第三十六話『仲裁』
隣に並んで、夏樹はユーリエに目配せをする。
にこりと笑って、ユーリエは意識を集中するように目を閉じる。
ふわり、と金色の髪が舞い上がり、構えられた武器の切っ先に、黒い穴が開いた。
ユーリエの開いた異空間への『扉』は、展開した範囲内の風景を描き換える。
見慣れた景色は無機質な黒い箱の山に置き換わり、頭上に広がる青空は真っ黒に塗り潰されていく。
周囲の全てが変わりきった時、すぐそばで炎が爆ぜた。
「うわぁっ!?」
「ひゃっ!?」
ユーリエと夏樹は、揃って短い悲鳴を上げる。
間近で戦っている人物はそれには気付かず、直前の炎を防いだと思しき緑色の刀身を閃かせる。
抉られた黒色の大地の破片は飛礫となって、前方にいた紅い瞳の女の子に襲い掛かった。
「………………っ!!」
威嚇する獣のように呻った紅い瞳の女の子が、続けざまに炎を放つ。
黒衣に身を包むシスターは緑色の刀身でそれを防御すると、今度は通路の壁になっている黒い箱の山を破壊し、その破片で紅い瞳の女の子を攻撃した。
女の子は呻りながら距離をとって同じことを続けるが、シスターにも同じ対処で返されてしまう。
例え効果が無いとしても、近接戦闘に持ち込まれたらそれこそ勝ち目がないために、そうするより他に無いのだろう。
「って、呑気なこと言ってる場合じゃない……! 行くよ、ユーリエ!」
「ユレミレミヘ、なつき!」
ユーリエに声をかけて、夏樹は二人の間に割って入る。
鍵型の武器を操作しながらユーリエもそれに続き、淡い紫色の光を纏ったそれでシスターの放った飛礫の散弾を防御する。
ユーリエに守られながら素早く脱いだ上着で夏樹は紅い瞳の女の子の視界を奪うと、すかさず背後に回って、紅い瞳の女の子に被せた上着で彼女を縛り上げる。
「ネニユ……テネミネメイ!」
「エミネヒウニテイレム、ヘンミレメ!」
夏樹が紅い瞳の女の子を拘束したことを自身への援護と解釈したらしく、シスターが鍵型の武器を構える。
その刀身が壁面を抉って散弾を放つ前に、ユーリエは踏み込んでそれを受け止めた。
「ネ……ネニユムムニヘムレ!? メツレルヘンミレメネイリュウヒユイメエヘルヘメツヘイムニヘムレメ、チュレユミネイヘルヘメイ!」
「なつきテ……エニリユヘイムヘレニ、エンネリヒユミヘイムニヘテエミレメン!」
困惑と動揺で荒ぶるシスターと、ユーリエが鍵型の武器で打ち合う。
一撃で化け物を粉砕するパワーはやはり並大抵ではないようで、一太刀受けるたびにユーリエは弾かれ、体勢を崩している。
曲がりなりにも打ち合っているように見えるのは、シスター自身も自らのパワーを扱いきれていないらしく、一撃一撃の間に僅かながらインターバルがあるからだろう。
「ヒュツヒ、リイヘムニ!? テユルリニイツルユチヒイヘツヘペ!」
「たぶん放せ的なことを言ってるんだろうけど、そんなことしたら君、またシスターさんに襲い掛かるでしょ!?」
拘束から逃れようとする紅い瞳の女の子と、逃すまいとする夏樹が地味な戦いを繰り広げる前で、ユーリエが大きく後退する。
鍵型の武器の操作を重ね、さらに攻撃範囲を拡大したユーリエは、離れた場所からシスターに太刀を打ち込んでゆく。
「……ユレツヘユ。レイチウミヘリメウニテ、リウエリメレム……ミニレユミ、エネヘリユヘミニリンルユイユネイヘユネ!」
「いや、だから何と言われても、君を放すわけには……熱っ!?」
紅い瞳の女の子が握る鍵型の武器から溢れた炎に体を舐められて、夏樹は思わず距離を取る。
真紅の刀身が纏う炎は、紅い瞳の女の子を拘束する夏樹の上着を噛み千切り、奪われていた自由を取り戻す。
戒めから解き放たれた紅い瞳の女の子は、ユーリエと打ち合うシスターに鋭い眼差しを向けて駆け出し、鍵型の武器を振るった。
武器の纏う炎がシスターに襲いかかり、ユーリエとの打ち合いに意識を割いていたシスターはそれを防ぐことができずに喰らってしまう。
「………………っ!」
「…………っ!? ヒウミヘリウネリミヘミレツヘニヘムレ!? エネヘネメンヒウユヒュウヘンミヘルメネレツヘメ、ミュウヒウチュメレニリヒメニテネミユリイヘイヘヘレネイニヘムユ!?」
「ユヘミユエネヘネヒウイウフリミヘエミウヒ、エニインネニテリツヒニテネミユリルフリミテネイユ! エネヘニニミュチンメレネユヘミニミヘリヘイニ、メレヘエニインネユミペミエネヘイレネレメペ、エンミンミヘテネミネンヘヘリネイユユ!」
諌めるような口調で何かを言ったユーリエに、紅い瞳の女の子は噛みつくように反論する。
そしてそれはどうやら、ユーリエにとっても無視できる内容ではなかったらしい。
直後に攻撃を再開した紅い瞳の女の子に、ユーリエは何も言えずにいる。
紅い瞳の女の子の言うことも正しいけれど、だからといって戦いを続けてほしくはないといったところだろうか。
困り果てた様子のユーリエだったが、すぐに唇を引き結び、紫色の瞳に決意を込めて夏樹のほうを向く。
どうやら、戦うことを選んだらしい。
その表情がどこか申し訳なさそうなのは、結果として夏樹の頼みを断ることになったからだろうか?
