第12話:名車との邂逅、10歳のマニア
第2章 【胎動編】軍資金の獲得と秘密基地の構築
第12話 名車との邂逅、十歳のマニア(一九九三年、夏、九歳、小五)
一九九三年の夏、宮崎の陽光はアスファルトを焼き焦がしていた。
陽炎が滑走路のように揺れる国道十号線。
蝉の鳴き声が、重苦しい湿気を含んだ空気に溶けていく。
鈴木雄大、十歳。
小学五年生になった俺の身体は、毎朝の筋トレと未来のMMA理論によって、同級生とは異なる筋密度を誇っていた。
衣服の下に隠された肉体は、無駄な脂肪を削ぎ落とし、効率的に最適化されつつある。
前世で四十二年の時を生きた記憶は、この灼熱の地方都市にあっても、一ミリもブレることはない。
周囲のガキどもが夏休みに浮き足立つ中、俺はただ一人、未来の帝国築き上げへのカウントダウンを刻んでいた。
キィ、と自転車のブレーキが鳴った。
街道の脇にマウンテンバイクを止め、俺は迫り来る重低音の塊に視線を固定した。
独特の不等間隔爆発音。
空冷V型ツインエンジンが刻む律動が、大気を激しく震わせる。
乾いたエキゾーストノート。
俺の視線の先を通り過ぎていったのは、ヤマハ・XV400ビラーゴだった。
ティアドロップ型の燃料タンク。
美しくポリッシュされたクランクケース。
低いシート高から後方へと滑らかに流れる、クラシカルなアメリカンの美しいシルエット。
乗り手は二十代半ばの男だった。
半袖のTシャツ一枚で、ステップボードへ乗せた足でシフトワークを試みている。
だが、そのエンジン音には微かな淀みがあった。
前世のマニアとしての知識が、そのマシンの詳細を瞬時に脳内に引き出した。
エンジン型式、2NT。
最高出力、四十馬力。
空冷OHC二気筒のメカニズム。
吸気系、あるいは負圧キャブレターの同調がわずかに狂っている。
男はシフトダウンし、乾いた金属音を響かせながら俺の横を通り過ぎ、数百メートル先の路肩にバイクを止めた。
エンジンの回転数が不安定に上下し、そのままストンと停止する。
俺はゆっくりと自転車のペダルを踏み込み、そのビラーゴへと近づいた。
男はシートから腰を浮かせ、セルモーターを何度も回している。
キュキュキュ、と虚しい金属音を響かせていた。
「おい坊主、何見てんだよ」
男が汗を拭いながら言った。
「お兄さん、セルの回しすぎはバッテリーが上がっちゃうよ。
インテークマニホールドを見てみなよ。
二次エアーを吸ってるみたいだ」
俺は自転車に乗ったまま、十歳の声で語りかけた。
視線は寸分の狂いもなくインシュレーターのゴムを真っ直ぐに射抜いていた。
男は一瞬、呆気に取られたように俺を見た。
しかし、俺の指先が迷いなく一点を指し示していることに気づき、根元を覗き込んだ。
「……マジか。
ヒビが入ってやがる」
男の顔から余裕が消えた。
瞳に驚愕が浮かんでいる。
「プラグを抜いた方がいいよ。
混合気が薄くなりすぎて、焼き付きを起こす一歩手前だからね。
近くのガソリンスタンドまで押して、インシュレーターに耐熱テープを巻けば、お家までは持つと思うよ」
俺はそれだけを告げると、男の顔を見ることもせず、そのまま自転車のペダルを踏み込んだ。
背後から、男の視線が突き刺さるのを感じる。
だが、俺には大人の相手をしている時間などない。
通り過ぎる鉄の馬を見つめながら、俺はポケットの中の「神のスマホ」にそっと触れた。
現世のこの手元には、まだまとまったキャッシュは存在しない。
だが、未来のデータとこの脳内にある知識を使えば、世界を駆動させる元手など、いつでも引き出せる。
十六歳の春、中型二輪免許を一発を取得した瞬間に買い付けるべきマシンの絵コンテが、脳内で完全に完成した。
あのビラーゴの後継となる、ドラッグスター400の新車。
それに施すべきクラシックカスタムのディテールが、一分の狂いもなく弾き出される。
すべてはタイムライン通りに進行している。
俺は再び自転車のペダルを強く踏み込み、最初の元手を獲得するための秘密基地へと向かった。




