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そわか  作者: 空雲雛太
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第三十七話『狼狽』

 最初に口を開いたのは、ユーリエだった。


『……ウミヘム……』


 小さくて、か細くて、短い一言。

 それで言いたいことの取っ掛かりを掴めたのか、ユーリエは堰を切ったようにまくし立てる。


『ミンネニウミヘム! なつきテ、ユヘミユヘンヘレウヘレニヒウヌヒミヘエフレツヘリヒネンヘ、イヒヒリエミレメン! イリペニネイユヘミユユネユニイイヘルヘメツヘミ、れもんヘツヘユヘミニ、イイミイミュルチユヘペメメヘルヘメイレミヘ!』


 悲痛な響きを帯びたユーリエの声に、夏樹は嫌な予感がした。

 声音や、それから受ける印象が、直前のシスターのそれと重なって見えたからだ。

 未だ泣き続けるシスターに、ユーリエは言葉を続ける。


『ヒヘリリウニウミヘイヘヘリレミヘミ、ヒヘリユメミルミヘルヘメイレミヘ! ユヘミネレンヘヒイリツヘイヘネメ……ユヘミユヘンヘレウヘレニヒウヌヒミヘリヘイヘネメ、エンネツウニテ……!』


「……ふ……ふふっ。ふふふふふふふっ……!」


 シスターが、笑った。

 あらかた言いたいことを吐き出したのだろう、ユーリエの言葉から勢いが無くなり始めた辺りで、シスターが可笑しそうに笑った。

 初めて出会った時の、控えめで穏やかな笑顔からは想像もできないような、歪に歪んだ笑い声で。


「……リツレイ、リツレイヘユ。ヒウミヘミンネニヒミリヘミヘイムニヘムレ? ミンヘリユヒウペフムムヘレニレンヒミヘ、ヘンミメレニリイヘメメムヘレヘリ、メイリュウヒネメレンムイユリンチエネイチヒニレイユネリヒネニニ。ウミヘヒイユメヘリ、イレニエネヘニムネヘユリメペ、リヘエテチヒフミレネイヘミュウ……?」


『ミンネ……ヘリ……!』


「……ネニユ……ペレネリヒユイツヘイムニユ……!」


 シスターの言葉に反論したのは、紅い瞳の女の子だった。

 シスターはユーリエに向かって何かを言っているのだと思っていたので、夏樹は少しだけ意外に思う。

 互いに打ち解けたとは言っても、敵対的な姿勢は変わっていなかったように感じていたのだけれど、そんなことはなかったのだろうか。

 あるいは、お前を倒すのはこの俺だ、みたいな心境なのだろうかと、現状の問題からは明後日(あさって)の方向に思考を進める夏樹に構わず、紅い瞳の女の子は言葉を続ける。


「エネヘンヘヒメイリュウヒニリミヘンニルメユユレメヘ、ユヘミニテユレムユ……ミニルメメリイミネイネルネツヘヒリ、リニイヒリテヘミレニ、ミウミフレンニミテイメメヘイヘ! ヒウヌユリユメメヘヘイヒネメエンネ、メレイニイユミリヘイネリイテミネイユ! エネヘリ! ヘレツヘネイヘ、ネニレインイネメイユ!」


「ほえぁっ!? え、何!? 僕!?」


 突如背後に響いた、ばしばしと地面を叩く音に驚いて振り返った夏樹は、地面を叩いていた紅い瞳の女の子に睨まれていることに気がついて動転する。

 夏樹とユーリエの名前を知らない紅い瞳の女の子が、鍵型の武器に変身したユーリエを手に取っている夏樹を睨んでいるので万が一ということもあるかもしれないが、ユーリエに言っているのなら、鍵型の武器のほうを睨んでいただろう。

 真っ直ぐに夏樹の目を睨んでいる紅い瞳の女の子に気圧されながら、夏樹は考える。

 唐突に、紅い瞳の女の子が自分を責めてきた理由は何だろうか、と。


「エネヘニリヒユミンチヘイムニンネンネヘムレユリヒレヘイムニニ、ヒウミヘネニリイユネイニ!? レミメレテイフリミウヘユ! ユヘミヘヒネヒメヘレヘムレヘツヘメレンヘリ、ヘレツヘミヘイムペレミヘ、ネニリミヘルメネイ!」


『ユ、ユレヘルヘメイ! なつきニリヒユ、ユムルイユネイヘ……!』


「うん、ユーリエが庇ってくれたみたいだから、僕が貶されたらしいってことは分かったけど……」


 ほんのり悲しい確信を得て、紅い瞳の女の子の言葉に当たりをつけるが、夏樹はやはり困惑する。

 言葉の壁に阻まれてもなお伝わってくる、紅い瞳の女の子の強い想いの込められた言葉を聞いて、しかし夏樹はやはり当惑する。

 感情が伝わってきても、内容が通じない。

 ユーリエがシスターに何か言われたことに怒っているようなので、恐らくはシスターの言葉に夏樹が無反応なのが気に入らないのだと思うのだが、夏樹も怒るに怒れない。

 シスターが何と言ったのかが分からないせいで、自分が何と言えばいいのかが分からない。

 言いたいことの取っ掛かりが見つからず、怒りを爆発させるきっかけが、まるで掴めないのだ。


「エネヘテ、ヘンミメレヒユメネニヘミュウ!? エニメイミュルミュヘヒネツチュウニエイイヘイムレミメレニ、レンチルレネニレネニヘミュウ!? ヘツヘメ、エネヘネチヒリヒイエペ、エニエンネユヘレメメムリヒネヘリムチュネイ!」


