第42話 メリア夫人からの突然のお誘い。
メリア様は、そんな私の不自然な名乗りの理由を咎めることもなく。
むしろその名を聞いた瞬間、お姉様以上に大きく目を見開いていた。
そして私の顔――ライトブルーの髪と緑色の瞳をまじまじと見つめ、信じられないものを見るように息を呑んだ。
「まさか……あなた、アミィエルの娘さんなの……!?」
「えっ……? お母様を、ご存知なのですか?」
「ええ、もちろん! 昔、主人の教え子だったって、話をよく聞いていたわ」
メリア様は、感動したように両手で口元を覆った。
「そう……あなたが。ファミル伯爵家とリィエル公爵家が再婚した事は知っていたけれど……まさか、ファミル伯爵の前の奥様が、あのアミィエルだったなんて! ごめんなさいね、私、アミィエルがどなたと結婚したかまでは、主人から聞いていなかったのよ」
(……お母様が、お父様と結婚したことを知らなかった?)
メリア様の言葉に、私は内心で首を傾げた。
私が名乗るまで、お母様とお父様が結婚していたことも、私がその娘であることも知らなかったようだ。
(……そうか。ハーヴェー様はメリア様に、お母様との昔話はしても……お母様が平民であったことや、その結婚相手のことまでは、詳しく話していなかったんだわ)
かつて愛した人が平民であり、身分違いゆえに結ばれなかったという、切なくも重い真実。それを現在の妻であるメリア様に全て語ることは、さすがのハーヴェー様でもできなかったのだろう。
メリア様は一瞬だけ、痛ましい過去を悼むような、ひどく優しくて慈しむ瞳で私を見つめた。
「アミィエルが若くして病で亡くなったと聞いて、私もずっと心を痛めていたの。……そう、あなたが彼女の遺した忘れ形見なのね」
(ハーヴェー様から……お母様のことを……!?)
私の心臓が、嫌な音を立てて跳ね上がった。
お母様は、極めて稀少な『光魔法使い』だった。メリア様がその過去を知っているのだとしたら――同じ血を引く私にも、光魔法が遺伝していると疑われるんじゃないか……!?
私が内心で冷や汗をかいていると、メリア様は少しだけ眉をひそめ、不思議そうに小首を傾げた。
「……けど。いくらなんでも、アミィエルが亡くなってすぐに他の女の人……シャリア夫人と結婚するなんて、おかしな話よね」
「え……?」
「他の貴族たちは『政略結婚だ』って噂していたけれど……愛なんて、そんな簡単に割り切れるものかしら? 主人があれほど大切に語っていたアミィエルが愛した男性なのに……」
大人の事情に流されず、「愛」というものを信じているからこそ抱く、純粋な疑問。
その言葉を聞いた瞬間、私の胸の奥で、お父様への強い想いが弾けた。私は、無意識にギュッと拳を握りしめ、口を開いていた。
「……ううん、違うと思います」
「あら?」
「お父様のお母様への愛は、そんな簡単に割り切れるような、軽いものじゃありません。……絶対に、違うと思います」
私は、メリア様を真っ直ぐに見つめて、はっきりと反論した。
(そうよ。あんなに不器用で、私とお母様だけを宝物のように愛してくれたお父様が……シャリアみたいな恐ろしい女を、自らの意志で愛するはずがない!)
(お父様は、シャリアに『催眠薬(ヒプノ草)』を飲まされて、無理やり心を縛られているだけ。……そして、さっき地下で気づいた通り、その薬の密輸ルートを用意したのは帝国の『策略家』よ!)
(お父様の心を壊して公爵家を乗っ取ったシャリアの凶行すら、最初から策略家が裏で糸を引いて仕組んだものだったんだわ……! メリア様のように事情を知らない外の人が見ても『不自然だ』と気づくくらい、お父様の愛は深くて本物だったのに。それを薬で強制的にねじ曲げて利用するなんて……シャリアも、策略家も、絶対に許せない!)
お父様の本当の心は、ずっと私とお母様を愛してくれている。
私の強い言葉と瞳の奥の怒りの光を見て、メリア様は驚いたように目を瞬かせた後……パッと、いつもの華やかな笑顔を咲かせた。
「……そうね。ごめんなさい。愛する娘のあなたが、一番よく分かっているわよね」
「メリア様……」
「ああ、本当に……お母様に似て、とびきり可愛くて芯の強いお嬢さんね! 今日ここであなたに出会えたなんて、運命だわ!」
メリア様は私の手を握り、嬉しそうに言った。
「ねえ、あなた達。明日、空いてますか?」
「えぇっと……特に予定はないです、けど……」
「だったら、私の可愛い娘とお茶会しませんか?」
「娘さん……ですか?」
お姉様が、少し驚いたように目を瞬かせた。大臣家に同年代の令嬢がいると聞いて、純粋に興味を惹かれたようだ。
(……っ! やばい、心臓が爆発しそう……!)
