第三十二話『捜索』
不思議な力が刀身に集まっていることが、感覚として理解できた。
目を閉じると、それはイメージを伴って、より鮮明に夏樹の心に浮かび上がる。
武器の刀身を中心に収束した力に扉を開くイメージを重ねると、不思議な力は爆発的に膨張して辺りを包み込む。
ゆっくりと目を開けると、初めてユーリエが『扉』を開いた時と同様に、夏樹の周囲に異空間が展開していた。
「そういえば、あの時は落ち着いて見る余裕がなかったけど……内側から見ると、こんな風になってるんだね」
展開されている異空間の外側に見慣れたリビングが広がっているのを驚嘆の思いで見ながら、夏樹は当時のことを思い返す。
日常と非日常の混じり合った不思議な光景は、やがて日常が非日常に侵食されて収縮し、二つの空間を繋ぐ『扉』に閉ざされて消えた。
後に残った真っ黒な非日常の中で、夏樹は軽く屈伸をして、目的地と思しき方角に目を向ける。
「この空間と現実が場所と場所で繋がってるなら、このまま家から見た公園の方向に歩けばいいんだよね」
自宅の玄関のある方向と、そこから公園に至るまでの道のりを記憶の海から引き上げて確認する。
それを基に、夏樹は記憶の地図を脳裏に浮かべ、向かう先を定めて視線を向ける。
そこを塞ぐように、異空間の化け物が一体落ちてきて、辺りの空気を震わせる轟音が鳴り響く。
けれど、夏樹はそれに取り乱すことなく、静かに化け物と向き合った。
「……やっぱり、全く会わないで終わるのは無理だよね……」
化け物が上体を沈めて、前傾姿勢を取る。
対する夏樹も鍵型の武器を構えて、迎撃のための臨戦態勢を整える。
「まあ僕も、ユーリエのスキルで強化された体の動かし方が、まだよく分かってないし。ちょうどいいといえば、ちょうどいいのかな」
「――――ァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!」
咆哮を上げて、化け物が夏樹に肉薄する。
夏樹は地面を蹴って後方に跳躍し、上段から振り下ろされた細いほうの腕を回避する。
想像以上の自らの勢いを制御しきれず、夏樹は背中から倒れ込むように体勢を崩すが、すんでの所で体を捻って地面に手を突き、側転の要領で立て直す。
思い通りに動かない体をもどかしく思いながら、夏樹は真っ直ぐに背筋を伸ばして、鍵型の武器の切っ先を化け物に向けた。
「――少し、僕の練習に付き合ってもらうよ」
『すたーと、よあ、えんしぇー!』
静かに言い放つ夏樹に、わずかに声を弾ませたユーリエが続く。
前日に見せた特撮番組に色濃く影響されているらしいユーリエの様子に複雑な思いを抱きながら、夏樹は化け物めがけて、全力で跳躍する。
強化中の飛び幅を知るためで、化け物にぶつかるくらいは夏樹も覚悟していた。
けれど実際には、予想も二メートル以上ある化け物の体も跳び越えて、夏樹はその背後に着地してしまう。
「……は……?」
呆然とする夏樹のすぐそばで、化け物が巨大なほうの腕に体重を預けて体を持ち上げる。
縮められた獣のような両足が自分に向けられていることに気づいた夏樹は、弾かれたように化け物から距離を取る。
化け物の蹴りこそ回避できたが、それが命中したのと変わらないくらいに夏樹は吹っ飛び、着地に失敗して転倒してしまった。
『なつき、イレネテネイヘムレ!? リレンヘムレメ、ヒュンヒツフウニウニイヘルヘメイ!』
「ん、ああ……大丈夫だよ、ユーリエ。攻撃が当たったわけじゃないから」
脳裏に響く心配そうな声に返事をして、夏樹は立ち上がる。
幸か不幸か、今のやり取りで跳躍距離の最大値は把握できた。
細かい加減までは当然出来ないけれど、限界値を知っていれば、そこを目安に色々と試すことができる。
その第一歩として、夏樹は足に力を貯めて、地面を蹴る。
直前に同じくらいの速度と飛距離を体験していた夏樹は、一瞬で目と鼻の先まで化け物に接近しても、慌てずに鍵型の武器を振り抜くことができた。
「――ァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!」