「うえぇ……!? えーっと……良く分からないけど……!」


 度々シスターのほうに視線を向けながら、紅い瞳の女の子が何かをまくし立てるのを前に、夏樹はすっかり弱り切る。

 何かしなければという焦燥が心を支配し、半ば回転の止まっている頭を必死に巡らせる。

 夏樹だって、ユーリエが酷いことを言われているなら、黙っているつもりはない。

 紅い瞳の女の子がまくし立てている最中に時折シスターを視線で指し示しているのも、何か言ってやれという意味のはずだ。

 けれど夏樹には、シスターが何を言ったのかが分からない。

 だから、非難の気持ちが言葉の形を得ることができず、何らかの仮の形を与えてぶつけたとしても、紅い瞳の女の子が夏樹に向けた言葉ほどの力は得られないだろう。

 言葉には、想いが宿る。

 その想いが力となって相手に響くのなら、どうして言葉を紡いだ本人にすら何を言いたいのかが分からない言葉に、力が宿るだろう。

 言葉では、ユーリエを庇うことができない。

 ならばもう、あとは行動で示すしかない。


「……シスターさん、ごめんっ!」


 ユーリエの変身した鍵型の武器を握る手に力を込めると、夏樹は意を決してそれを振り上げる。

 僅かに目を見開いたシスターの表情に痛む心を押さえつけ、シスターの肩を狙って武器を振り下ろす。

 鮮やかな緑色の刀身がそれを防ぎ、ぶつかり合った鍵型の武器が甲高い音を響かせた。

 不明瞭な理由で武器を振るったことへの罪悪感が、鍔迫り合いの音への嫌悪感を際立たせる。

 ぎちぎちという音を鳴らす緑と紫の刀身の向こう側でシスターが、ささくれ立った夏樹の神経を逆なでするような、明確な敵意と悪意の込められた笑い声を上げた。


「ふふ、うふふふふふふ……! あははははははははっ!!」


 さも可笑しそうに、心底楽しそうに。

 嘲笑と呼んでも差し支えないであろうそれを聞いた瞬間、夏樹は大きく跳び退(すさ)る。

 その時夏樹が覚えたのは、眉をひそめるような不快感でも、燃え上がるような敵愾心でもなかった。

 ただ、『関わりたくない』と。

 得体の知れない存在に対する、純粋な恐怖のみに心を埋め尽くされて、夏樹は初めて、異世界からの来訪者に対して、そう思ってしまった。


『ネ、ネニユ……ネニユユメツヘイメツミュムニヘムレ……!?』


「ふふ、ふふふふふふ……ユメユツニネンヘイメメネイユ。エネヘテメリチヒ、ヘンミメレテヘメレユリツフレムリヒユニチンヘイネイヒイツヘイヘレメヒ……イレ、リウミヘリツレメネツムユメヘエヒヘリ、イネチリヒネイエレムレ?」


「……ユウムムニ、テンネンユヘツレイミヘヘリテイチュムムペリヘリヒミヘ、エネヘネニンミリメメヘミレツヘヒイウリヒヘミュウ? はっ、テンネンヘツヘユネ! リメヘエネヘテ、チュウチュンネリチフチレメイツヘンミヘ、エネヘンヘヒニレミメレニヘリニネツヘミレツヘヒイウリヒチュネイ!」


 蔑むような、それでいて勝ち誇るような口調で何かを言うシスターに、紅い瞳の女の子が嘲るような調子で言葉を返す。

 悪意のみが明確な、正体不明の罵詈雑言がどれほど恐ろしいものなのか、夏樹は初めて目の当たりにしたような気がした。

 異世界の人と関わるということがどういうことなのか、初めて実感した気がした。

 不透明な悪意の塊を投げつけ合っている二人が、夏樹には異空間の化け物よりも化け物に見える。


「あはは……ネニユイイウヒ、ユヘミテリウレヒユメメレメン。イリュウヒヘエムエネヘユレリミ、イリュウヒユユウニミヘリニユレンヒミヘツムイ、メイリュウヒヘエムユヘミユリウネリムム……ミンネミンテイネ、レミニフレイヘエムヘンミメレネテツネエミレメン」


