第44話
「東洋の真珠、泥の女王の越境」
十二月、香港・沙田競馬場。
湿気を帯びた熱風と、街の喧騒。国内の有馬記念がお祭り騒ぎに沸く中、村上麗は一人、異国の硬い芝の上にいた。
「……有馬を捨ててまで来たんだ。手ぶらで帰るわけにはいかないわよ」
麗はレイスターのコックピットで、不気味なほど安定したバイタルデータを睨んでいた。
香港ヴァース、芝二千四百メートル。
シャティンの芝は、日本のそれより遥かに硬く、粘りがない。高出力のアクチュエーターが自らの重みでフレームを壊しかねない馬場だ。
「麗。磁気流体を高密度硬化モードに切り替えろ。……泥を掴むんじゃない。硬い岩を砕いて進むんだ」
日本からのリモート通信で、健造のダミ声が響く。ピットには、義清と亜紀子も顔を揃えていた。
「姉さん、マシンの寿命を削る設定です。……でも、今のあなたなら、その限界の上で踊れるはずだ」
ゲート前。
英国の重厚なステイヤーや、香港が誇る地元の強豪たち。中でも麗が目を留めたのは、地元香港の雄、オリエンタル・ドラゴン。ネオンサインのような極彩色の装甲が、硬い芝の光を弾き返していた。
「……泥臭い日本馬に、この高速馬場が務まるかな?」
ドラゴンのジョッキーが広東語混じりの英語で挑発する。
ゲートオープン。
超高速のラップが刻まれる。シャティンの硬い芝が、レイスターのフレームを容赦なく打ち付ける。振動が麗の脳を揺さぶり、視界が二重にブレた。
(……痛い? 壊れる? ……府中の炎に比べれば、ただの愛撫よッ!!)
麗は最も硬いインコースへレイスターを突っ込ませた。
磁気流体が瞬間的に硬化し、脚部が香港の地を穿つ。跳ね上がる芝の欠片が、後続の機体を銃弾のように襲う。
第四コーナー。地元の大歓声の中、オリエンタル・ドラゴンが滑るような加速で先頭に躍り出た。
その背後。漆黒の機体が、火花を散らしながら並びかけてくる。
「——砕きなさい、レイスター!! 世界の壁も、この硬い大地も!!」
沙田の直線。二頭が、肩を並べた。




