第四十六話『悲壮』
変化は、最初から訪れた。
鍔の部分に空いた鍵穴に、水晶のように透明なガラス玉が飾られた小さな鍵を差し込んで捻ると、がちゃり、と音を立てて刀身が外れるのに伴い、足下に魔法陣らしきものが現れたのだ。
「えっ……ちょっ、何これ!? 必殺技の発動時にだって、こんなエフェクトなかったよね!?」
当惑する夏樹を置き去りに、状況は変化を重ねる。
魔法陣から溢れ出た不思議な力が、幾筋もの光となって吹き荒れ、夏樹の周囲に渦巻き始める。
髪をなびかせる不思議な力の奔流の中で、夏樹は想像以上の大きな変化にうろたえる。
もしかしたら、自爆系のスキルだったかもしれない。
普通に普通の攻撃技だったとしても、必殺技よりも強力な破壊を生み出すスキルなら、規模によっては夏樹たちも巻き込まれてしまうかもしれない。
正体不明の能力を前に怯んでしまった夏樹の背中を押したのは、脳裏に直接響くユーリエの声だった。
『ムニイ……ヒレメネイツリニユウニユイヘルム……! リメネメリツヒ、エニチヒニヘツヘレヘレム、なつき!』
驚きと喜びの入り混じったようなその声が、夏樹の心を覆っていた未知への恐怖は氷解する。
内容の分からないユーリエの言葉が、それでもきっと、この能力に危険は無いと、信じさせてくれる。
言葉の壁に阻まれながらも共に過ごした時間の中には、そう思えるだけの根拠で溢れている。
意を決して、夏樹は外れた刀身を鍔に再装着する。
瞬間、周囲を渦巻く光が夏樹の体に集中し、ガラスの砕けるような音を立てて弾けた。
「………………っ! ネンヒミヘ、レリメレニフレイヘエムレニニヒルツムレウニユ、ユレネイフリミヘムレ……っ!!」
目を見開いて夏樹の変化に驚いていたシスターが、くしゃり、と顔を歪めて、唸るような呟きをこぼす。
足、胴体、そして頭。
ユーリエの瞳の色と同じ、紫を基調とした鎧に覆われた体の各部を夏樹も、それが自身の体であることを確認するかのように眺め回す。
「……変身、した……? ってことはもしかして、鍵型の武器の出力も……!」
ユーリエと手を取り合うだけでも、夏樹がスキルの一端を借りることができた。
ユーリエが姿を変えた鍵型の武器は、夏樹に十全のスキルを貸してくれた。
ならば、ユーリエが夏樹ごと変身した今、鍵型の武器の力は、十二分に発揮されているのではないだろうか。
夏樹は普段から使っていたほうの小さな鍵を取り出し、鍔の部分に空いた鍵穴に差し込んで捻る。
がちゃり、と音を立てて外れた刀身を装着し直して、夏樹は自分の想像が間違っていなかったことを確信した。
「すごい……! たった一回の操作で、こんなにでっかい光の剣が……! これなら、シスターさんとだって、きっと……!」
強敵と渡り合える力を得た安堵に声を震わせる夏樹に、シスターが一歩、歩み寄る。
溢れ出る感情を塗り潰そうとしているみたいに顔をしかめて、地面を踏みしめるようにゆっくりと、歩を進めてくる。
夏樹は光の大剣を纏った鍵型の武器を構え、シスターに肉薄するつもりで力強く地面を蹴る。
しかしユーリエのスキルによって強化された脚力は、鎧を纏っているとは思えないほどの速度を生み出して、夏樹は自分の速度に足を動かすのが追いつかず、激突したシスターを巻き込んで転んでしまった。
『なつき、イレネテネイヘムレ!?』
「いった……! 鎧で音が反響して、耳が……っ! ユーリエ……は、とりあえず平気そう……かな?」
変身後は痛覚などが失われるのだろう、夏樹の名を呼ぶユーリエの声に、痛みを堪えるような響きは無い。
ひとまずユーリエは無事らしいと確認して胸をなで下ろした夏樹は次いで、鎧を纏った夏樹に激突されたシスターに、怪我がないかを確かめる。
どうやら酷い怪我を負ってはいないようだと分かってほっとする夏樹の耳を、生き残っていた最初の化け物の咆哮が震わせた。
「――ァァァァァァァァァァァァ!!」
「……………………ッッ!! うるっさ……っ!?」
スキルによって強化された聴覚が訴える痛みに、夏樹は鎧の上から耳を押さえる。
効果のほどが分からなくとも、鼓膜を苛む大音声から逃れようとする夏樹を、さらなる轟音が包み込む。
一体、二体、三体……。
左右の黒い箱の山の上や、最初の化け物と反対側の通路上に、次々と新たな化け物が落ちてくる。
一体、また一体と着弾して、地面と空気を震わせる。
夏樹とシスターをぐるりと囲むように落ちてきた化け物の群れは、まるで勝ち鬨を上げるかのように、一斉に咆哮を上げた。
