第7話 「自由とは、失敗する権利でした」
王城の中庭。
朝露に濡れた芝生を、王子が静かに歩いていた。
私は少し離れた場所から、その背中を見る。
「……ねぇ」
担当者は隣で書類を閉じた。
「観察対象は前方です」
「そっちじゃないの」
「視線は正常です」
「今の返事、会話として合ってる?」
「業務としては問題ありません」
「ほんと会話だけ規格外なのよ」
王子は立ち止まる。
花壇を見つめていた。
庭師が近付く。
「殿下、おはようございます」
「おはようございます」
「こちら、新しい品種でして」
王子は花を見る。
数秒。
「美しいと思いますか?」
庭師は笑った。
「私は好きですよ」
王子は静かに頷く。
「そうですか」
それだけだった。
歩き出す。
私は首をかしげた。
「感想、それだけ?」
担当者は書類を確認する。
「仕様どおりです」
「仕様って便利ねぇ〜…って危ない、納得で終わっちゃうとこだった」
「便利だから採用されています」
「まるで企業努力の賜物ね」
私は王子を追い掛ける。
「王子様」
「はい」
「今のお花、どう思った?」
王子は少し考える。
「色彩は鮮やかでした」
「好き?」
「判断基準がありません」
「嫌い?」
「判断基準がありません」
「綺麗だと思う?」
「一般的にはそう評価されます」
私は額を押さえた。
「レビューサイトじゃないんだから……」
担当者が淡々と言う。
「個人評価が存在しません」
「だから困ってるのよ」
その時。
遠くから少年が走ってきた。
転んだ。
盛大に転んだ。
「いたた……」
王子は立ち止まる。
少年を見る。
数秒。
近付く。
私は少し期待した。
王子は少年の前へしゃがむ。
「擦過傷です」
「そこから?」
「歩行可能と判断します」
少年は苦笑いした。
「ありがとうございます」
「応急処置をご希望ですか」
「えっと……」
少年は困った顔になる。
私は思わず口を挟んだ。
「そこで大丈夫?って聞くの!」
王子は私を見る。
「大丈夫ですか」
「順番!」
担当者が書類へ何かを書いた。
「応答順序に改善の余地があります」
「監査報告書じゃないのよ」
少年は笑って立ち上がる。
「ありがとうございます!」
走っていった。
王子はその背中を見る。
「人格設計士」
「うん?」
「今の対応は誤りでしたか」
私は言葉に詰まる。
誤り。
そう言われると違う。
でも。
正しいとも思えない。
「ねぇ」
私は王子を見る。
「なんで助けたの?」
王子は答える。
「困っているように見えたので」
「心配だった?」
「分かりません」
「放っておくこともできたよね?」
「できました」
「じゃあなんで?」
王子は少しだけ黙った。
「……そうしたほうが良いと思いました」
担当者が静かに口を開く。
「役割による判断です」
私は振り返る。
「え?」
「第一王子は国民を保護する役割があります」
「だから助けた?」
「はい」
私は王子を見る。
つまり。
優しかったわけじゃない。
役割を実行しただけ。
胸の奥が少しだけ冷える。
「じゃあ」
私はゆっくり聞いた。
「役割がなかったら?」
王子は迷わず答えた。
「通過します」
私は何も言えなかった。
担当者は書類を閉じる。
「人格設計士」
「……なに」
「自由意思を追加した場合」
「うん」
「次回は助けない可能性があります」
「え?」
「あるいは」
少しだけ間を置く。
「助けようとして失敗する可能性もあります」
私は担当者を見る。
「失敗?」
「自由意思とは」
静かな声だった。
「常に正解を選択する機能ではありません」
昨日聞いた言葉。
でも今日は少し違って聞こえた。
担当者は続ける。
「誤る権利を保持する状態です」
私は王子を見る。
もし。
自由意思を追加したら。
この人は誰かを見捨てるかもしれない。
失敗するかもしれない。
後悔するかもしれない。
それでも。
それは。
誰かに決められた人生じゃない。
王子は空を見上げた。
「あの、人格設計士」
「なに?」
「失敗とは、悪いことですか」
私はすぐには答えられなかった。
担当者が静かに言う。
「定義上、失敗は目的未達です」
「空気読みなさいよ」
「業務定義に含まれておりません」
「役所って便利な言葉ばっかり覚えるのね」
私は思わず笑った。
そして。
王子を見た。
「……ううん」
小さく首を振る。
「たぶんね」
空を見上げる。
「失敗できる人って」
少しだけ笑った。
「自分で選んだ人だけなんじゃないかな」
王子はその言葉を、静かに聞いていた。




