第45話 親友に会う日と、カーフェーン家の太陽
「ふわぁ……」
カーテンの隙間から差し込む眩しい朝日で、私は目を覚ました。
無意識に伸びをして、ベッドの上で半身を起こす。
まだ頭の芯が微睡んでいるような感覚。いつもの朝。なんてことのない一日の始まり。
――いいえ、違う。
「……あっ、そうだ」
急激に意識が覚醒し、心臓が早鐘を打ち始める。
私は自分の胸元の生地を、指が白くなるほど強く握りしめた。
「今日……アメリアさんに、会えるんだ」
アメリア・カーフェーン。
一周目の人生で、私にとって初めての、そして唯一の親友となってくれた人。
そして――私を庇って、あの冷たく湿った地下牢で、透明な刃に胸を貫かれて命を落とした人。
(会える。生きているアメリアさんに、もう一度)
期待と、それと同じくらいの恐怖が入り混じる。
彼女に会いたい。でも、彼女の顔を見た瞬間、脳裏に焼き付いたあの凄惨な光景が、鮮烈に蘇ってしまわないだろうか。私が取り乱して、何も知らない彼女を怖がらせてしまわないだろうか。
そんな黒い不安を振り払うように、私は両手で自分の頬をパンと叩いた。
「大丈夫。私は、このために戻ってきたんだから」
私はベッドから飛び降りた。
そして、お茶会のための身支度を始める前に、机の奥の木枠の隙間に隠しておいた『母さんのノート』をこっそりと取り出した。
(……数日後のレイフェさんとの特訓が始まる前に、基礎となる『ヒール』から、お父様を救うための『ハイヒール』の術式までは、完全に頭に叩き込んでおかなきゃ)
私は朝日の中で、母の遺した文字を網膜に焼き付けるように、数ページにわたる複雑な魔法の術式を夢中で読み込み、脳内に暗記した。
(……よし、これで準備は完璧だわ)
私はノートを元の隙間に厳重に隠し直し、気合いを入れるように大きく深呼吸をした。
今日という日を、絶対に最高の一日にするのだ。彼女との友情を、今度こそ永遠のものにするために。
***
身支度を整え、お姉様と一緒に屋敷の玄関へ向かうと、既にカーフェーン家からの迎えの馬車が到着していた。
純白の車体に、金色の縁取り。御者台にはリィエル家の紋章ではなく、カーフェーン家の誇りである「盾と百合」の紋章が描かれている。
「いってきます」
「いってらっしゃいませ、お二人とも」
見送りに出てくれたリリナさんに手を振り、私とお姉様は馬車へと乗り込んだ。
ふかふかのビロードの座席に腰を下ろすと、馬車は滑らかに動き出した。
窓の外を流れる王都の景色。
隣に座るお姉様――ネフェリアの横顔を盗み見る。彼女もまた、膝の上で手をきつく組み、少し緊張しているようだった。
一周目では、お姉様とアメリアさんは学園の地下図書室でひっそりとお茶を重ねた、無二の友人だった。けれど、時間を巻き戻したこの世界では、まだ深い接点はない。今日が、二人の本当の『初対面』となるのだ。
「……アミア」
お姉様が、そっと私の手に自分の手を重ねてきた。
私の強張った指を優しく解き、包み込んでくれるその手は温かく、決して震えてはいなかった。
「大丈夫よ。メリア様はとても素敵な方だし、そのお嬢様なら、きっと良い方だわ。もし何があっても、私が必ずあなたの盾になるから。……だから、そんなに不安そうな顔をしないで?」
「……はい、お姉様」
お姉様は、私が初めての他家への訪問で萎縮していると思い、自身の緊張を押し殺してまで私を安心させようとしてくれているのだ。
まさか私が、これから会う相手の「死に顔」を知っているから震えているだなんて、夢にも思わないだろう。
どんな時でも私を第一に想い、守ろうとしてくれる不器用で温かい手のひら。
その愛情の深さに胸が締め付けられながら、私は目的地への到着を待った。
***
馬車に揺られること約三十分。
王城に近い貴族街の一角、ひときわ静謐な空気が漂う一画に、その屋敷はあった。
「……大きい」
思わず声が漏れる。
カーフェーン家の屋敷は、リィエル公爵家と比肩するほどの、壮大な規模を誇っていた。
手入れの行き届いた庭園には色とりどりのバラが咲き乱れ、白亜の豪邸が威風堂々とそびえ立っている。権力というよりは、洗練された美意識を感じさせる佇まいだ。
馬車寄せに到着すると、既に玄関前には数人の使用人と、そして――ひときわ眩しい黄金の輝きが見えた。
「あら、いらっしゃい! 待っていたわよ、可愛い子猫ちゃんたち!」
馬車の扉が開くや否や、太陽のような笑顔で出迎えてくれたのは、メリア・カーフェーン夫人だった。
今日も今日とて、その波打つ金色の髪と、胸元が大胆に開いた華やかなドレスは圧倒的な存在感を放っている。
「メリア様、本日はお招きいただき感謝いたします」
私とお姉様が馬車を降りて完璧なカーテシーをすると、メリア様は「堅苦しいのはナシ!」と言わんばかりに私たちに歩み寄ってきた。甘い香水の匂いがふわりと漂う。
「いいのよ、私があなたたちに会いたかったんだから! ……っと、その前に」
メリア様は、私とお姉様の服装をじろじろと上から下まで眺めた。
私たちは今日のために、シャリアお母様が選んだ「公爵家として恥ずかしくない外出用のドレス」を着ていた。少し厚手で、露出の少ない、格式張った仕立てのものだ。
「う~ん……やっぱり、ちょっと地味ね!」
「えっ?」
メリア様は、不満げに頬を膨らませた。
「せっかくの可愛い素材が台無しよ。そんな息の詰まるようなドレスじゃ、美味しいお菓子も楽しめないわ」
「えっと……あの……」
戸惑う私たちに、メリア様はニカッと悪戯っぽく笑った。
「というわけで! アメリアに会う前に、まずは『お召し替えの時間』よ!」
「お召し替え……ですか!?」
私とお姉様が声を揃えて驚く間もなく、メリア様はパチンと軽快に指を鳴らした。
控えていたメイドたちが、わらわらと私たちを取り囲む。
(ひぃっ!? ま、まさか昨日想像した『可愛い女の子好きのメリア様にぐいぐい迫られる』っていうあの展開が、現実になっちゃうの……!?)