「……や……やった、上手くいった……! えっと、次は……!」
傷口から小さな黒い粒を撒き散らしながら咆哮する化け物の前から跳躍して、夏樹は通路の壁になっている黒い箱の山の上に移動する。
ひとまずの安全地帯へと撤退した夏樹は、鍵型の武器を操作するために小さい鍵に手を伸ばす。
ユーリエの変身した鍵型の武器を手にした瞬間に現れた、ユーリエが着けているのと同じネックレスに、見慣れない鍵が下がっているのに気付いたのは、その時だった。
「……あれ? 何だろ、この鍵……? ユーリエ、これ、何に使うのか知ってる?」
『エツヒ……ミニレニニフレイレヘユリイヘイムニヘムユネ? ヘミヘメリツヒ、ユミフユイツミニネヒレメユフレウヘレヘヒイリイレムレヒ……』
夏樹の質問が伝わったのか伝わっていないのか、答えたユーリエの言葉が分からない夏樹には判断がつかない。
こんな収穫のないやり取り久しぶりにしたなと苦笑する夏樹の前に、ぬう、と化け物の巨大な手が現れる。
どうやら、棚の上のものを取るみたいに自分を捕まえるつもりらしいと察した夏樹は、ひょい、と黒い箱の山の上から飛び降りる。
落下中に、化け物が伸ばした巨大な腕を斬りつけてから着地すると、夏樹は地面を蹴って飛びすさる。
今度は先刻のように体勢を崩すことなく、しっかりと距離を取ることができたことに、夏樹は思わず安堵のため息をこぼした。
「……ふぅ……っ。だいぶ強化状態にも、慣れてきたかな?」
『リウ、ユツペミツフウニウニレムチュネイヘムレ……! エンネニれもんレメイミレミユウレヘニニ、ヒウミヘヒツヒリテンメイミヘルヘメメネイニヘムレ……!』
「あはは、ごめんねユーリエ、心配させちゃった? ここからはたぶん、もう大丈夫だから安心して!」
夏樹を咎めるような、それでいて張り詰めたように響く脳裏の声に駆り立てられた申し訳なさを、殊更明るく応じて払拭する。
慣れが油断に繋がらないよう気を引き締めて、夏樹は化け物めがけて疾走する。
腕を斬りつけられた痛みに喉を震わせていた化け物が、夏樹に顔を向けるのと同時に踏み切って、化け物の上体に飛び蹴りを見舞う。
体勢を崩した化け物に、夏樹は地に足を着けてすぐ、立て続けに鍵型の武器を打ち込んだ。
「――ァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!」
「うわ危なっ!」
夏樹の攻撃を浴びながら咆哮した化け物が、細いほうの腕を振りかぶるのを認めた夏樹は、即座にしゃがんで振り抜かれたそれを回避する。
直後、化け物が振り抜いた腕で足下の夏樹に裏拳を振るうのを視界の端に捕えた夏樹は、反射的に飛びすさる。
たった今自分のいた場所に化け物の腕が振り抜かれたのを見て夏樹は胆を冷やすが、そのことに何かを思うより早く、夏樹の体が動く。
鈍重な巨大なほうの腕側の壁を足場に三角跳びをして、化け物の背中を取った夏樹は、勢いのままに太刀筋を一本、そこに刻み付けた。
「――ァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!」
「当たるかぁっ!」
巨大なほうの腕と、その反対側の足で体を支えた化け物が、夏樹に背を向けたまま残った足で放った蹴りを、夏樹は飛び退いて回避する。
そのまま二歩三歩と下がって距離を取った夏樹は、二本ある小さな鍵のうち、見慣れたほうの鍵を手に取って、鍵型の武器に空いている鍵穴に差し込んだ。
「こっちの見たことないほうの鍵は、また時間のある時に試すとして……今は、これで終わりだよ!」
差し込んだ小さな鍵を捻って、外れた刀身を鍔に嵌め直す。
刀身に沿って、真っ直ぐに伸びる光の剣を纏った鍵型の武器を腰だめに構えると、夏樹は姿勢を低くして化け物に肉薄する。
化け物の、俊敏に動かせる細いほうの腕の間合いの手前で夏樹は踏み切ると、攻撃範囲の拡張された鍵型の武器で、眼下に見下ろす化け物の頭を打ち砕いた。
喉から先を失った化け物は、断末魔の悲鳴を上げることさえできずにくずおれる。
