第32話 抱いてみないか?
宣言していたとおり、ビエネッタさんの目を治療したことで、ハーゲンさんから信用を得ることができた。ただちょっと、やりすぎた感はある。
「フドウ様、ユユシキ様、この度は、まことにありがとうございました。そして数々の非礼をどうかお許しください。この身は、愛する家族のために失うわけにはいきませんが、腕や足の一本くらいでしたら、謝罪として差し出す覚悟はできております」
「差し出さないでください。もらっても困ります」
「では、何かお礼をさせてください。いえ、お礼などとおこがましい。どうか私を奴隷として如何様にも使い倒してください」
「いや、旦那や父親が奴隷とか、奥さんと子どもが可哀想でしょう」
「ならば、望むものをおっしゃってください! 私の裁量でできることであれば、全身全霊をかけてご用意させていただきます!」
俺たちに対するハーゲンさんの態度が、信用を通り越して、心服というか、崇拝というか。
アブリルさんと同じく、絶対の忠誠を誓いますと言わんばかりの平身低頭で接してくる。
改善を要求しても断固拒否。もう、こっちが慣れた方が早そうだ。
「そこまで必死にならなくても、最初から要求したいことが、ちゃんとあります」
「ミスリルダガーの売却についてですね。当商会の顧客名簿からは難しいですが、必ず条件に見合う販売、もしくは卸し先を探し出してみせます」
「いえ、それとはまた別のことなんです」
俺たちが、何故コルネット商会に目をつけたのか。
ハーゲンさんに同情し、ビエネッタさんの人柄に感銘を受けたから。
それもある。
だけど、こっちだって生活がかかっている。
わざわざ畑違いの商会に、貴重品を持ち込むメリットはない。
では、どうしてコルネット商会なのか。
理由はシンプル。
それ以上のメリットが、コルネット商会にはあるからだ。
この屋敷に入って確信した。
「ハーゲンさん。コルネット商会は、風呂を作ることができますよね?」
「え? ああ、はい。改築費用が高額になるため、あまり需要はありませんが」
「重ねてお尋ねします」
「なんでしょうか」
「この屋敷の中にも、風呂がありますよね?」
「改築の商談では、やはり現物を見ていただくのが一番ですから、当商会の仕事をこの屋敷で一通りご覧いただけるようにはしております」
「あるんですね?」
「ございます」
いよぉぉしっ。
と、俺ではなく、隣に座る睦琴がガッツポーズを取った。
俺は、こほんと咳払いをし、コルネット商会を選んだ真の目的を告げる。
こんな話、大恩を売りつけていなければできない。
「要求は一つ。俺たちが自分の家を持つまでの間、この家の風呂を使わせてください」
風呂の使用を快く了承してくれたハーゲンさんに甘え、さっそく一風呂浴びさせてもらうことになった。
期待に胸を膨らませて浴室に入った俺は、誇張抜きで感動した。
一般家庭にある風呂と比べると、かなりでかい。さすがに銭湯とまでは言わないけど、洗い場も大きいし、浴槽にも大人4人くらいなら余裕で浸かれそうだ。当然、足も伸ばせる。
壁の一画がガラス張りになっていて、露天風呂みたいな開放感も味わえる。
床や浴槽は、ヒノキとよく似た木造だ。鎮静作用のある落ち着いた香りが、たっぷりと張られた湯から立ち昇る湯気に乗り、浴室を温かく包み込む。
「最ッ高」
女子たちじゃないけど、こんな風呂になら毎日入りたい。欲しい。
睦琴はアブリルさんに送られ、着替えを取りに、いったん宿に帰っている。後で他の女子たちを連れて戻ってくる予定だ。その間に、俺が一番風呂の栄に浴することになった。
「アブリルさんも入ればよかったのに」
誘いはしたものの、丁重に断られてしまった。
裸の付き合いをすれば、あの堅苦しさも和らぐかと思ったけど、無理にとは言えないしな。
ではでは、一足先に贅沢を満喫させてもらいましょうか。
まずは身体を洗う。当然のマナーだ。
この世界にも洗髪剤や石鹸がちゃんとあるんだよな。石鹸作りでお手軽に大儲け、みたいな展開は異世界あるあるなんだけど、今のところ、生活で不便を感じるようなことは、ほとんどないと言っていい。あえて挙げるなら、風呂が前の世界ほど普及していないことくらいだ。
俺は上から順に洗っていく派なので、まずは頭からだ。
早く湯船に飛び込みたい気持ちを抑え、わしゃわしゃと念入りに泡立てる。