私たちは抗う間もなく、陽気な嵐のように屋敷の中へと連れ込まれてしまった。
***
通されたのは、まるでお姫様のクローゼットをひっくり返したような夢のような部屋だった。
ハンガーラックには色とりどりのドレスが並び、リボンやレース、宝石のついた小物が所狭しと置かれている。
「さあ、ネフェリアちゃんにはこれ! あなたの燃えるような美しい赤い髪には、この深いフォレストグリーンのドレスが絶対に似合うわ! 赤い髪を一番鮮やかに引き立ててくれるのは、やっぱりこの色なのよ。金の刺繍をあしらったこの仕立てなら、華やかさも完璧ね!」
メリア様が広げたのは、気高くも瑞々しい、宝石のエメラルドのような輝きを持つドレスだった。
「そしてアミアちゃんには……これね! あなたの透き通るようなブルーの髪には、この空色と白のフリルたっぷりのドレス!」
私に手渡されたのは、妖精の羽のように軽やかな素材のドレス。
どちらも、リィエル公爵家で着せられている「貴族の鎧」のような堅苦しい服とは違い、動きやすく、そして何より「女の子らしさ」を楽しむための意匠だった。
「え、ええと……こんなに可愛らしい服、私には……」
私が気後れして躊躇っていると、メリア様は私の肩を優しく掴んで、大きな鏡の前に立たせた。
「何を言ってるの? あなたたちはまだ、これから花開く年頃の女の子なのよ。息苦しい鎧なんて脱ぎ捨てて、もっと自分を可愛がってあげなさい」
「……メリア様……」
「さあ、着てみて! 絶対に似合うから!」
その熱意に押され、私たちは言われるがままに着替えることになった。
メイドさんたちの手早い手伝いで、あっという間にドレスアップが完了する。髪型も、ドレスに合わせて少し華やかにアレンジしてもらった。
鏡の中にいたのは――まるで別人のような、年相応にキラキラとした二人の少女だった。
「……わぁ……」
お姉様が、鏡に映る自分の姿を見て感嘆の声を漏らす。
隣に並ぶ私も、思わず鏡の中のお姉様に見惚れて言葉を失ってしまった。
深い緑のドレスは、お姉様の白い肌と燃えるような赤い髪を、まるで森の中に咲く一輪の真紅のバラのように美しく際立たせていた。
いつもは私を陰謀から守るため、隙のない『完璧な公爵令嬢』としての鎧を纏い、感情を律しているお姉様。けれど今、髪を半分下ろし、年相応の初々しい恥じらいを浮かべているその姿は、息を呑むほどに気高く、そして美しかった。
「……すごく、綺麗です。お姉様。その緑色、お姉様の美しい髪にぴったりですわ」
「えっ……そ、そうかしら……」
「はい。私……お姉様の本来の美しさが引き立つその姿、大好きです」
私が心からの本音を伝えると、お姉様は照れたように少し頬を赤らめ、そっと私の頬に手を伸ばした。
そして、私の水色の髪を愛おしそうに撫でながら、優しく微笑み返してくれた。
「ふふ、ありがとう。アミアも……とっても可愛いわ。まるで空から舞い降りた妖精さんみたい。私、ずっとアミアにはこういう軽やかで可愛らしい服を着せてあげたいって思っていたのよ」
私を見つめる赤い瞳には、嘘偽りのない純粋な愛情が溢れている。
(ああ……私、お姉様のこの無防備で幸せそうな笑顔が、大好きなんだ)
(この大切な笑顔を、今度こそ私が、絶対に守り抜いてみせる……!)
胸の奥で熱い決意を新たにし、私はお姉様の温かい手に自分の手を重ね、嬉しそうに目を細めた。
メリア様は、そんな私たち姉妹のやり取りを見て「完璧!」と叫び、二人まとめてぎゅっと抱きしめた。
「ああもう、二人ともお持ち帰りしたいくらい可愛いわ! ハーヴェーに見せたら卒倒しちゃうかもね!」
メリア様の明るい笑い声に、私たちの緊張もいつの間にか解けていた。
この人は、本当に太陽みたいな人だ。彼女の周りには、理不尽な陰謀も冷たい悪意も入り込めないような、圧倒的な温かさがある。
「さあ、準備は万端ね。アメリアが庭で待っているわ。……驚かせてあげましょ!」
メリア様は悪戯っぽく片目を閉じて見せると、私たちを庭へと案内した。