普段戦闘用の筋肉を使用する機会のない(それが当たり前で当然なのだが)夏樹は、攻撃して崩れた体勢を空中で立て直すことができず、着地に失敗する。
ユーリエから憐れむような声をかけられる前に素早く立ち上がると、夏樹は何事もなかったかのように目的地の方向へ澄まし顔を向けた。
「なんかごちゃごちゃ動いたせいで分かりにくくなったけど……公園ってあっちのほうだったよね」
『……エニ……イレ、レイレメイヒレミヘレヒ、ヘイミュウプヘムレ……?』
今いち自信は持てなかったけれど、またこの場所に戻ってこれればそれでいいかと考えて、夏樹は歩き出す。
脳裏に響く声が、どこか気遣うような調子だったことには、顔から火が吹きそうなことと合わせて、全力で気付かないように努めた。
◇
黒い異空間の景色は、基本的に代わり映えしない。
あちこちに点在して、空間内に通路を形作っている黒い箱の山の造形や大きさに多少の違いはあるが、どこもかしこも真っ黒なので、どうしたって変化には乏しい。
なぜこれだけあちこち一色で輪郭の区別が付くのか不思議だが、だから黒以外の色というのは、とても目立つ。
緊迫した空気の中で、夏樹は女の子の紅い瞳を見つめながら、そんなことを考えていた。
「………………」
「………………」
夏樹が紅い瞳の女の子に向ける、牽制するような視線が場の静寂を際立たせる。
対する紅い瞳の女の子の視線が若干気まずそうなのは、その手に持っているものが原因だろう。
「………………」
「『あっ』」
結局、紅い瞳の女の子は夏樹の無言の圧力に屈することなく、手に持っていた昨日の夏樹の服を、自分の服の上から被る。
下半身にはすでに昨日の夏樹のズボンを履いているので、ここに来る前に拾ってきたのだろう。
「……リヌウネ、リンネヒリミヘエウネンヘ」
「何で当たり前みたいに会話を始めてるの!? その前に、今着ているものを脱いでよ!!」
被った夏樹の服から頭だけを出した紅い瞳の女の子の、何事もなかったかのような澄まし顔に夏樹が抗議する。
檸檬に聞かれたら、またぞろ酷い目に遭わされるような内容だったが、それが分かる人物はこの場に、夏樹も含めて誰もいない。
夏樹の抗議を無視した紅い瞳の女の子は、しばらく服から顔だけを出したままもぞもぞとしていたが、やがて襟から、さっきまできていたぼろぼろの服を取り出したので、どうやら夏樹に裸を見られないように着替えていたらしい。
「って、そうじゃなくて! 何でしれっと僕の服を僕の目の前で着ちゃうの!? 落とし主が現れたんだから、返してよ!」
「ミュウチリニイツヘ、ヘムレツヘ。ルメユユリヘメメヘレメ、ツツヒリネエヘネレツヘニユネ」
「何て言ってるのか分からないのに、何で僕の話を聞いてないことだけは伝わってくるんだろうね!?」
たぶん、夏樹のほうを全く見ていないからだろう。
この猛々しい盗人から、どうやって服を返してもらおうかと思案する夏樹の手の中で、ガラスの割れたような音を立てて鍵型の武器が発光し、形を失う。
入れ替わりに、さっきまで鍵型の武器を握っていた手と手を繋いだ状態のユーリエが、夏樹の隣に現れる。
鍵型の武器から人の姿に戻るに当たって光に包まれたからか、現れた時には閉じていた目をゆっくりと開くと、ユーリエは紅い瞳の女の子を見据えて口を開いた。
「……ミニイリメフニテヒウチュウミレムレメヒ、ミメテなつきニ……ヘンミメレニリミリヘム。ミメユ、なつきニレエミヘルヘメイ」
静かな口調で、恐らくは夏樹に服を返すように言っているユーリエの言葉にも、紅い瞳の女の子は何も返さない。
しかし、やがて諦めたように小さく嘆息すると、俯いて小さく呟いた。
「……ヒミエエツ、リニペミュレメヘレミュウレ」
瞬間、紅い瞳の女の子の手の中に、鍵型の武器が現れる。
夏樹はぎょっとして身構えるが、ユーリエは静かに女の子を見つめたまま、動かない。
「リンリテ、ヘヒペネミユムムニテルイヘネイリニネ」
夏樹には分からない言葉で何かを言って、紅い瞳の女の子は鍵型の武器を、ゆっくりと振り上げる。
ユーリエは、やっぱり女の子を見つめたまま、動かなかった。




