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そわか  作者: 空雲雛太
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第二十九話『怪談』

 這い寄る恐怖に戦慄(わなな)きながら、夏樹は息を潜めて耐え忍ぶ。

 心臓の鼓動がやたらとうるさく響き、微かな物音にも悪意を感じるほどに神経をすり減らす。

 夜凪檸檬と、ユーリエ・ユーリヒと、梔子朝日(くちなしあさひ)

 夏樹が共に過ごし、共に笑った少女たちはもう、今はいない。

 必ず生き延びてやるという気骨と、早く終わりにしてくれという諦念。

 相反する二つの感情が夏樹の胸中でせめぎ合い、夏樹の心を苛み、夏樹の意志を蝕んでいく。

 静かな闇夜に、突如無遠慮に無機質な電子音が鳴り響き、夏樹は身を竦める。

 機械的に、淡々と着信を知らせる携帯電話を震える手で取り出した夏樹は、痛いほどにそれを握りしめる。

 電話に、出たくない。

 例えこの電話に出たところで、結果は変わらない。

 無意味に自らの恐怖心を煽るだけで、事態は何も好転しない。

 どれだけ自分にそう言い聞かせても、夏樹は手の中で鳴り続ける携帯電話から、目を逸らせずにいた。

 なぜ。

 どうして、こんなことに。

 もう何度繰り返したか分からない自問に支配された頭は、まともに働かない。

 夏樹は恐怖心に促されるままに、携帯電話の通話ボタンを押した。


  ◇


 六連星(むつらぼし)夏樹の出会った異世界の少女、ユーリエ・ユーリヒ(そういえばこんなフルネームだった)の持つ異能は、身体能力強化である。

 肉体のあらゆる機能を底上げするこの能力は、五感や自己治癒能力をも強化できるが、腕力や脚力の強化だって侮れない。

 一番能力の出力が低い状態でも、特に運動や体を鍛えたりしたことの無い夏樹が人1人を抱きかかえて走ったり跳躍したりできたのだから、その性能は推して知るべしだろう。

 問題なのは、そんな能力の使い手が現在、夏樹を逃がしてくれるつもりが無いらしいということだ。


「くっ……は、離して! 離してよユーリエ! 早く逃げないと、僕の命が危ないんだ!」


「ヘ、レ、ヘ、ム!! リンネユツレニ、ヒヒメニイレメムイフリミヘムレ!? エンレミれもんニミンペイユレレヘペレミヘヒ、れもんニチヒイリヒユメメヘリ、ヒュウメイミヘエネレメンレメネ!」


「今何て言ったの!? 檸檬の名前を二回も使って、何を言ったんだよちくしょー!!」


 夏樹が駆け出した瞬間、脅威的な反射速度で夏樹を捕らえたユーリエから凶暴な幼馴染みの名前を聞かされて、ただでさえ冷静さを失っていた夏樹はほとんどパニック状態になる。

 スキルの貸与能力はオンオフが切り替えられるらしく、ユーリエの手が夏樹の腕に触れているにも関わらず、夏樹は自身の腕を掴んで離さないユーリエの手を振り払えずにいる。

 相手が異能の力を持っているとはいえ、女の子に力負けするという状況に少しだけ傷つく夏樹の視線の先では、檸檬の数少ない友達である梔子朝日(くちなしあさひ)が、ダイヤルを回し終えて檸檬と通話を始めていた。


「……あ、もしもし檸檬ちゃん?」


「……っ!? イレニリエテ、れもんニ……?」


 朝日が檸檬と話し始めるのと同時に、ユーリエが檸檬の名を口にしながら、(せわ)しなく辺りに視線を巡らせ始める。

 朝日が檸檬の名を呼んだから驚いたのかと思った夏樹だったが、檸檬の姿を探すユーリエの仕草は、どこかに檸檬がいることを確信しているかのような、姿の見えない声の主を探しているような動きだった。

