第十四話『逆襲』
チャラリ、と、金属の擦れる音が静寂の中によく響く。
紅い瞳の女の子が手首の小さな鍵を手に取って、それを鍵型の武器の鍔に開いている鍵穴に差し込んだ。
ガチャリ、と、絶望の扉が開けられたような音とともに浮き上がった刀身が嵌め直され、女の子の瞳と同じ色のガラス板が、炎の剣へと変じる。
「…………ヤバい…………」
再び女の子は小さな鍵を捻り、外れた刀身を嵌め直す。
能力の発動型を変えなければ威力を上乗せできるらしく、以前に見た女の子の必殺技ほどではないものの、明らかに炎の勢いが増している。
「……ヤバいって、これ絶対ヤバいって!!」
女の子が三度目の武器操作をしようとしているのを見て我に返った夏樹は、急いでユーリエの手を取る。
僅かでも時間稼ぎになればと思って携帯電話のカメラ機能を使うが、女の子は嫌そうに顔を歪めるのみで、武器を操作する手を止めてはくれなかった。
「くっ……携帯が無害だってことがバレたのか、ダメージ無視でトドメを刺しに来てるのか……どちらにせよ、もうこの手は使えないってことだよね……!」
ユーリエは武器を失い、夏樹の武器である『未知』も効力を失った。
こうなった以上、どれだけ絶望的でも死ぬ気で逃げるしかないと、夏樹はユーリエの手を引いて踵を返す。
背後から空気を燃やす音が迫ってくるのが聞こえて、夏樹はユーリエを巻き込みながら、転ぶように倒れ伏す。
頭上の空気を炎が食い荒らし、ひりつくような痛みに顔を歪める夏樹を、動揺の滲む声で呼びながらユーリエが引っ張り上げる。
「なつき、リウミユレエミレメンっ!!」
「えっ……うわぁっ!?」
引き上げた勢いのままに投げ飛ばされて、夏樹は情けない悲鳴を上げる。
直後に顔を上げた夏樹は目の前の光景によって、自分がユーリエに庇われたことを知った。
すなわち、続けて放たれた二発目の火球に被弾してしまった、ユーリエの姿を見て。
「――――――っ!!」
「ゆっ……ユーリエ!!」
続く三発目にも被弾してしまい、吹き飛ばされたユーリエに駆け寄って呼びかける。
視界を塞ぐ爆炎が虚空に溶けて攻撃の結果を確認した女の子は、無事な夏樹を仕留めるためだろう、再び武器を構えて炎を放つ。
これ以上ユーリエを傷つけさせまいと、夏樹は自身の体でユーリエを覆うが、胴に腕を回して引き倒され、盾の役割はあっけなく奪われてしまう。
「……………………っ!!」
「ユーリエ……!? 何でこんな……何で!!」
檸檬から借りていた服はほとんど焼き払われ、代わりに痛ましい火傷が全身を覆っている。
どう考えたって痛くて苦しいはずなのに、実際に呻きながら浅い呼吸を繰り返しているのに……それでもユーリエは、夏樹を見て、笑おうとしている。
「……ユレツヘ……。なつきネ、レネユミヘイネルヘ……」
「喋らないでユーリエ、今安全な所まで運ぶから……!」
ユーリエを抱き起こして近くの路地に逃げ込み、すんでのところで女の子の追撃を回避する。
女の子のほうも、直撃ではなかったにせよユーリエの必殺技を受けてボロボロなので、そう簡単には距離を詰められない。
今のうちにユーリエの手当てをしなければと考えたところで、夏樹は火傷に対する適切な応急処置の仕方を知らないことに思い至る。
また、これだ。
助けたいと願っても、守りたいと祈っても、夏樹にはそれを為す力がない。
敵をねじ伏せる腕力も、状況を変えうる知識も、快刀乱麻を断つ知恵だって、夏樹にはない。
「……けど、僕は今動ける」
昨日、この空間で化け物にしばき倒された時とは違う。
夏樹にはまだ、できることがある。
己の無力を嘆くのは、ユーリエを安全な場所まで運んだ後にすべきことだ。
「……とりあえず、火傷に触っちゃマズいだろうし、服を着せるべきだよね……? でも、服が傷口に癒着しちゃうのもそれはそれでマズいような……」
いや迷うくらいなら後回しでいいだろと気持ちを切り替え、昨日ユーリエがそうしてくれたように、そっと腕を取って自らの肩に回す。
そのつもりで伸ばした手が、ぴたりと止まった。
「……何これ……火傷が、すごい速さで治ってる……!?」
通常なら何週間や何ヶ月、最悪一生痕が残ってしまうかもしれないというような傷が、みるみるうちに癒えていく。
早送りか特撮の映像でも見ているかのような気分だったが、夏樹は驚きとともに昨日感じていた疑問に対する納得を得る。
「もしかして、昨日僕の怪我が即日で治ったのも、ユーリエのこの力のおかげ……? 例の化け物にやられた後、ユーリエに肩を貸してもらったから……?」
だとするのなら。
ユーリエに肩を貸してもらった時に、ユーリエのスキルの恩恵を受けられたのなら……。
「……なつき? ヒウレネメイレミヘレ? イミイヘリニペミュユテネメネイヒ、イヘンミュネ……」
「……イリツヘユミネンリミウネ。エメヘレユイヘニニ、イレヘニイリヘイムネンヘイヒミリヘユ」
「げっ!? しまった、のんびりし過ぎた!?」
夏樹たちが身を隠していた路地に、紅い瞳の女の子が顔を覗かせる。
