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そわか  作者: 空雲雛太
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第十九話『笑顔』

 時間の流れは、大抵のものを風化させる。

 木材や金属、好機に栄光など、有形無形を問わずに押し流す。

 浅瀬に築かれた砂の城のように形を失ったそれらは記憶の残骸となり、やがては跡さえ残さず砂浜へと(なら)される。

 それは、全てがなかったことになるということではなく、取り返しがつかなくなるということだ。

 そんな焦燥感を抱えながらも、何もできずに流れていく沈黙の中で、最初に動いたのは檸檬だった。


「……夏樹、ごめん」


「へっ? 何が……痛っ!?」


 謎の謝罪の直後に謎の平手打ちに頭を打たれ、夏樹は目を白黒させる。

 混乱する夏樹とユーリエに事情を説明する代わりに、檸檬は仄かに笑ってりんごのジャムをユーリエに勧めた。

 どうやら、夏樹を叩くことで『悪いのは浅ましくもユーリエの分のジャムを奪おうとした夏樹であり、ユーリエがジャムを食べることには何の問題もない』ということを視覚的に伝えようとしているらしい。

 そういうことかと納得した夏樹は落ち着きを取り戻し、自身も頭を下げてユーリエに謝罪する。


「ごめんね、ユーリエ」


「…………っ!? なつき、ネニユミヘイメツミュムニヘムレ!? ヘンミメレネユヘミネンレニエヘレユメネヘメヘレヘム、イレイユエネヘルヘメイ……!」


 夏樹が謝った途端、ものすごい勢いでユーリエは慌て始めた。

 ユーリエは夏樹たちのことを目上の人間だと思っている節があるから、恐縮させてしまったのかもしれない。

 いや、あるいは、頭を下げるという動作の意味も、この世界のそれとは異なる可能性だってある。

 たった今、ユーリエの言葉の意味を誤って解釈したことで、ユーリエを畏縮させてしまったことを思い返せば、軽々(けいけい)に判断はできない。

 けれど、お互いにお互いのことがほとんど分からない以上、ある程度は見切り発車にならざるを得ないし、夏樹の心情的な問題として、誠意を込めて謝るならこの形しかない。


「僕が食い意地を張っちゃったせいで、ユーリエに変な誤解をさせちゃったね。大丈夫だよ。このジャムは、ユーリエの食べていい分だから」


「……たい、ちょうぷ……?」


 ユーリエが聞き取りやすいよう、ユーリエに伝わりやすいよう。

 できるだけゆっくりと、ありったけの情感を込めて、言葉を掛ける。

 ユーリエも真剣に夏樹の言葉に耳を傾け、その中から聞き覚えのある単語を拾い上げて繰り返すが、その表情は『何を言っているんだろう』という困惑の色が強い。

 ユーリエが『大丈夫』という単語を覚えたのは異空間の中でのことだったので、もしかしたらああいったデンジャラスな状況でのみ使う単語だと思っているのかもしれない。

 夏樹が思い至らないだけで、他の理由がある可能性も否めないけれど、いずれにせよ夏樹の言葉だけでは、ユーリエの背中を押すには力不足だったらしい。

 夏樹と檸檬や、ジャムと紅茶の間で窺うような視線をさ迷わせているユーリエを見て、夏樹はどうしたものかと考える。

 どうしたら、檸檬の作ったりんごのジャムを食べてもらえるのか。

 どうしたら、遠慮せずに食べてほしいと伝えられるのか。

 考えるまでもなく答えは明白で、言葉では伝えられないのだから、行動によって伝えるしかない。

 伝わらなかったのか、後押しとして弱かったのかは分からないけれど、だから檸檬のしたことは、方向性としては間違っていないはずだ。

 もっと簡潔で、もっと分かりやすく、こちらの意図をユーリエに伝えるには、どんな行動を取るべきか。


「……よしっ!」


「………………? 夏樹?」


 素早く考えをまとめ、気合を入れる場所を作るために短く息を吐く。

 夏樹が行動を起こすつもりなのを察した檸檬が、不安と心配を帯びた声音で夏樹の名を呼ぶ。

 誤解されるかもしれない。

 分かってもらえないかもしれない。

 それでも、この一歩を踏み出さなければ、先の見えない、この長い道を歩ききることなんてできない。


