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そわか  作者: 空雲雛太
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第四十九話『相解(そわか)』

 はっきりと『ユーリエが怒っている』と感じたのは、初めてのことだった。

 初めて黒い異空間を彷徨(さまよ)った時も激情を露わにしていたが、あれはどちらかといえば、抱えきれなくなった悲しみや絶望を吐き出していたように、夏樹は思う。

 その後も度々紅い瞳の女の子やシスターと言い合う場面は見てきたが、あれらは夏樹には、感情ではなく理性によって、相手の言葉に反論しているように見えていた。

 無論、夏樹がそう感じたというだけの話であって、実際はそのどれもが、ユーリエの怒りが爆発した結果だったのかもしれない。

 けれど、それでも夏樹は今、初めてユーリエが『怒っている』と感じていた。


「……インイレネンニミヘルヘメイ……」


 感情を抑え込もうとしているような、普段のユーリエと比較すれば低い声で、ユーリエが呟く。

 どうやらシスターから見たユーリエの人物像も夏樹のそれと大差ないらしく、シスターは未だに驚きから抜け出せないでいる。

 呆然とするシスターと、どう動くべきか分からずにおろおろする夏樹に構うことなく、怒りの込められているらしいユーリエの呟きは続いていく。


「ミンリウミンネヘミネイニレ、ユヘミニテなつきニリヒペネ、ユレミレメン。ヘレメ、ユヘミネヘヘミイヘネンヘ、ニヘレウフリミテエミレメンミ、ユヘミニリヒペユミンチヘルヘメイ、ヒリリウメレメン……レメヒっ!!」


 ユーリエの声に、どんどん涙が(にじ)んでいく。

 背中越しであっても、震える肩の向こうでユーリエがどんな顔をしているのか、容易に想像できる。

 堪えていた感情に再び火が付いたように、ユーリエの声にいっそう熱が込められる。


「なつきニユメミメユウヘネウニテ、ユレヘルヘメイっ!! チミンニリヒユリミミウヒミヘ、イリュウヒニリヒメエヘムレユウヒミヘイヘなつきニリンリミニエヘンヘレメユ、ウヘネユネイヘルヘメイっ!! なつきニユメミメユ……なつきニイニミユチヘイムムユウネチヒテ、ユ……ユヘミネ……! ユヘミネユムミミレンレメっ!!」


「………………っ!!」


 ユーリエの言葉が終わった瞬間、弾かれたようにシスターが動いた。

 振り上げた片手を勢いよく振り抜いて、ユーリエの頬を張る。

 ぱあん、と、乾いた音が再び響いて、今度はユーリエがよろめいた。


「ユーリエっ!」


「……ユムメネイ……!? ミメテユヘミニリヒペヘム!!」


 仲裁に入ろうとして四肢に力を込めた夏樹の足を、シスターの声が縫い止める。

 まるで悲鳴のようなその声が、瞳から溢れた涙に濡れるその表情が。

 始まりの日に、黒い異空間で心をすり減らせて自暴自棄になっていた、ユーリエの姿と重なる。

 理由は分からない。

 原因が特定できないほど、心当たりはたくさんある。

 ただ一つ、確かなことは……シスターの心がすでに、限界まで疲れ切ってしまっているということだ。


「ユヘミテ、ミュウヒウチュヘムユ!? ミュウヒウインヘリ、レイニヒレンレムリヒネル、イニミユメンメネヘリレミヘ! ミンリウミンヘツヘ、リンネニリテンヒネメムルメイニエフレツヘニニ……! ミニチヒテユヘミニリヒユ、ヘムレヘルメネレツヘ!!」


 慟哭を上げるように、シスターが叫ぶ。

 たった一人で抱え続けた思いが、奔流となって溢れ出す。

 戦うための手段が無かったとはいえ、黒い化け物の相手を押し付けて逃げ出してしまったことや、紅い瞳の女の子との戦いを仲裁した時に、シスターと敵対するような行動を取ってしまったことが、夏樹の頭によぎる。

 シスターは、とても強い女性だった。

 黒い異空間に置き去りにされてなお、夏樹と再会しても嫌な顔一つせず、檸檬に追われる夏樹を助けようとしてくれたり、夏樹の手荷物を持ったりしてくれた。

 たくさん助けてくれたシスターを、いざというときに助けてあげることができなかったことが、今さらながら悔やまれる。

 夏樹はシスターの優しさに、甘えてしまっていたのだろう。

 シスターとのすれ違いはきっと、だから起こってしまったのだ。

 やっていられないとばかりに疲れた笑顔を浮かべて、シスターは弱々しく言葉を紡いでいく。


「……エニイリュウヒリミウヘムネ……エネヘヘツヘ、リュウレイニリニヘテエミレメンユネ……? ヘヒツムレイユリヘイメペ、エネヘネヒリレニルメニ、テイピンネルムレヘエムリヒテユレミレム。……テツヘイニユヘミニチウネ、レミメレテニミンリウミンテエフイテツネニニ……ヒウミヘユヘミヘテネル、エネヘネニヘムレ……!? イフレルルユメムリヒユミンチヘ、メンメネフフレヘリヘイニミネルルユメネレツヘイレ……ユヘミニネニユミンチミヒ、エネヘテニペムニヘムレ……!」


