第了話『乙彼』
※注意! このお話は番外編です※
第閑話『逆夢』と同様に、キャラ崩壊や本編の設定無視など、比較的好き勝手にやってます。
些かメタフイクション的でもありますので、そういった話が苦手な方はご遠慮下さい。
青々と茂った木々に囲まれた山の峰から、夏樹は麓を見下ろしていた。
申し訳程度の高さの柵が設けられた斜面の反対側には、上に上る道と麓に下る道の入口がそれぞれ見える。
それぞれの道に天然のトンネルを形作る木々や足元の芝生から匂い立つ緑の香りが、陽光の温もりを含んだそよ風に乗って、夏樹のそばを駆け抜けていく。
あたかも、少女たちが小声で楽しげに秘密の話を囁き合っているかのような草木のさざめきに耳をくすぐられながら、夏樹はそっと目を閉じた。
さぁ、と。
心地良い薫風が、夏樹の頬を撫でる。
ふわり、と。
それほど長くもない夏樹の髪が広がって、そよ風と戯れる。
麗らかな陽気の中で、夏樹はその心地良さに浸る。
それからゆっくりと目を開き、改めて眼前の景色を眺めてから、ぽつりと呟いた。
「……どこなのさ、ここ……」
正直に言って、現在の前後に繋がる記憶が、全く思い出せない。
ここがどこなのかだけではなく、ここに何をしに来たのかも、ここから先はどうするつもりだったのかも、何一つ記憶にない有り様だ。
全くわけがわからない。
困り果てて途方に暮れる夏樹は、斜面のほうに足を向ける形で仰向けに倒れて、大きなため息を吐く。
頭上に広がる青空を眺めてぼんやりする夏樹の顔を、ひょっこりとユーリエが覗き込んだ。
「うわぁっ!?」
誰もいないと思って油断していたところに現れたユーリエに、夏樹は思わず驚いて飛び起きる。
大げさなくらいの夏樹の驚きようが可笑しかったらしく、くすくすとユーリエが笑う。
恥ずかしさに頬が熱を帯びるのを感じた夏樹は、つい文句のようなことをユーリエに言ってしまう。
「もー……驚かさないでよ、ユーリエ……」
「あはは。ごめんなさい、なつき。こんなところでどうしたのかなって思ったもので、つい」
ユーリエの軽やかな笑い声に、鈴を転がしたような声で紡がれた謝罪の言葉が連なる。
反対に夏樹は、続く『どうしたのかと思った』という問いに自分でも心当たりがなかったので、言葉に詰まってしまう。
「……僕も、同じことを思ってたところ……かな……?」
「???」
視線を泳がせて探してきた夏樹の言葉に、ユーリエはきょとんと首を傾げる。
的を得ない説明だとは自分でも思ったが、では何と言えば自身の現状を伝えられるだろうかと思い悩む夏樹に、ユーリエがにっこりと笑いかける。
「なつき、隣に座ってもいいですか?」
「え? ああ、うん。別に大丈夫だよ」
「じゃあ、失礼しますね」
そう言って朗らかな笑顔を浮かべると、ユーリエも夏樹の隣に腰を下ろし目を閉じて空を仰いだ。
さぁ、と。
心地良いそよ風が、二人の頬を撫でる。
ふわり、と。
ユーリエの金色の髪がそよ風に戯れ、暖かな陽の光の中できらきらと輝く。
気持ちよさそうに目を細めるユーリエの横顔を横目に見て、何か話題を振るべきかと夏樹は一瞬考える。
結局、それは気の遣い過ぎかと内心で結論付けて、夏樹も空を仰いで、目を閉じた。
麗らかな陽気の中で、頬を撫でるそよ風の心地よさに身を委ねる夏樹の耳に、鈴を転がしたような声が控えめに響く。
「……こんなふうに……」
「ん?」
「こんなふうに、夏樹と穏やかな時間を過ごせるようになるなんて……最初は全然、想像できませんでした」
「……うん、僕もだよ」
困ったような笑顔を浮かべるユーリエに、夏樹も微笑みを向ける。
夏樹とユーリエが、六連星家のリビングで初めて邂逅を果たした、始まりの日。
