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そわか  作者: 空雲雛太
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第二十六話『変容』

 ガラスの割れたような音を聞きながら、夏樹は茫然自失の体でユーリエの武器と、それを操作する小さな鍵の括られたネックレスを拾った。

 途端に、掻き毟りたくなるような(かゆ)みを(ともな)いながら、夏樹の体の火傷がみるみる癒えていく。

 透き通った紫色のガラス板を刀身に用いた鍵型の武器が、以前夏樹が拾い上げた時のように砕けて消えることなく、夏樹の手の中に(とど)まっているのはきっと、使い手がいなくなってしまって、還る場所が失われたからだろう。

 ぼんやりとしたまま顔を上げると、紅い瞳の女の子と目が合った。

 ハッとした表情を浮かべた後、すぐに苦しそうに顔をしかめたように見えたのは、この結果に良心の呵責を覚えているからか、そうであってほしいという夏樹の願いが見せた幻か。

 そんなことをぼんやりと思いながら、夏樹は鍵型の武器に視線を戻す。

 光源の無い黒い異空間の中で、それでもユーリエの瞳と同じ色の刀身は、澄んだ輝きを放っている。

 一切の思考を停止し、空転を続ける夏樹の頭に、重々しい足音が背後から近づいているという情報が耳を通じて届く。


「………………っ!?」


「「――――ァァァァァァァァァァァァァァァァ!!」」


 紅い瞳の女の子から見て夏樹たちの向こう側にいた化け物の群れが、いくらかよろめきながらも元気に咆哮を上げて、のたのたと夏樹と女の子のほうに寄ってくる。

 先ほどの閃光で命拾いしたのは、夏樹だけではなかったということだろう。

 位置関係を考えれば当然の帰結にようやく思い至った夏樹は、ユーリエを失った衝撃と喪失感で錆び付いた体を必死に動かして、鍵型の武器を化け物めがけて振り抜く。

 鍵型の武器は、豆腐に包丁を通すみたいに化け物の体を通過して、攻撃の命中した箇所を粉々にする。

 普通の生き物同様に痛みを感じるのか、断末魔を上げる化け物に袈裟(けさ)斬りで追撃して止めを刺す。

 異形とはいえ、人と似たような姿の生物(?)を倒したというストレスは、思っていたほど夏樹を苛まない。

 そんなものよりもむしろ、ついさっきの自分にもこの力があればという悔しさのほうが、よほど夏樹の心を締め付けた。

 有り得ない仮定だと。

 現実逃避じみた妄想だと分かっていても、そう思わずにはいられなかった。


「「――――ァァァァァァァァァァァァァァァァ!!」」


「………………っ! また増えるし……っ!!」


 再び夏樹と紅い瞳の女の子を挟むような位置に降ってきた化け物を睨み、胸中に立ち込める暗い感情を呻き声に込めて、夏樹は武器と一緒に拾ったユーリエのネックレスを首にかける。

 そしてユーリエがそうしていたように、ネックレスに括られた小さな鍵を武器の鍔に空いている鍵穴に差し込んで捻る。

 がちゃり、と音を立てて外れた刀身を鍔に装着し直すと、霧のような紫色の光が、ガラス板の刀身を包み込んだ。


「ん……あれ? ユーリエがやった時と、何か違うような……」


 ユーリエが操作した時に武器の纏う光は、もっと固形的というか、光の剣みたいな感じで真っ直ぐに伸びていたのだが、今鍵型の武器を包んでいる光は形がはっきりしていないし、本当に包んでいるだけといった風情だ。

