第14話 最悪のパターン
「よーしよし、大丈夫だぞ。怖くない、怖くなーい」
美少年から美少女にクラスチェンジした聖士郎が、産まれたばかりの小鹿のように膝をぷるぷるさせ、俺の音頭に合わせて歩を進めていく。その先で手招きしているのは、睦琴、川尻、鬼ヶ島、久慈林先生たち女性陣。我が子の掴まり立ち卒業を応援する母親みたいに、聖士郎の到着を、固唾を呑んで見守っている。
あんよが上手。
あんよが上手。
すり足で間合いを詰めていた聖士郎の足が、ぴたりと止まる。
目の前には、紳士が淑女をエスコートするように差し出された睦琴の手がある。
その手に、聖士郎は恐々と、初めて犬を触る子どもみたいに、ちょんと指先で触れた。
ちょん、ちょん、と同じ仕草を二度、三度。相手が噛みついたりしない、安全である確認を念入りに繰り返す。そうして十分に時間をかけてから、そっと、そーっと自分の掌を乗せた。
「聖士郎、どうだ?」
ごく、と喉を鳴らし、身体に異常が現れていないかを尋ねる。
「……大……丈夫……みたいだ。なんともない」
「ぃぃぃよっしゃ!!」
女子との接触、クリア。
聖士郎の許可をもらい、俺は有埜家の家庭の事情と、そのせいで聖士郎が女性を苦手としていたことを仲間たちに話した。また、それを利用して、聖士郎に【状態異常無効】のスキルを割り当てたことも。
結果、見てのとおりのヴィーナス誕生と相成ったわけだが、俺がこのスキルに賭けたのは、何も見た目に関することだけじゃない。
誰もが、ほぅ、と溜息をつくほどの美少女に変身したのだとしても、本人にとって生理的に受け付けられない姿なのであれば、それは不幸となんら変わりない。
くどいようだが、聖士郎は女が大の苦手だ。
触れれば蕁麻疹が出るし、目を合わせれば5秒ともたずに吐き気を催す。
こんな症状、誰がどう見たって状態異常だ。
だったら、そこに【状態異常無効】が適用されても不思議はないだろう。
その予想は正しかった。
「やっと、由々敷と目を合わせられた」
手を重ね合わせたまま、聖士郎が感極まった様子で睦琴を真っ直ぐに見据えた。
「有埜は、ずいぶん様変わりしてしまったな」
「由々敷は、なんか背が伸びたか?」
「そっちが縮んだんだ」
「マジでオレ、女になってるのか」
「有埜には申し訳ないが、ボクは嬉しく思っている。友達に目を合わせてもらえないというのは、結構寂しいものがあったからな」
「……悪かった」
言葉を飾らず謝罪した後、聖士郎が、じっと睦琴を見つめた。
「どうした? ボクの顔に何かついているか?」
目つきと表情は性格からくるものなのか、眠たげで不愛想なところは、男だった頃をかなり引き継いでいるように思う。そんな聖士郎が睦琴に向けて、泣き笑いみたいな感じで柔らかく微笑んだ。
「女の子って、こんなに可愛かったんだなと思って」
「そ、そうか……」
他意はないだろうし、完全にお前が言うなだけど、ハンパない破壊力だ。
これまでとは立場が逆転している。自分に向けられたエンジェルスマイルを、今度は睦琴が直視できず、手を取り合ったままたじろいだ。
でもいいぞ、もっとやれ。この百合空間、嫌いじゃない。
「せーしろーくん、うわー、カワイイ!」
「ありりん、ヤッバ! ちょべカワ!(※超ベリーカワイイ)」
「有埜くん、大丈夫? 気分が悪いとかはない?」
川尻と鬼ヶ島が、キャピキャピと聖士郎の両脇を挟み、久慈林先生が膝を折って顔色を覗き込んでいる。姦しいが、とても華やかです。
できることなら俺もまざりたい。
正直、聖士郎みたいな二次元的美少女、大好きなんですわ。めっちゃタイプ。
元男なのに? とか思っちゃう?