「……それに、早くユーリエに遠慮しないように伝えないと、せっかくの紅茶が冷めちゃうしね」


「……夏樹……」


「ねえ、檸檬。僕がまた失敗したら、檸檬は助けてくれる?」


「……何度でも」


 迷いなく答える檸檬に、夏樹ははにかみながら、ありがとう、と返す。

 檸檬がフォローしてくれるなら、大丈夫。

 確かな安心感を胸に、夏樹は手を伸ばす。

 ユーリエのために用意されたスプーンをその手で掴み、そのスプーンでユーリエの分のジャムを掬うと、こぼして床に落とさないように空いているほうの手を添える。

 夏樹の意図が読めず、檸檬とユーリエは緊張した面持ちで事の推移を見守る。

 張り詰めた空気の中で、夏樹は掬ったジャムを、ゆっくりと……。

 ユーリエの口元に運んだ。


「………………? ぇ……えええエニっ、なつき!? リメテミニ、イツヘイヒウイウ……っ!?」


「ほら、ユーリエ。あーんって口を頭が割れるように痛いぃぃぃぃぃいいっ!!」


「……何をやってるの、夏樹……!!」


 どうやら何か失敗してしまったらしく、いつの間にか夏樹の背後を取っていた檸檬に後頭部を鷲掴みにされて、テーブルに頭を叩きつけられる。

 空いている手でスプーンを持つ夏樹の腕を固定したり、ジャムや紅茶に当たらないよう配慮して叩きつけているあたり場違いな安堵を覚えつつ、二度、三度と繰り返されるそれに命の危機を覚えて、夏樹は大慌てで聞かれたことに答える。


「いや何って、これなら誤解されずにジャムを食べてもらえると思って……!」


「……これで、誤解、されないほうが、ありえない……っ!!」


「ひぎゃぁぁぁぁぁあああ!! 頭蓋の軋む音が聞こえる! 骨にヒビの走る音が聞こえるぅぅぅぅううう!!」


 文字通りに頭が割れるような痛みと、その頭が少しずつ押し潰されていくような恐怖に戦慄して、夏樹は悲鳴を上げる。

 怪鳥のように叫ぶ夏樹と、万力の如き握力で鷲掴みにした夏樹の頭を、バスケットボールのドリブルみたいな勢いでテーブルに叩きつける檸檬に怯えてか、ユーリエは顔を真っ青にして引いている。

 結局、ボロ雑巾となった夏樹の代わりに檸檬が、夏樹と同じ方法でユーリエにジャムを食べさせていたので、別にやり方が悪かったわけではないらしい。

 ならなぜこんな目に遭わなければならなかったんだと、夏樹は朦朧とする意識の中で毒づいた。


  ◇


 寝起きに一回、デパートの洋服売り場で一回。

 異空間から戻ってきた時、ユーリエに家の中の器物の名前を教えている時と、ついさっきにそれぞれ一回ずつ。

 改めて数えてみると、どう考えても多すぎる。

 今までだったら、多くとも一日三回程度だったのに、早くもそのダブルスコアに突入しそうな勢いだ。

 これは、ユーリエの訪れによって変化した日常の形なのか、それともたまたま偶然今日が厄日過ぎただけなのか。

 その答え如何によって、こぼれるため息の重さが変わってくる重大な問題だが、今の夏樹にはそれを考える余裕はない。

 もしここで対応を間違えたなら、檸檬からのお仕置き(という名の処刑)が、さらに一回増える予感がしているからだ。


「なつき、れもん、ヘネミヘルヘメイ! テユル、テユルエニヘンミメレユイヘムレミネイヒ……!」


「ちょっ……落ち着いてユーリエ、フリーズウェイト・ア・ヒューミニッツ!!」


「……夏樹、それだと『動いたら殺す』って言ってるように聞こえる……!」


「えっ、そうなの!? だって僕、別にキルユーとか言ってないよ!?」


「……命令形でFREEZEって言ったら、そういうニュアンスになるの……!」


 テレビ画面の中で殺された人を助けに行こうとするユーリエを必死に抑えながらも、夏樹と檸檬はそんな会話を交わす。

 いつの間にか再使用できるようになったらしい鍵型の武器を抜刀するほどのユーリエの気迫に当てられて、テレビを粉砕されては敵わない夏樹と檸檬も、大わらわになっている。

 けれど実際には、ユーリエが二人に気を遣っているらしく本気で暴れていないのと、ユーリエに触れているために夏樹と檸檬もユーリエのスキルである身体強化の恩恵を受けているのとで、安心していい事態ではないものの、それほど切迫した状況でもない。

