第四十四話『再起』
緑眼のシスターは黒い化け物を一撃で粉砕するようなパワータイプで、ユーリエも『身体能力強化』というスキルの都合上、ステータス任せの戦闘スタイルになりやすい。
そのため戦いに際しては互いに搦め手を用いにくく、間接攻撃の手段は周辺の物を破壊して利用するくらいしか無い。
つまり、二人が戦えばその周囲には少なからず何らかの被害が生じているはずであり、高くて開けた黒い箱の山の上からそれを探したほうが、やみくもに走り回って二人を捜すより早いというのが、夏樹の判断だった。
辺りを見回す夏樹は、シスターとユーリエ、どちらかの鍵型の武器が地面か壁面を破壊したような音を聞いた気がして、そちらを見る。
『黒い箱の山が崩れ落ちる』などの、分かりやすい変化は残念ながら認められなかったけれど、夏樹は即座に黒い箱の山を飛び下りる。
ほんの一瞬、紫色の光が閃くのが見えた。
夏樹が駆け出すのに、それ以上の判断材料は必要なかった。
紫色の光が見えた方向を目指して、夏樹は黒い異空間の中をひた走る。
黒い箱の山の上を飛び回るほうが、速いし道に迷うこともないのだが、夏樹の身体能力では、黒い箱の山と山を隔てる、大人が二人並んで通れるくらいの道幅を飛び越えられるかどうかが怪しい。
ようやくユーリエを見つけることができたという喜びと、最短距離を突っ切ることのできないもどかしさを足に込めて、夏樹は地面を蹴る。
黒い化け物の襲撃を警戒しながらも、早く、早くと胸中の焦燥に急かされて、広くもなく狭くもない異空間の通路を駆け抜ける。
紫色の光が見えた場所を目指して走る夏樹の耳が、やがて少しずつ、ユーリエとシスターの戦う音を、途切れ途切れに拾うようになっていく。
初めは気のせいかと疑うほど微かだったそれは次第に大きくなっていき、疑念の余地もないほどはっきりと聞こえるようになってきた頃から、夏樹は少しずつ慎重になっていった。
戦いがどちらの優位に進んでいるかは断定できないが、シスターと紅い瞳の女の子の戦いを仲裁した時のことを思い返せば、楽観的な想像などできるはずもない。
早く助けにいかなければ、手遅れになってしまう。
心の中で暴れ狂う不安と恐怖を必死に押さえつけて、夏樹は曲がり角が見えるたびに身を潜め、息を殺してその向こうを確認する。
夏樹は、弱い。
その夏樹が緑眼のシスターを出し抜いてユーリエを助けるためには、『現在シスターは夏樹の存在に気付いていない』という戦術的優位を失うわけには、絶対にいかないのだ。
いくつかの曲がり角でスパイの真似事みたいな確認作業を終えた夏樹が、次の曲がり角を目指して走り出した瞬間、今までで一番大きな地面か壁面の破壊音が鳴り響く。
ようやくたどり着いたという確信に、夏樹は足を止める。
破壊音の聞こえた通路に面している黒い箱の山に飛びつき、駆け上がるようにして縁に食らいつく。
なけなしの腕力を振り絞ってよじ登り、破壊音の聞こえた通路を、慎重に覗き込む。
その時、自分が果たしてどんな顔をしていたのか、夏樹には分からなかった。
満身創痍の体で、それでも気丈にシスターを見据えるユーリエが目に映った瞬間、何か強い感情に心を埋め尽くされて、思考が一時停止する。
ぺた、ぺたと、鍵型の武器を構えたシスターがユーリエに歩み寄っていることに気が付いて夏樹は我に返り、立ち上がって素早く上着を脱ぐと、黒い箱の山を蹴って跳躍した。
空中に躍り出た夏樹の体に、自由落下の始まりを告げる停滞が訪れる。
不意を突くために、シスターの背中側で黒い箱の山の上から飛び出した夏樹の姿が、シスターの正面に立つユーリエには見えたらしい。
感情の色が吹き飛んだ瞳から溢れた涙とともに、ぽつり、と呟いた小さな声が、静寂に満たされた黒い異空間の中に響いた。
「……ヒウミヘ……?」
「――イエスっ!! ウィーキャァァァァァァン!!」
