第23話 ネットの闇と、反日声明のデータ先取り
第3章 【潜伏編】インターネット黎明期の覇王と歪んだ未来の修正
第23話 ネットの闇と、反日声明のデータ先取り(一九九五年、二月、十一歳、小六)
一九九五年の二月、深夜二時の自室にはPC-9821の背面に据え付けられた空冷ファンの回転音だけが、低く重苦しく響いていた。
アルミサッシの隙間から容赦なく吹き込んでくる宮崎の夜の冷気が、衣服の下に隠された俺の肉体を冷やし、キーボードの上に置いた指先の感覚を奪おうとする。
通信速度14.4kbpsの外付けモデムを経由したアナログ公衆回線。
その極細の管を通じて、俺の意識はUNIXベースで構築された海外のパブリックサーバーの最深部へと、静かに潜行を続けていた。
14型のブラウン管ディスプレイが放つ緑色の光の中に、上から一行ずつ、文字の列が不規則なラグを伴ってじわじわと落ちてくる。
画面を埋め尽くしていくのは、英語と特定の言語で綴られた、組織的な歴史歪曲声明の具体的な草案テキストだった。
戦後50年の節目に合わせ、日本の過去の戦歴を国際社会に向けて歪めて発信し、外交的優位を確保しようとする海外の政治グループや情報機関のダミーアカウント。
彼らが国際世論を誘導するための最大のカードとして用意していたのが、実在する特定の元慰安婦による証言集のデータだった。
だが、俺の手元にじわじわとダウンロードされていくテキストには、その証言の前提を根底から覆す、当時の中継地における生々しいファクトデータが並んでいた。
証言者が主張する連行時期と、当時の公的な戸籍ログや渡航記録、さらには当時の新聞に掲載されていた高額な報酬を約束する求人広告の記録。
それらの客観的な時系列ログを突き合わせると、強制連行の主張が後年になってから政治的意図をもって不自然に書き換えられたものであるという決定的な矛盾が、無機質な英数字の列となって剥き出しになっていった。
さらに俺のパケットは、アメリカの政府機関や軍のアーカイブにひっそりと死蔵されている機密指定文書の格納領域へと潜り込んでいた。
画面に落ちてきたのは、戦時中に米軍の戦時情報局(OWI)や陸軍情報部が、前線で保護した随行女性や捕虜たちに対して直接実施した尋問調書の記録、そして当時の現地調査報告書のデータだった。
そこには、彼女たちが軍による組織的な拉致や「性◯隷」などではなく、民間業者によって募集された高給の随行者であり、契約に基づいた自由行動や貯蓄の権利を持っていた事実が、当時の米軍自身の公的調査として克明に記録されていた。
現世の日本政府やメディアがその存在すら察知していない、電脳空間の底に蠢く謀略と、それをアメリカ側の公的記録を用いて完全に切り崩すための一次史料の生データが、パケットとなって俺の元へ流れてくる。
押し入れの奥底に秘匿した端末から脳内へ同期されたログには、彼らがいつ、どのプロバイダを使い、どのタイミングでこの声明を世界に向けて正式に発信するかの正確な暗号キーとタイムラインがすでに網羅されていた。
彼らが現世のネットワークにデータを完全アップロードし、公式にメディアへ声明を叩きつけるまで、あと数ヶ月の猶予がある。
先手を打つための時間は、十分すぎるほどに残されていた。
俺はコマンドラインに直接セーブコマンドを打ち込み、彼らの草案テキストと、証言の矛盾を証明する当時の公的記録、そして米国保管の米軍尋問報告書データをすべて3.5インチのフロッピーディスクへとローカル保存した。
カタ、カタ、カタタ、と乾いたプラスチックの音が、冷え切った六畳間の空気を規則正しく刻んでいく。
ガチャリ、ウィーンと、ドライブが重々しい書き込み音を立ててディスクを回転させ、データのセーブが完了したことを告げるプロンプトが点滅した。
この生のデータをそのまま現世の特定の機関や、後に構築する信頼できる太い情報パイプへと匿名で流し、発信されるその瞬間に完璧なカウンターのファクトをぶつける。
敵が引き金を引いた瞬間に、その銃口を自らの喉元へと叩き返すための電脳工作。
現世の歴史の歪みを未然に防ぎ、日本の国益を完全に死守するための布石が、俺の指先からネットワークの底へと静かに埋め込まれていった。
外付けモデムの赤いLEDランプが、データの送受信を終えて静かな点滅へと変わる。
本体の主電源を落とすと、ブラウン管の画面の光が中央の一点へと収束し、かすかな静電気の音を残して完全な暗闇が訪れた。




