第47話 親友の涙と、再び結ばれた優しい絆
陽だまりのガーデンテラス。
テーブルの上には、彩り豊かな焼き菓子と、香り高い紅茶が並べられている。
「まあ、ネフェリアも読書が好きなのね」
「魔法学の入門書や、少し古い時代の歴史を扱った本を読むことが多いわ……アメリアは、どのような本を?」
「私は植物学や、諸外国の地理についての本が好きよ。特に精霊の森の生態系には興味があって……」
森のように深い緑色のドレスを着たお姉様と、私と同じような青と白のドレスを着たアメリアさんは、紅茶を挟んですぐに意気投合していた。
メリア夫人が「ねえねえ、この子たち可愛いでしょ!?」と立て板に水のように場を盛り上げ、アメリアさんが「お母様、二人が困っているわ」と苦笑しながら諌める。
しばらく賑やかに歓談した後、メリア夫人はふと立ち上がった。
「さて、私はそろそろ席を外すわね。若い女の子同士、積もる話もあるでしょうから。とびきりのケーキを焼かせてくるわ!」
そう言って背を向けかけたメリア夫人は、ふと立ち止まり、楽しそうに笑い合う私とお姉様を見つめて、小声でポツリと呟いた。
「……あなた方、姉妹を見ていると……あの子を思い出すわね」
その言葉は、風に乗って消えてしまいそうなほど小さかった。
けれど、私よりも聴覚の鋭いお姉様はその呟きをはっきりと拾い、ハッとしてティーカップを置く手が止まった。
「えっ?」
私が何事かと戸惑っていると、お姉様が不思議そうに聞き返した。
「あの子……ですか?」
私とお姉様の反応に、メリア夫人はハッとしたように微笑みを作った。
「いえ、なんでもないわ、ネフェリア。さあ、ゆっくりしていってね!」
メリア夫人は嵐のように去っていった。
ガーデンテラスには、私とお姉様、そしてアメリアさんの三人だけになった。
「…………」
お姉様は、メリア夫人が去っていった方向を、どこか痛ましそうな瞳で見つめていた。
そんな沈黙を破ったのは、アメリアさんの穏やかな、けれどどこか寂しげな声だった。
「……母は時々、あのように感傷的になるの。困った人よね」
アメリアさんは、困ったように微笑みながら紅茶を啜った。
(……聞こえていたんだ。アメリアさん、お母様の独り言が聞こえていたのに……自分まで悲しい顔をしたらお母様が余計に傷つくと思って、あえて明るく振る舞って……)
アメリアさんは、お姉様の視線に気づくと、そっと目を伏せて語り始めた。
「私には、昔……大切な人を、助けられなかった記憶があるの。私の、実の妹よ」
その言葉を聞いた瞬間、私の脳裏に、あの日と同じ光景が鮮烈に蘇った。
一周目のあの日。冷たく凍てつくような早朝の石畳。地下牢へ向かう道すがら、彼女が堪えきれない後悔に顔を歪めて語ってくれた、あの時の告白と全く同じだった。
(……やっぱり。昨日、メリア様にお会いした時に危惧していた通りだわ。二周目の今でも、彼女の精神状態の根底には、救えなかった妹さんへの『無力感』と『罪悪感』が重く横たわっている……。あの悪魔の精神支配の標的条件を、完全に満たしてしまっているんだ)
「私がまだ、子供だった頃のこと。妹は流行り病で……日に日に弱っていったわ。私は、ただ彼女の手を握って見ていることしかできなかった。……大臣の家という権力があって、国中の医者を集めても、私自身にどれだけ魔法の才能があっても……何一つ――」
(……っ)
『子供だった頃』。その言葉を聞いた瞬間、私の胸がギュッと締め付けられた。
(昨日気づき、覚悟していたことだ。私が死に戻ったこの時間でも、彼女の妹さんはすでに亡くなってしまっている。過去に戻っても、覆せない死があるという事実に……)
(でも、こうして彼女の口から直接、生々しい傷の痛みを打ち明けられると……分かっていても、胸が張り裂けそうになる)
「無理に言わなくて大丈夫です」
私は、彼女が自分を責めるその言葉を紡ぎ切る前に、思わず遮っていた。
そして、テーブルの上でギュッと組まれていた彼女の手に、自分の小さな両手をそっと重ねる。
「えっ……?」
アメリアさんが、驚いたように目を瞬かせた。透き通るような水色の瞳に、うっすらと涙が浮かんでいる。
表情こそ穏やかに取り繕っているけれど、その瞳の奥にある痛みは、一周目のあの時と何一つ変わっていない。
(……あの日と同じ。彼女はまた、『何もできなかった』と自分を激しく責めようとしている)
(……言わせない。言葉は自分自身への呪いになって、心を縛り付けてしまうから。あの悪魔の『とっておきの魔法』の標的条件である『無力感』や『罪悪感』を、これ以上彼女自身の口で深く刻み込ませたりなんて、絶対にしない!)