「ふんふ~ん♪ ふふふ~んふ~ん♪」
鼻歌交じりで耳の裏まで洗っていると。
カララ、と浴室の扉をスライドさせて、誰かが入ってきた。
頭が泡まみれで誰かは確認できないが、入ってこられる時点で該当者は一人だけ。
ハーゲンさんだ。
「いやー、この風呂、最高ですね」
「そうだな」
ノリノリで頭を掻いていた手が、ピタリと止まる。
この可愛らしくも、どこか気だるげなアニメ声は……。
「よっこらせっと」
おっさん臭い台詞を吐きながら、そいつは一切の躊躇なく、隣の風呂椅子に座りやがった。
シャワーのパネルに触れて魔力を通し、お湯を身体に当てている様子が伝わってくる。
「…………聖士郎」
「なんだ?」
「何普通に入ってきてんだよ」
「ダメか?」
「いいと判断したお前が怖い」
隣に全裸の女子がいる。見るまでもなく、その事実と気配だけで、心拍数が打ち上げられたロケットのように急上昇していく。
「だって、桐春の後は女子たちが入るだろ? なら、オレはいつ入ればいいんだよ。あいつら絶対に長風呂するだろうし、待ってられるかよ」
「他の女子と一緒に入ればいいと思います」
「入れるか!」
せっかく合法的に女子と風呂に入れる権利を手に入れたんだから、素直に入っとけよ。
「俺は今、頭の泡を洗い流して視界をクリアにしていいものか、死ぬほど悩んでいる」
「オレが裸だからか?」
「それ以外に何がありましょうや?」
「初日に一回見てるだろ。減るもんでもなし。今さら気にすんなよ」
「気にするわ! こんなとこ、誰かに見られたらどうすんだ!」
「オレだって、誰彼構わず見られていいとは思ってないぞ」
そういう心配じゃないんだな~~。
「桐春だから言ってるだけで」
「ア、アホたれ! 考えなしに、そういう特別感を出すのやめなさい!」
「別に、考えなしってわけじゃ……」
聖士郎の声が、聞き取れないくらいしぼんでいった。言いすぎただろうか。
いや、ここは強く言っておかないと。
気まずい沈黙を、シャワーの音だけが誤魔化してくれている。
「……桐春は、もうオレのこと、男だとは思えないのか?」
「……思えないな」
「オレとしては、男だった頃と同じように接してほしいんだけど」
「無理だ。その姿のお前を、男扱いはできない」
「……それは……ちょっと寂しいな」
「……でも仕方ないだろ」
このまま浴室を出ていってくれることを期待したが、聖士郎は動こうとしない。
仕方なく、俺が退室するべきかと考え始めた頃――
聖士郎が、何かを思いついたように「よし」と言った。
「折衷案でいこう」
「折衷案?」
「これを最後にするから、今回だけは目を瞑ってくれ」
「目を瞑れって、どういう意味で?」
既に瞑っていますが。
「いきなり女になって、心の準備も何もあったものじゃないし。だから、さ。これが最後だ。最後に男として、桐春と風呂に浸かって、ゆっくり話がしたいんだよ」
ぬぐぐ。そんな風にしおらしく言われたら、無下に突き放すこともできないじゃないか。
「……本当に最後か?」
「ああ。風呂から出たら、オレたちの関係は男同士じゃなく、男と女の関係だ」
「それ絶妙に意味が違って聞こえる」
聖士郎が女になったのは、俺の独断によるものだ。
それでも聖士郎は、受け入れ、ちゃんと前に進もうとしている。
俺は特大の溜息を吐いてから、洗面器いっぱいに溜めた湯を、ザパッと頭からかぶった。
「聖士郎、背中を流してくれ!」
「ああ、任せろ」
声を弾ませて、聖士郎が俺の後ろに回った。
耐えてくれよ、俺の理性。
俺は頑張った。本ッ当に頑張った。
あの地獄の体験学習でさえ、ここまで精神をすり減らすことはなかった。
背中を洗ってもらった後は攻守交替し、俺が聖士郎の髪と背中を洗ってやった。
小さな頭に華奢な肩。きめ細やかな背中を水滴が伝い、腰のくびれで速度を落とし、柔らかそうな丸い尻へと流れ落ちていく。
あらゆる視覚が、俺の理性に真っ向から喧嘩を売ってきやがった。
「あ~~~~。いい湯だな~~」
「せやね……」
不幸中の幸いか、真っ白に燃え尽きたせいで、邪念の大部分が麻痺している。
賢者タイムだと聞こえが悪いので、僧侶タイムとでも言っておこう。
おかげで、こうして聖士郎と肩を並べて湯船に浸かることができている。
どぽどぽと常に新しいお湯が注がれているため、張られたお湯に生まれた波紋が、聖士郎の身体にモザイクをかけてくれていることも大きい。
