第30話
第30話「淀に散る火花、数ミリの深淵」
残り百メートル。
京都競馬場の直線は、降り続く雨と泥飛沫で視界が完全に遮断されていた。
「……あ、がぁぁぁぁぁッ!!」
麗は肺に泥水が入り込むような感覚を覚えながら、操縦桿を力任せに引き絞った。
レイスターの脚部アクチュエーターが泥の侵入で悲鳴を上げている。それでも機体は、凄まじいトルクで泥を蹴り飛ばし続けた。
中央、ゴールデンルナティック。
亜紀子はもはや絶叫すらしていない。狂気的な笑みを浮かべ、白煙を吹くエンジンをさらに急かしている。
「……行け。行け行け行けッ! アタシを、あの光の先へ連れて行けぇッ!!」
黄金の装甲が、内側から赤く染まっていく。
外、ダークランサー。
海老原樹は、二人の若者の熱を冷徹に利用していた。
「……素晴らしいよ、君たち。だが、深淵は熱量だけでは測れない」
一滴の無駄もない最小限の挙動で、二頭の間に割って入る。
バシュゥゥゥゥッ!!
三頭が、ほぼ一線。泥飛沫が激突し、金属の擦れる嫌な音が大歓声をかき消した。
残り十メートル。
レイスターの右前脚が、泥に深く沈み込む。
ルナティックの過給機が、限界を超えて火花を吹く。
ダークランサーの影が、音もなくスッと伸びる。
三つの鼻先が、同時に白いゴールラインを横切った。
「……届いたの……?」
ゴールを過ぎて数百メートル、ようやく停止したレイスターの中で、麗は震える手でバイザーを上げた。目の前は泥だらけで何も見えない。モニターには写真判定の文字が無機質に点滅し続けている。
スタンドの観客も、実況席も、誰もが言葉を失っていた。
「……麗、あんた笑ってるね」
横に並んだルナティックのハッチから、亜紀子が顔を出した。泥とオイルで判別がつかないほど汚れていた。
「……亜紀子こそ。……最高ね、この地獄」
海老原は静かに、ダークランサーの電源を落とした。
「……五十年やってきたが、こんなに熱い雨は初めてだ」
掲示板のランプが灯る。一分、二分……。
写真解析の画像が、巨大スクリーンに映し出された。
そこには、三つの鼻先が、一本の線の上に重なっていた。




