第51話 親友に隠し通す残酷な真実と、絶対に譲れない光
屋敷へ戻った私とお姉様は、何食わぬ顔でシャリア義母様との息の詰まるような夕食を終えた。
メイド長マリアベルの監視の目を掻き潜って自室へと戻った私は、重い扉を閉めて内鍵をかけるなり、そのまま扉に背を預けてズルリと座り込んだ。
張り詰めていた『無知な子供』の仮面を外し、一人きりの空間で深く、長く息を吐き出す。
「……よかった……」
安堵の涙が、一筋だけ頬を伝う。
(本当に……今日、ここに来れてよかった。アメリアさんに会えて、普通の女の子みたいに、楽しくお茶会ができて……本当に、よかった)
(一周目のあの夜は暗い絶望の中でしか顔を合わせられなかった彼女と、あんなに綺麗な陽だまりの中で、美味しい紅茶とお菓子を囲んで一緒に笑い合えたのだから。……これで、あの時のようにお姉様が学園で完全に孤立して、一人でいじめに耐えることになるかもしれないっていう不安は、少しだけ抜けたわ)
(もちろん、この世界で禁忌とされる『闇魔法』の秘密を抱えている以上、本当の危機が去ったわけじゃない。……でも、今日のお姉様とアメリアさんは、本当に昔からの親友みたいに気が合って、すごく楽しそうに笑い合っていたもの)
ふと、今日のお茶会での一幕を思い出して、私は思わず頬を熱くした。
(……それにしても、今日のお姉様の私への想い、ちょっと激しすぎなかった……!?)
(『他の殿方なんて微塵も目に入らない』って、アメリアさんの前であんなに熱烈に抱きしめられて頬ずりされた時のこと、思い出すだけで知恵熱が出そう……)
(……あ、あれは純粋で、ちょっと重すぎるだけの『姉妹としての愛』……。そう、絶対にそう。変な勘違いなんかじゃないわ)
(でも……アメリアさんの前で『アミアは私だけの妹よ。絶対に誰にも渡さないわ』って独占された時。私……恥ずかしかったはずなのに、本当はすごく、胸の奥が甘く痺れるみたいに嬉しかった……)
(一周目の、あのすべてを一人で抱え込んでいた悲痛な愛情に比べたら……今の、言葉や態度でストレートにぶつけてくる過保護っぷりは、なんだかちょっとむず痒いけれど。……ふふっ、でも、そんな風に私を真っ直ぐ求めてくれるお姉様が、たまらなく愛おしいわ)
けれど、まだ感傷や照れに浸っている場合じゃない。
私は両頬をパンッと叩いて熱を散らし、気合いを入れ直して、立ち上がって勉強机に向かった。
そして、隠しておいた『今後の作戦計画書』を素早く広げる。
あの日、二度目の人生に目覚めた私が震える手で書き記した、未来を変えるための地図。
その中の『4. レオニス王子との婚約阻止 - アメリアさんに協力を仰ぐ』という項目を見つめ、ペンの先を少しだけ宙で止めた。
(……婚約阻止の協力については、アメリアさんが殿下に淡い憧れを抱いていると分かった以上、今の段階じゃ頼めないわね。それに、お姉様の秘密を打ち明けていない今の状況じゃ、彼女を巻き込むわけにはいかないし)
私は、ペンで横線を引いて『アメリアさんに協力を仰ぐ』の部分だけを打ち消した。
けれど、『婚約阻止』という大目標の文字は、絶対に消さない。
(今日、お茶会で決意した通りよ。いくらアメリアさんの淡い初恋だったとしても、あの血も涙もない氷の王子のせいで、大好きな人たちが傷ついて泣くような未来は絶対に私が許さない)
(だから、婚約阻止は予定通り絶対にやり遂げる。アメリアさんには頼らず、私とお姉様の力だけで……あの最悪な政略結婚の運命を、必ずぶっ壊してみせるわ!)
私はその項目の下に、新しく『まずは親友としての関係構築と、学園での護衛』と書き足し、そこに小さくチェックを入れた。
(……第一の障壁、突破)
形は少し変わったけれど、アメリアさんとの関係は築けた。彼女は、ネフェリアお姉様とも友人になってくれた。
そして何より、今日のお茶会で彼女に「氷の盾」と「バインド(拘束)」という、シャドウに対抗するための種を植えることができた。
(『無魔法は一人一つまで』という世界の絶対ルール。……この国ではごく一部の大人しか知らないその国家機密レベルの情報をあえて教えたことで、彼女は自分に向いていない『増幅』という火力への無謀な特訓を手放してくれたわ)
(敵を倒す『圧倒的な力への執着』から彼女を遠ざけ、誰かを守るための純粋な愛と強さに気づかせた。……これで、あの悪魔の精神支配の条件の一つ(強さへの執着)から、彼女を確実に遠ざけることができたはずよ!)
