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そわか  作者: 空雲雛太
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第十七話『写真』

 まっさらな状態のそれは、思い出の蓄積によって完成していく。

 たくさんの出会いや、数多の喜びによって彩られていくそれは、きっと一つとして同じもののない、一人だけの唯一無二だ。


「……ねえ、檸檬……。やっぱり、止めない? 別に何も、見せるなら僕のじゃなくてもいいんじゃないかなーというか……」


「……駄目。私も久しぶりに、夏樹のを見たい」


「むぅ……」


 夏樹と檸檬とユーリエの三人は、春の陽気に満たされた昼下がりのリビングでそれを囲んでいた。

 自身のそれを見られたくない夏樹は抵抗を試みるが、異空間から現実世界に帰還した時のことがあるので、どうしてもと言われると強く出られない。

 いっそのこと、それを抱えてこの場から逃走してしまおうかとも考えたが、新たに現れた未知に対して、好奇心に輝く紫色の瞳を向けて眺めているユーリエを見ると、それも悪いような気がする。

 けれど、それでも夏樹はそれを見られたくない。

 だから夏樹は、(わら)にも(すが)る思いで悪あがきをした。


「け、けどさ! それなら僕だって、久しぶりに檸檬のが見たいよ! 初めての時の檸檬の表情とかさ、その……可愛かった、し……」


「……夏樹、やらしい」


 檸檬をおだてて矛先を変えようと試みたが、最後に照れが混じってしまったせいで目論みが看破されたのだろう、顔を真っ赤にして怒る檸檬から、予想の斜め上の非難を受けてしまう。