「桐春と話がしたいとは言ったけど、特に話題があったわけじゃないんだよな。女子のいない所でしかできないような話でもするか?」
「待てやめろ。それは必然的に猥談になってしまう。俺の中の獣をいたずらに刺激するな」
「なんだそれ」
「ああ、そうだ、筋トレは? ちゃんと続けてるのか?」
「続けてるけど、ん~~。……ちょっと人差し指を立ててもらっていいか?」
「こうか?」
何をするつもりなのか、聖士郎が俺の手を取り、自分の方に引き寄せようとする。
俺は慌てて首を真逆に捻った。
プニ。
と、柔らかい感触が指先に伝わってくる。
「どうだ?」
「まだ全然だな。そんなすぐに効果が出るわけがないだろ」
以前触った二の腕の感触から、何一つ変わっていない。
成果に納得がいかないのか、聖士郎が「うーん」と唸った。
「なんで男って、女の身体に触りたいと思うんだろうな」
「猥談やめろって」
「猥談のつもりはないけど」
真面目な疑問……なのか。
「やっぱ、柔らかい感触が気持ちいいからじゃないか?」
「女の柔らかい部分なら、どこでも興奮するか?」
「どこでもってことはないけど、さっき聖士郎の髪を洗った時に触ったうなじなんかは意外といやなんでもない。やっぱ、胸と尻が二強だろ」
「でも桐春、今ので興奮したようには見えないぞ?」
「二の腕に軽く触れたくらいじゃ、興奮まではいかないっての」
「触らせたのは胸だぞ?」
「お前は俺をどうしたいんだ!?」
蘇る、今しがたの感触。あれが、生乳だっただと!?
事前にそうと知っていれば、全神経を指先に集中させたというのに。
「胸を触っても、それが胸だと気づかなかったら、どうとも思わないわけか。女のことはまだよくわからないけど、男もよくわからない生き物だよな」
「俺は現在進行形で、お前がわかんねーよ」
鎮まれー。
鎮まれー。
鎮まりたまえー。
…………。
よし、なんとか持ちこたえた。
ぱしゃぱしゃと顔にお湯をかけ、動揺を隠す。
「なあ、桐春はオレのこと、女として見てるって言ったよな?」
「言ったけど」
「それを踏まえて、変な質問していいか?」
「変な質問? なんだ?」
もう大丈夫。冷静さは取り戻した。
どんな質問が来ようとも、俺の心に波を立てることはない。
「オレのこと、抱いてみたいと思うか?」
「んぶっふんッ!!!!!!」
お湯が鼻に入った。ビッグウェーブやんけ。
「えふっ。けふっ。……オイ、男同士の会話はどこいったんだよ」
「女だって、男にこんな質問しないだろ」
「それは、そうかもしれないけど」
「で、どうなんだ?」
問いかけた方も恥ずかしいのか、聖士郎が湯船に顔を半分沈め、ぷくぷくと音を立てた。
フザケて質問しているわけじゃないみたいだけど。
この回答如何で、俺たちの関係にヒビが入ったりしないだろうか。
少なくとも、顔を合わせづらくなる。間違いなく。
ここはマイルドに……。
「直接的な表現は避けるけど、まあ……ナシだとは……言わない」
「へえ」
へえって何? どういうリアクション? 心なしか、声が明るい気がするけど。
「もしかして、今も少し意識してるのか?」
「今もだ。言っとくが、少しどころじゃなく、かなり我慢してるんだぞ」
「ほー」
「視線を下げるな。そこは男同士でも、迂闊に踏み込んじゃいけないプライベートゾーンだ」
だから、なんでちょっとニヤついてるんだよ。
わからん。こいつの考えが読めない。
「そもそも、抱くとか……それは何を意図しての質問なんだ?」
「……ちょっと回りくどくなるけど」
「聞いてやるから言ってみろ」
聖士郎の言葉を信じるなら、これが最後になるわけだしな。
「オレって、女が苦手だっただろ? だから、女と結婚するなんて、絶対無理だと思ってた」
「無理っていうなら、今だってそうじゃないか? 同性婚が認められているかは要確認だけど」
「そこはどうでもいい。女と結婚したいとは、今も思ってない」
「そりゃまあ、そうか」
「ただ、結婚するつもりはなかったけど、温かい家庭というか、幸せな家族ってのを作りたい気持ちはあったんだよ。ウチのじいちゃんとばあちゃん、すごく仲がよかったし、結婚自体を否定する気は全然ない」
「なるほど」
「つまり、そういうことだ」
「ふむ」
「…………」
「え? 終わり?」
どゆこと?
