第二十五話『乱戦』
檸檬やユーリエを危険に晒したくなかったのは本心だった。
たった二回とはいえ、異空間内で得た戦闘経験を総動員して、化け物の群れや紅い瞳の女の子から逃げるためのプランも考えてあった。
どんな危険も覚悟して、如何なる恐怖からも逃げずに向き合うつもりでいた。
……なのに。
ユーリエが紅い瞳の女の子の攻撃を払い、化け物を粉砕したあの時、夏樹の胸に去来した想いは『これで助かった』という安堵だった。
それを自覚した時、夏樹の心は惨めさや悔しさ、自身への失望や無力さへの絶望などでぐちゃぐちゃにかき乱された。
自分の覚悟とは、こんなにも簡単に揺らいでしまう程度のものだったのか。
ユーリエが夏樹を守ろうとして武器を振るってくれたなら、結局その背中に隠れることを選ぶようなみっともない奴なのか。
そう自問して自らを奮い立たせようとするが、やはり夏樹は足を動かせない。
自らの非力を弁え、ユーリエの邪魔をしない範囲で目の前の戦いに介入できるような器用さが自分にあるとは、どうしても思えなかった。
「……やぁぁぁーーーーーっ!!」
気勢をあげてユーリエは化け物の群れを薙ぎ払い、紅い瞳の女の子を見据えて地面を蹴る。
女の子もユーリエから距離を取りながら炎を放つが、黒塗りの空から次々と落ちてくる化け物の巨体が射線を通さない。
ユーリエが鍵型の武器を操作して、紫色の刀身が質量を持った光を纏うと、ユーリエは炎の壁と化した化け物の群れを粉砕し、紅い瞳の女の子に肉薄した。
スキルによって間合いを拡張したユーリエの武器が、紅い瞳の女の子を捕らえる。
広い攻撃範囲と高い身体能力を持つユーリエの攻撃を回避することもできない以上、例え負けると分かっていても女の子は斬り合い(互いに使用している武器が鈍器なので、表現としては『殴り合い』のほうが正確な気がするけれど……)に応じるしかない。
ユーリエと紅い瞳の女の子が打ち合うのを遠目に見ながら、夏樹は駆け寄って止めるべきか――否、それをする資格が自分にあるのかと逡巡する。
紅い瞳の女の子から敵対の意思が消えない限り、二人の戦いを仲裁しようとする行為は、夏樹の意見を聞くつもりのない女の子に有利をもたらす。
夏樹の横槍で武器を振るう手を止めるユーリエを、止めに入った夏樹ごと燃やしてしまえるからだ。
心配をかけて、迷惑をかけて、その上自分のわがままに無理やり付き合わせてユーリエを危険に晒すような真似が、夏樹には許されるだろうか?
自問するまでもなく、答えはノーだ。
そもそも、檸檬やユーリエを危険に晒したくなかったから一人で紅い瞳の女の子に接触したのに、紅い瞳の女の子に有利な戦況を助長するような行動は、本末転倒も甚だしい。
そうして紅い瞳の女の子の反撃を受けるユーリエを守る力も夏樹には無いのだから、なおさらだ。
事ここに至っては、ユーリエが紅い瞳の女の子を倒すのを見届けて、自らの浅はかさを戒めるのが夏樹のするべきことだろうし、情けない限りだが、他にできることは何もない。
ままならない現実や自らの無力を呪う暇すら、夏樹はしかし与えてはもらえなかった。
「「――――ァァァァァァァァァァァァァァァ!!」」
「………………っ!? なつっ……!!」
黒い異空間を振るわせる轟音の中に、鈴を鳴らしたようなユーリエの声が、か細く響く。
夏樹のほうを振り向いて緊迫した表情を浮かべるユーリエが思い描けるような声音だったが、夏樹がそれを見ることはできなかった。
夏樹を挟んで通路の前方と後方に落ちてきた化け物の巨体が、夏樹の視界を塞いでしまったために。
「また出てきた……! ていうか何か、今回最初から化け物の数が多くない!?」
初めてこの空間に閉じ込められた時も、二度目にこの空間を訪れた時も、化け物の数は時間の経過とともにその数を増やしていたように思ったのだが、当てが外れたらしい。
ひとまず、今は化け物の出現のルールを把握するよりも、この場を切り抜ける方法のために頭を捻るべきだ。
化け物の数が一体程度なら夏樹でも逃げるくらいはできるが、今回は数が数なので、ユーリエと合流しなければ生き残れない。