「なつきニリンリミネユレメネイニネメ! なつきヒルリエツヘ、レイユミヘルヘメイ!!」


 言葉を紡ぐたびに俯いていくシスターに、ユーリエが一喝する。

 シスターと、突然名前を呼ばれた夏樹が驚いて、ユーリエを見る。

 ユーリエは真っ直ぐにシスターを見据えて、ありったけの想いを込めたと言わんばかりの大きな声で、シスターに心の内を語っている。


「ヘヒエなつきニリヒペネユレメネルヘリ、ヘヒエなつきニリヒペネフヘユツヘイネルヘリ!! なつきニリヒペユミレイミユウヒムムヒミュルユ、なつきニリエユヒヒレユウヒムムヒミュルユ、チウリミネイヘルヘメイっ!! なつきテイフヘツヘ、ユヘミヘヒユミレイミユウヒミヘルメヘイレム! ユヘミヘヒニミレイユ、ユヘミヘヒニリエユ、イフレヘヘツヘ、レツヘイヘルメレムっ!!」


「……あの、なんか僕の名前が五回も呼ばれてるんだけど……ユーリエ、一体何を言ってるの? 僕のことをどんな奴だってシスターさんに説明してるの!?」


 檸檬が言っていたような内容だったらどうしようとそわそわし始める夏樹を、振り向いたユーリエの視線が射抜く。

 相変わらず表情は拗ねているようにしか見えないが、今までのは本当に拗ねていただけだったのではと思わされるほどの剣幕に夏樹は思わずたじろぐが、ユーリエにそれを気に()めた様子は無い。

 憤懣(ふんまん)()(かた)無いといったふうに、つかつかと夏樹の背後に回ったユーリエは、そのまま夏樹の背中を押して、シスターの前に夏樹を押し出した。


「ちょぉぉぉぉぉぉいっ!? ユーリエ、いきなりどうしたの!? ヤバいって、僕シスターさんから嫌われてるんだから、殺されちゃ……」


「ユヘミネテチレヘ、エニレツルミネペミュニイヒヘ、ネネユミニネツヘイヘヒリリ! なつきニリヒユメフネイミユウヒミヘイヘ、エニイリュウヒニインネニリニリヒリ! なつきテヒヒメリリムヘネイヘ、レンレイニリヒペユレユミウヒミヘルメレミヘ! エネヘネリンリユレヘルレメエムメペ、なつきテエネヘニリヒヘツヘ、ヘムレヘルメムニヘム!」