 自分が本来の持ち主ではないせいかもしれないなと考えて夏樹は意識を切り替え、自分に近いほうの化け物に肉薄して、霧みたいな紫色の光を纏った刀身で斬りつける。

 その攻撃の結果もユーリエの時と異なり、斬りつけた部分が大げさなくらいに炸裂して、化け物の体を荒々しく両断する。

 勢いよく飛散する黒い粒に夏樹は目を丸くするが、すぐに気を引き締めて振り返り、返す刀で紅い瞳の女の子の側に現れた化け物を撃破した。


「よし……っ! 今のうちにここを離れるよ!」


「ぇ……きゃっ!?」


 間合いの中の化け物を掃討した夏樹は、紅い瞳の女の子の手を取って走り出す。

 紅い瞳の女の子の側にいた化け物は彼女の必殺技によって全滅しているが、夏樹たちの側にはまだ、ユーリエの放った光に守られてしまった化け物が数体残っている。

 無力だったゆえに逃げ慣れてはいても、無力だったゆえに戦い慣れてはいない夏樹では、かなりハイペースでの増援が予想される今回の異空間内で、敵が全滅するまで戦うという選択肢はありえない。

 夏樹の個人的な心情からすればそうしたい気分ではあるけれど、残念ながら今、夏樹は一人ではない。

 必殺技を放ち、戦う力を失った女の子を守り抜くには、自分の得意な分野で挑む必要がある。


「……ヒウイウフリミネニ……!? ユヘミテ、エネヘユミンチヘミヘツヘイヘリニユリミミヘニユ!? ヒウミヘミニユヘミニ、ヘムレムミヘイネリヒユムムニユ!!」


「何を言っているのかさっぱり分からないけれど、たぶんそんなこと言ってる場合じゃないでしょう!? 君まで死んじゃうようなことになったら、僕は……!!」


 驚愕と拒絶のにじむ女の子の叫びに、夏樹は感情的になって言い返そうとするが、すぐに口をつぐむ。

 紅い瞳の女の子まで死ぬようなことになったら、どうだというのだろう。

 そうなったら、ユーリエに顔向けできないとでも言うつもりだったのか?

 そうなったら、自分が何をしに来たのか分からなくなるとでも言うつもりだったのか?

