第10話:11歳の決意と、元手獲得への伏線
第1章:【覚醒編】平成元の6歳児、神の玩具を起動する
第10話:11歳の決意と、元手獲得への伏線(1994年夏・11歳・小6)
一九九四年の夏、宮崎の空気は、これまでになく乾いた熱を帯びて道路のアスファルトを白く揺らしていた。
テレビの天気予報は連日、記録的な猛暑と水不足を報じ、外に出れば肌を刺すような陽光と、狂ったように鳴き続ける蝉の声が鼓膜を圧迫してくる。
小学校最高学年である六年生へと進級した鈴木雄大は、自室の学習机の前に座り、目の前に整然と並べられた束のテスト用紙へと静かに視線を落としていた。
わら半紙特有のざらついた質感と、独特のインクの匂いが鼻腔をくすぐる。
国語、算数、理科、社会。
返却されたその全てに、赤ペンで大きく「百」の数字が一面の容赦もなく刻まれていた。
学校の教師たちは、授業中あからさまに退屈そうな視線を窓外へ向けているこの物静かな児童が、まさか全問を一分の迷いもなく秒単位で解き終えているとは夢にも思っていない。
(伏線の構築は順調だ。学校の全テストを満点で通し続ける。ただそれだけのシンプルな既成事実が、この家庭内において『うちの雄大は常人離れした直感と頭脳を持つ神童だ』という絶対的なアリバイに昇華する)
いよいよ秋には、神のスマホで先取りしたあのシステムが国内で産声を上げる。
突然、ただのガキが数百万という大金を我が家に持ち込めば、いくら盲目的に自分を愛してくれる両親であっても、そのあまりの異常さに恐怖し、背後の歪みに気づいてしまうだろう。
家族を守るための嘘は、彼らが完全に納得できる美しさと、圧倒的な説得力を帯びていなければならない。
だからこそ雄大は、大人たちの目を欺き、自らの目的を完璧に隠蔽するための盾として、日々の退屈な学校のテストを徹底的に利用し尽くしていた。
薄い木造の壁の向こう、階下のリビングからは、お父さんとお母さんが低めの声で嬉そうに話し合う気配が伝わってきた。
「健一さん、雄大のあの集中力、本当に凄いわね。先生も懇談会で、教えることが何もないって驚いていたのよ」
「ああ……。俺に似なくて良かった。あいつのあの落ち着き方は、時々、こっちが背筋を伸ばしたくなるくらいだ」
下戸の父親が嗜むブラックコーヒーの深い香りが、あるいはわずかな隙間から二階の自室へと微かに上ってくる。
その無口な父親の不器用な誇りと、母親の弾んだ声を耳にした瞬間、雄大の硬質だった目元が、ふっと子供らしい柔らかさへと霧散した。
居間の引き戸を開けて入ってきた母親の恵子が、ガラスのトレイに乗せた冷たいアイスティーを雄大の机の端にそっと置く。
カラン、と涼やかな音を立てて結露した氷が揺れた。
「雄大、今日も全部満点だったのね。お父さんと、本当に凄いねって話していたのよ。お勉強、疲れてない?」
恵子は誇らしげに、そして心の底から愛おしそうに目を細めて雄大の頭を優しく撫でた。
十一歳の無邪気な神童を完璧に演じながら、雄大は恵みに満ちた冷たいグラスを受け取り、ゆっくりと喉を潤した。
「ありがとう、お母さん。テスト、簡単だったから全然疲れてないよ」
その声帯からはあどけない児童の言葉が零れていたが、その胸中にある四十二歳の魂は、すでに世界を相手に仕掛ける最初の引き金へと冷徹に指をかけていた。
(お父さん、お母さん。地道に額に汗して働く人間が、不況という理不尽に毟り取られる世界など、俺が力ずくで書き換えてやる。この実家のリビングに漂う穏やかな空気だけは、現世のいかなる歪みからも、俺がその命に代えて一〇〇%守り抜いてやる。もうすぐだ。仕掛けの時は、完全に満ちつつある)
恵子が嬉しそうに居間へと戻っていく足音を静かに聞き送りながら、雄大はグラスを置き、引き出しの奥底に隠された自由帳に目をやった。
そこには、一九九三年秋に逆引き検索し、一文字の狂いもなく書き写された四桁の数字が、静かにその執行の時を待っている。
窓の外では、宮崎の激しい入道雲が青空の彼方へと突き抜けるように湧き上がっていた。
身内への底なしの甘さと、家族からすべてを毟り取ろうとする冷酷な現実を圧殺するための苛烈な野心。
十一歳の覇王は、静まり返った自室のなかで、宿命の秋へ向けてさらに深く、静かにその牙を研ぎ澄ませていくのだった。