そう考えながらも夏樹は、否、と頭を振る。
きっと、そうじゃない。
戦うことを選んだのは間違いないだろうけれど、それは恐らく倒すためではなく、シスターと紅い瞳の女の子の戦いを止めるのに必要だと判断したから、そうするのだ。
申し訳なさそうに見えるのは、その意図が夏樹に伝えられないことに心を痛めているからなのだと、今の夏樹なら信じられる。
だからユーリエの背中を押すために声をかけた時、夏樹は思わずサムズアップしていた。
「大丈夫だよ、ユーリエ! スタート、ヨア、エンジーン!」
「………………!」
鍵型の武器に変身した時に、ユーリエが真似していた特撮番組のセリフ。
それとともに向けたからだろう、ユーリエは一瞬驚いて、それから拗ねたようにしか見えない表情で頬を膨らませていたけれど、身を翻す直前に浮かべていたのは、くすぐったそうな笑顔だった。
夏樹のやっているそれは、自分の知っているそれと、同じじゃない。
ユーリエが夏樹を信じて、そう思ってくれたような気がしたことが、たまらなく嬉しかった。
「……やぁぁーーーっ!」
振り向きざまに振り下ろした一太刀が、紅い瞳の女の子の攻撃に対応していたシスターを打つ。
大したダメージは無かったようだが、続く紅い瞳の女の子の放った炎を浴びて、二歩、三歩と後ろによろめいた。
「……エネヘ、イツヘムリヒヒユツヘムリヒネヒネウチュネイ」
「エ、エネヘニリヒペニリ、イヒミエムレリヒイリツヘヘレヘム! ミメニユヘミテ、リヒンヒなつきレメ、リウネリニリュレユイヘヘリレミヘレメ!」
からかうような紅い瞳の女の子の声に、頬を赤くしてユーリエが反論する。
表情を見る限り、何気なく言ったらしいそのセリフに、しかしシスターは過敏に反応した。
「……リウネリニ、リュレユイヘヘイヘ……? ヘンミメレレメ……?」
そんなの信じられない、という言葉が聞こえてきそうなほど、茫然とした声。
自身のそんな印象が、どうやら間違っていないらしいということを、続くシスターのセリフの声音で察した。
「ミンネニウミヘム! ヘンミメレネ、ユヘミユ……レリニイニミユメンメネフフレヘリヘユヘミユ、リウネリムムリュレユネメムネンヘ……!」
「な……何、どういうこと……? 何でシスターさん、あんなに驚愕してるの……?」
あまりにも悲痛な叫び声に、夏樹はぎょっとする。
紅い瞳の女の子とユーリエのやり取りは、どう見たって軽口の応酬の類いだった。
シスターへの心理的な揺さぶりを目的にしているようには見えなかったし、ユーリエが顔色一つ変えずにそういう手段を取れるとも思えない。
にも関わらずあれだけの動揺を与えるとは、紅い瞳の女の子とユーリエは一体、何を言ったのだろう。
シスターに向けるユーリエの眼差しは、背中側にいる夏樹からは見えない。
けれどその声には、シスターに同情するような響きが含まれている気がした。
「……ウミチュエミレメン。ヘンミメレテ、ヘヒエイリュウヒヘエミウヒ、ヘメレネリツフルリヒユニチンヘイメツミュイレメン。ミュウヒウチュメレニイリネイテ、ヘンミメレニイリンリリニミルイヘイレム」
「ミンチメメネイ……ミンネリヒ、ミンチメメレメン……!」
言い聞かせるようなユーリエの言葉にも、嫌々と首を横に振って、耳を貸さない。
何の話をしているのか、夏樹に知る術は無い。
だから想像するしかないけれど、ユーリエはきっと、武器を収めて戦いを止めるように言ったのではないかと、夏樹は思った。
ユーリエの言葉を拒んだシスターが、鍵型の武器を操作して構え、怒りの込められた視線を向けたからだ。
「……ヘンミメレネ、レイニヒイニミユメンメネヘリヘユヘミヘテネル、エネヘニリヒペユヘルミヘネンヘ、ミンネニウミヘム……! エネヘテ、エルレニメンメユリニヘレメメへイムヘレヘム!!」
「ヒネ――」
「ペレ、ユレネメイ!」
泣き叫ぶようなシスターの言葉に何か言い返そうとしたユーリエを、紅い瞳の女の子が突き飛ばす。
シスターが構えていた鍵型の武器を振るい、放たれた淡い緑色の光が、直前までユーリエのいた場所を通り抜け――その後方にいる、夏樹目掛けて飛んでくる。