私は、肋骨を突き破らんばかりに跳ね上がった鼓動を必死に押さえ込み、表情筋を総動員して『何も知らない子供の顔』を顔面に貼り付けた。
「まあ……! 私達と、お歳が近いんですか?」
無邪気に小首を傾げてみせる。声が震えなかったのは奇跡だった。
「ええ! 私の娘、アメリアというのだけど、今年で十四歳になるの。ネフェリアお嬢様と同い年ね!」
「アメリア様……」
お姉様が、その響きを確かめるように小さく口にした。
(……お姉様が、アメリアさんの名前を……)
一周目の地下牢で、互いを深く思いやり、涙を流して絆を確かめ合った二人。 二周目ではまだ出会っていない親友の輪郭に、お姉様が初めて触れた瞬間だった。
(……それに、メリア様は今『娘のアメリア』としか言わなかった。幼くして亡くなった妹さんのことには触れていない)
(だからお姉様も、アメリアさんのことを『一人っ子』なのだと思っているわね。……無理もないわ。一周目の学園で親友同士だった時でさえ、アメリアさんはお姉様にその過去を打ち明けていなかったのだから)
(……待って。アメリアさんは今、十四歳。一周目で彼女は『私がまだ子供だった頃に妹を亡くした』と言っていた……)
(ということは……私が時を巻き戻して辿り着いたこの二周目の過去でも、彼女の妹さんはすでに亡くなってしまっているんだわ……! 私の死に戻りの奇跡は……妹さんの命を救える時間までは、届いていなかったんだ)
過去に戻っても、覆せない死がある。
この平和な世界でも、彼女は取り返しのつかない喪失を抱えたまま、ずっと自分を責め続けて生きているのだ。
(つい数時間前の地下で、私は『アメリアさんは両親に愛されているから、お姉様のような絶対的な孤独はないはずだ』と推測した。……けれど、それは決して彼女が苦しんでいないという意味じゃない)
(目の前のメリア様がこれほど愛情深く、お父様のハーヴェー様も家族想いだからこそ……彼女は両親をこれ以上悲しませないために、自分の中にある消えない『無力感』と『罪悪感』を誰にも打ち明けられず、一人で背負い込んで隠しているんだわ……痛いほど分かるわ)
(……二周目の世界になっても、彼女のあの悲しい過去と、その優しすぎる精神状態が変わっているはずはないわ)
(もし今の彼女が、二度と大切な人を失わないために、一人で『力(強さ)』を求めて苦しんでいるのだとしたら……)
私の脳裏で、リフレットさんから聞いたばかりの、あの悪魔の『とっておきの魔法』の発動条件が、けたたましい警鐘のように鳴り響いた。
『強さへの執着。罪悪感。無力感』
(……あいつの標的の条件を知ってしまった今なら、痛いほど分かる。あんなに優しくて責任感の強いアメリアさんは……あの時聞いた悪魔の精神支配の条件に、あまりにも完璧に当てはまってしまっているんだわ……!)
(一周目では、アイツが彼女をただの『孤独とは無縁のお嬢様』だと思い込んで過去を覗こうとしなかったから、この致命的な条件を満たしていることに気づかれず、偶然見逃されただけ、もし二周目のこの先、あいつがアメリアさんのその致命的な【心の隙間】に気づいて、魔法を使おうとしたら……!)
(……お姉様がアイツの洗脳に支配された時、私を殺すのを踏みとどまってくれたのは、私への『愛』が強すぎたからだ。無意識の愛情が、魔法の絶対支配に抗ってくれた)
(一周目のあの日、アメリアさんは私を庇って命を落としてくれた。でも……あのたった一日で築いた親友としての絆が、あの悪魔の絶対的な洗脳を弾き返せるほど強固なものだったのかどうか……今となっては誰にも分からない)
(それに……何より恐ろしいのは、二周目の今、私はまだ彼女と出会ってすらいないということだわ!)
(シャドウがこの国に潜入してくるのは、四年後の十五歳の春。もしそれまでに、私と彼女の間で『魔法を弾き返せるほどの強固な絆』を築くことができなかったら……!?)
(洗脳の命令に抗う理由を持たない彼女は……ただ都合のいい操り人形にされるだけじゃない。アイツの命令のままに、彼女のその強すぎる『正義感』すらも悪用されて、ためらいなく私や大切な人を殺しに来る『完璧な敵』にされてしまうんだわ……!)
(妹さんの命には届かなかった。けれど……今度出会うアメリアさんの心と未来は、絶対に私が守り抜く!)
