第二十話『娯楽』
ピピピピピ、というけたたましい電子音が鳴り響き、夏樹はまどろみの中から意識を引きずり出される。
寝起きで覚醒しきらない頭を持ち上げて枕元の時計を見れば、それは短針と長針が一直線に並ぶような時刻を指し示していた。
「…………んん……? 何で僕、六時に目覚ましなんか……」
睡魔からの二度寝のお誘いに乗った夏樹はそれ以上続けなかったが、どう考えたって早すぎる。
檸檬の監視下で過ごした学校生活の中ですら、こんなに早く起こされたことなどない。
今日は何か予定があっただろうかと夏樹も頭を捻るが、眠気で錆び付いた頭はぴくりとも動かない。
そんなもんどうでもいいから、さっさともう一眠りいこうぜと囁いてくる睡魔に、それもそうだねと答えて、夏樹は記憶を掘り返すことを諦めて再び目を閉じる。
目覚まし時計は鳴りっぱなしだが、放っておけばそのうち勝手に止まる。
ただでさえ檸檬のせいで惰眠を貪れない健康的な毎日が続いているので、せめて檸檬に(文字通り)叩き起こされるまでくらい、心ゆくまで眠りたい。
そんな夏樹の願いが通じたのか、けたたましく鳴っていた目覚まし時計はさほど間を置かず、カチリと音を立てて静かになる。
思ったより早かったな、などと思いながら頬を緩めて、夏樹はもう一度眠りの闇へと落ちていく。
ふいに殺気を感じて飛び起き、まるで振り下ろされたかのような勢いで落ちてきた硬質の何かを回避したのは、直後のことだった。
「危なぁぁぁぁあああっ!?」
「……やっと起きた」
もちろん、犯人は檸檬だ。
今の攻撃に使用した凶器と思しき目覚まし時計を弄びながら、不機嫌そうな無表情で夏樹を見下ろしている。
どういうわけで朝から頬を赤くして、眉間にシワを寄せて怒っているのかは分からないが、夏樹とて二度寝の楽しみを邪魔されて泣き寝入りするつもりはない。
幼馴染の横暴を許すな、をスローガンに、夏樹は檸檬に詰め寄って抗議する。
「いきなり何すんのさ!? 百歩譲って素手ならともかく、武器を使って寝込みを襲うのは反則だよっ!!」
「………………ッ!? 顔、近い……!!」
一瞬で檸檬の顔が林檎になったと思った瞬間、ものすごい衝撃で視界が揺れる。
どうやら近寄り過ぎて、檸檬に引っぱたかれたらしいことを、遅れてきた頬の痛みが教えてくれる。
頭に血が上って近づきすぎたのは夏樹の過失だが、それにしたって平手打ちするほど嫌だったのだろうかと、地味に傷つきながら夏樹は体を起こす。
先ほどよりも険しさと赤みの増した顔で夏樹を睨みながら、何事もなかったかのように檸檬は口を開いた。
「……目覚まし時計は、武器じゃない」
「それ一言一句僕のセリフだからね!? 武器じゃないから攻撃に使っちゃいけないのであって、武器じゃないから人に向けていいって意味じゃないからね!?」
「……じゃあ、次からはバールを用意しておく」
「バールも武器じゃないし、武器なら人に向けていいって意味でもないよっ!!」
今回は偶然回避できたけれど、そんなもので叩き起こされたら目覚めるどころか永眠してしまう。
一体いつから自分はこれほど檸檬に嫌われてしまったのだろうと、幼い日の追想と今現在の哀愁にため息をつきながら、夏樹はベッドを降りる。
大体どうして、特に予定もない日曜日にこんなに早く起きなきゃならないんだと胸中でぼやいたあたりで、夏樹はその理由を思い出した。
「……そっか、今日が日曜日なんだっけ」
「……夏樹、忘れてたの?」
夏樹の呟きに反応して、檸檬が非難の目を向けてくる。
忘れていたという言葉が指すのが今日の曜日のことであれ今日の予定のことであれ、夏樹には弁解のしようもない。