 まさか、スピーカー設定でもないのに檸檬の声が聞こえるのかと夏樹は驚くが、すぐに自らの窮状を思い出して青ざめる。


「……うん、あのね、六連星くんが、その……ぱん……し、下着っ! 下着だけで歩いてたから、その、着替えを……え? あ、うん……ち、ちょっと待ってね」


「くっ……!! 離して、離してよユーリエ!! 今ならまだ間に合うんだ、僕はまだ死にたくないんだ!!」


「リウっ……メツレルれもんネリヘルメヘニニ、ヒウミヘニネユウヒムムニヘムレ! ミンネリヒペツレミミヘイムレメ、れもんニイリメメヒュウニヘムユ!?」


 通話中の人間が受話器から顔を離して、自分以外の人間を見る。

 それが何かを聞くためであれ電話を替わるためであれ、今の夏樹に檸檬が向ける言葉が、死刑宣告以外のものになるはずがない。

 夏樹は必死になってユーリエの拘束から逃れようとするものの、スキルで強化されたユーリエに掴まれた腕は、万力で固定されてるみたいに、ぴくりとも動かない。

 何とかして逃走を図ろうともがく夏樹に朝日は、大型犬に噛まれやしないかと怯える子供のようにびくびくしながら近づいて、おずおずと携帯電話を差し出す。

 逃走が失敗した今、夏樹はこの携帯電話を受け取らざるを得ない。

 藁にも縋る思いで苦笑いを浮かべて助けを求めるが、伝わっていないのか無視されているのか、朝日は携帯電話を引っ込めてはくれない。

 夏樹は死出の門出に立つような心持ちでそれを受け取って、通話口を耳に当てた。


「………………もしもし?」


『……今、家を出たから』


 怯えて身構えていたのが何だったのかというくらいあっさりとした一言を残して、檸檬は通話を切ってしまった。

 肩透かしを食らったような心持ちで呆然とする夏樹の手から、ユーリエが携帯電話をひったくる。

 突然どうしたんだと驚く夏樹と朝日の前で、ユーリエは携帯電話に向かって何回か檸檬の名を叫んだ後、真っ青な顔で夏樹の二の腕を掴んで揺すりながら、切羽詰った口調で何かを訴え始める。


「なつき、なつき! れもんネ……れもんネ、リニネレニ!!」


「大丈夫だから、落ち着いて! 檸檬なら元気に、僕を殺しに来てるから!」


 恐らく、檸檬が携帯電話に閉じ込められたと勘違いしているのだろうと当たりをつけて、夏樹は通じないと知りつつも、安心していいことだけは伝えるべく今の電話から得られた情報をユーリエに伝える。

 そしてそうしたことで、夏樹は遅ればせながら先刻の檸檬の言葉の意味を理解した。


「しまった、今のって僕に対する死刑宣告じゃんか!!」


「あ、待って六連星くん。私の携帯、着信が来たみたいだから、返してもらっていいかな?」


 慌ててこの場を離れようとする夏樹に、慣れた様子でそれを止めた朝日が、携帯電話の返却を要求する。

 出会ったばかりの、事あるごとに驚いていた朝日を懐かしみつつ、夏樹は朝日に携帯電話を差し出す。

 その瞬間、画面に映った『夜凪檸檬』の文字が目に入ってしまい、夏樹はぎょっとして再び固まった。


「あ、なんだ、檸檬ちゃんからだったんだ。ならきっと、六連星くんにご用があるんだよね」


 朗らかにそう言った朝日は、手の平を夏樹に向けて、使っていいよ、の意を示す。

 夏樹はそれに苦笑いで答えると、一回目よりもたっぷりと時間をかけて通話ボタンを押した。


「……………………………………もしも『……今、川沿いを歩いてる』


 夏樹の返事を待たずにそう言って、檸檬は通話を切った。

 何となく聞き覚えのある状況に冷や汗を流す夏樹の手から、もう一度ユーリエが携帯電話を奪い取る。

 今度はどうしたと思う間もなく、ユーリエは電話を横にして両端を掴むと、真ん中に両手の親指を当てて、ぐっと力を入れた。


「へっ……ちょぉぉーーーーーーーーーーーいっ!?」


「ひぁぁぁあああああ!?」


 めき、と嫌な音がしたのを聞いた夏樹は、泡を食ってユーリエから朝日の携帯電話を取り上げる。

 あわや携帯電話が壊されそうになった朝日も、真っ青になって携帯電話に手を伸ばし、夏樹の手から奪い取ってすばやく損傷の有無を確認する。

 一通り眺め回した後、泣きそうな顔で大きくため息をついたので、何ともなかったらしい。

 そのことに夏樹も安堵のため息をつくが、問題は何一つ解決していない。

 どうやら携帯電話の中に檸檬が入っているものと勘違いしているらしいユーリエは、拗ねているようにしか見えないしかめっ面で夏樹に詰め寄ると、問い詰めるような口調で言葉をぶつけてきた。


「ヒウミヘヒレムニヘムレ、なつき! テユルエニネレレメ、れもんユリュウミュフミヘメミエネネイヒ……っ! なつきテ、れもんユヘムレヘエネネイイフリミヘムレ!?」


「違う違う違う! 何のことか分からないけど、たぶんユーリエが言ってるようなことは決してないから、少し落ち着こう!」


「ふぇええ……。六連星くん、何でその子、私を指差して何かを怒ってるの……? 私、何か悪いことしちゃったかな……?」


「梔子さんも、今の格好の僕に目を向けて涙目で震えないで! 今誰かが通りかかってこの場面を見られたら、僕は社会的に即死するんだ!」


 恐らく、何で檸檬を助けようとしないんだと言って怒るユーリエと、ユーリエから睨まれる心当たりがなくて怯える朝日を、夏樹は必死になってなだめる。

 誰かが通りかかったら、などと言ったが、夜の住宅街で大声を出していれば、気分を害した誰かが家の中から出てくる可能性や、言い争っているような夏樹たちの様子を誰かが伺いにくる可能性が十分にある。