私は、目の前で太陽のように明るく笑うメリア様を見つめた。
この底抜けに明るくて温かいお母様と、娘を溺愛する厳格なハーヴェー様。
一周目のアメリアさんが、幻級魔法の存在や『無魔法は一人一つ』という残酷な世界の裏ルールを一切教えられていなかった理由。……ハーヴェー様は、ただ純粋に、愛する娘をこの『日向の温かい世界』にだけ置いておきたかったんだ。
結果的にその『優しすぎる嘘』のせいで、一周目のアメリアさんはレオニス王子の冷酷な理詰めに反論する武器(知識)を持てず、絶望の中で命を落とすことになってしまったけれど……。
私もさっき、彼女を盤上の危険から遠ざけるために『シャドウの事も魔法の事も絶対に秘密にする』と、お父様と全く同じ選択をしたばかりだ。だから、ハーヴェー様の不器用な親心を責めることなんて、私には絶対にできない。
(……でも、大丈夫だわ。私がいるから)
(無知は罪じゃない。……ハーヴェー様が守りたかったこの温かい日常には、あの悪魔の影すら一歩も踏み入らせない。今度は私が、世界の裏側のルールを全て把握した上で、この盤上を完全に支配してやる!)
深く息を吐き出し、胸の奥で渦巻く決意を完全に隠し込んで。
私は、目の前のメリア様に向けて『ただの戸惑う子供』の顔を作り直した。
「あ、あのう……! お母様のご縁があるとはいえ、今日初めてお話しした私達を、いきなりお茶会に誘ってくださるなんて……」
私が恐る恐る言うと、メリア様は「あら、そうだったわね!」と笑った。
「正式な自己紹介がまだだったわ。私はメリア・カーフェーン。ハーヴェーの妻ですわ。……実を言うとね、私、ちょうどあなた達に会いたかったのよ」
「えっ、私達に……?」
「ええ。今朝のことよ。あなたたちが二人でこっそりと地下図書室へ入っていくのを、遠くから見かけてね。でも、その時は私も別の用事で忙しかったから声をかけられなかったのだけれど……。主人の隠れ家で再会できて、しかもあのアミィエルの娘だったなんて、本当に運命だわ!」
どうやら、私たちが何をしに行っていたか、魔法の勉強や訓練などまでは探っていないようだ。ただ純粋に「見かけた」だけらしい。
「そ、そうだったんですか。でも、朝見かけただけで、どうして私達とお茶会を……?」
私が尋ねると、メリア様は当然のように言った。
「どうしてって、それはあなた達がすっごく可愛いからよ! 私、可愛い女の子が大好きなの! だから絶対にお茶したいって決めていたのよ!」
あまりにも直球すぎる理由に、私は目を丸くした。
強引だけれど、裏表のない明るい人。この人が、あのアメリアさんのお母様なのだろうか。
「メリア様、少し落ち着いてください」
呆気にとられる私たちの横で、ミリアナさんが眼鏡の位置を直しながら口を挟んだ。
「アミア様とネフェリア様が困惑されていますよ。初対面でいきなりお茶会だなんて、いくらなんでも強引すぎます」
「あら、ミリアナったら。何を言ってるの? 可愛い子を見つけたら、すぐにお友達になりたいと思うのは当然でしょう? 遠慮なんてしてたら、チャンスを逃しちゃうわ」
「はぁ……。貴女は昔からそうですね」
ミリアナさんが、やれやれと溜息をつく。
その口ぶりは、単なる秘書と夫人という関係以上に親しげだった。
「……あの、ミリアナさんとメリア様は……」
「実は、私たちは古くからの知り合いでして。……腐れ縁のようなものです」
ミリアナさんは少し照れくさそうに答えた。
なるほど、だからあんなに遠慮なく言い合えるんだ。これなら安心かもしれない。
「それで? アミアちゃん、どうするの?」
メリア様が、ぐいっと顔を近づけて、キラキラした目で私に迫ってくる。
すごい押しの強さだ。
(……この人が、アメリアさんのお母様……)
笑顔のまま完全に私を捕捉しているメリア様を前にして、ふと突拍子もない考えが頭をよぎった。
(アメリアさんも、清楚で真面目だけど、一周目で私を全力で庇ってくれた時のような『熱い部分』は持っている。……もしかして、アメリアさんも大人になったら、お母様みたいに私のことを『可愛い女の子が好き!』みたいな目でぐいぐい押し倒してきたり……?)
(そ、それに! リフレットさんにからかわれたばかりの激重愛情のお姉様まで一緒になって、将来二人から両脇で同時にそんな目で迫られたりしたら……!?)
(……いやいやいや! それはないない! アメリアさんはあんなに真面目だし、お姉様の愛も純粋な家族愛なんだから! 絶対にないわ!)