ばつの悪い思いで体を縮める夏樹に、やや呆れたような響きを含めて檸檬は言った。
「……子ども向けのヒーロー番組を見せてみようって言ったの、夏樹なのに」
◇
事の発端は昨日、ユーリエに初めてテレビを見せた時のことだ。
夏樹たちの説明が功を奏したらしく、ユーリエはテレビが映しているのはあくまでも映像であり、こちらから干渉できる現実の存在ではないことを理解した、はずだった。
しかし、刑事ドラマに向けられていた好奇心に輝く瞳は次第に光を失っていって、悲しげに伏せられてしまった。
あれこれと考えた結果、夏樹とユーリエの姿を録画して説明に使用してしまったがゆえに、ドラマの殺人事件も実際に夏樹たちが現場で撮影してきたのだと誤解されているのでは、という結論に落ち着いた。
もちろん、本人から直接聞いたわけでもないし、聞いたとしても言葉が分からないのだから、当然ただの推測でしかない。
けれど、だとするのなら夏樹たちはユーリエに、目の前で人が殺されているのに黙って見過ごし、あまつさえその様を撮影していた極悪非道の人間だと思われている、ということになる。
このままユーリエの抱いているであろう疑念を放置しておけば、互いの信頼関係に致命的な亀裂が走りかねない。
最悪の場合、猜疑心に囚われてしまったユーリエの『自衛』によって、夏樹たちが命を落とす可能性すらあるだろう。
考えすぎだと笑ってはいられない……疑念が確信に変わる前に、誤解を解いておかなければならない。
そのための方法として、夏樹が提案したのが特撮ヒーロー番組……すなわち、明らかに現実離れしたテレビ番組を見せることだった。
テレビ=虚構と思われるのも、ニュースとサスペンスを一緒にされそうで困るのだが、テレビ=現実だと思われるよりはいくらかマシなはずだ。
「……でも、いいの?」
夕食の後、ユーリエがお風呂に入るタイミングを見計らって提案すると、檸檬は洗い物をする手を止めて夏樹に尋ねた。
「……ここは、ユーリエにとって未知の世界。アルバムを見せる時に夏樹も言ってたけど、最初に特殊な例を見せたら、それが普通なんだって思うかも」
確かに、檸檬の懸念はもっともだ。
信号機やデパート、携帯電話やテレビに触れた時のユーリエの反応を思い起こせば、夏樹たちにとっては当たり前であるそれらでさえ、ユーリエにとっては『異常』なのだと分かる。
であればこそ、戸惑いながらもそれらの『異常』を受け入れてきたように、ヒーロー番組のような、夏樹たちにとっても『異常』なものまで、この世界の『通常』として受け入れてしまう危険性は充分にある。
けれど、それを踏まえた上でも、夏樹には他に手があるとは思えなかった。
「虚構と現実の境界を言葉で説明できない以上、とにかくたくさんのテレビ番組を見てもらって、ユーリエ自身にそれを見極めてもらうより他にないと思うんだ。そのためには、バラエティーやドラマだけじゃなくて、特撮とかアニメみたいに極端なものも見せておくべきだと思うんだよ!」
「………………」
ユーリエに特撮番組を見せる必要性を切々と語る夏樹に、檸檬は白々とした視線を向ける。
壁の向こうから、ささやかに響いてきたシャワーの音が沈黙を淡く彩るのに続いて、檸檬は嘆息とともに口を開いた。
「……本音は?」
「虚構と現実の混ざり合った映像を見た時のユーリエの反応が見たいです!」
「……だと思った」
謝罪と懇願の両方で頭を下げる夏樹に、檸檬はもう一度呆れたように嘆息する。
もっとも、それ以上はおとがめ無しだったので、檸檬も少なからず興味があるのだろう。
直後に夏樹に向けた、親しい者にしかそれと分からないくらいに淡い微笑みは、仄かにいたずらっぽい色を帯びていた。