――ペンを置き、私はふうっと熱い息を吐き出した。
(……今日のお茶会では、流石に『幻級魔法』の話までは出せなかったわね)
ハーヴェー様が愛する娘を日向に置いておくために伏せていた最高機密。それを、出会ったばかりの私が口にするわけにはいかなかった。
アメリアさんはバインドと氷の盾の練習を始めると言ってくれた。それは大きな進歩だけれど、私の不安が完全に消えたわけじゃない。
(もし……アイスウォールやバインド以外にも、アメリアさんにリフレットさんのあの『鏡』のような絶対的な力があれば、もっと安心できるのに。魔法を跳ね返し、姿を消し、分身まで作れるあの規格外の守りがあれば……あの一周目の悲劇を、二度と繰り返させはしないはずだもの)
それは、隣で戦うお姉様だって同じだ。
より強固な、理不尽な悪意すら跳ね返すほどの『幻級』の力が二人に備わればと、願わずにはいられない。
(……けれど)
ふと、地下図書室でリフレットさんが気だるげに語っていた言葉が脳裏をよぎり、私はペンを握る手に思わずミシリと力を込めた。
『そっちの君の闇と、もう一人の闇とでは性質が全然違うのよね。だって、そいつの闇は「影」だし』
(お姉様には……あいつ、シャドウと同じような魔法なんて、絶対に持たせたくないわ。リフレットさんは性質が違うと言っていたけれど、同じ『闇』の括りで語られることすら、私には耐えがたい屈辱だもの)
お姉様はあんな無慈悲な化け物とは違う。
人を弄び、絆を壊すための薄汚い『影』なんかじゃない。
お姉様の宿す闇は、私を救,い、温かく包み込み、日向を照らし続ける気高き優しい力なのだから。
(あいつと同じ領域に、お姉様を立たせたりなんてさせない。お姉様にはお姉様の、あのアメリアさんにはアメリアさんの、誰にも汚されない『強さ』を身につけさせてみせるわ)
私は『5. 帝国の暗殺者シャドウ』の横に、さらに自分に言い聞かせるように力強く追記した。
『――お姉様の「闇」は、あいつの「影」を断つための光だ。絶対に同一視させない』
――ペンの手が、ふと止まる。
チェックを入れた文字を見つめながら、心の中に小さな、けれど無視できない不安の棘が刺さった。
(……もし、いつかアメリアさんが真実を知ったら。お姉様がこの世界で禁忌とされる『闇魔法使い』だと知ったら、彼女はどう思うだろう?)
その瞬間、私の脳裏に鮮烈な記憶が蘇った。
あの日――深夜の淑女棟。部屋に駆け込んできたアメリアさんは、蒼白な顔で『ネフェリアさんが……闇魔法で暴走したんです』と告げた。
翌朝、二人で地下牢へと向かい、やつれ果てたお姉様と対面した時。お姉様は私たちの前で『私は闇魔法を使った。もうあなたを親友として呼び捨てにする資格なんてない』と泣き崩れた。
でも、アメリアさんは一歩も引かなかった。
『私たち、親友でしょう。こんな結果になっても変わりません。あなたは無理やり従わされていた被害者です。あなたの本当の優しさを私が一番知っているから……私が絶対になんとかしてみせます!』
闇魔法を使い、大罪人とされたお姉様を……彼女だけは見捨てなかったのだ。「闇魔法使い=悪」と決めつける世界の中で、彼女だけが『友人としてのネフェリア』を信じ、私の前に立って盾になってくれようとした。
(……そうだ。アメリアさんは、そういう人だ)
(強い正義感と、それ以上に深くて真っ直ぐな愛情を持った人……!)
だからこそ、私は彼女を「親友」と呼び、今度こそ守り抜きたいと願ったのだ。
あの優しくて強い彼女なら、いつか真実を知っても必ずお姉様を受け入れてくれる。……私は心の底から、そう確信している。
(……でも、あの強固な信頼と命がけの行動は、お姉様とアメリアさんが学園で過ごした『三年間』の積み重ねがあったからこそできたことだわ)
一周目でお姉様とアメリアさんが教えてくれた。
学園でいじめられ、私から記憶を奪った強烈な罪悪感に苛まれていた三年間の孤独の中で……月に数回、地下図書室でアメリアさんとひっそりお茶をする時間だけが、お姉様の唯一の救いだったのだと。
決して多くはない時間でも、三年という月日の中で密かに育まれた二人の深い絆があったからこそ、アメリアさんはあんなにも強くお姉様を信じ抜くことができたのだ。
(二周目の今は、まだ出会ったばかり。彼女にとっての私たちは、少し話が弾んだだけの『初対面の友人』に過ぎないわ。今日、私を抱きしめようとしてくれたくらい無邪気な好意を向けてくれているけれど……私とお姉様の間にあるような、あの悪魔の魔法すら寄せ付けないほど強固な『愛』は、アメリアさんにはまだ育っていないと思う。
でも、今日という一日で私たちは確実に絆を深められた。あの悪魔の洗脳を弾き返す『絶対の盾』を育むための希望の種は、しっかりと蒔いたはずよ。
……もし、今この秘密を打ち明けてしまったら? 彼女は友達になったばかりの私たちと、闇魔法を絶対に許さない『尊敬し、憧れている王子』との間で、激しい板挟みになって苦しむことになるわ。それに……来年の『魔力選定の儀』でお姉様は『水魔法一つの欠陥品』を演じ、私も四年後には『光のなり損ない』を徹底的に演じ切るつもりよ。
もし、嘘を嫌う真っ直ぐなアメリアさんが真実を知っていたら、私たちが不当に無能扱いされ、理不尽に見下されているのを黙って耐えられるはずがない。『この二人には本当は凄い力があるのに!』と友人を庇いたい一心で王族へ真っ向から刃向かい、真実を叫んでしまうかもしれない……。それは、私たちを確実に処刑台や王家の鳥籠へと送る、最悪の引き金になってしまうわ……!)