 あるいは、僕は僕が許せなくなるとでも言うつもりだったのか。

 何を言おうと、全て今さらだ。

 ユーリエは元々、紅い瞳の女の子を助けることに反対していたし、それを聞かずに手を取るべき相手を間違えた時点で、夏樹はとっくに目的を見失っている。

 力もないくせに状況を引っ掻き回して、挙句にユーリエを失った自分をもう、夏樹は何をしたって許せる気がしない。


「「――――ァァァァァァァァァァァァァァァァ!!」」


「………………っ!! 邪魔だよっ!!」


 行く手に現れた新たな化け物に向かって、やり場のない怒りとともに鍵型の武器を叩きつける。

 攻撃の軌跡に沿って体を吹き飛ばされて、化け物は膝を折って崩れ落ちる。

 真っ二つになって地面に転がる化け物の体を、夏樹は紅い瞳の女の子の手を握ったまま乗り越える。

 そんな夏樹を見て何を思ったのだろうか、夏樹の耳に届いた紅い瞳の女の子の声は苦々しげだった。


「……ユヘミテ、エユレメネイレメネ……」


「……ホントに、何をやってるんだろうね……僕は」


 紅い瞳の女の子が何と言ったのかは当然分からないけれど、何となく呆れられたんじゃないかと思えて、夏樹は渇いた笑い声をこぼす。

 紅い瞳の女の子の言葉が夏樹の予想通りなら、夏樹自身もまた、紅い瞳の女の子と同じ気持ちだった。

 夏樹自身、自分が何をしたいのかが分からない。

 信念も、目的も、守りたかった人さえ失ってなお。

 もはや仇と呼んで差し支えない紅い瞳の女の子を、それでも守るような理由など、分かりたくもない。


「「――――ァァァァァァァァァァァァァァァァ!!」」


「このっ……! いい加減しつこいよ!」


 再び行く手を遮るように降ってきた化け物の群れに毒づいて、夏樹は鍵型の武器を振るう。

 霧のような紫色の光を纏った鍵型の武器で薙いで、眼前の道を塞ぐ化け物の巨体を(ほふ)る。

 慣れない戦闘の連続に呼吸を荒くしながら、夏樹は紅い瞳の女の子の手を引いて歩みを再開するが、紅い瞳の女の子に手を振り払われて、その足はすぐに止まってしまった。


「……どうしたの?」


「…………………………」


 夏樹の問いかけに、紅い瞳の女の子は片腕に黒い雷を帯電させて答える。

 その腕で虚空を切り裂き、切り傷のような『扉』を開いた紅い瞳の女の子は、『あなたは馬鹿なの?』とでも言いたげな目を夏樹に向けた。


「……エネヘネヒウイウフリミへ、ユヘミユフメレユミヘイムニレユレメネイレメヒ。リミ、ヘヌヒニフルミネヘネユレメネイヘレネメ、ユヘミニミニユレミヘエネムユ」


「え……あ、うん……」


 首を傾けて傷のような『扉』を指し示す女の子に、夏樹は煮え切らない返事を返す。

 理由は、紅い瞳の女の子に言われるまで、異空間への出入りに『扉』を使うことを忘れていたためというのが一つ。

 もう一つは、『扉』の存在を思い出したことで、自分が現実世界へ戻りたくないと思っていることを、はっきりと意識させられたためだった。

 現実世界に戻れば家に帰らなければならないし、家に帰れば事の顛末を檸檬に教えなければならない。

 きっと、檸檬は傷つくだろう。

 道は、土地勘がなければ昼間に通ったか夜中に歩いたかの違いだけで、簡単に迷ってしまう。

 『扉』を開く能力があって初めて訪れることができる異空間の中など、言わずもがなである。

 ユーリエは夏樹を助けに来るにあたって、だから檸檬に公園まで案内してもらっているはずなのだ。

 自分が、そんなことをしなければ。

 あるいは、自分が夏樹を止めていれば。

 夏樹がこの結末を話せば、檸檬はそんな風に自分のことを責めて泣くだろう。

 夏樹はそれを、見たくない。

 それだけは絶対に、見たくない。

 けれど、檸檬が何を思ってユーリエを公園まで案内したかを考えると、そのことから目を逸らすために、この場所で死ぬわけにもいかない。

 例え夏樹やユーリエの死体が見つからなくたって、何日も帰らぬ人に対して、帰りを待つ人が良い想像を働かせるのは難しいだろう。

 きっと今も、夏樹たちの無事を祈ってくれている檸檬のことを思えば、帰らないという選択肢はありえない。

 そう考えた時に頭をよぎるのは、『では、ユーリエは?』という思いだ。


「「――――ァァァァァァァァァァァァァァァァ!!」」


「………………っ! ネンネニユ、リウ……! リュウテユヘメヒインイルネイ!?」


 夏樹たちに追いついて咆哮を上げる、ユーリエの放った光が守ってしまった化け物の群れを睨んで、紅い瞳の女の子が憎々しげに呻く。

 もう何度目かも分からない接敵に、しかし夏樹はむしろ安堵していた。

 少なくとも、目の前に化け物がいる間は、現実に帰らないことに対して言い訳が立つ。

