二十二冊目<ベルベットボイス>
店はなぜか並ぶ。スーパー、ドラッグストア、デパート、レストラン……並ばない日なんてないくらい毎日並ぶ。はあ。全く、こっちは急いでいるって言うのに。もっと早くできないものなのかね。
「おまたせしました、いらっしゃっいませ」
ようやく順番が回って来たスーパーのレジ。担当は随分若い女。アルバイトか。
「ふん。待たせた自覚があるなら、もっと急ぐ努力はできないのかい?」
「あ……す、すみません……」
「謝るのがマニュアルなのかい?全く、最近の若いもんはマニュアル通りにしか動かなくて困るねえ」
「すみません……」
明らかに声のトーンを下げて接客を続ける。アタシが悪いみたいになるじゃないか。不愉快だ。
「お会計、2132円になります」
「ちょっとあんた!カートの下に段ボールがあるんだから、入れなさいよ!そんなことにも気づかないのかい!」
「は、はい!すすすすみません!ただ今!」
「ふん」
大きな声で怒鳴ったが、これはレジの店員のためだ。このままでは、使えない奴になるのを、アタシが教育してやっているんだ。周りはアタシをチラ見するけど、そんなことはどうでもいい。
「お待たせしてしまい申し訳ありません!こちら、商品です。ありがとうございます。またお越しくださいませ」
返事なんてしてやらない。だって、不愉快な思いをしたのはアタシなんだから。
「ただいま、お父さん」
仏壇に向かって話しかける。夫は半年前に亡くなった。まだアタシと同じ63歳だったのに、癌が転移しすぐに死んでしまった。アタシ1人を置いて。
「今日さ、レジの女に教育してあげたんだよ。きっと明日から成長できるわね」
アタシは、夫を亡くしてからというもの、買い物に1人で行くと、すぐに気が立ってしまう。でも、それはあっちが悪いわけで、アタシが短気であるわけではない。
「さて、ご飯を作りましょうかね……って、ん?あら嫌だ。卵がお刺身の下敷きになっているじゃないか!もう、どこまで使えないんだろうね。全く、あー、割れてないからよかったけど、言ってやらないとね」
明日も同じスーパーに行ってやろう。バイトの女がいればいいが、いなくても他の従業員のレベルを見るにはいいだろう。
翌日、予定通り同じスーパーに来ていた。昨日のバイトはいないみたいだ。とりあえず、ベテラン感の漂う女に並ぶ。手の動きは早いが、愛想がない。
「いらっしゃっいませ」
「ちょっとあんた!なんだいその顔。笑顔で接客1つもできないのかい?」
「申し訳ありません」
「謝罪はいいから、不愉快にならない接客をしておくれ」
女はぎこちなく笑って見せた。
「笑顔もまともに作れないなんて、どんな楽な仕事をしてきたんだろうねえ」
「私は……」
「言い訳なんて聞きたくないね。今日のところは見逃してやるから、とっと商品を通しな」
「はい……」
まただよ。何か言うとガクリと落ち込む。メンタルが弱いったらありゃしない。
「2100円になりま……」
「あ!あんた!卵は1番上に置くもんでしょ!この間の子もそうだけど、あんたもかい。ここのレジの教育はどうなっているんだろうねえ!いいかい?卵は潰れやすいんだよ」
「で、ですが、パンの方が軽いですし……」
「ごちゃごちゃうるさいねえ!アタシが間違っているって言うのかい!」
「すみません……すぐに直します……こちらでよろしいでしょうか?」
卵は1番上になった。しかし、
「ちょっと!菓子パンが潰れてるじゃないか!ヤケになってるんじゃないだろうねえ!卵の方が重いんだから、卵の下なんてありえないでしょうが!」
「……」
「ちょっと聞いてるの?!」
レジの無愛想な女は、肩を震わせ俯いてしまった。まだ支払いも終わっていないというのに。
「他にいないのかい!」
「申し訳ありませんお客様。私が代わってレジを致します」
「その前に、その子のせいで菓子パンが潰れてたんだ。交換が先じゃないのかい?」
「失礼致しました。すぐに取り変えますね。新しいものを持って来てくれる?」
「はい……」
「では、先にお会計をお願い致します。後ろで他のお客様も待っておられますし、気遣いのできる奥様なら、お分かりいただけると思うのですが」
代わりに来たおさげ髪の女は、妙に慣れた感じで対応して来た。
「ふん」
無愛想でもないし、アタシが断りづらい言葉を選んでくる辺り、気に入らないが教育するところもなさそうだから、今日のところは見逃してやろう。
「こちら、新しい商品です。ありがとうございます。またお越しくださいませ」
「最近の若いもんは、レジも袋詰めもまともにできないのかい?」
「申し訳ありません。こちらで今一度教育いたします」
「ふん。口では何とでも言えるさ」
スーパーを後にし、妙に甘いものが欲しくなったので、近くのケーキ屋に向かった。