私は、あくまで『死に戻り』を知らない十一歳の子供として、さりげなく、けれど心を込めて微笑みかけた。
「あなたの顔を見れば、なんとなくわかりました。……とっても辛くて、悲しいお話なんですよね」
「アミアさん……」
隣にいたお姉様も、ハッとした後に優しく目を細め、私の言葉に続いた。
「アミアの言う通りよ、アメリア。……思い出すだけで辛いなら、無理に言葉にしなくていいわ。あなたがどれだけ妹さんを大切に想っていたか……今のあなたの表情を見れば、私たちにも痛いほど伝わるもの」
「……ネフェリア……」
お姉様の優しい労りに、アメリアさんは少しだけ涙ぐんだような、けれどとても穏やかな笑顔を浮かべた。
「ありがとう。……私たちがこうして仲良くしている姿が、母には、もし妹が生きていたら……という夢のように見えたのだと思うわ」
その無理をして笑う姿が痛々しくて、私は重ねた手にぎゅっと力を込めた。
「……私は、妹さんのことは分かりません。でも……アメリアさんが、とっても優しくて温かい人だってことは分かります。だから……ご自分を責めないでください」
「アミアさん……」
お姉様も、優しく微笑んで言葉を添える。
「ええ。……そんな大切なことを、私たちに打ち明けてくれてありがとう」
お姉様は、アメリアさんのその気丈な振る舞いに、かつての自分を重ねたのかもしれない。
今の彼女は、私という存在によって孤独から救い出されている。けれど、家族を守るために、たった一人で重圧と罪悪感を抱え込み、笑顔の裏に痛みを隠し続けていた日々の苦しさは、誰よりも知っているのだ。
「失う悲しみは、消えることはないわね。……でも、メリア様があなたをあんなに明るく愛しているのは、あなたが彼女の誇りだからよ、アメリア」
「……ふふ。二人とも、本当にお優しいのね」
アメリアさんは、少しだけ涙ぐんだような、けれどとても穏やかな笑顔を浮かべた。
「ありがとう。心が……少しだけ、軽くなったわ」
そこからは少し落ち着いた、穏やかな時間が流れた。
ふと、アメリアさんがお姉様に顔を向けた。
「……不思議ね」
アメリアさんが、少し照れくさそうに微笑む。
「ネフェリアとは今日が初対面のはずなのに……なんだか、ずっと昔から知っているような、そんな気がするの」
「え……?」
お姉様が少し驚いたように目を瞬かせる。
「私も……そう思っていたわ。アメリアと話していると、とても心が安らぐというか……初めて会った気がしないの」
「ふふ、気が合うわね。私たち、きっと良い友人になれると思うわ」
「ええ……ぜひ、仲良くしてね」
二人が顔を見合わせ、花が咲くように笑い合う。
その光景を見た瞬間、私の胸が熱くなった。
前の人生の記憶が蘇る。孤独だったお姉様に、唯一寄り添ってくれた友人アメリア。
(……そうだわ。一周目の学園で、お姉様は嬉しそうに教えてくれていた。『地下図書室でよくお茶をする、優しいお友達ができたの』って。……二人が読書好きで意気投合していたのは、偶然なんかじゃなかったんだわ)
あの友情は、偶然じゃなかったんだ。
時の流れが変わっても、出会い方が変わっても、二人の魂はこうして惹かれ合い、友人となる運命にあったのだ。