 追いついた化け物の反対側に新手の化け物に退路を断たれた夏樹の胸中には、そんな昏い思いがあった。


「……放っておいたら、現実の側に流れ込んでくるかもしれないから……まずは、こいつらを殲滅しないとね」


 自分に言い聞かせるように呟いた夏樹は、鍵型の武器を構えて肉薄する。

 ユーリエの瞳と同じ色の刀身を閃かせるたびに、ユーリエとの思い出が泡沫(うたかた)如く浮かんでくる。


『……なつき、たいちょうぷ。ユーリエ、たいちょうぷ』


『なつき、いってらっひゃい! れもん、いってらっひゃい!』


『いってらっひゃい、いってらっひゃいっ!!』


 脳裏に残響するユーリエの言葉が、思い出の灯火(ともしび)を点けていく。

 夏樹を送り出すための苦しそうな微笑みが、夏樹に思い留まるよう訴える泣き顔が。

 夏樹たちの世界の文化や文明に触れて浮かべた驚きの表情が、それに続けて見せてくれたはにかむような笑顔が、夏樹の脳裏を駆け巡る。

 ユーリエの身に起こったことを知れば、檸檬はあらゆる手段を用いて、夏樹を異世界関連の何某(なにがし)かから引き離そうとするだろう。

 化け物の蠢く異空間から、言葉の通じない異世界出身の人たちから、距離を置かせようとするはずだ。

 そうやって、少しずつ……少しずつ、夏樹を以前の、ユーリエと出会う前の日常に引き戻していくだろう。

 胸を締め付けるような痛みとともにそんな未来を思い浮かべた時、夏樹はこう思わずにはいられない。

 ユーリエは、夏樹のわがままのせいで命を落としてしまった。

 自分のせいでユーリエは死んでしまったのに、その自分はのうのうと生き残るのか?

 その死を嘆いて、流した涙を(ぬぐ)ったら、また何食わぬ顔で生きていくのか?

 少しずつ、少しずつ痛みを忘れていくとともに……ユーリエの笑顔も、思い出せなくなってしまうのではないだろうか?


「ヒュツヒ、ウミミ!!」


「っ!?」


 紅い瞳の女の子の叱責(しっせき)で我に返るのとほぼ同時に、背中を強い衝撃が襲う。

 吹き飛ばされた夏樹は何かにぶつかってようやく、背後の化け物が巨大なほうの腕を支柱にして体を浮かせて、夏樹を蹴り飛ばしたのだと理解した。


『なつっ……なつき、テユルヘツヘルヘメイ! ウミミニエルレレメフイネリネリレム!!』


「ネニユチウレヘイムニ!? メツメヒヘイメイユヘヘネイミネメイ、ツリフプメメムユユ!」


 脳裏に響く、もはや懐かしささえ感じる声と一緒に、紅い瞳の女の子の切迫した声が耳を打つ。

 首を捻って背後を見たのは、予感があったからかもしれない。

 そこに、片足を持ち上げて倒れる夏樹を見下ろす化け物の姿を認めて、夏樹は絶句した。


「――ァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!」


「やば……っ!」


 焦燥に駆られた夏樹は、咄嗟(とっさ)に鍵型の武器を構えて防御姿勢を取る。

 それが自分の二倍以上の体躯を誇る化け物に対して、絶望的な失策だったことに思い至ったのは、化け物が足を上げる動きを止めた直後だった。


『なつきぃーーーーーーっ!!』


 今ここにいたら、ユーリエはこんな風に夏樹の名を呼んでくれただろうか。

 頭の中に響く声が、記憶の中の悲痛な表情と重なった瞬間だった。


「――ァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!」


「なっ……!?」


 突然、鍵型の武器が閃光を放って消えた。

 否……正確に言えば夏樹の手の中から、誰かの柔らかい手を代わりに残して消えただけで、鍵型の武器そのものが消失したわけではない。

 鍵型の武器は今も、握手をしたまま体を捻り、空いているほうの腕を振り抜いたような体勢で夏樹と化け物の間に現れた人物の手に握られている。

 その人は、夏樹と繋がれた手を離しながら、鍵型の武器を握っているほうの手をそのまま地面につけて、踏みつけの勢いで倒れ込んできた化け物の脇腹に強烈な蹴りを叩き込み、その軌道を逸らす。

 隣に倒れ伏した化け物の巨体が地面を揺らす轟音を聞きながら夏樹は、驚愕と歓喜の入り混じった感情が、今にも爆発しそうなくらいに膨らんでいるのを感じていた。

 そんな夏樹の様子とは対照的に、振り向いたその人は、紫色の瞳に、涙をいっぱい溜めている。

 その表情は、この異空間の中で何度も見てきた、夏樹を心配して泣きそうになっている顔だった。


「……おかえり、ユーリエ」


 言いたいことは、互いに山ほどあるけれど。

 口火を切ったのは、夏樹が何よりも言いたかった言葉だった。


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