「いらっしゃっいませ」
帽子に髪をまとめて入れている女がでてきた。衛生面ではクリアか。
「いつものはあるかい?」
「いつもの……でございますか?」
「そうよ。わからないのかしら?」
「申し訳ありません。私、本日から働かせていただいている者でして……教えていただけますか?」
「イチゴショートよ。早くしてちょうだい」
「あの、申し訳ありません。本日分のイチゴのショートケーキは売り切れてしまいまして……」
「はあ?今からでも作りなさいよ!客が欲しいって言っているのよ?!それをないから帰れって言うのかしら!」
「申し訳ありません!で、ですが……」
「店長を呼んでちょうだい!あなたじゃあ、話にならないわ!」
「すぐにお呼びします!お、お待ちください!」
慌ただしく中に入り、店長を呼びに行った。
「お待たせ致しました。申し訳ありません。いつもご利用していただいているのに……代わりの物なら用意があるのですが……」
「ただならいいわよ」
「そ、それは……」
「私のをお譲りしますよ」
「誰よ?」
急に話に入って来たのは、ツインテールの若い女。
「お、お客様……そんな……」
「いいんですよ。明日このお店が潰れるのなら考えますけど、明日来ればいい話ですから。しかし、奥様は最後の晩餐かのようにイチゴショートをねだるではないですか。それはお譲りしたくもなります」
若いくせによく回る舌だ。引っこ抜いてやりたいものだ。
「ふん。そこまで言うなら受け取ろうかね」
「どうぞ。あ、店長さん、私への返金は結構ですよ。奥様の迷惑料を、代わりにお支払いしておきますね。では」
「はあ!?ちょっとあんた!」
引き留めようとしたが、雲のように消えてしまった。イライラが心に積もる。
「帰る!2度と来るもんかね!こんな店!」
金を店長に投げつけると、扉を乱暴に開け放って店を飛び出した。
家に着くと、ケーキ屋の箱を開けた。中には、イチゴショートが3つも入っていた。買い占めたに違いない。
「迷惑料だって……ふざけやがって……買い占める方が迷惑だよ……」
アタシは間違っていない。できない奴に教育をしているってのに、感謝の1つくらいしてほしいものだ。それなのに迷惑だなんて。ケーキを手づかみで食べ、あっという間に1つ平らげてしまった。
「くくく。本当に愚かだな」
目を疑った。天井が瞬きをしたその一瞬で図書館へと景色を変えた。
「どうなっているんだい……」
「ようこそ、伝承者の館へ。やれやれ。歓迎したくない選ばれし者というのもいるのだな」
喪服のような服を着て愉快に笑う女。ケーキ屋で会ったツインテール女に少し似ている。
「伝承者?なんなんだいここは」
「伝承者の館。私は伝承者、葉月史乃」
「お遊びに付き合ってられないんだ。さっさと帰しておくれ」
「帰したいのは私の方だぞ?春原文子」
「アタシの名前をどこで……まさか詐欺師じゃないだろうね?」
「会話にならないな。口を開けばクレーム。それを教育だなんてお門違いなことを思っているものだから、救いようがないな」
「このくそガキ!」
勢い余って胸ぐらを掴む。しかし、喪服女の表情は笑ったまま変わらなかった。それが、妙に気味悪く、すぐに手を離してしまった。
「もう終わりか?はあ。服が乱れるからやめてほしいのだが」
「化け物か何かかい?場所も瞬時に移動させられるし、やっぱり化け物だね!アタシを食う気かい!?」
「……」
喪服女は、笑みを消すと、今度は退屈そうにアタシを眺めた。
「話を先に進めたい。静かにできないのか?」
「……っ」
このアタシがたじろぐなんて。生意気なガキには、口の聞き方を教えてやらないといけないというのに。
「さて、私が君を呼んだのは伝承を伝えてもらうためだ。とはいえ、君は私の話を聞いた上で、やってもらいたいことをしてもらうだけで結構だ。簡単だろう?」
「断るよ。あんたの話を聞くほど暇じゃないからね」
「おや?毎日毎日、どこかの店で騒いでいる人間が、忙しいわけないだろう?」
イライラして、もう我慢ならなかった。私は扉の所に向かい、扉が壊れてしまうくらいの勢いで開け放つと外に出た。だが、外は真っ白な空間がどこまでも広がっているだけで、元に戻る場所は見つからない。
「どうなっているんだい……」
やがて、扉が見えなくなるまで白い空間を進んだ。しかし、出口は見つからなかった。
「おい!クソガキ!聞こえているんだろう?さっさとアタシを元に戻しな!」
声は空間全体にこだました。それでも、喪服女が姿を見せることはなかった。代わりに、知らない女や男の声が上から降って来た。
「どうして怒鳴られないといけないの……」
「クソババア!従業員だって人間だっつうの!うざっ!」
「手が震えて動かない……」