「やばっ……!」
「なつっ――」
シスターの放った攻撃が、拘束系のスキルであることは、夏樹も覚えている。
それ自体に殺傷力はないし、現在シスターが夏樹に向けている表情から受ける印象が正しければ、奇妙なことだが、シスターも夏樹に対する害意はないらしい。
けれど、異空間の中での脅威は、異世界の人たちの戦いだけではない。
もしも夏樹が拘束スキルを浴びてしまうと、例えば前回くらい化け物が大挙して現れた時に、夏樹の存在は物凄く邪魔になる。
絶対に、当たってはならない。
それが分かっていたところで、迫り来る淡い緑色の光を回避するだけの力は、夏樹には無い。
「なつき、ユレヘ!」
「ユーリ……」
いつも、夏樹の危機には必ず、響く声があった。
出会ってからずっと一緒にいて、困難を共有した少女がいた。
自分の身を投げ出してまで夏樹を守ろうとしてくれるその少女は、今度もまた、強化されている脚力で夏樹に駆け寄ってくれている。
夏樹を庇おうと手を伸ばす少女は淡い緑色の光の中に飛び込み、その能力によって、押し潰されるように地面に磔になった。
「ユーリエ!!」
「エニペレ……っ! エネヘネユメメヘヒウム……っ!?」
ユーリエに叱責を浴びせようとしていた紅い瞳の女の子も、その隙を突かれてシスターのスキルを浴びてしまう。
膝を折って崩れ落ちる紅い瞳の女の子に、一歩ずつ、ゆっくりとシスターが近づいてゆく。
「……リユヘイミヘヘンミメレユイレリミミヘイヘヘイヘリヒニレンミュミヘ、エルレニメンメユリニヘレメメへイヘリヒテツリンヒミレム。ヘヘミリミンリウニレテレヘリヒニテ、レリテイフヘリレンヘイヘムレメ」
「マズい……っ! あの人、紅い子に止めを差す気だ! ユーリエ!!」
「ユレリレミヘ!」
戦慄する夏樹の伸ばした手を、ユーリエが握り返す。
呼び掛けに応えてくれる誰かがいるという心強さが、じんわりと手の中に温もりが広がる。
「……ミンネニウミヘム……」
茫然としたシスターの呟きの後に、閃光が走る。
目映い光に辺りが包み込まれ、手の中にある質感に変化が訪れる。
人の形を失ったユーリエの姿が再構築され、紫色の刀身を持つ鍵型の武器が形成されていく。
ユーリエが貸してくれた、願いを叶えるための力が現れる。
「ごめんなさいシスターさん、紅い子から離れて!」
鍵型の武器を操作しながら、夏樹はシスターに肉薄する。
霧みたいな紫色の光を纏ったそれを振るい、瞬間的な威力の高い衝撃波を飛ばして攻撃する。
シスターがそれを防御している隙に、紅い瞳の女の子は転がってシスターから距離を取り、空いた空間に夏樹が割って入った。
「……どうあっても戦うつもりなら、まずはこっちの話を聞いてもらうために、少しでも戦意を削っておくべきだよね……。いくよ、ユーリエ!」
『ミウヘムネ。ネンペミレミュウ、なつき!』
ユーリエの変身した鍵型の武器を構えて、シスターを見据えながら、夏樹とユーリエは言葉を交わす。
そんな二人のやり取りなど、まるで耳に入っていないらしいシスターはなぜか、悲鳴みたいに切迫した声で何かを叫んでいる。
「ミンネニウミヘム……! ヒウミヘ……ヒウミヘヘンミメレテ、イリュウヒユレペウユウネチヒユ、ニチミンニレンヒミヘエメペメへニヘムレ!?」
『……なつきニ、レン……?』
「…………? ユーリエ?」
ユーリエの声音が変化したことが気になって、思わず夏樹は、握りしめている鍵型の武器に視線を向ける。
ユーリエがどんな表情をしているのかは当然分からないが、今のシスターの言葉に何か衝撃を受けたことだけは分かる。
「ヒウミヘ……ヒウミヘ、ユヘミヘテネイニヘムレ……? ヒウミヘ……っ!」
『……ユヘミネ……なつきニレンニ、エメペメへ……?』
「……えーっと……? 行っていい……んだよね?」
さめざめと泣き始めたシスターと、茫然とした口調で何かを呟くユーリエの様子に戸惑って、夏樹は困惑を声ににじませる。
目の前で何かが起こっているのに、何が起きているのか分からない。
それがどれほど恐ろしいことなのか、夏樹は初めて目の当たりにした気がした。