 ちょうどプロローグ部分だったこともあって、すぐに画面が切り替わり、オープニング映像とともに作品のテーマ曲が流れる。

 そのおかげでユーリエも何か様子がおかしいと思ったようで、暴れるのを止めて大人しくなる。

 けれど、唐突に人が死んだ(ように見せている)映像を目の当たりにした混乱が抜けたわけではなく、それは形を変えて夏樹に矛先が向く。


「なつき、ヒウミヘヒレヘニヘムレ!? テリニネレニヘンミメレネ、エヘレユネヌメメヘ、ヘイメツミヘイヘニニ……!」


「大丈夫だから、安心して! あれは全部作り物だから、この作品はフィクションですだから!」


 傷ついたような顔をして詰め寄るユーリエに、夏樹は慌てふためきながらも説得を試みる。

 もっとも、ただでさえほとんど言葉が通じない上に、恐らくユーリエは、テレビの中に実際に人がいると思っているらしい。

 だからこそ鍵型の武器を召喚して助けに行こうとしたのだろうし、それを阻止した夏樹の意図が分からないのだろう。

 ひょっとしたら、どうしてあの人を見捨てたんだと言って怒っていたのかもしれない。

 そのせいで、僅かに通じる部分にさえ耳を貸してもらえずに夏樹は困り果てて、檸檬のほうに助けを求める視線を送る。

 檸檬が夏樹とユーリエに向けた携帯電話から、カシャリと音がしたのは、そんなタイミングだった。


「って、何してるの檸檬!? 僕がユーリエに怒られてる写真なんか撮ってどうするのさ!?」


「……別に、写真なんか撮ってない。今のは、録画が終わった音」


「あれ、そうだったの? ごめんね、勘違いで変な言いがかり……じゃないっ! 録画って何、まさか動画で撮ったの!?」


「……ユーリエに説明するのに、必要だと思って」


 全く表情を崩さずに、ポツリと檸檬が言う。

 それは反論の余地などない、完璧に真っ当な理由だったけれど、よりにもよって怒られているところを撮影して使わなくてもいいじゃないかと、夏樹は唇を尖らせる。

 そんな夏樹の反応に満足そうに頷いてから、檸檬はたった今撮影したばかりの動画を、テレビと並べてユーリエに見せる。


『なつき、ヒウミヘヒレヘニヘムレ!? テリニネレニヘンミメレネ、エヘレユネヌメメヘ、ヘイメツミヘイヘニニ……!』


『大丈夫だから、安心して! あれは全部作り物だから、この作品はフィクションですだから!』


「ひゃっ!」


 テレビと比べれば随分と小さい携帯電話の画面に映った夏樹と自分自身の姿に驚いたようで、可愛らしい悲鳴を上げて体を引いて、転んでしまう。

 気恥ずかしさで仄かに頬を染めながらも、たった今自分と夏樹が繰り広げたやり取りが再現されているのが気になるらしく、好奇心に輝く瞳を携帯電話に向けて、しげしげと眺めている。


「……リメテ、ユヘミヘムレ……? ミメニ、なつきリ……?」


「……そう。写真と同じ」


 ユーリエの呟きに相槌を打って、テーブルの上に置いてある夏樹のアルバム(仕舞おうとしたら、まだ見るのだと言って怒られたのだ)を指差す檸檬。

 その動きに釣られるように視線を動かしてから、ユーリエは何かに気づいたようにもう一度テレビと携帯電話を見る。

 携帯電話のほうは短い動画だったのでもう終わっているが、テレビのほうではドラマの主人公が、説明も無しにどこかへ向かって、主人公の相棒を困惑させているシーンが流れている。

 場面が切り替わって別のシーンを映すテレビの画面を見るユーリエの、きらきらと輝く瞳を見て、夏樹は今日の横断歩道でのことを思い出した。


「……イヒミリレミヘ……ヘンミメレニエツヘテ、ウニルレイネリエネルリヒネヘリムニヘムネ!」


 ぱっと花開いた笑顔を夏樹と檸檬に向けて、弾むような声でユーリエが何かを言う。

 夏樹たちには、ユーリエが何と言ったのかが分からない。

 だからもしかしたら、テレビがどういうものなのかを正しく伝えられずに、ユーリエに勘違いをさせてしまっていても、それを確かめられない。

 けれど今は、ユーリエがこうして笑っていてくれるのなら、正しさなど二の次でもいいのではないかと、夏樹はそう思った。


「……ところで夏樹。さっきどさくさにまぎれて、ユーリエに抱きついてたことについて、話を聞かせてもらう」


 いつの間にか夏樹の背後に回っていた檸檬に後頭部を鷲掴みにされて、夏樹はなおのことそう思う。

 どうせ、何を選べば正解だったのかも分からないのだから。


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