第25話 サッカー協会の動向と、電脳介入の深化
第3章 【潜伏編】インターネット黎明期の覇王と歪んだ未来の修正
第25話 サッカー協会の動向と、電脳介入の深化(一九九五年、六月、十二歳、中一)
一九九五年の六月、梅雨前線がもたらす重い雨雲が宮崎の空を覆い、自室の窓ガラスを激しい雨粒が叩いていた。
中学校の教室では周囲の凡庸な日常にただ優等生として潜伏しつつ、俺は放課後のすべてのリソースをPC-9821の前に捧げていた。
前月に欧州のスポーツ専門誌の記者たちへと匿名で投下した、FIFA内部の不透明な資金移動のファクトデータ。
そのパケットは確実に海外のメディアを動かし、国際サッカー連盟の内部に静かな疑心暗鬼の火種を植え付け始めていた。
だが、現世の本来の歴史に刻まれた「日韓共同開催」という歪んだ妥協を完全に破砕し、日本単独開催へと舵を戻すためには、国内の足元、すなわち日本サッカー協会(JFA)の動向を俺の手で掌握する必要があった。
カチリ、とPC-9821の主電源を入れ、グレーの外付けモデムを駆動させる。
ピーヒョロロ、ザザー、というアナログ公衆回線の接続音が静まり返った室内に響き、通信速度14.4kbpsの極細の管が東京のネットワークへと伸びていく。
ターゲットは、東京の文京区にある日本サッカー協会、および2002年W杯日本招致委員会の内部サーバーだった。
一九九五年という時代、JFAのデータ管理インフラは未だ極めて脆弱であり、セキュリティプロトコルは形骸化していた。
俺は中継局の接続ログをパケットのルーティングを偽装することで攪乱し、協会のホストコンピューターの最深部へと静かに侵入した。
画面の上から一行ずつ、緑色の文字で落ちてくるJFA内部の電子メールのログと、FIFA理事たちへ向けた最新の開催提案書の進捗データ。
「神のスマホ」が脳内へと同期させている未来のタイムラインと、目の前のブラウン管に映し出される現世の動向を冷徹に突き合わせていく。
協会は未だ、アジア初のW杯開催は日本単独で無条件に決まるという甘い見通しの中にいた。
隣国による猛烈な後追いでのロビー活動の実態や、FIFA会長の周辺で蠢く政治的取引の存在に、彼らは全く気づいていない。
俺はJFAの幹部や招致委員会の主要メンバーしかアクセスできない専用の電子メールボックスのアドレスを特定し、キーボードに指先を滑らせた。
カタカタカタ、と乾いたプラスチックの音が、雨音に混じって室内に規則正しく響く。
海外のニュースグループで波紋を広げつつあるFIFA内部の財務疑惑のスクラップ、そして欧州の理事が漏らした共同開催へ向けた密約の断片。
それらのデータを、海外のプロキシサーバーを何重にも経由させた匿名のアカウントから、JFAの意思決定層のメールボックスへと直接流し込んでいった。
外部からの脅威をファクトとして突きつけ、協会の幹部たちに「このままの甘い方針では単独開催は瓦解する」という強烈な危機感を植え付けるための情報工作。
外付けモデムの赤いLEDランプが激しい明滅を終え、パケットの送信完了を告げるプロンプトが画面の最下行に静かに灯った。
本体の主電源を落とすと、ブラウン管の画面の光が中央の一点へと収束し、完全な暗闇が訪れた。
俺は暗闇の中で深く息を吐き、静かに雨の音を聴いていた。
大人の組織を電脳空間から揺り動かす布石は完了した。
すべては予定通りの軌道を描いて進んでいた。




