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そわか  作者: 空雲雛太
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第二十二話『選択』

 檸檬から処刑を受けた回数は数知れないけれど、気絶から目覚めるという経験をしたのは、初めてだった。

 だからというのも変かもしれないが、意識の覚醒とすると最初に『今日って、もう起きたはずじゃなかったっけ?』などと暢気なことを考えた。

 身体中に走る痛みに顔をしかめて(まぶた)を開けると、心配そうに夏樹の顔を覗きこむ檸檬とユーリエの顔があった。

 どうやら家の近くの公園らしいが、なぜこの場所で目を覚ましたのかが、皆目分からない。

 状況が呑み込めずにぼうっとする夏樹に、ユーリエと檸檬がそれぞれ声をかける。


「リネフレメレミヘレ、なつき……! ユレツヘ……ユヘミニメイヘなつきネレテレネルネツヘミレツヘメヒウミユウツヘ、ユヘミ……!」


「……夏樹が、ユーリエにやらしいことしたのが悪いの。私は……謝らないもん」


 ほとんど泣きながら何かを言うユーリエと、気まずそうに視線を逸らす檸檬を見ても、最初は何の話か分からなかった。

 けれど、少しずつ気を失う前の記憶を思い出していくとともに、自分はそんなに危険な状態だったのかと、背筋に冷たいものが走る。

 もう二度と、ユーリエにはサムズアップを向けないようにしようと固く心に誓ってから、夏樹は体を起こそうとする。

 途端に檸檬に頭を押さえつけられて、夏樹は強制的に再び横にされた。


「ちょ、檸檬?」


「……謝らないけど、私もやり過ぎたから……このくらいは、してあげる」


 言われてから、初めて気がつく。

 背中に感じる固い感触から、夏樹の横たわっている場所は恐らく、公園のベンチか何かだろう。

 にもかかわらず、夏樹の頭の下だけは柔らかく、すぐ隣には檸檬の胴体がある。

 真上から夏樹を見下ろす檸檬の顔が、不機嫌そうに強ばって仄かに赤く染まっているのを見て、夏樹は自分が、檸檬に膝枕をされているのだと思い至った。


「へ……ちょっ、檸檬!? えっ、何……何コレ、どゆことコレ!?」


「んっ……暴れないで、脚痛い……」


 照れくさくて恥ずかしくて、何とか逃れようとする夏樹を押さえつけて、檸檬が叱る。

 怒りと優しさの同居した、聞き分けのない子どもに言い聞かせるような、胸の内がくすぐったくなるような声で、夏樹を(いさ)める。

 普段のように、暴力に訴えられたわけではない。

 夏樹の頭を押さえる檸檬の手は、夏樹の頭を鷲掴みにしてはいない。

 それだけで……それなのに。

 夏樹の心は仄かに甘い暖かさに縛られて、起き上がることができなくなってしまった。

 さぁぁ……と、そよ風が木の葉を撫でる音が二人の上から降り注ぐ。

 体の中を炎に焼かれているみたいな灼熱と、まどろみにも似た温もりの混在する不可思議な沈黙の中に、最初に響いたのはユーリエの、鈴を転がしたような、控えめな声だった。


「……エニ、ミメヘテユヘミテ、ルリウヘテネニリニレイネユエネイヘリレムネっ!」


「ちょっ……待ってユーリエ! この状況で僕を一人にしないで!!」


「……夏樹、動かないで。夏樹はまだ、病み上がりなんだから」


「確かにその通りだけれど、そもそもの原因は檸檬だよね!?」


 夏樹の制止も空しく、ユーリエは困ったような笑顔を赤く染めて、2人からとてとてと離れていく。

 慣れない状況で取り残される恥ずかしさに耐えられなくて夏樹が騒ぎだすと、再び檸檬に叱られた。

 夏樹も、優しい檸檬が珍しいとはいえ、なぜそれだけで自分がこんなにも取り乱しているのか理解できず、半ば当たるように言い返してしまう。

 けれど、檸檬はそれを特に気にした様子もなく、腰を折ってぐいっと顔を近づけ、もう一度夏樹の名前を呼んだ。


「……夏樹」


「〜〜〜〜〜〜っ!! わっ……分かった、分かったよ!! 大人しくしてればいいんでしょ!?」


「……ん」


 目の前にある檸檬の、微かに赤い顔とふくよかな胸に理性を焼き払われそうになり、夏樹は悪態をつきながら顔を背ける。

 どこか満足したように喉を鳴らして、檸檬が身を引く気配は感じたが、火を吹きそうなほどの顔の熱と、嵐のような心臓の鼓動が収まらず、夏樹はそれらから逃げるように、赤らんだしかめっ面をユーリエのほうに向けた。

