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34話 ごめん

 次の日。夕方の校舎。


 傾いた陽の光が窓から差し込み、廊下をあかね色に染めている。


 教室中に響いていた生徒の喧噪も、校庭で部活をしていた運動部の声も聞こえなくなり、学校には人の気配が消えたように感じる。


 あたしはそんな寂しくなった校舎の中を一人歩いていた。


 普通コースから真っすぐ伸びた廊下の先にある特進コースの教室。


 いつもは感じる透明な壁が、今は薄く感じる。


 その壁を乗り越えた先にある教室に、あたしは真っすぐ向かった。


 目的の教室に着いて中を覗くと、華ちゃんが一人だけポツンと佇んでいる。


 夕暮れの教室でお腹を撫でながら窓から校庭を見下ろすその姿は、どこか儚げに見えた。


 特に華ちゃんとは会う約束はしていない。だけど、なぜかわからないけどまだいると思った。


 あたしはゆっくり華ちゃんに近づき、隣で同じように校庭を見下ろす。


 華ちゃんはあたしに一瞥するだけで特に驚きもせず、また視線を校庭に戻した。


 彼女はなにを考えているんだろう。

 横目で華ちゃんの表情を見ても、なにを考えているかわからない。


 人の気配が無くなった学校は悲しそうにしてて、昼の喧騒を考えると少し寂しく感じる。


「あたし、先輩に振られちゃった」


「……そう」


 あたしの言葉に驚きもせず、華ちゃんは短く囁くように答える。


 それが少しムカッときて、思わず意地悪なことを言ってしまう。


「でも、あたし先輩とエッチしたよ」


「そうなんだ」


 先輩から本当のことを知らされていたのかな。

 またもや短く、興味も無さそうに答えられてしまった。


「怒らないの?」


「うん。どうでもいいから」


 どうでもいい?


 華ちゃんはあれだけ先輩のことを愛してたのに。


「彼氏が他の女とエッチしたのにどうでもいいんだ」


 そこでようやく華ちゃんはあたしに視線を移した。


 感情を失ったような能面の表情に、少したじろいでしまう。


「ユウくんが誰とエッチしても関係ないから。どんなことがあっても、私がずっと好きなことは変わらない」


 ユウくん……?

 先輩のことかな?


 華ちゃんは心の中ではお兄ちゃんと呼ばないで、ずっとユウくんって呼んでいたんだ。


「先輩が自分のところに帰ってきてくれるって信じてるんだ。そんなふうに信頼できるって羨ましいね」


 本当に羨ましい。

 先輩の気持ちを独り占めできることが、好きな人と気持ちを通じ合えることが。


「華ちゃんはなんでも持ってて嫉妬しちゃう。運動も勉強もできてみんなから褒められて、好きな人とも付き合えて。ほんとう羨ましいよ」


「……羨ましい、か」


 華ちゃんの長い睫毛が伏せ、顔に影を作った。


「私は唯夏ちゃんのほうが羨ましいよ。ユウくんを好きって素直に言えるんだから。私には、そんな資格ないから」


 華ちゃんの唇が細かく震えだし、胸の前でぎゅっと拳を握り締める。


「兄妹じゃなければ堂々と付き合えるのに、好きな人とも結婚できるのに……好きって言うことすら許されないんだよ」


 華ちゃんの瞳が鋭くなる。その視線に射貫かれたあたしは、なにも言えず口を噤んでしまう。


「言われたことがある? 好きな人と腕を組んでいるだけで気持ち悪いって言われたこと。唯夏ちゃんも、兄のこと好きになるなんて、気持ち悪いって言ってたよね」


 確かに、言った。


 華ちゃんと先輩がキスしていたのを目撃した翌日。

 階段のところで、あたしは華ちゃんにそう冷たく言ったのを覚えている。


「誰も本当の私を見てくれない。姫野さんは勉強も運動ができて凄いね。努力をしてるのに、そこには誰も注目してくれない」


 華ちゃんは淡々と語ったあと、自嘲するようにクスッと笑った。


 そんな風に思っていたことに、驚いてしまった。


 なんでも卒なくこなしているように見えて、陰で努力をして、そしてプレッシャーに感じていたんだ。


「それは全然構わないの。自分の価値はそれだってわかってるから、本来の私を否定されてもいい。兄妹で腕を組んだりキスをして気持ち悪い? そう言われてもしょうがないと思う。……けど」


 抱えていた悩みを笑顔で吐露する華ちゃんの表情が崩れた。


「ユウくんへの好きって気持ちまで否定しないでよぉ……」


 華ちゃんの顔からは笑顔が消え、鼻水を垂らし、その目からは大粒の涙が流れる。


「私が大事にしてた、ずっとずっと心の奥に仕舞ってた大切なこの気持ちまで……否定しないでよぉ……」


 崩れ落ちるように華ちゃんはその場に座り込んだ。

 両手で顔を覆い肩を震わせる。


「私の想いまで、気持ち悪いって言わないでぇ……」


 泣き崩れ落ちる華ちゃんを見て、あたしは自分の間違いに気付いた。


 華ちゃんの涙ながらに訴える声を聞いても、あたしは二人の関係を応援する気持ちはこれっぽっちも起きない。


 やっぱり二人の関係は間違っているし、兄妹でキスや身体の関係を持つことはあってはいけないこと。


 けど、その気持ちまで否定してもいいのか。


 それがあたしの間違い。


 行動することは間違ってるけど、気持ちまでは絶対に否定しちゃいけない。


 もし二人が兄妹じゃなくてちゃんとした恋人だったとき、それでもあたしが先輩を好きになってしまったら?

 それであたしの気持ちを気持ち悪いって否定されたら?


 きっと辛いだろうし、傷付くだろう。


 人をほんとうに好きになってわかった。

 あたしは、なんて酷いことを華ちゃんに言ってしまったんだ。


 崩れ落ちていた華ちゃんを、あたしはそっと正面から抱きしめる。


「ゆ、か……ちゃん?」


 あたしの行動に、華ちゃんは困惑な声を漏らした。


「ごめん、華ちゃん……」


 ほんとうにごめんね。


「気持ち悪いなんて言って、ごめん……」


「唯夏ちゃん……」


 気付けばあたしの頬を涙が伝っていた。


「あたし、華ちゃんに酷いこと言っちゃった……」


「……ううん、私こそごめんね。ユウくんと付き合ってたの、黙っててごめんね」


「言えるわけないじゃん、仕方ないよぉ……」


 ずっと大切にしていた気持ちを否定されたくなくて、隠すしかなかったんだから。


 華ちゃんは両腕をあたしの背中に回し、ぎゅっと抱きしめ返してくれる。


「唯夏ちゃん、ずっとずっとごめんねぇ……」


「あたしこそごめん……」


 窓から差し込む夕暮れの陽の光が傾き、あたしたちの影が無くなってからも、二人で子どものように泣きじゃくり続けた。

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