ユーリエの背中に隠れるしか選択肢が無いことを嘆くのは後回しだ。
夏樹は素早く上着を脱ぐと、それをユーリエがいるほうの化け物の顔めがけて放り投げる。
化け物が上着に視界を奪われてできた一瞬の隙に、機動力で劣る巨大な腕の側から一体目の化け物の横を通過する。
その背後にいる二体目の化け物が細いほうの腕を振るう前に、肩幅に開かれた獣のような両足の間に滑り込んで通り抜けると、すぐに三体目の化け物が目に入る。
直前の滑り込みによって地面に体を付けた状態の夏樹を狙い、三体目の化け物が比較的安定感のある巨大な腕の側の足を残して、もう片方の足を持ち上げる。
化け物の巨体で踏みつけられたら、夏樹などひとたまりもないだろう。
ユーリエと早く合流するためにも、足元に転がり込んで回避するという案が頭をよぎるが、即座に否と考えを改める。
化け物の体の下は足の稼動範囲内だから、攻撃の瞬間に転がり込みでもしない限り、攻撃の軌道を変更して対応されてしまいかねない。
人が二人並んで、繋いだ手を伸ばすことができる程度の道幅は、巨大な片腕を引きずる化け物にはあまり広くないため、ここまでに抜いてきた二体の化け物が振り向くのには、まだ少しだけ余裕がある。
だから焦るな、慌てるなと自分に言い聞かせながら、夏樹は真横に――三体目の化け物が軸足側に横っ飛びして、三体目の化け物の踏みつけを回避する。
全身の体重が踏みつけに使った足に集中し、三体目の化け物の動きが僅かに止まる。
その瞬間に跳んで駆けつけたユーリエが夏樹の隣に着地して、化け物を紅い瞳の女の子がいる方向に蹴り飛ばした。
体勢を崩して上体を起こした化け物は、紅い瞳の女の子の放った炎を一身に受ける壁となって燃え上がり、紅い瞳の女の子の視界を遮る。
その隙を利用してユーリエは、間合いの伸びた鍵型の武器を振るって二体目と一体目の化け物を粉砕してから、圧し掛かる恐怖に懸命に抗っているような表情を夏樹に向けた。
「レニエツヘ……! ニプチヘムレ、なつき!?」
「……ふぅっ……ありがと、ユーリエ。僕なら大丈夫だよ」
何とか生きて合流できたことに、夏樹は安堵のため息を吐く。
ユーリエも泣き出しそうな微笑みを浮かべてホッと一息つくが、即座にその顔を引き締めて、炎の壁となった化け物を吹き飛ばす。
障害物の消え失せて開けた視界に、夏樹たちのほうへと後退しながら襲い来る化け物と戦う紅い瞳の女の子の姿が映る。
ユーリエはその姿と、夏樹たちを挟んで反対側から接近してくる化け物に視線を走らせてから、夏樹に手を差し出して険しい顔で何かを言った。
「リウミユレエミレメン、なつき。ヒイルレメニリウネリユレイレイミネネメヘテなつきユイレリミムムリヒネルツレミイニヘ、リレンヘムレメヒ、エニイリュウヒニヒレルニイヒウミレミュウ!」
「……えっと……? よく分からないけど、移動するってこと……だよね? それは構わないけど、一体どこに……」
きっと、ユーリエが差し出したこの手を取ったら、夏樹を引っ張ってどこかに連れて行くつもりなのだろう。
しかし、前も後ろも封鎖された状態でどこに行くのだろうと首を傾げながら、夏樹はおずおずと手を伸ばす。
ひょっとして、鍵型の武器のスキルで強化された身体能力にかかれば、左右の黒い箱の山を飛び越えられるのだろうかと思いながらユーリエの手を握ると、ユーリエはその手を引っ張って、紅い瞳の女の子のほうへと駆け出した。
「………………っ!?」
後ろ向きに夏樹たちのほうに近づいていた紅い瞳の女の子は、だからユーリエが近づいていることに気づかなかった。
ユーリエがすぐそばで反転して向けた背中にぶつかってようやく気づいた時には、だからとても驚いていた。
驚愕の表情でユーリエを見る紅い瞳の女の子に、ユーリエは拗ねているような眼差しとともに言葉を向ける。
「……なつきニネニレミユウヒミヘメ、チヒイリヒミレムレメネ」
「……リンネメエネイイヒリニ、ネニネインイニヘレ」
紅い瞳の女の子の呟きに対してユーリエが諌めるように視線を鋭くしたので、恐らく悪態をついたのだろう。
