第24話 2002年W杯・単独開催の布石
第3章 【潜伏編】インターネット黎明期の覇王と歪んだ未来の修正
第24話 2002年W杯・単独開催の布石(一九九五年、五月、十二歳、中一)
一九九五年の五月、放課後の中学校には西日が斜めに差し込み、木造校舎の廊下にはワックスと埃の混ざった独特の臭いが滞留していた。
校庭からは部活動に励む生徒たちの掛け声と、スパイクが土を噛む音が響いている。
五月に入っても、クラスの喧騒や周囲の環境に俺の意識が引きずられることはなかった。
衣服の下に隠された俺の肉体は毎朝の筋トレによって筋密度を高めており、制服の肩回りはわずかに窮屈になりつつある。
東京へ発送した原稿の審査結果を待ちつつ、俺はすでに次なる歴史の分岐点をデバッグするための行動を開始していた。
二〇〇二年に開催されるサッカーの世界最大の祭典。
現世の本来のタイムラインでは、欧州と南米のパワーバランス、そして特定のロビイストたちの暗躍によって、日韓共同開催という歪んだ政治的妥協の泥沼へと突き進むことになる。
国内スタジアム建設の分散による莫大な経済損失、そしてその後に遺される決定的な禍根。
それを未然に防ぎ、日本単独開催という本来あるべき一本の線へと舵を戻すための布石を、俺はこの宮崎の地から電脳空間経由で仕掛ける必要があった。
夕暮れの実家に戻り、二階の自室のデスクに向かう。
PC-9821の主電源を入れると、ピポ、という短い起動音とともに、十四型のブラウン管ディスプレイに無機質な黒い画面が立ち上がった。
デスクの端に置いた外付けモデムのスイッチを押し、14.4kbpsのアナログ回線を駆動させる。
ピー、という高い発信音に続き、ピーヒョロロ、ザザー、という独特の変調音が静まり返った夜の室内に響き渡った。
世界中のサッカー関係者やFIFAの理事が非公式に意見を交わす、海外のテキストベースのニュースグループへと潜行する。
画面の上からじわじわと落ちてくる緑色の文字の列。
「神のスマホ」が提示する未来のデータには、単独開催の絶対的優位を揺るがすための決定的なトリガーとなる、特定の海外理事たちの不透明な財務ログと、裏交渉のタイムラインがすべて完全に記録されていた。
俺は自らの痕跡を何重ものダミープロキシの奥へと完全に隠蔽し、海外の暗号化されたBBSを経由して、欧州の有力なスポーツ専門誌の記者たちのメールボックスへとパケットを飛ばした。
カタ、カタ、カタタ、と乾いたプラスチックの音が、夕暮れの室内に規則正しいリズムで響く。
まだ誰も気づいていない、共同開催へと誘引しようとする特定のロビー活動の実態と、その資金の不自然な流れを示す決定的なファクトの断片。
それを、彼らが自ら海外の銀行口座を追跡して突き止めたと錯覚するような形で、小出しにネットワークの底へと投下していく。
現世のメディアが動き出し、国際サッカー連盟の内部で疑心暗鬼の火種が燃え広がるまで、時間は十分に用意されていた。
日本の単独開催という絶対的な国益を勝ち取るための、最初の一撃。
外付けモデムの赤いLEDランプが激しく点滅を繰り返し、データの送信完了を告げるプロンプトが画面の最下行に静かに点滅した。
ブラウン管の主電源を落とすと、画面の光が中央の一点へと収束し、かすかな静電気の音を残して完全な暗闇が自室を包み込んだ。