「「「――ァァァァァァァァァァァァァァァァ!!」」」
「~~~~~~…………っ!!」
「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!! 耳が!! 耳がぁぁぁぁぁぁっ!!」
『なつき、ヒウネメツヘニヘムレ!? ミツレミミヘルヘメイ、なつき!!』
身体能力強化の恩恵を受けていないシスターですら耳を覆うほどの騒音に耐えられず、夏樹はのた打ち回る。
それを狙っての行動だったのか、あるいは獣が遠吠えをするような、本能的な行動だったのか定かではないが、まるでその隙を突くかのように、黒い箱の山の上から化け物の群れが一斉に、夏樹とシスター目掛けて飛び降りた。
「………………っ!! シスターさん、ごめんっ!」
「っ!?」
鼓膜に残響する化け物の咆哮の痛みを振り払い、夏樹はシスターを抱き上げる。
自分よりも大きな岩を持ち上げたかのような錯覚に襲われながら、夏樹はシスターを横抱きにした状態で、通路上に一体だけしかいない、最初の化け物のいる方向に向かって走り出す。
化け物の巨体が地面を打ち鳴らす音を背中に浴びながら、夏樹は最初の化け物の股下に滑り込んで潜り抜け、増援で現れた化け物の群れと合わせて、全ての化け物を視界に捉える。
「リニ……っ!! イリュウニエルレネ、ユヘミニツメネイヘ! イレムヌチレンニイミミネメイ!!」
「分かってますって、もう離しますよ! シスターさん、見かけによらず、めちゃくちゃ重いし……!」
「エネヘネネンヒイツヘニレテユレミレメンレメヒ、ミニテフネンテネンヒネル、チュメイテニリンリミルペミネヘミヘイネイユウニイリイレム!!」
どうやらよほど嫌われているらしく、如何なる理由があろうと夏樹に抱えられるのは嫌だと言わんばかりに暴れるシスターに悪戦苦闘しながら、夏樹はゆっくりと、シスターの体を下ろす。
一刻も早く夏樹から離れたかったらしいシスターは、地面に腰を下ろす前に夏樹の腕の中から転げ落ち、夏樹はその隙に、シスターに噛みつかれまいと逃げるように、化け物の群れへと突進した。
一番手前にいた、最初の化け物に光の大剣を振り下ろし、一刀両断する。
小さな箱状の粒をまき散らして割れた化け物の体の間を通り抜け、奥にいた何体かの化け物を、まとめて逆袈裟斬りにする。
豆腐みたいに容易く引き裂かれ、あっけなく崩れ落ちた化け物の体を飛び越え、その先の黒い化け物の一群を鍵型の武器で薙ぐ。
倒れ伏して折り重なり、通路を塞ぐ化け物の屍を鍵型の武器の一振りで吹き飛ばし、開けた道を駆け抜けて、最後の化け物の一群を斬り伏せた。
「……よしっ! これで残るは……」
『っ!! なつき、ウミミレメリウネリネリレム!!』
「へっ……ぇへあぁっ!?」
切迫したユーリエの声を不思議に思って振り向くと、物凄い勢いで飛来してきた何かが目に映った。
慌てて避けようとした夏樹は、勢い余って転んでしまい、地面に背中を強打する。
がしゃん、と飛来物の落下した音を聞きながら体を起こして、夏樹は涙のにじむ目で飛来物を確認する。
夏樹目掛けて飛んできたそれは、緑色に輝くガラス板の刀身を持った、鍵型の武器だった。
「緑色……ってことはこれ、シスターさんの……?」
なぜそんなものが、と続ける間もなく、シスターの鍵型の武器はガラスの砕けたような音とともに弾けて消える。
鍵型の武器は、例え手放されても、自動的に持ち主の手に返る能力がある。
そのことを思い出して、はっとした夏樹はシスターに視線を戻す。
夏樹を睨むシスターは、手元に戻ってきた鍵型の武器を握る手をだらりと下げて、そのままその場でくるくると回り始めた。
地面をがりがりと削っていた切っ先が、遠心力の働きによって、ふわりと持ち上がる。
鍵型の武器が肩の高さまで上昇する頃になると、シスターは鍵型の武器を握っていた手を離し、ハンマー投げのようにして、鍵型の武器を投擲してきた。
「うわぁっ!?」
放たれた鍵型の武器は夏樹より手前の壁面を抉って突き刺さる。
方法が方法だけに、命中率はさほど高くないらしいが、だからといって攻撃されるままになっているわけにもいかない。
攻撃準備の整うまでが長過ぎることと、命中率の低さを鑑みれば、撃ち合いでも充分優位に立てるが、夏樹は頭を振って、その案を却下する。
夏樹はシスターに、勝ちたいわけじゃない。
双方が傷つくことなく戦いを終えること、そしてあわよくばもう一度、馬鹿馬鹿しい日常の中で、一緒に笑顔になってほしい。