もはや遠い昔のことのように感じる当時のことを、夏樹は懐かしさとともに振り返る。
「びっくりしたよ。お昼ご飯を食べようと思って下に降りたら、いきなり知らない女の子がいるんだもん」
「私も、突然見ず知らずの場所に移動していて、しかもそれが誰かの家の中な上に、驚いてる間に家の人に見つかっちゃって……もうどうしたらいいのか分からなくて、頭が真っ白になっちゃって……」
「あはは。確かにそんな感じだったねぇ」
かつての自分の反応が恥ずかしいらしく、仄かに頬を染めて語るユーリエに、夏樹は朗らかに同意する。
もっとも、そうやって穏やかに笑うことができるのは、それが過ぎ去った思い出だからだ。
喉元を過ぎた熱さを追憶して笑う夏樹に、ユーリエは拗ねているようにしか見えない真っ赤な顔で、当時の恐怖の丈を夏樹にぶつける。
「本当に怖かったんですっ! 私だってわけがわからないのに、泥棒だと思われて腕を切り落とされたりしたらどうしようって……!」
「ちょっと待って、腕を切り落とすって何!? ユーリエの故郷の窃盗に対する刑罰って、そんなに怖いの!?」
ユーリエのほんわかした雰囲気にそぐわない物騒なセリフに夏樹は半ば戦慄して問うが、ユーリエの返答はない。
夏樹の叫び声に意識を失ったり話しかけようとしただけで怯えられたりと、そんなような気はしていたが、やはり相当の恐怖に苛まれていたらしい。
この分だと、あの時唐突に『扉』が開いたのも、無意識的に過度のストレスから逃れようとして、『扉』を開くスキルが暴発したのかもしれない。
そんなことを頭の片隅に浮かべる夏樹に、当時ぶつけられなかった分の想いも上乗せしているくらいの勢いでユーリエは捲し立てる。
「れもんは明らかに私を不義密通の相手だと誤解してたし直後にまたわけのわからない場所に落とされるし黒い悪魔もいきなり現れるし、もうもうもう、何で私がこんな目にって!!」
「あーっと、とりあえず落ち着こうユーリエ、一旦落ち着いて。フギミッツーっていうのはよく分からないけど、黒い悪魔って……あの化け物のことだよね? 確かに、あれは本気で死ぬかと……」
『なァァァつきくゥゥゥゥゥゥゥゥン!?』
ヒートアップするユーリエをなだめようとした夏樹の声を遮るように、やたらと聞き覚えのある怒声が、大地を揺るがす轟音とともに、夏樹たちの背後に響き渡る。
嫌な予感を伴って脈打つ心臓の鼓動に促うながされて振り向くと、そこにはもはや、すっかりお馴染みとなった黒い化け物が三体、前のめり気味に夏樹たちを見据えていた。
『てめェ……夜凪だけじゃ飽き足らず、小動物系の金髪外国人まで侍らせやがって、ずいぶんゴキゲンじゃねーか……!!』
『ふざけやがって……! てめェみてェなクズが地上から消えねェから、俺たちに彼女ができねェんだ!!』
『そうだ、俺たちは悪くねェ!! 悪いのはこの世界だろ!? お前みたいな冴えないモブキャラ系男子がモテるこの世界を、俺は絶対に許さねェ!!』
「ま、待って! 待つんだみんな! こんなの絶対おかしいよ! 僕別にモテてるわけじゃないよ!? ただみんなより少しだけ、女の子と関わる機会が多いってだけで……!!」
かつての同級生と同じ声音で怨嗟の念を垂れ流す化け物たちに、夏樹は必至の弁解を試みる。
勢いに任せて口にした言葉だったが、実際問題として夏樹と彼女らの間には、特に何かがあったわけでもない。
夏樹が誰かから想いを寄せられているとか、ラブコメ的なラッキースケベがあったとかでもないのだから、羨まれる理由などどこにも――
『『『逝ッテイーヨ!!』』』
「今の僕って、そこまで言われるほどの悪なのかなぁっ!?」
