第32話:十五日のダイヤル、主導権を握る神童
第4章:【飛翔編】戦後50年のミリオンセラーと合法的税流最適化
第32話:十五日のダイヤル、主導権を握る神童(1995年8月・戦後50年・12歳・中1)
1995年8月15日、日本は戦後50年という節目の夏を迎えていた。
ぎらぎらと照りつける真夏の太陽の下、テレビからは終戦記念日の特番が重々しいトーンで流れている。
鈴木雄大は自室の畳の上に立ち、静かに息を吐きながら自身の引き締まった体躯を見つめた。
未来の格闘理論を組み込んだ毎日の鍛錬と、制限解除の身体操作によって、薄手のTシャツに隠された12歳の肉体は鋼のような芯を宿しつつあった。
外からは凄まじい蝉時雨が容赦なく降り注ぎ、古い網戸の向こうの空は青く澄み渡っている。
「雄大、東京の高峰館からお電話よ。例の、編集長っていう人から」
階段の下から、恵子の緊張で上ずった声が響いた。
雄大はフラットな表情のまま、木造の階段を一段ずつ踏みしめて居間へと降りていった。
黒いダイヤル式の受話器を耳に当てると、受話口からは都会の雑踏を思わせる、どこか傲慢で焦りを含んだ大人の声が漏れ聞こえてきた。
「もしもし、鈴木雄大くんだね。私は高峰館の特別大賞編集長だ。君の『輸送船の艦長』だが、満場一致で大賞に決定した。戦後50年のこの瞬間に合わせて、すぐにでも出版の手続きに入りたい」
「お電話ありがとうございます」
雄大の喉から出た声は、12歳の少年としてはあまりにも平坦で、落ち着きを湛えていた。
「ついては、来週にでも東京のこちらの本社へ、保護者の方と一緒に来てもらえないだろうか。契約の細かい話や、今後のスケジュールについて詰めたい。もちろん、旅費はこちらで負担する」
電話の向こうの編集長は、子供を言いくるめるような親しげな口調の裏に、主導権を完全に握ろうとする意図を隠し持っていた。
「いえ、そちらへ伺う必要はありません」
「……何だって?」
「契約と今後のすべての交渉は、私の代理人が行います。ただし、当然私もその場へ同席します。場所は、こちらの指定する宮崎の会場で」
受話器の向こうで、編集長が息を呑む気配が伝わってきた。
「君、何を言っているんだ。これは戦後50年の国家的なミリオンセラーになるかもしれない大作なんだぞ。大人の勝手な都合で動くものではないんだ。親御さんはどこにいる?」
「親も私の決定に従います。近いうちに、正式な書面をそちらへ送付します。それでは、宮崎でお待ちしています」
ガチャリ、と雄大は一切の自由な感情を排して受話器を置いた。
居間のソファに腰掛けていた健一が、ブラックコーヒーのマグカップを握ったまま、我が子の対応に目を見張っていた。
「雄大、東京の編集長相手に、そこまで突っぱねて大丈夫なのか。それに、お前もその交渉の場に出るんだな」
「大丈夫だよ、父さん。自分が書いた原稿だ、大人の都合で勝手に書き換えられたり、不当に権利を奪われたりしないよう、この目で彼らの動きを監視する。表向きの交渉役は父さんにお願いするけど、実質的な舵取りは俺がやる」
雄大は父親の視線を正面から静かに受け止めた。
「分かった。お前が横にいてくれるなら、俺も腹を据えて大人の盾になれる」
健一はコーヒーを深く一口すすり、我が子への信頼をその目に湛えた。
理不尽な困窮の歴史を根こそぎ覆すための本当の戦いが、この戦後50年の夏の日に、静かに幕を開けた。