 両腕をだらりと下げて、鍵型の武器の切っ先を地面に向けたシスターが、鍵型の武器を握り直す。

 怖い。

 怖い。

 怖い。

 子どもの頃、暗闇の向こうに抱いた恐怖が、夏樹の背筋を這い上がる。

 そこに(ひそ)んでいる怪異に襲われるのではないかと怯える心が、夏樹の理性を締め上げる。

 シスターが一歩、夏樹に向かって踏み出した。


「ひっ……!?」


「……レリニヘリテ、リニリニンニチウヘム」


 シスターが危うげな笑みを浮かべて言った何かに、ユーリエが息を呑んだような気がしたけれど、恐怖で半ば思考の止まった夏樹には、それを気に留める余裕はなかった。

 一も二もなく跳び退いて、シスターから距離を取ろうとするが、引いた足がシスターのスキルで地面に縛りつけられている紅い瞳の女の子にぶつかって、夏樹は後ろ向きのまま倒れ込む。

 動けない紅い瞳の女の子を残したまま、逃げられない。

 すんでのところでそう思い(とど)まった夏樹は、鍵型の武器を操作して、遠距離攻撃用のスキルを発動する。

 鍵型の武器のスキルは、本人が振るうもので発動するよりも、本人が変身したもので発動するほうが威力が高い。

 シスターの場合がどうなのかは分からないが、少なくともユーリエと紅い瞳の女の子の場合は、近距離攻撃スキルよりも遠距離攻撃スキルのほうが、瞬間的な爆発力が上だ。

 つまり、夏樹が放ったのは現状、必殺技を除けば最大威力の攻撃だった。

 にもかかわらず、シスターは平然とそれを受け止め、防御のために一瞬だけ止めた歩みを再開させてしまった。


『レツヘ……レツヘルヘメイ! ミンネテツエミレメン、なつきネレミメレニヘリヘネンヘ……!』


「ミウヘネレメペ、ネンヘヒイウニヘミュウレ? イリュウヒユレリミ、メイリュウヒユリウネリムムミンテイネヒ、エルレニチレニネニネイムニヘミュウ?」


「……どうしよう、全然効いてない……! パワータイプのスキルが相手とは言っても、ここまで差があるなんて……!」


 夏樹は呻きながら、鍵型の武器の操作をもう一度重ね、さらに出力の上がった衝撃波をシスターに向けて放つ。

 結果は、ほとんど同じ。

 わずかに(ひる)んだ時間が長かったような気がしたけれど、それも言ってしまえば誤差みたいな、微々たる違いでしかない。


「……どうしよう、ホントにどうしよう……! このままじゃあ追いつかれるのも時間の問題だし、そうなったら僕とユーリエはにげられても、紅い子が……!」


 初めて異空間でシスターと出会った時の、シスターと黒い化け物の戦いが脳裏をよぎって、夏樹はぞっとする。

 あれだけの巨体を一太刀で粉砕するような力が人に向けられたらどうなるかなど、考えるまでもないし、考えたくもない。

 夏樹は再び鍵型の武器を操作して、さらにもう一段階、スキルの出力を上げた。


「うぅぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」


『なつき、リウネリユヒュウミミヘルヘメイ! イツレイイヘネイニイヒフイヘテネミユミネイヒ、イレユミリツヒニレイネチヒルネツヘミレイレム、なつき!』


 切迫したユーリエの声が、夏樹の焦燥を加速させる。

 叩きつけるような攻撃の合間に、夏樹はさらに鍵型の武器の操作を重ねるが、どうやら出力は三段以上は無いらしい。

 つまり、現在夏樹の放っている攻撃は正真正銘、夏樹の持つ攻撃手段の二番手だ……にもかかわらず。

 にもかかわらず、結果は同じ――否、攻撃を受ける度に足を止めていたシスターが業を煮やし、向かい風の中を進むようにして足を止めなくなった分、状況は悪化していた。


「どうしよう、どうしよう、どうしよう……! いっそ一か八かで、必殺技を使っちゃうのは……!?」


 残された選択肢など他に無いが、それでも夏樹はその手段に踏み切れずにいた。

 シスターの身を案じるような余裕は、とっくの昔に消え失せている……夏樹に二の足を踏ませているのは、必殺技すらも耐えきられた場合に対する不安だった。

 何しろ、身体能力でいえば夏樹と同等以下の紅い瞳の女の子ですら、スキルを駆使してユーリエの必殺技を(しの)いだことがあるのだから、杞憂と笑うこともできない。

 しかも夏樹は、シスターの遠距離攻撃が拘束系のスキルであるということしか知らない。

 未知の近距離攻撃スキルに対処されてしまう可能性や、必殺技同士を打ち合った場合に打ち負けてしまう可能性を、頭から(ぬぐ)うことができないのだ。

 当然、本当にただの杞憂で終わる可能性だって否定できないが、不安要素の存在は劣勢に立つ夏樹に二の足を踏ませる理由としては充分すぎる。

 何とかして必殺技に頼らずにこの場を切り抜けることができないかと、必死に勝機を探す夏樹の耳に、ガラスの砕けるような音が響いて状況は一変した――ただし、より悪い方向に、だ。


「……………………ゑ?」


「……ヒウミヘ……リュウニ、リヒニレメヘニ……?」


 夏樹とユーリエは顔を見合わせて、互いに茫然と呟く。

 その様子から察するに、それはユーリエの意思で起こったことではないのだろう。

 シスターの歩みは、止まらない。

 刻々と迫る脅威を前にして、突然ユーリエの変身は解除されてしまった。


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