全化け物から一斉にサムズダウンを向けられた。
どうやら、夏樹の想像以上に羨ましい環境だったらしい。
『『『ヒウィゴー! カクゴ! 乗っ取り☆ゴースト!!』』』
「乗っ取るって何、皮を剥ぐの!? ちょっと待っ……!!」
かつての同級生と同じ声を発する三体の化け物が、恐ろしげなセリフとともに飛び掛かってくる。
恐怖に硬直して体を動かすことすら出来ない夏樹の前に、鍵型の武器を召喚したユーリエが庇うようにして立つ。
一斉に跳び蹴りを放った化け物たちが驚きの声を上げるより早く、その巨体を真紅の爆炎が吹き飛ばした。
『『『――ァァァァァァァァァァァァ!!』』』
「ぎゃぁぁーーーーっ!! 化け物の姿とはいえ、僕の元同級生たちと同じ声の人たちが爆散したぁーーーーーーっ!?」
「そんなことより、今の炎は……」
「『そんなこと』じゃ全然ないよ!? あんなでも一応、中身はたぶん僕の昔のクラスメイトだよ!?」
思いの外ドライなユーリエの発言に突っ込みを入れてから、夏樹も炎の飛んできた方向を確認する。
もっとも、炎を操ることのできる能力を持つ者など、夏樹の知る限りでは一人しかいない。
大方の予想通り、真紅の刀身が煌めく鍵型の武器を携えた、不機嫌そうな顔の檸檬が――
「……別に、夏樹のためじゃないから。私はユーリエを助けたかっただけで、夏樹のことなんかどうでもよかったんだから、勘違いしないで」
「って檸檬っ!? 何で檸檬が紅い目の子の武器を持ってツンデレ化してるの!?」
大方の予想は合っていたが、予想の根幹が外れていた。
夏樹の突っ込みの中に分からない言葉があったようで、ユーリエは首を捻りながら『つん……?』と呟いている。
その呟きに続くように、爆炎に包まれて散ったはずの化け物の同級生声が暗く響く。
『ク、ククク……これで終わりなもんかよ……俺たちの戦いは、まだこれからだ……!』
「……まさか……まだ劇場版が……!?」
「いや杞憂過ぎるでしょ!! 何で檸檬そんなに自信で満ち溢れてるの!?」
セリフの内容的にはむしろ、打ち切り感すら漂っていたが。
『春休み編が終わって学校編が始まりゃ、お前はもう逃げられねェぜ、六連星ィィィィ……! 裏切り者のてめえに、もはや安息の地は無ぐぺッ!!』
「なつき、れもん、大変で……あら? 今、何か踏んだような……?」
「潰されたぁーーーーーーっ!! 喋ってる途中だったのに、僕の同級生と思しき化け物がエルフィーレさんに踏み潰されたぁーーーーーーっ!!」
現在は鍵型の武器の能力による体重の増加は無いはずなのだが、エルフィーレに踏まれた化け物最後の生き残りは、子供がうっかり踏んでしまった泥団子のようにぐしゃりと潰されてしまう。
エルフィーレは何を踏んだのかと足元を確認するが特に気にした様子もなく、さっさと夏樹たちに向き直って自分の要件を告げる。
「それより大変です、なつき、れもん。お二人の自宅に、また新たな鍵使いがやってきました」
「二人……まあ、エルフィーレさんから見たら、そう見えるのか……ていうか、鍵使いってすごく言いやすいね」
「……分かった、すぐ戻る」
今度から僕も、鍵型の武器の使い手のことはそう呼ぼうかな、などとピントのズレたことを考える夏樹をよそに、檸檬は頷いて駆け出し、麓に下りる道の入り口へと消える。
エルフィーレも夏樹に一礼するとその後に続き、再び静寂がその場を満たす。
心地良いそよ風の奏でるさざめきが、鈴を転がしたような声を交えて、夏樹の耳をくすぐった。
「……なんだか今の、ちょっと懐かしかったですね」
「えっ? えっと……化け物を踏み潰したのが?」
「そこはどうでもいいんです。むしろ積極的に忘れたいんです」