「……じゃあ、明日は早めに起きて。朝ごはんを食べてから、ゆっくり見るほうがいい」
「ん、了解! ……早めかぁ……ちゃんと起きられるかな」
「……大丈夫。起きなかったら、叩き起こすから」
思わず弱音をこぼす夏樹に、檸檬が淡々と告げる。
それが比喩やものの例えではないことは、それこそ身をもって知っている。
せめてもの抵抗として、夏樹は思いきり嫌そうに顔を歪めた。
◇
そんなわけで、いつもより早い朝食の後に、夏樹はテレビを点ける。
最初に見たのが刑事ドラマの殺人シーンだったせいで印象は良くないようだったが、怖かったり嫌だったりするからこそ興味を引かれるということもある。
人殺しの映像は見たくないがテレビは気になるらしく、ユーリエはちらちらと様子を窺うように視線を送っている。
五人一組のヒーロー番組のオープニングが始まると、ユーリエは色が飛ぶほど驚いて、画面に釘付けになった。
「……リメテ……レリニリルニニレミュウヘムレ? リイヘリヒニネイ、ツミニネチュウミヘム……」
期待していた通りに驚いてくれたのが嬉しくて、夏樹は相好を崩す。
話が進んでいく中で、最初は大人しかった怪人が豹変したり、その怪人のせいで町が大変なことになったりすると息を呑み、ヒーローの活躍によって怪人が倒されると安堵のため息をつく。
倒されたはずの怪人が巨大化して復活すると驚愕して手で口を覆い、対抗してヒーローたちが合体ロボットに搭乗すると、不安と安心の入り交じったぎこちない笑顔を浮かべる。
夏樹はころころと変わるユーリエの表情を眺めながら、巨大怪人と合体ロボットが宇宙で戦う展開で一緒に茫然としつつ、最後のオチにくすりと笑う。
ユーリエのほうも、自分の常識を超えた存在に慣れてきたのか、そういうものに戸惑うことなく『そういうもの』として受け入れているように見える。
その証左というわけでもないが、エンディングでは歌詞に合わせて鼻歌を歌うくらいの余裕を見せていた。
「……楽しんでくれてるみたい」
言葉とともに向けられた檸檬の優しげな目は、良かったわね、と言っている。
エンディングのダンスを小さく真似しているユーリエを横目にちらと見てから、夏樹は照れに抗いきれずに口元をゆるめる。
故郷自慢というわけでもないが、やはり自分たちの暮らしている世界の文化を楽しんでもらえているというのは嬉しい。
CMを挟んで車に乗るヒーローのオープニングが始まったので、夏樹もユーリエと一緒に主題歌を鼻歌で追う。
「ふんふんふふふん、ふふんふん、ふん、ふふん、ふーんふん♪ ふふふふん、ふふんふふんふん、ふふん♪」
……追うつもりだったのだが、あまりにも淀みなくユーリエがリズムを追うので、驚いて出遅れてしまった。
言葉が通じたなら、本当にこの作品に触れるのが初めてなのかと聞きたくなるくらい、刻むリズムに迷いもズレもない。
「おーぉらい、ふふふんふん、ふふん、ふーんふん♪」
「しかも、部分的に歌詞まで覚えてるし……!!」
思い返せば、夏樹の教えた単語なども、わりとすぐに吸収していた。
生まれ落ちた世界の文明の違いにばかり気を取られていて気づかなかったが、どうやらユーリエは夏樹よりもずっと賢いらしい。
言葉さえ覚えれば、夏樹に教えられることなど瞬く間になくなってしまうだろう。
ユーリエの能力の高さを目の当たりにして危機感を募らせた夏樹は、負けじと耳を澄ませてユーリエを追いかける。
テレビの前で子どもみたいにはしゃぐ二人を見て、呆れたように檸檬が笑う。
そして、それに気付くことなく、食らいつくように画面を見る二人に携帯電話を向けて、撮影ボタンを押したのだった。




