第26話 クラスメイトの視線と、絶対的な優等生のアリバイ
第3章 【潜伏編】インターネット黎明期の覇王と歪んだ未来の修正
第26話 クラスメイトの視線と、絶対的な優等生のアリバイ(一九九五年、六月、十二歳、中一)
一九九五年の六月半ば、梅雨の湿った重い空気が中学校の教室に淀んでいた。
天井で大きな三枚羽の扇風機がぬるい風をかき混ぜる中、英語の教師が黒いチョークでアルファベットの例文を板書していく。
周囲の生徒たちは、ノートに落書きをしたり、窓の外の激しい雨空を眺めたりして、退屈な時間をただやり過ごしていた。
俺は背筋を伸ばし、姿勢を一切崩すことなく、教師の板書をただ淡々とノートに正確な文字で刻み続けていた。
「鈴木、この英文を和訳してみなさい」
教師の指名に、俺は静かに席を立った。
「私たちはその歴史的な事実を、次の世代へと正しく伝える義務を持っています」
教科書を見ることなく、淀みない発音と正確な訳を口にすると、教師は満足そうに眼鏡を押し上げた。
「素晴らしい。完璧な訳だ。座ってよろしい」
俺が席に戻る際、隣の列の男子生徒から微かな羨望の視線が向けられ、前列の女子生徒たちが小さく振り返った。
小テストは常に学年首位の満点、提出物の期限は完璧、授業中の態度も一切非の打ち所がない。
義務教育という大人の作ったシステムの内側で、俺は「手のかからない成績優秀な優等生」という完璧な記号を完成させていた。
この絶対的な保護色を纏っている限り、教師も親も、俺が自分の部屋で何を行っているかを疑うことすらしない。
放課後のチャイムが鳴り響き、クラスメイトたちが部活動や買い食いの計画で一斉に騒ぎ始める中、俺は鞄のジッパーを引いた。
「鈴木くん、これからみんなで駅前のマックに行くんだけど、一緒にどうかな」
学級委員の女子生徒が、数人の友人を引き連れて俺のデスクの前で足を止めた。
「誘ってくれてありがとう。でも、今日はじいちゃんの家の手伝いがあるから帰るよ」
俺は丁寧に、だが他人の干渉を完全に遮断するような笑みを浮かべて断った。
「そうなんだ。じゃあ、また明日ね」
彼女たちが教室を出ていくのを見届け、俺は一人で誰もいない校門を出た。
サッカー界のフィクサーへの怪文書工作を終え、電脳空間で仕掛けたパケットが水面下で大人の社会を揺らし始めているなど、この泥にまみれた校庭を走る生徒たちの誰一人として知る由もない。
完璧な日常の潜伏。
俺はマウンテンバイクのペダルを強く踏み込み、夕暮れの街路を滑走していった。




