第52話:ネット右翼の始祖、匿名のアドバイザー
第5章:【黎明・国崩し編】休み時間トレードと近隣国経済支配の罠
第52話:ネット右翼の始祖、匿名のアドバイザー(1998年7月・14歳・中3)
七月に入り、宮崎の風はすっかり夏の匂いを孕むようになっていた。
梅雨明けの強い日差しが照りつける放課後の教室で、俺は自分の机に座り、周囲の賑やかな声を遠くに聞きながら過ごしていた。
最高学年となったクラスの話題は、目前に迫った夏休みの予定や、少しずつ現実味を帯びてきた高校受験のことで持ちきりだ。
「なぁ雄大、夏休みの補習って出る? 俺マジで英語やばいわ」
隣の席の奴が、白くなった半袖シャツの襟元をパタパタと仰ぎながらため息をついた。
「俺は家で自分のペースで進めるつもりだよ。分からないところがあったら、夏休み前ならいつでも聞いてよ」
「マジで? 助かるわ。お前、塾も行ってないのに何でそんなに余裕なんだよ」
クラスメイトが気楽に笑うのを適度にいなしながら、俺は鞄から灰色のPHSをそっと取り出した。
今や日本の初期のインターネット空間、そして世界の情報中枢の裏側では、前月に仕込んだ歴史問題のデータ集積を背景に、誰も想像し得なかった地殻変動が水面下で起きつつある。
有象無象の匿名掲示板や草の根BBS。
そこに、米軍の記録を含む多角的な検証データや、当時の公的な史料を、匿名のアドバイザーとして静かに投下するシステムを構築していた。
さらにその網の目は、国内の電脳空間だけに留まらない。
俺は校舎の裏手へと足を運び、東京の黒崎さんへダイヤルを入れた。
「黒崎さん、お疲れ様です。電脳空間へのデータ配置の件、反応はどうだい」
受話器の向こうから、キーボードを叩く音と共に黒崎さんの感嘆したような声が返ってくる。
『雄大さん、お疲れ様です。凄いことになっていますよ。こちらでいくつかの主要な草の根BBSやメーリングリストに、指定された米軍の戦時資料や当時の外交文書を匿名で流したのですが、知的探求心の強いネットユーザーたちが一斉に反応して、またたく間に拡散されています』
「まだインターネットは一部の人間だけのものだけど、だからこそ、ここに集まる人間の発信力は侮れない。彼らが自発的に検証するための『客観的な史料』を並べておくだけでいいんだ」
『なるほど……彼らにとっては、一面的な報道だけでは見えなかった多角的な記録に初めて触れた興奮があるのでしょうね。自発的にデータを読み解こうとする、新しい草の根の動きがネットの底から立ち上がっている感覚です』
「それから黒崎さん、もう一つ頼みたいことがあるんだ。集積した米軍の公式調書や実在する史料のデータを、シンガポールの暗号化ルートを使って、海外の主要な通信社や欧米の主要メディアの特派員たちへも匿名で一斉に送付してほしい」
『海外の主要メディアへ直接ですか。それはまた、思い切った一手ですね』
「彼らが一方的なプロパガンダを真に受けて誤報を流す前に、反論の余地のない一次史料をあらかじめ内部のデスクに突きつけておくのさ。ファクトを握らされた以上、安易な偏向報道を行えばメディアとしての信頼性を自ら失うことになるからね」
『なるほど……報道の自由を盾にする彼らに対し、最初から『言い訳のできない証拠』を握らせてペンを鈍らせるわけですね。国際世論の歪みを未然に防ぐ、完璧な防衛線になります。すぐにシンガポール経由の暗号化モデムで、追跡不可能な形で配信を執行します』
「頼むよ、黒崎さん。引き続きアクセスログの保守をお願いするよ」
『了解です。彼らの動きを妨害しようとする不審なアクセスも含めて、こちらで完璧に監視しておきます。しかし、雄大さんが仕掛けるこの電脳と国際情報のアプローチは、将来の世論のあり方すら変えてしまいそうですね』
「それはどうかな。ただ、この国に眠る至宝たちが、不当な言葉で傷つくのを防ぎたいだけさ。それじゃあ、また」
ピッとボタンを押して通話を切り、PHSをズボンのポケットに収めた。
グラウンドからは、野球部の打球音と蝉の声が混ざり合って響いてくる。
みんなが冷たい炭酸飲料を分け合い、目の前の短い夏をどう楽しむかで盛り上がっているこの日常。
その静かな青空の裏側で、俺が配置した匿名のアドバイザーとしてのデータは、未来の電脳防衛網の始祖となる大きなうねりを静かに生み出し始めていた。
(アマテラス・グローバルの総資産:140億円)




