第36話
第36話「深淵の影、覇王を呑む」
残り五十メートル。仁川のターフに、断末魔のような駆動音が響き渡る。
先頭は財前巌のバハムート。内側の三頭を力ずくで置き去りにし、勝利への道を突き進んでいた。
「……計算通りだ。最後に残るのは、最強の個体である私だッ!」
財前が加速の最終リミッターを解除した、その瞬間。
スッ……。
黄金の機体の真後ろ、スリップストリームから、漆黒の残影が躍り出た。
海老原樹のダークランサー。財前が村上勢を蹴散らすための風除けとして、完璧に使われ続けていた。
「……悪いね、財前くん。覇王の道は、影が一番濃いんだよ」
一切の熱を持たぬ加速。ダークランサーが、バハムートの首筋に並びかける。
二頭から二馬身後方。内側で競り合っていた麗と亜紀子が失速する中、義清のノーブル・レジーナだけが意地を見せていた。
「……認めない。あんな影に、僕の支配を邪魔させるものかッ!」
義清はレジーナのフレームが悲鳴を上げるのを無視し、前を追う。だが、一度離された二馬身は、遠かった。
バシュゥゥゥッ!!
ゴール板を、二つの影が同時に叩いた。
電光掲示板に灯ったのは——
1着ダークランサー、2着バハムート(ハナ差)、3着ノーブル・レジーナ(二馬身)。
「……ハナ差……だと……!?」
財前が、停車したバハムートの中で拳を震わせた。完璧な演算、完璧な捲り。そのすべてを、一人の老兵の影が数センチだけ上回った。
義清はレジーナのハッチを開けることすらできず、項垂れていた。
海老原樹は静かにダークランサーから降り立つと、近づいてくる村上家の姉弟を見据えた。
「村上麗、義清くん。今日の君たちは、自分たちしか見ていなかった」
海老原は自身の震える指先で、漆黒の装甲を一度だけ撫でた。
「……影を忘れた者に、光の速さは制御できないよ」
それだけ言って、踵を返した。
麗はその背中を見送り、それから隣の義清を見た。
義清は何も言わなかった。レジーナが、低く電子音を鳴らした。




