第41話 華やかなメリア夫人との遭遇。
私たちは長い階段を登りきり、地下訓練場から地下図書室の最奥――本棚の裏側へと戻ってきた。
ハーヴェー様が本棚の横から手を伸ばし、「女神の石像」の肩にある仕掛けをカチリと操作する。
ゴゴゴゴゴ……。
重い地響きと共に巨大な本棚がスライドし、地下へと続く暗い口を完全に塞いだ。
これで、傍目にはただの古い書架にしか見えない。秘密は守られた。
「ふう……」
私は大きく深呼吸をした。
地下の湿った空気とは違う、図書館特有の乾いた古紙の匂いが落ち着く。
ゴーレムのウォーターブレスで水浸しになったお姉様の外出着や私の服は、階段を登る途中でミリアナさんが綺麗に乾かしてくれていた。彼女が生まれ持つ基本の二属性は『火』と『風』らしく、二つの魔法を器用に組み合わせて心地よい温風を生み出し、あっという間に水分を飛ばしてしまったのだ。
(……そうか。ミリアナさんの幻級魔法『鑑定』はあくまで特異体質のようなもので、この世界の常識である『二つの属性』は、ちゃんと別に持っていたんだわ)
秘書でありながら、基礎的な魔法の腕も確かなようだ。
身体中が痛い。ゴーレム戦での打撲と、魔力切れの倦怠感。
でも、その疲労感が心地よかった。強くなるための第一歩を踏み出したという実感が、身体の芯を温めている。
そして何より――肩にかけた革鞄の中にある「母さんのノート」の重みが、私に勇気をくれる。
「さて、と。私の仕事はこれで終わりね」
ふと、背後で大きく伸びをする声がした。振り返ると、リフレットさんが首の骨をポキリと鳴らしているところだった。
「さっき階段を降りる時にも言ったけど、帝国に走らせた分身の『二日間の制限時間』が切れて消滅したのよ。皇帝からの『あの子たちを争いの道具にはしない』っていう記憶は確かに私の頭に共有されたわ。……でも、やっぱり本体の私が直接帰って、あの真面目な皇帝陛下に詳細な報告書を叩きつけなきゃいけないからね。まったく、面倒なことこの上ないわ」
「リフレットさん……」
「あんたたち。あの『策略家』と不気味なメイド長には、くれぐれも気をつけなさいよ。ま、何かあったら助けてあげる……って言いたいところだけど、私は帝国の人間だからね。表立っては動けない。自分たちの身は自分たちで守りな」
気だるげな口調だけど、その奥には彼女なりの確かな気遣いが感じられた。
「……本当にヤバくなったら、さっき渡した『通信の鏡』を使いなさい。情報くらいは融通してあげるから」
「はい。……色々と、本当にありがとうございました」
私とお姉様が深く頭を下げると、リフレットさんはふっと口角を上げ、長い青髪を揺らして踵を返した。
「じゃあね、光と闇の可愛いお嬢さんたち。……せいぜい、死なないように足掻きなさいな」
空間が、水面のようにぐにゃりと歪む。
幻級魔法。音もなく、彼女の姿は地下図書室の薄闇に溶けるように、完全に消え去った。
(……嵐のような人だった。でも、この人がいてくれて本当によかった……)
敵国である帝国。そのトップである皇帝と右腕の彼女が、私達の姉妹愛を見て『争いの道具』にはしないと決めてくれたからこそ、私達は今、こうして生きているのだ。
「もう、こんな時間か」
ハーヴェー様が、先ほども見せていた黒い文字盤の懐中時計を取り出して呟いた。
針は、お昼を回り、午後へと差し掛かろうとしていた。朝早くから潜っていたから、数時間が経過していたことになる。
「君たちはもう戻りなさい。あまり長居をして、ご家族に怪しまれてもいけませんからね」
「はい、ありがとうございます、ハーヴェー様」
私とお姉様は、再び深く頭を下げた。
ハーヴェー様は優しく微笑むと、「さあ、門まで見送ろう。……次の約束は四日後だ」と告げ、自ら出口の方へと歩き出した。
私たちは力強く頷き、地上へと続く螺旋階段へ向かう彼の背中を追おうとした。
その時だった。
――カツ、カツ、カツ、カツ!
