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そわか  作者: 空雲雛太
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第四十二話『不抜(ふばつ)』

 西に傾き始めた太陽が照らす住宅街の中を、夏樹は駆け抜ける。

 異空間への『扉』は鍵型の武器を持つ者にしか開くことはできない。

 夏樹の知る三人の所有者のうち、二人は恐らく、今も異空間の中に入ったままだから、必然的に夏樹が頼れるのは、残る一人だけだ。

 交渉を円滑にするための材料としてお土産を用意するべきかという思いもあったけれど、色々と考えた結果、夏樹は手ぶらのままで公園を目指して走っている。

 理由はいくつかあるが、最大のものは、お土産を用意している間にユーリエに何かがあったら、という恐怖に駆り立てられて、夏樹がその手間を惜しんだからだ。

 ユーリエとシスターを残して異空間から出てから経過した時間は、正確なところは分からないが、一時間弱といったところだろう。

 それだけの時間が経過しても帰ってこないのだから、ユーリエの無事を楽観視するなど、出来るはずもない。


「もしもし、梔子(くちなし)さん!? お願いしたいことがあるんだけど、いいかな!?」


『ふぇ? えーと……檸檬ちゃんに怒られない範囲でなら……』


「……梔子さん、もしかして僕のこと、いつも檸檬に怒られてるやつだと思ってない……?」


 同級生の不本意な認識を今この場で改めたい衝動を抑えつつ、夏樹は走りながら携帯電話の向こう側に話しかける。

 ユーリエが帰ってこない理由は、大きく分けて二つ考えられる。

 一つは、未だにシスターと戦っているなどの可能性を筆頭とした、異空間の中で帰ってこれない状態にある場合。

 そしてもう一つは、異空間からは脱出したものの、何らかの理由で家に帰れない場合だ。


「昨日僕と一緒にいた、ふわふわの金髪の子を覚えてる!? 今あの子を(さが)してて、梔子さんにもそれを手伝ってほしいんだ!」


『金髪の子って……昨日の夜六連星くんが裸で密会してた、私の携帯を壊そうとした子のこと?』


「その節は本当にごめんなさい! あと、トランクスは穿いてたから裸じゃ……ていうか密会って何!?」


 例えば、シスターから逃げ回るうちに知らない場所に出てしまって、道に迷っているとか。

 例えば、シスターのスキルや怪我などが原因で、帰ろうにも帰れないとか。

 例えば……自分よりも強い相手と戦ったことで、基本的には足手まといである夏樹から、距離を置くべきだと考えるに至ったとか。

 いずれにせよ、ユーリエがすでに現実世界に帰ってきている可能性の存在は無視できない。

 なるべく早くにユーリエを見つけようと思うのなら、現実世界と異空間を手分けして探すのは当然の帰結であるはずだ。


『うーん……ごめんね六連星くん。檸檬ちゃんに悪いから、愛人さん捜しなら私には手伝えないよ』


「ユーリエはそういうんじゃないし、そもそも本妻がいたこと無いし、どうして僕の周りの女の子ってすぐに話をそっちに結びつけるの!?」


 夏樹たちがそうであるように、ユーリエにもきっと、夏樹たちの言葉は分からない。

 だから、現実世界側の捜索はユーリエと一度対面しただけの梔子朝日ではなく、共に過ごした数日の分意思疎通が図れる檸檬に任せたほうが、無用のトラブルを招かなくて済むだろう。

 それが分かっていて、なお檸檬ではなく朝日を頼ったのは、単純に夏樹の意地だった。

 必ず帰ってくる。

 絶対に『ただいま』を言う。

 公園で、シスターと紅い瞳の女の子の戦いを仲裁に行く時に檸檬と交わしたその約束は、まだ果たされていないから。

 今度こそユーリエと一緒に帰って、檸檬に『ただいま』を言うために、夏樹は檸檬に家で待っていてほしかったのだ。


「ユーリエのことは檸檬も知ってるし、なんなら僕とより仲良しなくらいだから、大丈夫だよ! 捜してきたって怒られないし、檸檬だってユーリエの安否を気にしてるんだから!」


『安否って……そんなに切羽詰った話だったの? なら、私も手伝うけど……』


「ありがとう、梔子さん! 最後にいたのが公園の辺りなのは分かってるから、その周りを捜して、見つかったら檸檬に連絡して!」


『う……うん、分かった……!』


 ……ユーリエがすでに現実世界に帰ってきている可能性の存在は無視できないけれど、もしも本当に現実世界のほうで見つかったら、自分は一体どんな顔をして帰ったらいいんだろうという不安に駆られながら、夏樹は通話を終了する。