 しかし全く効果が無かったわけでもないようで、表情は険しいままながら、檸檬は少しだけ譲歩してくれた。


「……私のが見たいなら、後で持ってくるから……今は、夏樹の」


 それじゃあ意味がないというセリフを喉の奥で飲み込み、羞恥に頬が染まるのを感じながら、夏樹は体を縮める。

 万策尽きた今の夏樹にできることは、ユーリエの勉強のために恥をかく覚悟を固めることだけだ。

 夏樹が抵抗を諦めたことを察して、檸檬はユーリエが興味津々に眺めるそれに手を伸ばし、表紙をめくる。

 白日の下に晒されたそれの中身を目の当たりにしたユーリエは、そこにあったものを見て何を思ったのか、目を見開いて固まってしまった。


「リメテ……エレニニレイネ、ヘムレ……?」


「ん……そうね。本物みたいでしょう?」


 赤ん坊を抱きかかえる中学生くらいの女の子の写真を見て驚いた様子のユーリエに、檸檬がそれっぽい相槌を打つ。

 続いてめくられたページにも、はいはいをしている赤ん坊や、赤ん坊を抱きかかえていた中学生が赤ん坊にご飯を食べさせている写真が現れる。

 ページを追うごとに写真に写る赤ん坊は大きくなっていき、二、三ページめくる頃には、赤ん坊は三歳くらいの男の子になっていた。


「……リニエレニテリミレミヘ、なつきニイメネイリミニイムネヘヘミュウレ?」


「……そう。夏樹が、子供の頃の写真」


 ユーリエの問いに、檸檬は柔らかな笑顔で答える。

 異空間で夏樹は、紅い瞳の女の子の無知を利用して、携帯電話のカメラ機能を牽制に使用した。

 無力なりにユーリエをサポートしようとしての策だったのだが、結果を(かんが)みるに、成功とは言いがたい。

 理由の一つは、元々無害なものでハッタリをかましただけなので、ほんの少しのきっかけで簡単に無力化されてしまったため。

 そしてもう一つは、サポートするはずだったユーリエ自身にも、カメラに対する恐怖心を植え付けてしまったためだ。

 異空間から生還し、現実世界で生死の境を彷徨(さまよ)った後、檸檬の用意してくれた弁当を広げて、まだ三部咲きくらいの桜の下で、ささやかな花見をした。

 その際に写真を撮る流れになったのだが、撮影の際に、明らかにユーリエが身構えていたのだ。

 夏樹から事情を説明された檸檬は夏樹にゴミを見る目を向けた後、ユーリエから写真に対する恐怖心を払拭するべく、一計を案じたらしい。

 そうしてまずは、カメラが何に使われる道具なのかを伝えるために、夏樹のアルバムを引っ張り出してきたのだ。

 そんなことしなくても、撮った写真をプリンタで出力して見せたらいいのにという夏樹のぼやきは、もちろん黙殺された。


「……リヒメニインネニリテ、ヒネヘヘムレ? リニイユミリニテ、ヒウユメイメツミュメネイユウヘムレメヒ……」


 たびたび夏樹と一緒に写っている中学生くらいの女の子を手のひらで指して、ユーリエは辺りを見回す。

 写真の中の女の子は家族のようなのに、未だに家の中で実物を見ていないのが不思議なのだろう。

 けれど夏樹は、ユーリエのその疑問に答えたくなかった。

 それも至極私的な、余人から見ればしょうもない理由で。


「……その人は、お母さん。夏樹の、お母さん」


 ユーリエが聞き取りやすいようにだろう、音を切って、ゆっくりと檸檬は発音する。

 ……夏樹がユーリエにアルバムを見せたくなかったのは、もちろん単純に恥ずかしいからというのもあるのだが、原因の大部分は、この母の存在を知られたくなかったからだった。

 年不相応な外見に振る舞いも相まって、大人の威厳が皆無な母の存在は、その息子としては可能な限り隠しておきたかったのだ。


「……おあーひゃ?」


 檸檬がゆっくりと二回繰り返した単語を、舌足らずながらも反復するユーリエ。

 どうやら写真に写っている見知らぬ女の子(の、ようにしか見えない夏樹の母)の呼び名が『お母さん』なのだと理解したらしい。


「……ていうか、ちょっと待って。まだ単語の意味を知らない状態でウチの母さんみたいに特殊なケースを見せたら、『お母さん』って単語が『姉』って意味に誤解されたりしない?」


「………………逆転の発想」


「とりあえず、目から(うろこ)なのは伝わってきたけど、それは何か違わない……?」


 大まかに言えば確かに、『予想外の着眼点』という意味なのかもしれないが。

 気まずそうに目を逸らす檸檬と、そんな檸檬にジト目を向ける夏樹には気づかず、ユーリエはアルバムのページをめくる。

 写真を追う紫の瞳は優しげで、口元には(つつ)ましやかな微笑みを浮かべている。


「……ヒヘリ、ネレニユイニリュウヘイネニヘムネ」


 呟きとともにこぼれた柔らかな笑顔に、夏樹は穴を掘って引きこもりたい気持ちになる。

 写真の中の、楽しげな幼い夏樹と母とは対照的に、真っ赤なしかめっ面でうつむいて、思春期特有の恥辱にひたすら耐える。

 夏樹がアルバムを隠したかった、最大の理由。

 それは、写真を見られてしまうと、夏樹が母と仲が良かったことがバレてしまうからだった。


「……別に、恥ずかしがることない。家族と仲良しなのは、良いこと」


 実の家族と同じくらいに夏樹をよく知る幼馴染みが、恥辱に震える夏樹をフォローする。

 しかし、今年にはもう高校生になるというのに、母と仲が良いというのは何というか、子どもっぽい気がして仕方ないのだ。

 そう言うと檸檬からは、そんなことを気にするほうが子どもっぽいと言われるのだけれど、小さい頃にはたくさんいたはずの親と仲が良かった同級生は、中学を卒業する頃には片手で数えられる程度しかいなかった。

 せめて、まだ見ぬ高校のクラスメイトたちにはバレないようにしようと決意を新たにする夏樹の隣で、檸檬が携帯電話を構える。

 液晶画面側にあるカメラを起動した檸檬は、なぜか夏樹もフレームに入れてシャッターを切ると、撮影した画像とアルバムの写真を交互に指して、ユーリエに語りかける。


「……これはこんなふうに、写真……これと同じものを撮影してるだけ。夏樹もこんなに小さいうちから何枚も撮ってるけど、全然平気」


 檸檬の言葉を聞いて、夏樹は内心なるほどと手を打つ。

 どうやら、アルバムの写真と並べることで、カメラによる撮影に危険は無いと伝えるつもりだったらしい。

 それが伝わったからか伝わらなかったからか、檸檬に説明を受けたユーリエの顔から表情が消える。

 それから、ゆっくりと視線をアルバムに戻し、信じがたいものを見るように目を見張って、ぽつりと呟いた。


「……チュツヒミヘ……ミニヒウヌテ、レイネユエネルヘレニリニネニヘムレ?」


 再び向けられた眼差しには、夏樹たちに何かを求めているような色がある。

 しかし、ユーリエの言葉が分からない夏樹たちには、例えばそれが『そうだと言ってほしい』なのか『違うと言ってほしい』なのかも分からない。

 どころか、そもそも『はい』『いいえ』で答えることのできる内容なのかどうかさえ分からないのだ。

 檸檬の瞳が、当惑に揺れる。

 僅かな逡巡の後、助けを求めるように夏樹に目を向けるが、どうすればいいのかなんて、夏樹が聞きたいくらいだ。

 とにかく、何か言わなければならない。

 黙って戸惑うばかりでは、ユーリエも自分の考えに自信を持てなくなってしまうし、良くない想像をしているのだとすれば、それに確信を与えてしまう。

 きっと、先ほど檸檬がそうしたように、ユーリエにも分かる無害なものと並べて見せれば、ユーリエの思い描いた内容に関わらずに正しい情報を伝えられるだろう。

 しかし、ユーリエも知っている、カメラと同質の存在とは何だろうか?