そんな未来を掴むことが夏樹にとっての勝利であり、そのためには自分の優位を活かして賢く戦うのではなく、相手の土俵で泥臭く戦って圧倒し、自分の手札が何一つ通じないと思わせなければならない。
「こうなる前のシスターさんが相手なら、全裸になったらそれで戦意を挫けそうな気はするけど……鎧があるから服は脱げないし、今のシスターさんが相手だと、確実に火に油を注ぐだけだよなぁ……」
『……ヒウミヘヘミュウ。ユヘミテイレ、ネテレリンリミニミリレメエンヒミヘイレム……』
壁面に突き刺さった鍵型の武器が、ガラスの砕けるような音とともに弾けて消えて、シスターの手元に戻る。
夏樹はユーリエのスキルによって強化された脚力で、力の限りに地面を蹴って、シスターに迫る。
鍵型の武器を素早く振り回すことのできないシスターは、忌々しそうに顔を歪め、鍵型の武器を持ち上げて防御の構えをとる。
極限まで身体強化能力の恩恵を受けている今の夏樹なら、それを避けて打ち込むことは可能だろう。
それでも夏樹には、その選択肢を選ぶことができなかった。
「……………………っ!!」
上段から振り下ろされた鍵型の武器を、シスターも受け止める。
ぎちぎちと音を立てて鍔迫り合いが続くが、均衡は長く続かない。
少しずつシスターの膝が折れていき、夏樹がシスターを見下ろすような形になっていく。
悔しそうに顔を歪めたシスターは、鍵型の武器を斜めにずらして鍔迫り合いを放棄し、夏樹の攻撃を受け流す。
標的を見失った夏樹の鍵型の武器が、勢いよく地面を叩く。
その隙に斬り返そうとしたらしいシスターだったが、重そうに振るわれる鍵型の武器は、お世辞にも速いとは言い難い。
夏樹はシスターが鍵型の武器を振りかぶっている間に体勢を立て直し、じっくりと太刀筋を見極めて、シスターの反撃を受け止めた。
「………………っ! ~~~~~~~~っ!!」
「くっ……! 無駄……だよっ!」
予想以上の衝撃に夏樹は思わず呻くが、強化幅の上限が上がっているユーリエのスキルのおかげで、押し負けたりはせずに踏みとどまる。
受け止めた鍵型の武器をじりじりと押し返し、シスターが鍔迫り合いを支えきれずに下がろうとした瞬間を突いて、シスターの鍵型の武器を弾き飛ばす。
完全に体勢を崩したシスターに夏樹は追撃を放ち、シスターの握っている鍵型の武器を打ち上げる。
下段からの攻撃に煽られて転倒したシスターに、夏樹は光の大剣の切っ先を突きつけた。
「……………………っ!!」
「勝負あり、だね。できればこれで諦めて、手を引いてくれると嬉しいんだけど……」
『……レンユイメレヘルヘメイ。なつきテ、リメイチュウエネヘネリツフルリヒユニチンヘイレメン』
自信なさげな言い回しになったのは、例え言葉が通じていたって、シスターがそうしてくれるとは思えなかったからだろう。
夏樹の想像に違わず、シスターは緑色の瞳を怒りに燃やして、光の大剣を腕で払い除ける。
「イリュウニエルレネ……ヒュウミニニメネイヘ!!」
攻撃力はほぼ同等で、夏樹には機動力がある。
どう見たって勝ち目なんか無いはずなのに、緑色の瞳を彩る夏樹への敵意は、一向に衰える気配を見せない。
『リメイチュウメンヒウユフフレヘ、ネンニネムツヘイウニヘムレ!? ミュウテイテ、リウリエヘイレム! イネネイヘムレメ、ヘユチイヘルヘメイ!』
「メイリュウニレツメリニリユイルミュウヒウチュヒミヘ、ユヘミテエルレニルツミヘミテミネイユ!! ヘヒエヒレメネイユペネルヘツヘ、メミヒネイヘヘリユヘミテ、エルレユヘイムユ!!」
まるで、玉砕すら覚悟しているかのような表情で夏樹を睨み、シスターが鍵型の武器を構える。
シスターと敵対してしまったきっかけの心当たりなど、夏樹には紅い瞳の女の子を庇ったこと以外に無い。
ならばシスターにとっては、紅い瞳の女の子を助けることは、ここまで憎むほどの『悪』なのだろうか。
『イネネイヘム、レンユイメレヘ!! エネヘネリツフルヘピニなつきリ、リンリミユイヘレヘイムニヘム!!』
「……平気だよ、ユーリエ」
張り裂けるようなユーリエの訴えにも、耳を貸してくれている様子はない。
言葉で解決できないのなら、方法は一つしかない。
シスターの心を挫き、希望を叩き壊し、失意の底に沈める以外に、誰の命も失わずにこの戦いを終える方法は無い。
そうして勝利した場面の想像に、夏樹は心を締め付けられる。
その時シスターは、果たして笑顔でいてくれるだろうか?
分かりきった答えから目を逸らして、夏樹も鍵型の武器を構える。
互いの心を削り合う、不毛な戦いの幕が下ろされた。