 今からそんなことを考えても仕方がないと、頭を振って余計な思考を振り落とし、夏樹は前を見据えて、力強く地面を蹴る。

 紅い瞳の女の子も恐らく、公園の中にいる。

 ユーリエたちの事情を知らない梔子朝日がやって来る前に、黒い異空間への『扉』を開けてもらわなければならない。

 夕暮れ時の迫る住宅街の中を、夏樹は先を目指してひた走った。


  ◇


 紅い瞳の女の子がこの公園で生活しているのはきっと、平素より利用者が少ないからに違いない。

 入り口に立って呼吸を整えながら、誰もいない公園の中を見て夏樹はそう思った。

 ひとまず喋るのに不自由しない程度まで落ち着くのを待ってから、夏樹は公園の中に足を踏み入れる。

 紅い瞳の女の子の姿を捜す夏樹が最初に向かったのは、以前檸檬とユーリエの三人でこの公園に写真を撮りに来た時に、気絶するように眠る紅い瞳の女の子を見つけた、あの場所だった。


「……良かった。やっぱり、ここだったんだ」


「……リウネムユウネリテミヘイヘレメヒ、レメレチンヒウニリヒツヘルムネンヘネ……」


 茂みの後ろに座っていた紅い瞳の女の子を見て安堵のため息を吐いた夏樹に、紅い瞳の女の子は鬱陶しそうに吐き捨てる。

 夏樹から視線を逸らして、いかにも『お前と話すことなんか無い』といった様子だ。

 夏樹はそれでも、紅い瞳の女の子の前に膝をついてしゃがみ、まっすぐに紅い瞳の女の子を見つめて言った。


「お願いします。僕を、あの黒い異空間に連れていってください」


「……テンネンネ。エネヘネネンヘイツヘイムニレ、ユヘミニテレツヘルユレメネイユ」


 夏樹のほうを見ないまま、紅い瞳の女の子はつまらなそうに何かを言う。

 内容が分からなくても、夏樹の頼みを聞くつもりが無いことだけは、間違いない。

 それが拒絶の意思なのか、あるいは無関心ゆえなのかは、やっぱり分からない。

 何も分からないが、それでも夏樹は、進むと決めたのだ。


「僕がユーリエを助けに行ったとしても、それで状況が好転するわけじゃ、きっとない。僕のお願いを聞くことが、君にとって何のメリットにもならないことも分かってる」


 互いに言葉が通じない以上、やり取りは相手の語気に含まれる感情を読み取って交わす他にない。

 しかし、感情任せの会話は説得には有効かもしれないが、取り引きには向いていない。

 紅い瞳の女の子が拒絶の意思ではなく無関心によって夏樹の話を聞いてくれないのであれば、必要なのは感情任せの説得ではなく、相手を動かす理由を作るための取り引きだ。

 いや、元々は嫌っていたはずの夏樹を、ユーリエに頼まれて現実世界(あんぜんちたい)に連れ戻しているのだから、無関心なはずはない。

 胸を焦がす焦燥を否定しながら、夏樹は話を続ける。


「それでも僕は、ユーリエを助けに行きたい……今も一人で戦っているユーリエのために、何かをしたい! 泣きそうな顔で武器を振るっていたユーリエが笑顔になれるように、僕も戦いたいんだ!」


「……テンネンネ。エネヘネネニユイツヘイムニレ、リヒペニユレメネイユヘミニテ、レツヘルレンヒウリフレネイユ」


 夏樹の懇願に、紅い瞳の女の子はそっぽを向いたまま、けれど僅かに苛立たしげに、眉根にしわを寄せて返答する。

 うっかり失念していたが、元々紅い瞳の女の子は、かなり感情的な女の子だった。

 何らかの理由があったらしいとはいえ、一切の躊躇(ちゅうちょ)もなく初対面の夏樹に襲い掛かってきたほど気性の荒い女の子が、何らかの理由で見逃した獲物に絡まれて、冷静でいられるはずがない。

 ユーリエを助けに行くための手段を持たない夏樹に、手段を選ぶ余裕はない。

 夏樹は心の中で紅い瞳の女の子に謝ってから、その両肩を掴んで激しく揺さぶった。


「お願いだよ、早く『扉』を開けて! お礼なら後で必ず持ってくるから、意地悪しないで行かせてよ!!」


「ネっ、ネニムムニユ、ヘユテネミネメイ!! ミンネリヒユメメヘツヘ、ユヘミテエネヘユエニペミュニテフメヘイレネイミ、ルミミフメヘイルリネミネメムニユ!!」


 肩を掴む夏樹の手を払おうとして暴れながら、紅い瞳の女の子が何かを叫ぶ。

 夏樹が何をしようと、『扉』を開くつもりは無いと言っているのだろうか。

 それでも構わない、と夏樹は思った。

 夏樹は、今度こそユーリエと一緒に帰ると、檸檬に約束した。

 出迎えてくれる檸檬に『ただいま』と言って、檸檬も仄かな微笑みを浮かべながら『おかえり』と言う。

 そんな幸福な未来を掴むためなら、夏樹は恥も外聞もかなぐり捨てて、どんなことだってしてみせる。

 紅い瞳の女の子に振り払われまいと、夏樹は女の子の肩を掴む手に力を込めて、言葉を続ける。


「開けて開けて、開けてーっ!! 『扉』を開けてくれないなら大声で駄々をこね続けて、高校入学を控えているくせに駄々をこねる男子と知り合いの女子にするからね!?」


「ネニユイツヘイムニレユレメネイレメヒ、ネニレリニムニルネメレネイリヒユイツヘネイ!? ユレツヘユユ、エニペミュニフメヘイツヘエネムレメ、ムリミヘレミネメイ!!」