 唐突に訪れた絶体絶命の危機に大慌てする夏樹の背後から、ユーリエはシスターに声を投げかける。

 対するシスターは夏樹と同じく、ユーリエの行動に動揺しているように見えるが、根っこの部分は大きく異なるらしい。

 命の危険に怯える夏樹を、シスターは困惑しているような、迷っているような眼差しで見つめている。

 その様子に、かつてのユーリエの姿を見た夏樹は、ようやくユーリエが何を言いたがっているのかを理解する。

 恐怖に波立っていた心が凪いでいき、夏樹はシスターと向き合う。

 びくり、と体を竦ませるシスターに、夏樹は再び、笑顔を向ける。

 いつか、ユーリエと初めて『会話』をした時のように。

 ここから、分かり合うことを始めようという、親しみを込めて。


「……夏樹。ナツキ、ムツラボシ」


 とんとん、と自分の胸を指で突いて、夏樹は名乗る。

 度々ユーリエが使っていたから、シスターは夏樹の名前を知っているかもしれない。

 けれど、相手の名前を尋ねる時は、最初に自分が名乗るものだと、夏樹は思っている。


「僕は、夏樹です。あなたは?」


「……………………?」


 自分を指差すのに使っていた手を広げて手のひらを向けると、シスターの瞳が、はっきりと困惑に揺れる。

 小さく左右に首を振る仕草は、理解できない、というシスターの声を想像させる。

 大丈夫。

 ユーリエの時だって、最初は似たような反応だった。

 夏樹は笑顔を崩さず、もう一度自分の胸を指で突いて、自分の名前を繰り返す。


「なつき。僕の名前は、夏樹。シスターさんの、名前は何?」


「…………ユヘミテ……」


 まだ、夏樹に対するわだかまりを捨てきれないらしく、シスターは逡巡している。

 ぎゅっと目を閉じたシスターは、神様にお祈りをするように両手を組むと、小さな声で何かを呟き始める。

 差し出すような形でシスターに向けている手のひらをそのままに、夏樹は辛抱強く待ち続ける。

 呟きが終わり、シスターが顔を上げる。

 夏樹が笑顔を向けたまま小首を傾げると、シスターはどこか、諦めたような笑みを浮かべた。


「……エルフィーレ」


「えっ……」


 シスターの口からこぼれた言葉を、夏樹は思わず聞き返す。

 シスターは可笑しそうに微笑むと、自分の胸元を指で突いて、繰り返した。


「エルフィーレ・エルメリヒ。……エミネヒウニテイレム、なつきメレ」


 ……ようやく、辿り着いた。

 迷いながらも歩き続けた道の果てに、ようやく夏樹は望んだ未来を掴めた。

 溢れ出そうになる感情を拭い取って、夏樹はシスターに……エルフィーレに語りかける。

 ユーリエの時と同じように、敬称(推定)を、外してもらうために。


  ◇


 ……と、物語なら綺麗に(?)締め(くく)られるところだが、現実は命ある限り続いていく。

 激動の非日常が閉幕しようとも、時間の流れは途切れることなく続いていき、人はその中を生きていかなければならない。

 そして、人が生きていくためには、お金が必要なのだ。


『……で? 結局のところ、何が言いたいのかしら?』


「……新しい家族が増えたので、仕送りの生活費を増やしていただければと……」


『ふざけんなコラー!!』


 さすがに怒られた。

 母から見れば、息子が短期間で二人の見知らぬ外国人を家に連れ込んでいる図なので、あまりにも当然だが。


『何なのよアンタは、日本中のホームレス少女を拾い集めてハーレム作るつもりなの!? ウチだって裕福なワケじゃないんだから、幾ら事情があったってそんなほいほい拾ってこられても面倒見れないの!!』


「す、少しの間だけお願い! 僕と檸檬とユーリエたちがアルバイトして、二人の分の食費とかを稼げるようになるまでの間だけでいいんだ!」


「……ちょっと待って夏樹、何それ私聞いてない……!」


 必死になって食い下がる夏樹がとっさに口走った言葉に、隣で事の推移を見守っていた檸檬にも動揺が走る。

 シスターから『エルフィーレ』という名前を聞いた後、夏樹は自分の呼び名に付いていた敬称を外してもらってから(エルフィーレは生真面目で融通が利かないらしく、交渉は難航した)家路についた。

 すっかり日が沈んで暗くなった玄関の前で、予想される檸檬からの折檻に怯えて扉の前で二の足を踏む夏樹の様子に、ユーリエは苦笑いを、エルフィーレは怪訝そうな顔をしていた。

 意を決して夏樹が扉の前に立った瞬間、扉が勢いよく開かれる。

 恐怖で硬直した夏樹を、涙のにじむ瞳で射抜いていた檸檬が、ふっと上を向く。

 どうしたのかと思った次の瞬間、檸檬は夏樹めがけて自分の頭を振り下ろした。


「痛ぁっ! ちょっ、待っ……」


 夏樹の言葉が後に続かなかったのは珍しく、檸檬にしばき倒されたからではなかった。

 夏樹の背後から、ユーリエとエルフィーレの色めき立つ気配が伝わってくる。

 頭突きで怯んだ瞬間、檸檬が夏樹の背中に、両腕を回したからだろう。


「……えっ……ちょっ、えっ!? れれれれれ檸檬!? 何これ、どういうこと!? もしかして僕、このまま背骨折られるの!?」


「……そっちのほうがいいなら、そうするけど……」


「大丈夫です、是非このままでいさせてください!!」


 背骨を守ろうとして夏樹は反射的に答えるが、この言い方だと『もうしばらく抱きしめていてください』という意味にしか聞こえないことに、セリフを言い切ってからようやく気付く。