私は、勝手に自分の想像で顔を熱くして慌てて首を振った。
……でも、カーフェーン家のお茶会に行くということは。
(……アメリアさんと会える……!)
その本来の目的に気づいた瞬間、私の心臓が高鳴った。
アメリアさん。一周目の親友。二周目ではまだ出会っていない、大切な人。彼女の母であるメリア様とも仲良くなっておけば、今後強力な後ろ盾になる。
「アミア?」
お姉様が、一人で顔を赤くしたりぶんぶんと首を振ったりしている私を不思議そうに見つめ、どうする? と目で問いかけてくる。義母の許可なく他家のお茶会に行くことを心配しているようだ。
そして、お姉様は私を庇うように一歩前に出て、メリア様に向けて優雅なカーテシーをした。
「メリア様。私共のような者に身に余るお誘い、大変光栄に存じます。……ただ、私共は義母の許可なく出歩くことが難しく……」
お姉様が公爵令嬢として礼を尽くしつつ、申し訳なさそうに言い淀む。
私はそのお姉様の隣に並び、同じように深く淑女の礼をして答えた。
「……はい。義母の許可を頂かなければなりませんが……私、ぜひお伺いしたいです!」
「あら、嬉しい! 許可のことなら心配いらないわ。私が正式な招待状を出すわ。使いの者をよこして、今日中に送ります。大臣家からの招待なら、公爵夫人も無下には断らないでしょう?」
さすが、大臣の奥様。政治的な力関係もよく分かっていらっしゃる。シャリアは権力に弱い。カーフェーン家との繋がりができるなら、喜んで送り出すはずだ。
「ありがとうございます、メリア様!」
「ふふ、いいのよ。楽しみにしていてね。じゃあ、明日の午後、迎えの馬車を出すわね。……ああ、楽しみ! どんなドレスを着せようかしら!」
メリア様は上機嫌で去っていった。嵐が過ぎ去った後のような静けさが戻る。
「……すごい方だったわね」
「……はい」
この人が、アメリアさんのお母様。アメリアさんは、きっとお父様(ハーヴェー様)似なんだろうな。そんなことを考えて、少しおかしくなった。
すると、お姉様がふと、私の顔を優しく覗き込んできた。
「図書室でもそうだったけど、アミア。……少し変わっているように見えたわ。それに、さっきのあなた、とても美しかったわよ」
「えっ……?」
「メリア様を相手に堂々と『レフィーナ』と名乗り、お義父様の愛を信じて真っ直ぐに反論した時の誇り高い表情。そして、先ほどの完璧な淑女の礼……。十一歳の子供とは思えないくらい、気高くて綺麗だった」
(……っ!)
私は驚きに小さく息を呑んだ。
(数時間前……地下図書室で『いつものアミアじゃないみたい』と言われた時は、誤魔化して深く気にしなかったけれど……こうして改めて言われると、流石に少しヒヤッとしてしまう)
(……でも、大丈夫。いくら聡明なお姉様でも、まさか私が『二周目の人生を生きている』だなんて、気づいているはずがないわ)
(それに……私の中に重なっている『十六歳の魂と覚悟』が、大好きなお姉様には、不気味なものじゃなくて『気高い美しさ』として映っていたんだ……!)
(『美しい』だなんて……二周目の人生で、初めて言われちゃった。なんだか、すごく照れるわ……)
一周目の記憶を思い返しても、お姉様は私を守るために精一杯で、こんな風に私の振る舞いを真っ直ぐに褒めてくれたことなんて、一言もなかったから。
(……確かに、大切な人を守る覚悟を決めた今の私は、少しは美しくなれたのかもしれない。でもね、お姉様。……私にとって世界で一番美しくて気高いのは、いつだってお姉様よ)
私が安堵と照れ隠しで、顔を真っ赤にして俯くと、お姉様はクスリと笑って私の頭を優しく撫でてくれた。
「帰りましょう、アミア。シャリアお母様に報告しないと」
「……はい、お姉様!」
私たちは、ミリアナさんに先導されて螺旋階段を上がり、地上の入り口である石造りの建物の広間へと出た。真上にある太陽の光が眩しく降り注ぐ。
ミリアナさんは、学園の正門まで私たちを送ってくれた。
「では、私はここで失礼いたします。……アミア様、ネフェリア様。本日はお疲れ様でした」
「ありがとうございました、ミリアナさん」
「また四日後、よろしくお願いします」
深くお辞儀をして、踵を返したミリアナさんの背中を見送る。
長く、そしてあまりにも濃密だった秘密の地下での時間が終わり、私たちは正門に向かって足を踏み出した。
優しくて温かい大人たちに見守られた『聖域』を後にして、あの息の詰まる公爵邸へと帰るために。