ユーリエが『懐かしい』と評した何かが分からない夏樹が予想を口にした途端、表情を無くした空虚な瞳で、ユーリエが機械的に首を振る。
はたしてどういう意味でどうでもよくて、どういう理由で積極的に忘れたいのだろうか。
生き物(……生き物?)が踏み潰されるというシーンがわりとグロかったから、触れたくなくて早く忘れたいという意味なら夏樹も諸手を上げて賛成なので、夏樹は特に指摘せずにユーリエの言葉を待つ。
そうじゃなくて、と仕切り直すように言って、ユーリエは続けた。
「いきなり黒い悪魔に襲いかかられたのが、です。初めてあの地獄に落ちたときも、黒い悪魔に襲われて……あの時は私、怖くて動くことすらできなかったんですよね」
「あぁー……まあ、それは仕方ないんじゃない? 僕だって今回は動けなかったし、あの時だって、最初に偶然ユーリエを助けられたから勢いづいてただけで……そうじゃなかったら、ユーリエと変わらなかったと思うよ?」
実際に、あの時だって夏樹は、何かができたわけではない。
怯えて竦むユーリエの代わりに戦うことも、恐怖に硬直するユーリエを連れて逃げ出すことも。
紅い瞳の女の子との戦いは一歩間違えれば死んでいたし、その後の数々の戦いも、ユーリエが力を貸してくれなければ、勝負の土俵に上がることすらできなかった。
動くことができたって、何もできなかった。
エルフィーレと鍵型の武器を交えた最後の戦いだって、無事に終えることができたのはユーリエのおかげだった。
「それは違います、なつき」
穏やかに、けれどばっさりと。
夏樹の独白をユーリエは否定した。
「なつきを守ろうって思う使命感はありましたけど、それだけじゃ、あんなに必死になつきを守ったりできなかったと思います。恐怖に竦んだ私を、なつきが助けようとしてくれたから……敵のことさえ守ろうとしちゃうなつきだったから、私はなつきのために、一生懸命頑張ろうって思えたんです」
夏樹の一生懸命な空回りに、私もユーリエも、いっぱい元気をもらってる。
ユーリエを守ることができず、自分のしてきたことは無駄だったと俯いていた夏樹に、檸檬がくれた言葉を夏樹は思い出す。
あの日の檸檬の晴れやかな笑顔が、ユーリエの微笑みに重なって見える。
「いつも迷ってばかりいた私の手を、なつきが力強く引いてくれたから、私はあの人と戦うことができた。どんなときでも真っ直ぐになつきが進むから、私もその先の明日を信じて戦えたんです」
立ち上がって砂を払うと、ユーリエは微笑みとともに、夏樹に手を差し出す。
夏樹がその手を掴むと、ユーリエは夏樹の手を引いて、夏樹を立ち上がらせる。
夏樹がお礼を言うと、お互い様です、と言って、ユーリエは笑った。
「さあ、それじゃあなつき、そろそろ行きましょうか」
「え? 行くって……どこに?」
唐突なユーリエの言葉に、夏樹は思わず面食らう。
ユーリエは迷いの無い足取りで広場を横切ると、反対側にある、麓に下りる道の入り口に立って、くるりと夏樹のほうを向いた。
「私たちの旅路の、終着点へ。れもんもそこで、私たちの帰りを待っています」
世界と言語を隔てた少年少女の歩み寄る物語は、まだ終わっていませんから。
そう言ってユーリエは、ひょいと麓に下りる道の入り口の中に消えていった。
「……そうだね」
微笑みとともに呟いて、夏樹も麓に続く道へと、足を踏み出した。
始まりの日から今までに、分かったことなんてほとんど無い。
謎はそこかしこに転がったまま放置されているし、言葉の壁は相変わらず厳然とそびえ立っている。
それでも、夏樹たちは走ることを止めたりはしないだろう。
壁の向こう側でもう一度、壁越しに出会った大切な人たちと出会える、その日まで。