言い募ろうとするユーリエを無視して、紅い瞳の女の子は鍵型の武器を振るい、自身の正面から襲い掛かってくる化け物の群れを焼き払う。
悔しげに顔を歪めるユーリエも正面に向き直り、迫り来る化け物の群れを鍵型の武器で迎え撃つ。
圧倒的な物量で夏樹たちを押し潰そうとする化け物の軍勢を相手に、紅い瞳の女の子とユーリエが互いに背中を預けて、共同戦線を張っている。
たまたま利害が一致したからそうしているだけなのだろう。
倒しても倒しても、後から後から化け物は湧いて(降って)出てくるし、依然として旗色が悪いことには変わりがない。
そもそも、この場においてお荷物以外の何物でもない夏樹がこんなことを思う資格なんてない。
それでも夏樹は、嬉しいと思わずにはいられなかった。
夏樹の思い描いた、騒がしい明日への入り口のように見えるその光景に、喜びを抱かずにはいられなかった。
「フニレメフニテヒウツヒウミイユネ……! メンヘルイヘ、リニエヘミユムペヘユリテメウユ! ミニイヒリニリヒテ、エンヘネエンヘヘヒウニレミネメイ!」
「メンヘ……っ!? ミンネニチメヘルネイヘム、リメレメインイリルネムンヘム!!」
憎々しげに呻いた後に紅い瞳の女の子が投げかけた言葉に、ユーリエは胸に手を当てて猛然と抗議する。
何か承服しがたいことを言われたのかと苦笑いする夏樹を、直後にユーリエが押し倒す。
手を当てた場所から失礼な想像をしたのがバレたかと夏樹は肝を冷やすが、視界の端で鍵型の武器を操作する女の子が外れた刀身を半回転させたのを見て、冷や汗の質は大きく変わる。
露になった鍔の中に小さい鍵を差し込んでから、紅い瞳の女の子は刀身を再装着する。
その間にユーリエは自分の体を重石にして夏樹を抑えたまま、通常の操作を三回繰り返す。
二人の行動を見た夏樹は、自分がさっきの会話に対して、どれだけ間抜けな誤解をしていたかを確信した。
「――レミヒピネメイ!!」
裂帛の気合いを上げ、紅い瞳の女の子は鍵型の武器を振るって閃転する。
四方に放たれた灼熱の炎が、相手を選ばず辺りに食らいつく。
ユーリエはそれを、紫色の刀身を閃かせて受け止めようとするが、不定形の炎と鍔迫り合いが出来るわけもない。
炎は瞬く間に夏樹もユーリエも呑み込んで、その灼熱で二人を苛んだ。
「ぎっ……ぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああああっ!! あっ……ぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああああ!!」
「――――――――――っ!!」
ユーリエの防御が、全く無意味だったわけではないと思う。
ユーリエが鍵型の武器を振るったおかげで、炎が直接肌を舐めることはなかった。
ただ、周囲を炎の海に囲われただけ。
たったそれだけのはずなのに、のたうつほどの激痛が肌をズタズタに引き裂いて、夏樹から思考を奪い去る。
断末魔のような悲鳴を上げる夏樹の意識は、痛み塗り潰されて、五感からの情報も解析を放棄する。
だから、直後に炸裂した閃光にも、その後に訪れた静寂にも、しばらくの間は気付けなかった。
「ぁぁぁぁぁぁぁあああああああ……あ、あぁ……?」
がしゃり、と何かが落ちる音が聞こえた気がして、夏樹は地獄のような……というか、地獄そのものの時間が終わったらしいことに気がつく。
炎に水分を奪われたせいだろうか、刺すような痛みを訴える目をすがめるように開き、現状の把握に努めようとする。
その目がぼんやりと映した、真っ黒な地面に横たわる鍵型の武器の意味を理解するより早く、茫然としたような紅い瞳の女の子の声が耳を打つ。
「ヒュツヒ……ウミヘミュウ?」
「……ユーリエ……?」
そこにいることを確認するために呼んだ名前に、返事はない。
痛みとともに、血の気が引くような思いで、夏樹はすがめていた目を開いていく。
本当に信じられない光景を前にすると、人はむしろそれから目を逸らせなくなるらしい。
持ち主を失って地に落ちた鍵型の武器を前にした夏樹は、そんな現実逃避めいた思考すら、脳裏に浮かべることが出来なかった。