 あまりの恥ずかしさに、いっそ殺してくれという叫び声が夏樹の胸中に木霊(こだま)する。

 そんな夏樹の様子を察して楽しんでいるのか、檸檬ははにかんでいるような、甘いささやき声で夏樹の耳をくすぐる。


「……じゃあ、もう少し、このままで」


 背後ではしゃいでいるユーリエとエルフィーレに、かなり理不尽な怒りが燃え上がる。

 のぼせそうになるほど体が熱いのがその理不尽な怒りのせいか、それとも羞恥のせいか、檸檬の体温のせいか分からなくなり始めた頃、ぱっと檸檬が夏樹から離れた。

 檸檬と触れ合っていた部分の余熱と、そこに入り込む夜風の冷たさを感じながら、夏樹は檸檬の顔を見る。

 その顔に、貼り付けたような笑顔が浮かんでいるのを認めた時、夏樹は再び恐怖で硬直した。


「……ところで夏樹。女性の方が一人、増えているように見えるのだけど」


 笑ってない目で夏樹を見据えて、抑揚の無い声で檸檬が言う。

 今の今まで抱きつかれていた夏樹が、当然逃げられるわけもなかった。


「……どういうことか、説明して」


 母親との電話を終えた後、檸檬はその時と同じように、感情の乏しい表情に(かす)かな怒りをにじませて、夏樹に問う。

 夏樹もエルフィーレを連れ帰ったことに対する説明を求められた時のように、その場に座って土下座の体勢で話し始める。


「いやあの、つい勢いでというか……ほら、みんなで一緒に働いたほうが、きっと楽しいというか……」


 とっさのこととはいえ、檸檬を巻き込んでしまった罪悪感からか、動機を語る夏樹の口調はしどろもどろだ。

 夏樹やユーリエ、エルフィーレとは違い、檸檬は本来、この件には関係がない。

 夏樹は自分で始めたことの責任を取るために、ユーリエとエルフィーレは自らの食費やお小遣いを稼ぐために働くのは必然であっても、檸檬には夏樹が拾ってきた赤の他人の生活費のために謂れはない。

 檸檬は、土下座のままごにょごにょと言葉を続けている夏樹をしばらく見下ろしたあと、小さく嘆息してから、沙汰を言い渡した。


「……反省したなら、次からはきちんと、最初に一言言って」


「はい、必ず相談させていただきます!」


 土下座のまま、ハキハキと返事をする夏樹に、檸檬は脱力したように微笑んで、もう一度嘆息する。

 これでようやく、全ての問題が解決したと安心して立ち上がった夏樹に、檸檬が声をかけた。


「……一つだけ」


「ん?」


「……一緒に働く、代わりに……一つだけ、私のお願いも聞いて」


「え……うん、いいけど……」


 もう自分から危険に首を突っ込まないとか、そういったことだろうか?

 今までの檸檬の言葉から夏樹はそんな想像をするが、今までの自分の行いを振り返ると、いざとなったときに反故にする可能性を否定できない。

 また檸檬を悲しませるのは嫌だなと、夏樹は続く檸檬の言葉に身構える。

 けれど、檸檬が提示した『お願い』は、夏樹の予想外の、何てことの無いものだった。


「……人が増えたから……ご飯、作る時に一緒に料理して、手伝ってほしい」


「……へっ……? そんなことでいいの?」


「………………ん」


 拍子抜けして尋ねる夏樹に、檸檬は顎を引いて頷き、上目遣いに夏樹の返答を待つ。

 どこか恥ずかしがっているようにも見えるその顔を直視することができず、夏樹は僅かに視線を泳がせながら答えた。


「……あ、うん。もちろん、それくらいならお安い御用だよ!」


「……約束、だからね」


 夏樹の返答にそう念押しすると、檸檬は珍しく、本当に珍しくはっきりと笑顔を浮かべて、テレビの前に釘づけになっているエルフィーレのほうに歩いていった。

 驚いて呆然としている夏樹に、今度はユーリエがとてとてと近づいてくる。


「……れもんテリンリミレメ、なつきニリヒユ、イミヘイミヘイムニヘムネ」


「へっ? あー、うん。今回はなんか、あんまり怒られなかったね」


 何だか嬉しそうというか、楽しそうな表情と声音で何かを言ったユーリエに、夏樹は思わず、何を言われたのかを推測する前に、思いついたことを反射的に言ってしまう。

 言ってから、そういえば檸檬が、夏樹がユーリエの助けになれないと弱音をこぼした辺りから、何だか穏やかになっているような気がする。

 エルフィーレのことを手のひらで指し示して、エルフィと呼んでいる檸檬を見ながら、夏樹は思う。

 みんな、少しずつ変わっていく。

 人が増え、雰囲気の変わったリビングの中で、夏樹は明日の変化に思いを馳せて微笑んだ。



 お疲れ様でした!


 拙作『そわか』は、この話とエピローグを以て完結となります。

 エピローグはユーリエの視点からプロローグ(の、少し前)を語るお話になっています。

 ……皆様のユーリエさんに対するイメージを損ねてしまわないかと戦々恐々ですが、よろしければそちらもご覧になってみてください~。

 最終話までのご愛読いただいた皆様、ブックマーク登録してくださった方や高い評価点をくださった方、本当にありがとうございました!


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