 とにかく、朝日はユーリエの怒りの理由が分からなくて怯えているのだから、まずはユーリエに冷静になってもらうべきだ。

 そう判断した夏樹がユーリエと向き合った瞬間、まるでタイミングを見計らったかのように携帯電話が鳴り出した。


「………………っ! なつき、ミメユユヘミニレミヘルヘメイっ!」


「ひぁぁぁああああああ、だめぇぇーーーーーっ!!」


 三度(みたび)夏樹から携帯電話を強奪しようとするユーリエを、朝日が羽交い絞めにして制止する。

 身体能力でいえば間違いなく勝負にならないカードだが、ユーリエも朝日をぶっ飛ばしてまで携帯電話を奪うつもりはないらしい。

 明らかに力を加減している動きで抵抗しながら、まるで親の仇でも見るような目つきで(ユーリエにしては鋭いほうの目つきという意味で、実際には子供がむくれているようにしか見えない)朝日を睨んで、何事かを叫んでいる。


「テ……テネミヘルヘメイっ! エネテメレテ、ヒウミヘれもんユ、エンネヒイメネテリニネレニヒチリレヘイリウヒムムニヘムレ!?」


「だめだめだめ、それ三日前に買ったばっかりだから〜! 今壊されちゃったら、お母さんに物凄く怒られちゃうから……! だからっ、壊すなら私のほうを!」


「いやそれ、梔子さんのお母さんが修羅になるやつだよ!? お願いだから梔子さん、もっと自分を大切に扱って!」


 親に怒られたくないからという、驚愕の理由で携帯電話の身代わりになろうとしている同級生をたしなめてから、夏樹は手元の携帯電話の画面を見る。

 ディスプレイに表示されている名前は、やっぱり『夜凪檸檬』。

 携帯電話をぶん投げて逃げ出したい衝動に駆られるが、そんなことをしたら、後で首を刈られる。

 夏樹は意を決して、震える指で通話ボタンを押し、受話器を耳に当てた。


『……今、夏樹の声がしたほうに曲がったところ』


 地を這う冷気のような声が脊髄に触れた瞬間、夏樹は脱兎の如く駆け出した。


「ぁ……っ! レツヘルヘメイ、なつき!」


「ひぁ……っ」


「ぎゃぁあああああああ! 追ってきたぁっ!」


 逃げ出す夏樹を見たユーリエは、すぐに朝日の拘束を振りほどいて駆け寄ってくる。

 生存への渇望は限界を超えた力を夏樹に与えてくれたが、ユーリエの身体能力強化は、易々とそれに追いついてみせた。

 一度捕まってしまえば、夏樹にユーリエの拘束から抜け出すことはできないのは身を以て知っている。

 何とかして捕まる前に振り切る必要があるが、トランクス以外を着用していない今の姿では、異空間の化け物相手にやったような視界封じは、一回しか使えない。

 面積の小さいトランクスでは封じ損ねる可能性も高いので、あまりこの手段は使わないほうがいいだろう(もっと他の理由で躊躇ったほうがいいような気もするが)。

 携帯電話の通話機能を使ってのハッタリは、夏樹一人で使える手段ではない上に、今のユーリエが相手では逆効果のような気もする。

 恐らく、携帯電話に檸檬が閉じ込められているという誤解に確信を得て、檸檬を助ける使命感に燃えさせるだけだろう。

 となれば、残る手段は一つしかない。


「くっ……! ユーリエ、ごめんっ!」


「ふぇ……っ!?」


 ユーリエが目前に近づいてきたところで、夏樹は体を沈める。

 ユーリエの腰くらいの高さまで体を縮めた夏樹は、そのままユーリエの足元付近から、勢いよく腕を振り上げながら立ち上がる。

 平たく言えば、夏樹はユーリエにスカート捲りをした。


「なつ……っ!!」


「六連星くん、今回だけは、その……っ! 援護しますっ!」


 夏樹のスカート捲りで一瞬硬直したユーリエに、携帯電話を破壊されたくない朝日がその腰に飛びつく。

 以前は夏樹に下着を見られても恥ずかしがっていなかったことを思い返すと、スカート捲りに僅かでも効果があったことは意外だったが、ともかく逃げるなら今しかない。

 援護のお礼を言いながら駆け出す夏樹の背後から、その背を押すように朝日の声が聞こえてきた。


「そっ、それとね! 私の携帯を庇ってくれたのは嬉しいんだけど、その……っ! 檸檬ちゃん以外の子にああいうことするのは、良くないと思うよ!」


「やった僕が言うことでもないけど、誰にだって良くないでしょ!? 何で事あるごとに檸檬の名前が出てくるんだよもー!!」


 おかしなことを言う友達にそう言って、夏樹は夜の住宅街を(トランクス姿で)疾走する。

 一人きりになったことで訪れた静寂が、命懸けの鬼ごっこの開幕を告げる合図のように、夏樹には感じられた。


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