「なんでこんなことを桐春に話したのか、わからないか?」
気心の知れた、唯一の男友達だからだろ?
それ以外に、何かあるのか?
「え、えーと、自分が女になったわけだから、同じ女性との結婚は考えられないけど、今後、イイ感じの男性と出会ったら付き合ってみて、結婚もしたい。でも、女になったばかりで自分に自信がないから、俺にフォローしてほしいってことか?」
「全然違う」
違うのか。やっぱり何を考えているのかわからない。
「今後とか、あり得ない」
「そんなのわかんないぞ。女になったばかりなんだし、身体が馴染むにつれて、心にも変化があったとしても不思議じゃない」
「それは……ないとは言い切れないけど。その場合は……」
「その場合は?」
「…………ハゲろ」
なんで急に毒吐かれたの?
「桐春!」
「は、はい!?」
「お前、本命とかいるのか?」
「その質問、鬼ヶ島にもされたな」
「なんて答えたんだ?」
「いないって答えた」
「……なら……いいのかな」
「何が?」
答えはなく、聖士郎は首を右へ左へ傾げ、うーん、うーん、と一人で唸り出した。
もうね、何が何やらわかんねっス。
置いてけぼりをこれ幸いとばかりに、俺は湯を全身に染み渡らせるようにして力を抜いた。
しかし、それも長くは続かない。
「変なこと言っていいか?」
「今現在、お前の言動の8割方が変なことだぞ」
「盛りすぎだろ」
盛りすぎじゃねーよ。お前のじいちゃんばあちゃんの話がなければ10割だ。
「で、変なことって」
「一回、オレを抱いてみないか?」
「聖士郎くんんん!? のぼせちゃったのかな!?」
「…………お前なら、別にいいかなって思ったんだけど」
何も答えられないでいると、聖士郎が、ザバッと勢いよく立ち上がった。
俺は慌てて目を逸らした。ちょっとは隠そうとしろよ!!
「すまん、忘れてくれ。順序がおかしかったな」
「順序っていうか、え? 順序?」
「でもさ、思春期の男子に、今みたいな女所帯の生活は辛いものなんだろ?」
「辛いが、これを辛いと言ってしまったら、俺は世界中の童貞戦士に命を狙われてしまう」
「桐春の言うことは、たまにワケわかんないな」
「今のお前ほどじゃないっての」
「じゃあ、ワケわかんないついでに、もう一つ」
「まだあるのかよ。勘弁してくれ」
湯船から上がった聖士郎が、タオルをぎゅっとしぼった。
と思う。直視できないから想像だけど。
「どうしても我慢できなくなったら、オレに言えよ。手伝ってやる」
「んぶばっはッ!!!!」
「お前のリアクション、面白いな。これだけでも女になった甲斐が、と、わっ……!」
「手伝うって、おま――」
思わず振り返ると、聖士郎は腰にタオルを巻いていた。
巻く位置が違うでしょうが。
そんなツッコミしている暇はなく、床に残った泡に足を滑らせた聖士郎が、今まさに転倒しそうになっていた。
俺は反射的に飛び出した。
……ああ。
この展開、ラブコメ漫画で飽きるほど見た。
もつれ合った拍子に、胸とか尻とか大胆に触っちゃうやつだ。
昨今の少年漫画に出てくるエロハプニングは過激で、物理法則を無視した体勢になるものが普通にあるからな。期待するわけじゃないけれど、もしそんなことになっても、不可抗力ってやつで、一つよろしくお願いしますよ。
などと、誰に対してかわからない言い訳を、コンマ3秒の間に済ませた。
俺はすんでのところで聖士郎の下に滑り込み、クッションになることに成功する。
――が、これはちょっと、予想していなかった。
何が起こったのか、お互い、すぐには理解できなかった。
上気し、水滴に濡れた聖士郎の綺麗な顔が、ゼロ距離にある。
腰に巻いていたタオルが、遅れてはらりと板張りの床に落ちた。
この世界のラブコメの神様は、どうやら少年漫画よりも、少女漫画がお好みらしい。
ほのかに甘い香りと柔らかい口触りに、ひとつまみのドキドキと背徳感を添えて。
それが俺の、ファーストキスに対する感想だった。