静寂な図書室に、螺旋階段を地上から急ぎ足で降りてくる音が響いた。
石壁に反響する、規則正しいヒールの音。しかし、そこには隠しきれない焦りと、強い意志が感じられる。
「……?」
私たちが足を止めると、螺旋階段の回り込んだ先から人影が現れた。
薄暗い地下に、パッと花が咲いたような鮮やかな色彩が飛び込んでくる。
「やっと見つけましたよ、ハーヴェー!」
凛とした、よく通る女性の声が地下室に反響した。
地上からの光を背負い、輝くような波打つ金色の長い髪。年齢は三十代半ばくらいだろうか。しかし、その顔立ちには少女のような愛らしさと、大人の女性の強さが同居している。
そして何より目を引くのは、その豊かなプロポーションだ。胸元がはっきりと強調されるような、大胆で華やかなドレスを着こなしている。
圧倒的な存在感。その場にいるだけで、空気が華やぐようなオーラを纏った人だった。
「あぁ、君か。メリア」
ハーヴェー様が、少しバツが悪そうに苦笑する。
「君か、じゃないですわよ!」
女性――メリア様が、カツカツとヒールを鳴らして詰め寄ってくる。
「今日は久しぶりの休日でしょう? なのに朝から姿が見えないと思ったら、こんな埃っぽい場所に籠もって……! 一体何をしていましたの?」
「い、いや、少し調べ物をね……。国の歴史書を整理していて……」
ハーヴェー様がしどろもどろに言い訳をする。どうやら、普段は威厳ある大臣も、奥様には頭が上がらないらしい。
(……休日の過ごし方で文句を言うこのやり取り。それに、ハーヴェー様は彼女を『メリア』と呼んだわ)
(輝くような金色の髪と、くっきりとした目鼻立ちは……一周目で出会った親友、アメリアさんの面影がはっきりとある)
(でも、真面目で清楚だったアメリアさんとは違って、なんというか……オーラがものすごく華やかで、押しが強くて、プロポーションも大胆というか……!)
(間違いない。この方こそが、ハーヴェー様の妻、メリア・カーフェーン様。……つまり、アメリアさんのお母様にあたる方だわ!)
メリア様は、ハーヴェー様をジロリと睨みつけた後、大げさにため息をついた。
「もう……。あなたという人は、昔から本に夢中になると周りが見えなくなるんですから」
「すまない。……で、どうしてここが分かったんだい?」
「王城の庭師に聞きましたのよ。あなたがこちらへ向かったと。……それより、国王陛下がお呼びですわよ」
「……陛下が?」
ハーヴェー様の表情が、スッと真剣なものに変わる。大臣の顔だ。
「ええ。至急、執務室に来るようにと。使いの方が屋敷にいらして、大騒ぎでしたのよ?」
「そうか……それは悪いことをした」
ハーヴェー様は、私たちに向き直った。
「すまないね、二人とも。門まで見送ってやりたかったが、急用ができてしまったようだ。私は先に行くよ。……ミリアナ、後は頼む。この子達を馬車まで送ってあげてくれ」
「はい、かしこまりました」
ハーヴェー様は「後は任せたよ」とメリア様に手を振り、慌ただしく階段を駆け上がっていった。
残されたのは、私たちとミリアナさん、そしてまだ少し不満げなメリア様。
メリア様はハーヴェー様を見送った後、ゆっくりと私たちに向き直った。先ほどから、こちらの様子を値踏みするように観察していた視線。
私たちが気まずそうに頭を下げ、帰ろうとしたその時。
「ちょっと待ちなさい」
メリア様の声が、その場を引き留めた。
私たちが振り返ると、彼女は興味深げな視線で私とお姉様をじっと見つめていた。
「あなた達……。やっぱり、今朝見かけた子たちね」
メリア様が、納得したように頷く。
「近くで見るとよく分かるわ。その赤い髪に、その顔立ち……。リィエル公爵家と、ファミル伯爵家の娘かしら?」
一目で家柄を見抜いた。お姉様の赤い髪と、私の顔立ちで判断したのだろう。
「は、はい。リィエル公爵家長女、ネフェリアと申します。こちらは妹の……」
お姉様が、私を『アミア・ファミル(あるいはリィエル)』と紹介しようとした、その時。
私は、肩にかけた革鞄の紐を、ギュッと強く握りしめた。
革越しに伝わる、母さんのノートの確かな重み。
(……シャリアの薬に心を縛られ、お父様から奪われてしまった『ファミル』の名前。そして、私たちを苦しめるあの女が当主として君臨する『リィエル』の名前……)
(普段なら、貴族としてどちらかの家名を名乗るべきだわ。……でも、今の私の鞄の中には、私に戦う力と希望を遺してくれた、お母様のノートが入っている)
(今この瞬間だけは……私は、あの誇り高い母の娘として名乗りたかった)
私はお姉様の言葉を引き継ぐように一歩前へ出ると、背筋を伸ばし、真っ直ぐにメリア様を見つめた。
「――アミア・レフィーナです。……お見知りおきを」
突然の私の名乗りに、隣でお姉様が「えっ……?」と小さく戸惑うように息を呑んだ。貴族の令嬢として、公の場で本来の家名を名乗らないのは不自然な振る舞いだからだ。
「アミア……でも、なんでレフィーナの名前を……?」
お姉様が、メリア様に聞こえないほどの小声で、戸惑いながら尋ねてくる。
「……なんとなくです」
私はここで重い事情を話すわけにはいかず、まずはお姉様にだけ聞こえる小声ではぐらかした。
そして、目の前のメリア様に向けては――あえて無邪気な子供のふりをして、こてんと小首を傾げてみせたのだ。