自分よりも圧倒的に強い相手に自由落下で接近する恐怖を、夏樹は力の限りに上げた咆哮で吹き飛ばす。
襲撃に気付いて、夏樹を振り仰いだシスターの頭を上着で覆い、シスターがそれを引き剥がそうとして動きを止めた隙に、足を掬って転倒させた。
「う、上手くいったかな……!? ユーリエ、今のうちに……」
「なつき、テネメヘルヘメイ!!」
シスターの間合いに入ったために緊張で震える夏樹の声を遮って、ユーリエが鋭く叫ぶ。
反射的に姿勢を低くしてユーリエのほうに飛び退くと、ユーリエはそれに合わせて、紫色の刀身を閃かせた。
二回振るわれた鍵型の武器から、霧のような淡い紫色の光が衝撃波として放たれ、夏樹に転ばされたシスターの両脇の壁面を破壊する。
壊された壁面は土砂のように崩れ落ち、倒れ伏すシスターの体を覆ってしまう。
生き埋め、というほどのものではないが、動きの遅いシスターから逃げる時間を稼ぐには充分そうだった。
「……大丈夫……だよね? ホントにあれっぽっちで生き埋めになったりしないよね……? と、とにかく早くここを離れないと……」
「……ヒウミヘ……っ! ヒウミヘリヒツヘリヘミレツヘニヘムレ、なつき!? リンネリレンネヒリミニ……イレニリウヒウヘツヘっ、エニチヒニヘイミュメメヘミレツヘイヘメ……っ! イニヒニレンレユムユウネレネユっ、イツヘイヘレリミメネイニヘムユ!?」
シスターから逃げようとして夏樹はユーリエの手を取るが、逆にその手をユーリエに引かれて、機先を制されてしまう。
案の定というか、危険を冒して異空間に戻ってきた夏樹に対して、ユーリエは相当ご立腹らしい。
涙でぐしゃぐしゃになった顔をしかめて、嗚咽を溢しながら夏樹を叱りつけている。
「ユヘミテ……っ! ユヘミテなつきニリヒユ、ウヘネツヘミレツヘニニ……っ!! なつきニリっ、れもんニリユメミルミヘリメツヘイネネメ……エニチヒニユレイニヒニ、リンリユレヘルレヘミレツヘニニ……っ! ヒウミヘなつきテ、ミンネユヘミニヘレニっ……リンネルヒュユムムニヘムレ!!」
叱責というよりも、慟哭に近い響きを帯びたユーリエの言葉を、夏樹は静かに聞き澄ます。
ユーリエの声音から、表情から、仕草から。
ユーリエの伝えようとしていることを聞き取ろうと、神経を張り巡らせる。
「……ごめんね、ユーリエ」
謝ったのはきっと、ユーリエが何と言っているのか、夏樹には分からないからだ。
ユーリエの言葉に対する解釈も、推測というよりは想像と言ったほうが正しく、それがどれほど的を射ているかといえば、恐らくはほとんど的外れだろう。
それでも、言葉が分からないことと相手を理解できないことは、決して同じではないのだ。
「せっかく僕のことを心配して逃がしてくれたのに、また戻ってきちゃったことは悪いと思ってる。でも、ユーリエが僕のことを心配してくれるみたいに、僕だってユーリエのことが心配なんだよ」
例えば、夏樹は知っている。
ユーリエは何かと遠慮がちな性格だけど、好奇心は旺盛であること。
のんびりとした優しい心根の持ち主だけど、意外とヒーローが悪を倒すような、英雄譚の類いも嫌いではないらしいこと。
ユーリエとともに過ごした時間の中で、通じないと分かっていても言葉を交わし続けたことで、夏樹はユーリエという女の子の、一端だけでも知ることができたと思っているし、ユーリエだってそう思ってくれていると信じられるくらいには、ユーリエの言葉を聞いてきたつもりだ。
「僕だって、ユーリエの笑顔のために、何かしたい。ユーリエの邪魔になることが分かってたって、たった一人で傷ついていくユーリエを放っておくなんて、できないよ」
声音や表情に気を配りながら、夏樹はユーリエに掴まれている手を少しだけ動かして、手を繋ぐようにその手を握る。
どれだけ怒られても、そこだけは絶対に譲らないよ、という決意を込めた目でまっすぐにユーリエを見つめた夏樹は、にこりと笑って言った。
