第29話:宮崎の海を見つめながら淹れるコーヒー
第3章:【潜伏編】インターネット黎明期の覇王と歪んだ未来の修正
第29話:宮崎の海を見つめながら淹れるコーヒー(1995年7月・夏・12歳・中1)
潮騒が、どこまでも平坦に続く海岸線に白く砕け散っている。
激しい夕立が去った後の、強い西日を浴びた日向灘の海面が、ぎらぎらと変則的に黄金色の光を反射させていた。
鈴木雄大は、防風林の松の木が砂浜に長い影を落とす堤防の上に腰を掛け、水平線の彼方を見つめていた。
夏休みに入ったばかりの、風の強い午後。
手元には、実家から持ち出してきた年季の入ったカセットコンロと、小さなホーローのケトルが置かれている。
シュンシュンと小さな音を立てて湯が沸き上がるにつれ、潮の香りのなかに、特有の香ばしい苦みが混ざり始めた。
健一が実家の薄暗い居間で毎日のように嗜んでいた、あのブラックコーヒー。
その深いコクと香りが、今の雄大にとっては、脳内のノイズを完璧にクリアにするための重要な儀式となっていた。
挽いたばかりの豆をペーパーフィルターにセットし、雄大は細い湯を円を描くように静かに落とした。
ふつふつと膨らむ黒い泡から、濃厚なインクのような、それでいてどこか甘やかなアロマが立ち上る。
12歳の細い指先は、ミリ単位のブレもなく正確に湯量をコントロールしていた。
「雄大、やっぱりここにいたか」
背後から声をかけてきたのは、無口な父親の健一だった。
健一は、使い古したウインドブレーカーのポケットに両手を突っ込み、濡れた砂を踏みしめながら歩いてくる。
雄大は振り返ることなく、淹れ終えたばかりのコーヒーを小さなプラスチックのマグカップへ注ぎ、父親へと差し出した。
「これ、飲む?」
健一は一瞬だけ意外そうに目を見張ったが、何も言わずにそれを受け取った。
ふう、と息を吹きかけ、一口すする。
「……美味いな。よくこんな淹れ方を覚えた」
「父さんが飲んでいるのを、ずっと見ていたから」
「そうか。お前がコンロまで持ち出して海に行くって言うから、恵子が心配してただろ」
「少し、静かに考えたいことがあったから」
雄大自身も自分の分のカップを口に運んだ。
鋭い苦みが舌の上を滑り、脳の神経系がより一層研ぎ澄まされていく。
「中学校の生活には慣れたか。部活は帰宅部にしたそうじゃないか。何かやりたいことでもあるのか」
「学校の外にある、古流武術の道場に通う。そっちのほうが、自分の身体を動かすための専門的な訓練ができるから」
健一は驚いたように視線を落としたが、すぐに納得したように小さく息を吐いた。
「道場か。お前がそこまで考えているなら、俺が口を挟むことじゃないな。お前の好きなようにやりなさい。母さんも俺も、お前がやることなら信用している」
「ありがとう、父さん」
健一の横顔が、波の音の中に静かに佇んでいる。
雄大は遠い水平線を見つめたまま、小さく頷いた。
このコーヒーの深みを知る家族を、何者にも壊させはしない。
胸のポケットの奥で、すべてのデータベースを宿した金属体が、確かな重みとなって雄大の身体に触れていた。