 答えを出せないまま沈黙する夏樹と檸檬の様子に、ユーリエの眉が少しずつ下がっていく。

 カメラは、危険なものじゃない。

 言葉が通じなければ、たったそれだけのことさえ伝えられないのかと、夏樹は歯噛みする。

 言葉の壁さえ無ければ、写真はただの精密な絵と変わらないのだと、簡単に説明できるのに……。


「……ん……? 精密な、絵と変わらない……?」


 自分の思考に一筋の光明を見た気がして、夏樹はそれを反芻(はんすう)する。

 写真が精密な絵と変わらない……ならば、カメラは何と変わらない?


「そっか……! それならきっと……!」


「…………? 夏樹……?」


「ちょっと待ってて檸檬! 今、紙と鉛筆を持ってくるから!」


 怪訝そうな檸檬に満面の笑顔を見せてから、夏樹は弾かれたようにリビングを出て、階段を駆け上がる。

 自室に入ると、ほとんど使われていない勉強机からシャーペンとルーズリーフを掴んで踵を返し、リビングに戻って、言った。


「ごめん檸檬、ちょっとモデルになってくれない!?」


  ◇


 くどいようだが、六連星夏樹は特筆するほどのことなど何もない、普通の少年である。

 絵を描いたことも学校の授業くらいでしかなく、当然経験がものを言う絵心などあるはずもない。

 それでも夏樹が絵を描こうとしたのは、もちろんユーリエに、写真の無害さを伝えるためだ。

 写真を絵に、カメラを鉛筆に置き換えて伝えれば、カメラがどういう道具なのかを誤解されることなく伝えられると思ったのだ。

 とはいえ、せめて最低限夏樹の描いた檸檬が人間に見えなければ、その後に写真を撮って並べても、ユーリエの中で等式が成り立たないかもしれない。

 だから夏樹は現在、正面に座っている檸檬と手元のルーズリーフの間で、忙しなく視線を行き来させて、過去最高の真剣さで絵を描いている。

 ……が、先述の通り、夏樹は特に絵心があるわけではない。

 当然、顔の輪郭はかぼちゃみたいにガタガタになったり、茄子みたいにぐんにゃり曲がったりするし、顔のパーツは福笑いみたいにズレまくっている。

 それらのミスを修正しようとして消しゴムをかける度にルーズリーフは黒ずみ、ぐしゃぐしゃになっていく。

 次第に気合はしぼんで卑屈な気持ちが膨れ上がり、何でこんなことをしているんだろうと夏樹が自問し始める頃。

 疑問と不安の入り混じった表情でそんな夏樹を見守っていたユーリエが、おずおずと話しかけてきた。


「エニ……なつき? リミレミヘリニヒウヌテ、レイネユエネルヘレニフレウリニヘテネレツヘニヘミュウレ……?」


「ああ……ごめんね、ユーリエ。頑張って早く終わらせるから、もう少し……って」


 ユーリエの声で気持ちを切り替え、気合を入れなおそうとした矢先、夏樹はユーリエが手に取っているものを見て、言葉を止める。

 自信なさげに、ユーリエが夏樹に差し出したものは、檸檬がテーブルの上に置きっぱなしにしていた、携帯電話だった。

 絵を描くのに悪戦苦闘していた夏樹に、ユーリエがこれを差し出した。

 それはつまり……ユーリエは、携帯電話のカメラ機能がどういうものなのか、正しく理解しているということに他ならない。


「……そう!! そうそう、これはこう、絵を描くのと変わらなくって……! ありがとうユーリエ! ごめんね、ホントありがとう!!」


「えぅ……エヒ、エニ……ユミリンヘイヘヘレヘ、ユレツヘヘム……?」


 檸檬の意図を汲み取って理解してくれたことへの感謝と、そのことを信じきれなかったことへの謝罪を繰り返す夏樹に、少し引き気味ながらも、はにかむような表情で相槌を打つユーリエ。

 その様子を穏やかに見つめていた檸檬の微笑みは、夏樹から操作を教わったユーリエの撮影した最初の一枚として、檸檬の携帯電話の中に残されることとなった。


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