それに――。
(……ハーヴェー様……)
昨日、地下図書室で私たちの秘密(光と闇)を知り、保護してくれたハーヴェー様。
彼はアメリアさんのお父様だ。彼は、私たちを守るために「王には報告しない」と言ってくれた。
(……ハーヴェー様が黙っていてくれるのは、私たちを守るためだけじゃない。……きっと、実の娘であるアメリアさんを守るためでもあるんだ)
もしアメリアさんがこの秘密を知ってしまったら、彼女も「共犯者」になってしまう。
もしバレた時、彼女まで罪に問われるかもしれない。シャドウに狙われる危険も増える。
(……私たちが、アメリアさんを巻き込むわけにはいかない)
彼女は、何も知らないままでいてほしい。
日向の中で、普通の恋に悩む十四歳の女の子のままでいてほしい。
ドス黒い陰謀や、命のやり取りなんて、私たちが引き受ければいい。
(さらに、今日彼女は『病気で妹を救えなかった』という深いトラウマを打ち明けてくれたわ)
(そんな彼女に、私が『傷や病を治す治癒魔法』を使えるかもしれないと知られたら……。過去の無力感から、私にすがるような希望を抱かせてしまうかもしれない。……でも、もし私がみんなを救うために、残酷な『代償(命)』を削ってまで魔法を使おうとしていると知られてしまったら?)
(……あの心優しいアメリアさんのことだわ。私に命を削らせるくらいならって、今以上に自分を犠牲にして、どんな危険な攻撃の前にだって命を投げ出して『盾』になろうとするはずよ……)
(それは絶対に避けなければならない。私が治癒魔法を極めるのは、誰かを犠牲にするためじゃなく、全員が笑って生き残るためなのだから)
(……やっぱり、今はダメだ)
(お姉様の闇魔法も、私の光魔法の真実も。今はまだ、友達になったばかりのアメリアさんにとって、重荷や危険にしかならない)
次に、『3. お父様の救出』の文字を見る。
(……お父様……)
昨日メリア様の前で、そして今日アメリアさんの前でも『レフィーナ』を名乗ったことは、噂となってすぐシャリアの耳にも入るだろう。激怒されるかもしれない。
……でも、私は知っている。一周目でシャリアが私を冷遇していた時も、心を支配されていたはずのお父様が、無意識下で『アミィエルの娘(私)』のことだけは手放すまいと、必死に守り抜いてくれていたことを。
二周目の今、私が勝手に母の旧姓を名乗ったとしても、お父様はきっと無意識下で私を守ってくれる。……お父様が愛し抜いた母の『レフィーナ』の名前。今度は私がこの名に誇りを持ち、お父様を救い出す番だ。
(……お父様を救うためには、やはり「治癒魔法」の習得が不可欠になる。今朝、頭に叩き込んだノートの術式をベースに、あとは数日後の特訓開始までに、マリアベルの目を盗んで自室で魔力操作の感覚を掴んでおくわ。お父様をあの毒の呪縛から救い出すために!)
そして――
『5. シャドウ対策』
この文字を見た瞬間、私の指に力が入った。
あいつは生きている。そして、遠い帝国のどこかで、まだ「退屈」を持て余して笑っているはずだ。
今日、アメリアさんの心の隙を埋める種は蒔いた。
でも、それだけじゃ足りない。シャドウは狡猾だ。いつ、どんな手で私たちを壊しに来るか分からない。
(今日、アメリアさんの心の隙を埋める種は蒔いた。でも、あいつの恐ろしい『魔眼』や『洗脳魔法』から二人を完全に守り切るためには、まだ足りない……!)
この幸せな時間を、二度と壊させはしない。
そして、心を縛られているお父様も、絶対に救い出す。
全てを手放さない為に、私は強くなる。
机の裏に計画書を戻すと、心地よい疲労感が押し寄せてきた。
私はベッドに潜り込み、深い眠りへと落ちていった。
夢の中で、もう血まみれの悪夢を見ることはなかった。