 ユーリエは少し離れたところで、桜の写真を撮っているらしい。

 まだほとんど開花していない桜の花を見上げて顔を(ほころ)ばせるユーリエを、ぼんやりと眺めながらクールダウンしていると、檸檬が寂しげなため息をついたのが聞こえた。


「…………? 檸檬、どうかしたの?」


 気になって声をかけるが、顔は見ない。

 意識を向けただけで、落ち着き始めた心臓が再び力強く脈打ち始めたので、顔を見たりしたらマズいという気がしたのだ。


「……ん……別に、どうもしない……」


「……ふーん……?」


 明らかに何かを言いたそうだったが、夏樹は相槌に疑問符を添える以上のことはしなかった。

 檸檬はどちらかといえば無口なほうだが、それは喋るのが嫌だからとか面倒だからとかではなく、思ったことを口にしていいのかどうか、踏ん切りがつかずにいるだけだ。

 元々気の弱い性格の檸檬は、こちらから水を向けると、逆に引っ込んでしまう。

 だから夏樹は、檸檬が話してくれるのをじっと待った。

 木の葉が風にそよぐ音を浴びながら沈黙に身を委ねていると、言葉を選ぶような躊躇いをにじませながらも、檸檬が口を開いた。


「……夏樹は、どうするの?」


「……へっ? どうって……何が?」


 檸檬の言葉が足りないのはいつものことだが、さすがに何のことを言っているのか分からな過ぎて、夏樹は檸檬に振り向いて訊ねる。

 檸檬は『言わなければ良かった』と後悔するような表情でその先を続けることを躊躇し、痛みを(こら)えるような顔で、訥々(とつとつ)と言葉を紡ぐ。


「……ユーリエが、私たちとは違う……世界? から、来たなら……いつか、帰っちゃうんでしょ?」


 頭では分かっていても、やはりユーリエが異世界から召喚されたというのが信じきれないらしく、言葉が微妙に頼りない。

 それについては夏樹も似たり寄ったりなので、特に指摘はしなかった。


「うん、まあ……そうだろうね」


 今のところその目処(めど)は全く立っていないが、ユーリエだって、帰れるものなら帰りたいはずだ。

 もちろん夏樹だって、そのための協力は惜しまないつもりでいる。

 それでも……と考えたところで、夏樹は檸檬が何を言いたかったのか、やっと分かった気がした。


「……その時が来たら……夏樹は、どうするの?」


 (すが)るような響きさえ含んだその言葉は、ユーリエに帰って欲しくないと、雄弁に物語っている。

 共に過ごした時間は、短いなんて言葉では足りないくらいに僅かだけれど、ユーリエと暮らす毎日は、確かに夏樹たちの日常として始まっている。

 言語の壁を越えて育まれつつあるユーリエとの絆は、失えば決して少なくない痛みを夏樹たちにもたらすだろう。

 その上、ユーリエが『帰る』のは、県や国などではなく、星自体が、空間自体が違う場所なのだ。

 今日(こんにち)の科学技術では認識することさえできないような場所にいるユーリエに会おうとするのは、故人に会うために天国への道を探すのと、難易度は大差ないだろう。

 ユーリエをこの世界に招いた超常が、いつでも気軽に使えるというのなら話は変わってくるのだが、そんなギャグ漫画みたいに優しいオチへの期待は、ユーリエと言葉が通じなかった時点で捨てている。

 それはきっと檸檬も同じで、だからこうして夏樹に尋ねているのだろう。

 ユーリエが元の世界に帰る算段がついた時、ユーリエを見送って今生の別れとするのか、ユーリエを引き止めて故郷を諦めさせるのか、と。


「……僕は……」


 最初に浮かんだ答えは、『ユーリエを見送って、今生の別れとする』だった。

 ユーリエだって、元いた世界には家族が、幼馴染が、友達が、ひょっとしたら恋人だっていただろう。

 もしも逆に、異世界に呼ばれたのが夏樹だったとしたら、家族や檸檬や友達のことを忘れろなどと言われたって、到底承服できはしない。

 ユーリエのためを思うのなら、元の世界への帰還を笑顔で見送るべきだ。

 そこまで考えたところで、では残される自分たちはどうなのかという考えが鎌首をもたげる。

 小学校や中学校を卒業する時にも別離の痛みはあったが、再会できる可能性が残っていたから、耐えられた。

 しかし、ユーリエとの別れに、そんな希望は無い。

 死別と変わらない別離の痛みに、果たして自分は耐えられるのか?