「常連でもないのに偉そうに。お前がいつも何を食べるかなんて知るか!2度と来るんじゃねえ!」
「周りが見えていないのかしら?騒いでいる姿は醜いというのに」
頭の中に直接響いてくる声。強い口調にひどく傷ついた声。ぐちゃぐちゃに混ざり合う声に、吐き気がした。
「なんなんだい……」
頭が痛い。今すぐやめてほしい。
「無事に聞こえているようでなによりだよ」
「クソガキ……!なんの真似だい!」
姿は見えないが、喪服女の声だ。さっきまで聞いていたから間違いない。
「これは、君が発した言葉に対する心の中の声だよ。怖かった、悲しかった、苛立った。感想は様々だ。では聞こう。君の感想は?」
「気分が悪いよ。吐き気がするほどにね」
「そう。君のぶつける言葉は人を害する言葉ばかりだ。君のように、人を傷つける言葉ばかり言う人間が昔もいてな。そいつはどうなったと思う?」
「し、知らないよ」
「ベルベットボイスという言葉は知っているかな?低くて柔らかく、暖かみのある声のことなんだがね。誰かを傷つけるのではなく、暖かく包み込むような。ベルベットボイスを持つ男が、傷つける言葉ばかり言う人間に同じ言葉を返したそうだ。すると、暖かい声なのに冷たい言葉というミスマッチした情報に、人を傷つける人間の頭は混乱し、おかしくなったらしい。そして、ベルベットボイスをもつ男は有名人だったということもあり、彼が言ったのなら自分もというように、人を傷つける人間に向かって、言われた言葉を返していったそうだ。すると、そいつの心は壊れ、生きているのに死んでいるような人間になったそうだ。不必要に人は傷つけるものではないね」
「アタシは、間違ってなんか……」
そう。アタシは、教育をしている。別に傷つけているわけではない。それなのに、頭に響く声は、教育してくれてありがとうと言うことはなかった。
「ではなぜ、君に今、様々な言葉が投げかけられているのだ?教育をしているとは思えない言葉ばかりだが?」
「アタシは……」
息をするのもやっとだった。耳を引きちぎってしまいたい気分だ。
「君は、夫を亡くした悲しみの穴を、他人に怒りをぶつけることで埋めていたに過ぎない。君のは教育ではやく、ただのカスタマーハラスメントというやつだ。声が止まないのが証拠だよ」
「……さい」
わかったように言いやがって。アタシの悲しみを、苦しみを誰が理解できるというのだ。
「うるさいねえ!お前なんかに何が分かるって言うんだい!分かったように言うんじゃないよ!」
すると、白い空間は図書館へと変化し、誰もいなかったはずの目の前には、喪服女が立っていた。
「分からないよ。けれどそれは、君も同じだろう?傷ついた人間の心が分かるのかい?分からないだろう?だからひどい言葉を、理不尽なクレームを言っていたのだろう?」
「だから!アタシは!」
喪服女はアタシの額に人差し指で触れると、深い海のような暗い瞳で、
「もういいよ。聞き飽きた。君を助ける気にはなれない。さよならだ」
人差し指で軽くアタシの額を押すと、立っていられなくなったアタシは、そのまま後ろに倒れた。
「痛たた……ん?戻って来たのかい……?」
図書館は消え去り、見慣れた和室と、買って来た買い物、ショートケーキが2つそのまま置いてあった。間違いなくアタシの家だ。
「なんだったんだろうねえ」
畳に座り直すと、手づかみでショートケーキを食べた。雲のように軽いショートケーキは、あっという間になくなってしまった。
「アタシって、こんなに甘い物が好きだったかね」
謎の食欲に戸惑ったが、変なことが起きた後だ。疲労がピークだったのだろうと思った。
翌日。昨日の変な出来事は、現実ではないと考え、いつも通り買い物に出る。そして買い物を終えるとレジへ。相変わらず袋詰めが下手で、卵の下に食パン置かれ、潰れてしまった。
「ちょっとあんた!食パンが……っ!」
教育しようとしたアタシの頭に、いや身体中に、アタシに対する暴言や悲しみの声が集まって来た。身体中が熱い。血管が沸騰しているようだ。
「い、あ、あ」
言葉に飲み込まれていく感覚があった。アタシは、こんなにたくさんの言葉を吐いていたっけ?
全身が文字で黒く塗り潰された。やがて、真っ黒になったアタシの体は、沸騰した血管を次々と破裂させた。
「夢じゃ……いやああああ!!!」
水風船が破裂した音がした。
水風船が破裂した現場には、黒い墨のようなものだけが残された。しかし、何が破裂したのかは不明のままだという。直前に、誰かのレジをしていたようで、商品が袋に詰められていた。
「ベルベットボイス、暖かみのある声。暖かくないあなたに送る、最高の皮肉。誰からも忘れられて消えていくのがお似合いです。さようなら」
ツインテールの女は、黄色のカーネーションを水風船の割れた後の残る床に置いた。




