木悠作ね」
彼女は俺を見据え、鋭い眼光を放った。
「動画を見たわ。……あの時の荷物の重心移動、納得がいかないの。0.5秒遅れていたわ」
「……は?」
「私は山田しずか。S級ポーターよ。……私と、『荷運び勝負』をしなさい」
新たな嵐の予感。
カニ鍋の湯気が揺れる中、俺の平穏は、またしても危機に晒されようとしていた。