「一緒に帰ろう? 檸檬もユーリエのこと、待ってるよ」
「………………」
身じろぎもせずに夏樹の言葉を聞いていたユーリエの表情に、じんわりと笑顔が広がっていく。
泣き顔の面影を残したままだったし、どちらかといえば呆れを含んだ苦笑いのようなものだったけれど、笑顔であることに変わりはない。
夏樹も笑ってユーリエの手を引き、帰ろう、と言外に告げる。
それくらいの簡単なやり取りなら、伝わらないかもしれない、などとは、もう思わない。
だから夏樹は、ユーリエが左右に首を振っている理由に、理解が追いつかなかった。
「……エリネヒウニテイレム、なつき。レメヒ……ミウイツミュツヘルヘメムニネメネイニリヒ、ユヘミテレヘ、レエムユレニテイリレメン」
困ったような笑顔を浮かべて申し訳なさそうにそう言うと、ユーリエは夏樹と繋いでいた手をほどく。
シスターとの戦いを、継続するつもりだ。
黒い箱の土砂の下でごそごそともがいているらしいシスターから夏樹を隠すように、鍵型の武器を引きずって前に出たユーリエを見てそう気付いた夏樹は、反射的に声を上げていた。
「何で……!? どうして戦う必要があるのさ!? そんなことをしなくても、あの人が埋まって動けないでいる間に逃げれば、この戦いは終わりでしょ!?」
「……なつきネネニユイツミュミヘイニレテ、ユレツヘイムフリミヘム。なつきテ、エメミイニヒネリメイヘムリニネ」
夏樹の訴えに振り向いたユーリエは、苦笑いを浮かべていた。
それが『戦いを続ける』という選択に対してか、自分だって人が止めても聞かない夏樹に対してかは分からないけれど、それは今にも『仕方ない』という声の聞こえてきそうな苦笑いだった。
「レメヒ、ニレンネメイ。イレニエニチヒユチウツヘイルリヒテ、テツヘイニヘリネインヘム」
強い意志をみなぎらせた言葉を紡ぐとともに、ユーリエは鍵型の武器を操作する。
纏う霧のような光の強くなった紫色の刀身を閃かせて、刀身と同じ色の衝撃波を放つ。
黒い箱の土砂に埋もれたシスターに着弾すると、衝撃波は黒い箱の土砂を全て吹き飛ばして、その下に倒れていたシスターの姿を露にする。
「エニチヒテメツリ、なつきヘヒニムルペミュユチリピムヒメエ、イツヘイレミヘ。ヘレメユヘミテ、ネンヒミヘヘリエニチヒユヒレムリヒヘ、なつきユれもんニユメミルミヘイヘヘイヘニインニルルイヘインヘム!」
「……エユメヘムネ……。リツレメニミンチヘイヘミンテイネ、エルレヘエムヒイウチンチフユウレイメ、ルイエメヘレメエムメペ、レリメレテエネヘニエユレヒリ、ユムミヘルヘメイレムニニ」
さすがに身動きできない状態で、防御できずに食らった攻撃はノーダメージとはいかないらしく、僅かに顔をしかめたシスターが何かを言う。
歪な優越感に満ち満ちたシスターの声に、ユーリエは毅然とした態度で言い返す。
「ユヘミテリウレユイレメン……! なつきヘヒネヘンミメレヘテネイヒイウニネメ、ユヘミヘヒニミンチヘイムレリメレニチウネレヒネツヘイムンヘム!!」
「……テンネンヘム。ミリレヘイリュウニヘレミイユミレヘミレツヘテ、レリメレリリウ、エネヘユユムミヘテルヘメメネイヘミュウ」
「リウ、レリメレネンレニユムミヘイヘヘレネルヘリレツリウヘム……ユヘミテなつきヒイツミュニ、れもんニレツヘイヘルヘメツヘイム、エニペミュニレエムンヘム!!」
迷いのない、力強い声で、ユーリエはシスターに言う。
それは恐らく、シスターに対する決定的な敵対の言葉だったのだろう。
忌々しそうに顔を歪めたシスターと、相対するユーリエが、それぞれの鍵型の武器を構える。
戦いは、避けられない。
そう確信しながらも、四肢に力を込めて構えながらも、夏樹はやはり、どうすればそこにいてれるだろうかと考えてしまう。
みんなが笑顔で迎えることのできる、結末へと。