『——ひっ!?』


 答えの出ない自問自答に夏樹の思考が空転を始めた時、少しはなれたところにいたユーリエが短い悲鳴を上げた。


  ◇


 幸運は二つあった。

 一つは、公園にあまり人がいなかったこと。

 もう一つは、再び遭遇した紅い瞳の女の子が、意識を失っていたことだ。


「……檸檬の予想、当たっちゃったねぇ……」


「……当然の帰結。ユーリエと違って私たちに敵対的なんだから、頼れる人なんているはずがない」


 淡々と語られる檸檬の言葉に、なるほど、と(うなず)いてから、夏樹は改めて、背の低い植木の後ろに隠れるようにして横たわっている紅い瞳の女の子を見る。

 昨日、ユーリエの必殺技によって砕かれて飛び散った地面の破片を至近距離で浴びた傷は、赤黒い瘡蓋(かさぶた)が塞いでいる。

 ユーリエと比べるとだいぶ治りが遅いが、それでもひとまず怪我のほうは心配しなくてもよさそうだ。

 問題はむしろ、怪我と違って自己修復したりできない、服のほうかもしれない。


「……夏樹、最低」


「えっ、何で!? こんなボロ雑巾みたいになっちゃった服で表を歩いてたら、普通に危なくない!?」


 石礫(いしつぶて)の散弾によって、服しての原型を失いかけている布を指差して、夏樹は抗弁する。

 蔑むような視線を下げて嘆息し、次に檸檬が夏樹に向けた目は、責めるような色を(たた)えていた。


「……それで、どうするの?」


「へ? そりゃもちろん、怪我の手当てをして……」


「……なつき……チュツヒミヘ、リニイリュウヒニリヒリヘムレユウヒネメツヘイムニヘムレ……?」


 なぜそんなことを聞くのかを不思議に思いながらも答える夏樹の言葉を、ユーリエが控えめに(さえぎ)る。

 この人は何を言っているんだと言いたそうな、怯えすら含んだその表情に狼狽(ろうばい)する夏樹に、檸檬が言った。


「……夏樹。よく分からないけどこの人は、夏樹たちのことを良く思ってないんでしょう?」


「それは……そうだけど……」


「……出会い頭にセクハラしてきた夏樹のことを、憎んでいるんでしょう?」


「待って、それが実際にあった出来事であるかのように言わないで! その子から嫌われる理由には、本当に心当たりがないんだから!」


「……他のことなら、心当たりがあるの?」


「………………」


 初日に異空間に放り込まれた時にサムズアップを向けてしまったから、ユーリエに嫌われる心当たりならある、と言ったら、夏樹の生存率はどのくらいだろう。


「……とにかく、ばったり会ったら突然襲い掛かってくるような人の世話を焼くなんて、私は反対。そんなことをしたら、夏樹が危ない」


「……ひょっとして檸檬、僕のこと心配してくれてる?」


 てっきり嫌われているものだと思っていたので、夏樹は驚いて檸檬に尋ねる。

 夏樹の想像はどうやら間違ってはいなかったらしく、檸檬は僅かに間を空けてから、檸檬はさっと顔を真っ赤にして視線を逸らすと、唸るように呟いた。


「……別に、おばさんに頼まれたからで、私は別に……」


「あはは、そっか」


「……何で笑うの……っ!」


 図星を突かれて恥ずかしがる檸檬が可愛くて笑った夏樹を、上目遣いに檸檬が睨む。

 照れ隠しに睨まれても全く怖くないどころか、真っ赤な顔で必死に強がってみせる檸檬の様子に微笑ましさすら感じるが、今怖くないからといってからかい過ぎると、後が怖い。

 もう少し恥ずかしがる檸檬を見ていたいという思いに後ろ髪を引かれつつも、夏樹は話を戻した。


「でも、せめて服を一枚あげるくらいはしてもいいよね? 春先とはいっても夜はまだ寒いし、この世界の微生物に対する抗体が無かったら、ただの風邪でも死んじゃうかもしれないんでしょう?」


「……理由が分からなくても、その子が夏樹を良く思ってないなら、感謝の代わりに逆恨みをされるかもしれない。お前の施しなんか受けるもんかって逆上して、また夏樹に襲い掛かってくるかもしれない」


 頬に(かす)かな赤らみを残しながらも、檸檬は訥々(とつとつ)と語る。

 紅い瞳の女の子に手を差し伸べるリスクを、淡々と告げる。


「……こちらに歩み寄るつもりのない相手に歩み寄ろうとするのは、とても危険なこと。飼い犬に接するのと同じ感覚で野良犬に近づくくらい、とても危険なこと」


 その例えはあまりにあんまりなんじゃないかとも思ったが、檸檬の言いたいことは分かる。

 ただでさえ夏樹と紅い瞳の女の子の間には、言葉の壁と絶対的な戦力の差が存在するのだ。

 その上紅い瞳の女の子は夏樹を殺すことに躊躇がないらしいので、何かのきっかけで目を覚まされてしまえば、その瞬間に消し炭にされてしまう。

 理屈は、分かっている。

 夏樹だって、檸檬やユーリエが自分と同じことを言い出したら、全力で止めるだろう。

 子どもの頃からずっと一緒だった檸檬と、共に過ごした時間は短いが、それでも夏樹たちに信頼を寄せてくれるユーリエ。

 二人と紅い瞳の女の子のどちらが大切かなど、考えるまでもない。

 二人を危険に、さらすくらいなら。

 大切な人を、危険にさらすくらいなら――


「……私は、その子を見捨てることを選ぶ」


 自身を苛む痛みに耐えるような、その痛みから大切なものを守るような表情でそう言った檸檬は、真っ直ぐに夏樹を見る。

 一陣の風が吹いて、木の葉がざわめいた。



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