いやいや、この可愛さは、そのへん超越しちゃってるって。
聖士郎がもし普通の男だったら「今なら女湯にも入れちゃうぜ、ぐへへ」とかゲスいことを考えるんだろうけど、あいつはそのへん安牌だし。我ながら英断だった。
とはいえ、俺もちゃんと謝っておくべきだろう。
「聖士郎、勝手にスキルを押し付けてすまん。……怒ってるか?」
キャッキャウフフから少し離れて尋ねると、聖士郎が小首を傾げて思考にあてた。
その何気ない仕草すら、俺をいたずらにトキメかせる。
これからの人生を変えてしまうほどの事件にもかかわらず、聖士郎は早くも落ち着きを取り戻しており、こうしている分には不満があるようには見えない。
「別に怒ってない。というか、むしろ、ありがとうだな」
「女になりたかったのか?」
「バカ。そうじゃなくて」
続きを止めた聖士郎が、睦琴、川尻、鬼ヶ島、久慈林先生へと、順に視線を巡らせた。
「なんか、視界が広がった気がする」
聖士郎の顔は本当に晴れやかで、その言葉に嘘はないと感じた。
「……なるほどな」
ふっ、と俺も口角を上げて笑んだ。
表向きは余裕ぶって見せているが、内心では「やめてそんなカワイく笑いかけないで本気で惚れちゃいそうになるから」と恐慌状態だ。
「それにしても、よくこんなことを思いついたな」
聖士郎を視界から外して深呼吸していると、睦琴が感心したように言った。
「ボクには思いつかなかった。デメリットであるはずの副作用が、完璧に裏返っている」
「俺はTSってジャンルも大好きだからな。そのチャンスに多少敏感だっただけの話だ」
「桐春らしい謙遜だ。もしかして、あの時のも仕込みか?」
「気づいたか。大丈夫だとは思うけど、そっちは慎重に検証しないと」
「桐春をリーダーに推したのは正しかった。これからも頼りにしている」
「そう言われると責任重大だけど、まあ……悪い気はしない」
さて、心配事が一つ解決したところで、そろそろ出発と行きたいところだが。
「誰も……いないわね」
久慈林先生が、きょろきょろと周囲を見回した。
地面に目を凝らすと、複数の足跡がある。
他のクラスメイトたちもこの地点に転送されたのは間違いないっぽいけど、姿がないことを考えると、俺たちは置いていかれたんだろう。そのことに、久慈林先生は少なからずショックを受けている。
「最悪のパターンを考えると、よっぽどマシか」
「最悪のパターンって?」
「魔物が待ち構えているとかじゃん?」
俺がぽつりと漏らした呟きを川尻が拾い、真っ白な世界から持ってきたらしい鉄パイプを、鬼ヶ島がぶんぶんとスイングしながら答えた。
しかし、俺は首を横に振る。
「いや、その可能性はないと思っていた」
「安全な森だってこと? なんで不動にわかんの?」
「安全な森かどうかは知らんけど、このスタート地点は大丈夫なはずだ。何かいたとしても、先に来た奴らが片付けているだろうからな。俺たちと違って、戦闘向きのスキルを手に入れた奴も大勢いるんだろ?」
「あー、そゆこと。んじゃ、不動の考える最悪のパターンって?」
「……女子に言うようなことじゃない」
「や、気になるし。そこまで言って、それはなしっしょ」
鬼ヶ島にせがまれ、俺は渋々自分の考えを話していく。
「想定していたパターンは四つ。一つ目は、今みたいに誰もいなくて、置いてけぼりを喰らうパターン。二つ目は、それと真逆。全員揃った状態で、俺たちを待ってくれているパターン」
「あっははは、ないわー」
けらけらと笑い飛ばしてくれるのがありがたい。悲観的にならなくて済む。
とはいえ、俺もそのパターンはないだろうと思っていた。
「三つ目は、女子が何人か待っているパターン。これは聖士郎の出待ちだな」
「なるほ。ありりん、女の子になっちゃったけどねー」
このことを聖士郎のファンたちが知ったら、どう思うだろうか。
原因を作った俺が恨まれそうな気もするけど、ここにいない時点で聖士郎よりも自分の身を優先したってことだ。恨まれる筋合いはない。
「ありりんって、オレのことか?」
「そそ。アタシ、仲のいい友達は、あだ名で呼ぶことにしてんの」
「オレと鬼ヶ島が、友達?」
「友達っしょ? ……え、あれ? もしかしてアタシ……また先走ってた?」
今までにも何度かやらかした経験がありそうな口ぶりだ。
こういう時になんと答えればいいのかわからず聖士郎がうろたえている。友人といったら、俺と睦琴しかいないしな。鬼ヶ島みたいな距離の詰め方に戸惑うのは当然だ。
助けを求める目が俺に飛んできたので、その視線を、俺は睦琴までスルーパスした。
やれやれ、と嘆息しながら睦琴が二人の仲介に入ってくれる。
「ボクにもあだ名をつけてもらえるのかな?」
「もちもち! シンプルにむっちゃんか、ちょっと古風におむつとか? どっちがいいかな。アタシ的には、お――」
「むっちゃんで頼む」
食い気味に睦琴が希望を出した。
「ボクは戦と呼ばせてもらっても?」
「おけまるー。よろしくねーん」
流れは作ってやったぞ、と睦琴が聖士郎に目配せをした。
睦琴に倣い、おずおずとだが、聖士郎が自分の意志で歩み寄る。
「オレも……よろしく、鬼ヶ島。……ありりんはどうかと思うけど」
「ままま、気にしなーい」
自分も出遅れまいと、川尻がぴょこん、ぴょこんと跳ねて存在をアピールする。
「わたしも! わたしもよろしくね! むつことちゃん、せーしろーくん!」
「ああ、川尻も」
「よろしく、恋姫」
上辺だけの「よろしく」なんて、ただの社交辞令でしかないけど。
こいつらのは、悪くないな。
久慈林先生が一歩引き、生徒たちの輪が広がっていく光景を感慨深そうに眺めている。
それに気づいた鬼ヶ島が、おいでおいでと手招きをする。
「ほらほら、賽ちゃん先生も、よろしくしとこ?」
「わ、私も? みんなとは歳が離れているのに……いいのかしら」
「いいに決まってんじゃーん!」
さて、次は俺の番だな。
んん、と咳払いをし、努めて友好的かつ紳士的な笑顔をたたえた。
「鬼ヶ島、俺のことはなんて呼んでくれるんだ?」
「はい? 不動は不動っしょ。他に呼びようなくない?」
ちょっとだけ泣きそうになった。
「きりはるくん、ごめんね。そよぎちゃんは、男の子に対して、誰にでもあんな感じだから。きりはるくんの笑顔が気持ち悪かったせいじゃないのよ」
微妙にフォローしきれていない川尻の慰めが胸に刺さる。
「そんで不動、話が逸れたけど、四つ目は?」
「ああ、四つ目は――」
そう言いかけた時、ザッ、と苔むした地面を踏みしめる音がした。
全員が、反射的に意識をそちらに向ける。
「やーっと来やがったか。待ちくたびれたぜ」
「あれ? 賽子先生もいるじゃん。ラッキー♡」
「恋姫ちゃん、ヤッホー♪」
現れたのは、クラスメイトの三人。
全員男子。
俺は頭を抱えたくなった。
「最悪のパターンだ……」