 子どもみたいにわめく夏樹を、うんざりしたような調子で一喝してから、紅い瞳の女の子は鍵型の武器を手の中に出現させる。

 ……目的を果たすことと引き換えに、何か大切なものを失ったような気分だったけれど、とにかくこれで異空間に行くことができる。

 夏樹が掴んでいた肩から手を離すと、紅い瞳の女の子は鍵型の武器に黒い雷を帯電させて、虚空を斬る。

 黒い雷は傷のように斬りつけられた空間に留まって、僅かに間を空けて瞬間的に膨張し、夏樹と紅い瞳の女の子を呑み込む。

 一瞬で周囲の景色が書き換えられ、どこにでもあるような普通の公園は、無機質な黒い異空間へと変貌を遂げた。


「周りに人の気配が無い……っていうことは、ユーリエはシスターさんと戦いながら移動を……っ?」


 周囲を見渡しながら呟く夏樹の(かたわ)らに、再び黒い雷が走る。

 反射的に黒い雷から距離を取った直後、紅い瞳の女の子に驚きと戸惑いを込めた視線を送るより早く、夏樹の瞳は真紅の閃きを捉えていた。


「うわっ!?」


 半ば転ぶようにして、夏樹は薙ぎ払われた鍵型の武器を回避する。

 尻もちをついて、見上げる視界に映った紅い瞳の女の子は夏樹ではない何かに瞳を向けている。

 そのことに気が付いた瞬間、夏樹は文字通り弾かれたようにその場を離れるが、地面を蹴った弾みに靴が片方脱げてしまう。

 膨張した黒い雷はその靴を呑み込んで、異空間の中からそれを消してしまった。


「……レンテンニツイユフイヘヒイリツヘニニ、レメレヘイイウメメヒュウネンヘネ……。メツリニリヒリミウヘレヒ、ネニユムムレユレメネイツヘリレメメヘイヘレメヒ、リメチヒヘヒテイリツヘイネレツヘユ」


 ぼやくような紅い瞳の女の子の独り(ごと)はきっと、まさかこんな面倒くさい手段を使うことになるとは思わなかった、といったような内容ではないだろうかと、夏樹は思った。

 何を言っても夏樹が止まらないなら、夏樹が何を言おうと無意味な状況を作ってしまえばいい。

 夏樹を異空間に連れてきて油断させた後、夏樹だけを現実世界に帰してしまえば、夏樹は異空間を訪れる手段を完全に失うことになるのだから。


「……エニリテエネヘニリヒユ、ヒヘリヘイメフニイリツヘイヘ。ネニネエツヘリ、エネヘヘレテレリミヒイミヘイヒ、ミウネネツヘイヘ」


 紅い瞳の女の子が手をかざすと夏樹の背後に黒い雷が走る。

 前後を自分と『扉』で挟むことで、今度こそ夏樹を逃がさないつもりだろう。


「まずっ――!!」


「ユヘミニレリミヘレツヘリニテ、ムヘニウミネユメヘミレツヘユ。レメヒ、エニリネレリミヘイヒネネウエネヘテ、レヘイリヘイム――!!」


 駆け出す夏樹を『扉』へと叩き込むように、紅い瞳の女の子が鍵型の武器を振るう。

 夏樹は上体を()らしながら体を沈めて、紅い瞳の女の子の足下を滑り抜ける。


「……っし……!! ギリギリ、セェェェェェェェェェフッ!!」


「……ユヘミテエニリニネネイニ、リュウレンメツニテイメメネイ。ヘレメエニリネエネヘユレリミウヒムムニユ、ヘフヘユツニテイメメネイニユ」


 『扉』の展開に巻き込まれれば、二度とユーリエを助けに行けないという緊張感は、明確な殺意を向けられるのに匹敵する恐怖を夏樹にもたらした。

 静かに言葉を紡ぎながら、紅い瞳の女の子が鍵型の武器を構える。

 再び『扉』を開かないのはきっと、どこかで不意打ちのように展開するほうが勝率が高いと踏んだためだろう。

 警戒心に神経を尖らせる夏樹に、紅い瞳の女の子が強い決意のにじむ声で何かを言った。


「ユムイレヒ、エニリニリヒテエリメレヘリメウユユ」


「何て言ってるのか分からないけど……僕だって譲れないんだ!」


 夏樹には、取り戻したい日常がある。

 そしてどうやら、紅い瞳の女の子にも、譲れない何かがあるらしい。

 いつでも動き出せるよう、互いに四肢に力を込める。

 夏樹は紅い瞳の女の子を、紅い瞳の女の子は夏樹を。

 一瞬の隙も予備動作も見逃すまいと、不退転の決意を(たた)えた瞳で睨みつけた。


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