第20話:戦後50年の節目へ向けた投函
第2章 【胎動編】軍資金の獲得と秘密基地の構築
第20話 戦後50年の節目へ向けた投函(一九九五年、春、十一歳、小六)
一九九五年の三月、宮崎の空には薄い雲が広がり、春の兆しを含んだ風が街を吹き抜けていた。
小学校の卒業式を数日後に控えたこの時期、俺はプリンターから吐き出された五百枚の原稿用紙の束を抱え、一階のリビングへと降りた。
居間には、実家に呼び寄せたじいちゃんの栄治、そして健一と恵子が揃っていた。
「じいちゃん、この前の話、形にしたんだ。読んでみてほしい」
俺は机の上に、ずっしりとした原稿の塊を置いた。
栄治は怪訝そうに眉を寄せたが、一番上のページに印字された『輸送船の艦長』という文字に目を留めると、無言で原稿を手に取った。
健一と恵子も、固唾を呑んで老人の手元を見つめている。
居間に響くのは、じいちゃんが紙をめくるガサリという音と、健一のマグカップから上るブラックコーヒーの湯気だけだった。
読み進めるうちに、栄治のタバコを挟んだ指先が微かに震え始め、その瞳に当時の南方の海域の光景がまざまざと蘇っていくのが分かった。
安易な形容詞を排し、鉄板の歪みと重油のぬめりだけを積み重ねたテキスト。
「……雄大、お前、これは」
一時間をかけてすべてを読み終えた栄治が、深く掠れた声で呟いた。
「どうだった、じいちゃん」
「間違いねえ…。俺たちが、あの地獄の海で見てきたものそのものだ。何でこんなものが書ける?」
栄治は原稿を愛おしそうに撫で、それからゆっくりと健一たちに向き直った。
「健一、恵子、この子はとんでもねえものを書きおったぞ」
健一は無言で原稿を引き寄せ、恵子と二人の視線を文字の列へと落とした。
十一歳の我が子が紡ぎ出した、あまりにも生々しい戦場のリアリズムを前に、二人は言葉を失い、静まり返った室内に重苦しい沈黙だけが満ちていった。
「これを、東京の出版社が主催する戦後五十年の文学大賞に応募する」
俺が告げると、健一はゆっくりと顔を上げ、何も言わずにただ深く頷いた。
家族の了解と、本物の戦場を生き抜いた男の証明書を携え、俺は原稿を厚手の茶封筒へと収めた。
封筒のベロに糊を塗り、しっかりと圧着する。
俺は膨らんだ封筒を小脇に抱え、マウンテンバイクのサドルに跨がった。
ペダルを踏み込み、実家から離れた中央郵便局の窓口を目指して街道を滑走する。
郵便局の自動ドアをくぐり、窓口の局員に封筒を差し出すと、秤の上に載せられた。
「ずいぶん重いね。中身は書類かな」
局員がこちらを見ながら、規定の料金を提示する。
「うん。小説の原稿なんだ」
俺は答え、健一から渡されていた小銭を正確に支払った。
受領印が押され、窓口の奥の仕分けカゴへと静かに投げ入れられた茶封筒。
現世の歴史の歪みを正すための弾丸が、今、正式に発射された。
郵便局を出ると、春の柔らかな陽光がアスファルトを照らしていた。
俺はマウンテンバイクのハンドルを握り直し、次なる戦場である中学校の門へと向かうためのステップへ意識を切り替えた。
タイムラインは一ミリの狂いもなく駆動している。
俺は再びペダルを強く踏み込み、夕暮れの街道を駆け抜けていった。