ふと、アメリアさんが私にも優しく微笑みかけてくれた。
その笑顔を見た瞬間――私の脳裏に、悲痛な記憶が鮮烈に蘇った。
薄暗い地下牢の階段。唐突に現れたシャドウの放った無数の透明な刃。
すくむ私の前に飛び出し、彼女は両手を突き出し、無詠唱で氷の弾丸を放った。
しかし、迎撃の魔法は黒い影のようにドロリと溶けながら不気味にすり抜けてくる透明な冷たい刃に貫かれ、彼女の純白のブラウスは鮮血に染まった。
私の腕の中で、冷たくなっていく体温。
彼女は、血を吐きながら、ボロボロと涙をこぼして私に謝ったのだ。
『……ごめんなさい……アミアさん……私……結局……何も……できなかった……。ネフェリアさんの処刑も……止められなくて……あなたを守るって……約束したのに……』
「……アミアさん?」
「あっ……」
アメリアさんの声で、私はハッと我に返った。
無意識のうちに、ティーカップを持つ手が震え、瞳に涙が溜まっていたらしい。
「どうしたの? どこかお加減でも……お顔も少し青いわ。もしかして、どこか痛むの?」
アメリアさんが心配そうに顔を寄せ、ドレスの袖口からそっと自分のハンカチを取り出しながら覗き込んでくる。お姉様もハッとして、すぐに私の手を両手で包み込んだ。
「アミア、大丈夫? 寒気でもするの?」
「い、いえ! なんでもありません! 本当にどこも痛くないです。ただ……」
私は、溢れそうになる涙をごまかすように、とびきりの笑顔を作った。
「お姉様とアメリアさんが、とっても楽しそうにお話しされているのを見て……。私の大好きなお姉様に、こんなに優しくて素敵なご友人ができたことが、すごく嬉しくて……胸がいっぱいになっちゃったんです」
「まあ……」
私の(半分は嘘偽りのない)本音を聞いて、アメリアさんは少し驚いたように目を丸くし、それからふわりと安堵したように微笑んだ。
「ふふっ、アミアさんは本当にお姉様想いなのね。……ネフェリアは、こんなに愛らしくて優しい妹さんがいて幸せね」
そう言って、アメリアさんは手にしていたハンカチで、私の頬を伝おうとした涙をそっと優しく拭い取ってくれた。
「もう、アミアったら大げさね。心配して損しちゃったわ」
お姉様も少し照れくさそうに笑いながら、私の目尻に残った涙を指先で優しくすくい取り、愛おしそうに頭を撫でてくれた。
アメリアさんは、私を安心させるようにふわりと微笑むと、少し湿ったレースのハンカチを優雅な手つきで丁寧に折りたたみ、そっと元の袖口へとしまった。
(……今度は、私が守るから)
テーブルの下で、私はきゅっと拳を握りしめた。
妹さんを救えなかった悲しみから、力を求め、一周目では私を庇う『盾』となって死んでしまった彼女。
あんなにも優しくて責任感の強いアメリアさんは、リフレットさんから聞いたあの悪魔の魔法の条件(無力感・罪悪感・強さへの執着)を、残酷なまでに完全に満たしてしまっている。
(もう二度と、アメリアさんに「何もできなかった」なんて絶望の涙を流させない。あの地下牢で、私を庇ってくれた彼女の命は、今度は私が守り抜く。彼女を、あの悪魔の標的なんかに絶対にさせないわ!)