路地は袋小路というわけではないが、どう考えても夏樹たちが反対側の角を曲がるよりも、女の子が炎を放つほうが早い。
ユーリエもそう考えたのだろう、まだ治りきっていない火傷の痛みに顔を歪めながらも、素早く立ち上がって両腕を広げ、夏樹を守るように女の子の前に立ちはだかった。
「なつき、テユルニネヘルヘメイ! ヘンミメレネイヘンミュニウヒヒメメムネンヘ、エツヘテネミレメン!」
「……何を言ってるのかはやっぱり分かんないけど、何が言いたいのかは分かるようになってきた気がするよ。でも男の子の意地に懸けて、女の子を置いて逃げたりなんかできないって!」
ユーリエのお願い(推定)を一蹴して背中から腕を回して胴体を支え、ヒザの下に腕を差し入れて持ち上げて横抱きにする。
いわゆるお姫様だっこの状態に慌てるユーリエを抱えたまま斜めに跳躍し、女の子の放った炎を回避しながら、壁を蹴って再跳躍した後女の子の背後に着地する。
「ネニユ、リイフ……!? リュウニウニリネ……!」
「今だ必殺! 檸檬直伝、回し蹴り!!」
六連星夏樹は、特筆するほどのことなど何もない、普通の少年である。
小学校、中学校共に部活に所属したこともなく、独自に体を鍛えていたわけでもない。
にも関わらず、夏樹は人一人を抱え上げて飛び回り、驚いて怯む女の子にユーリエを抱えたまま、回し蹴りを放ってみせた。
「……なつき……リンネニムニイヒレメユリツヘイメツミュツヘイヘニヘムレ?」
「あはは……これたぶん、ユーリエのおかげだよ? 僕だけじゃ絶対、こんなことできないよ」
目を丸くして夏樹を見上げるユーリエに、夏樹は苦笑を返す。
同時に、自分の仮説が間違っていなかったことへの安堵にため息をこぼした。
「やっぱり……ユーリエに触れてる間は、ユーリエのスキルを借りられるみたいだね」
これなら、渡り合うことはできなくても、隙を突いて逃げるくらいのことならできるかもしれない。
夏樹の蹴りをもろに食らってよろめく女の子を注視しながら、夏樹の胸中にそんな希望が芽生える。
踏みとどまって体勢を整え、怒りを込めて向けられた女の子の紅い瞳には、しかしもはや油断はない。
夏樹に対する認識を改めたらしい女の子が、踏み込みながら武器を振りかぶる。
先ほどのように三角跳びで避けるべきかバックステップで回避すべきかの判断に夏樹は一瞬だけ迷い、直後にそれが失敗だったと悟る。
「しまっ――――」
「なつき、ミフメイイヘミレム!!」
失敗に対する後悔と恐怖で硬直してしまった夏樹の首に、ユーリエが腕を回す。
夏樹に体を寄せて安定性を確保し、振り抜かれる前に紅い瞳の女の子の二の腕辺りに足を伸ばして、女の子の攻撃を牽制する。
女の子が次の行動に移るより早く伸ばした足を薙いで、女の子の側頭部に後ろ回し蹴りを放つ。
足を振り抜いた勢いのままユーリエは着地し、動きやすくなった夏樹はユーリエの手を取り、スキルを借りて強化した脚力を用いて、体勢を崩した女の子に前蹴りを打ち込んだ。
「……………………っ!!」
「よっし……ユーリエ、今のうちに逃げるよ!」
苦痛に顔を歪めて膝をつく女の子の姿が罪悪感を刺激するが、そんなことを言っていたら殺されてしまう。
夏樹はユーリエの手を引き、女の子の攻撃範囲外を目指して駆け出した。
「…………っ!! ニネムリンレ……っ!!」
「ほわぁぁぁあっぶなぁぁーーーっ!?」
膝をついたまま放たれた執念の火球を、既のところで角を曲がって回避する。
炎が着弾して爆ぜた直後、それとは質の異なる……何か大きな質量を持つ物体が落ちてきたかのような轟音が、走る夏樹たちの背後で爆発した。
「――――ァァァァァァァァァァ!!」
「うわ出たぁっ! 全くもう、タイミングがいいんだか悪いんだか……!」
最初に落ちてきた化け物に続き、また一体、もう一体と、夏樹たちの走った跡を辿るように化け物が落ちてくる音を聞きながら、夏樹は呻く。
逃げる夏樹たちの背後に化け物が落ちてきたということは、紅い瞳の女の子が夏樹たちを追ってこようとした場合に化け物たちが障害になる。
彼女の謎の執念を思えば絶対にないとは言い切れないが、あれだけボロボロの状態で化け物の群れと戦うのは厳しいだろうし、そんな厳しい戦いを経てまで夏樹たちを追ってはこないはずだ。
紅い瞳の女の子からの追撃を心配しなくていいというのは喜ぶべきところなのだけれど、あいにく夏樹たちにも化け物に対処するための手段がない。
あんまりこの付近から離れすぎても元の世界に戻った時に檸檬との合流が大変になるし、何とかして出現した化け物の群れを女の子のほうに押し付けられないかと考える夏樹の行く手を遮るように、新たな化け物がついに現れてしまった。
「うげ、やっば……! どうしようコレ、昨日はどうやって対抗してたっけ……!?」
「……なつき、ユヘミネリニエルレユチリフレレム! なつきテヒウレ、ミニエイヘニニネヘルヘメイ!」
「ごめんユーリエ、なんとなくユーリエが自分を囮にしようとしてるのは分かるんだけど、その案は絶対採用しないからね!?」
半裸の女の子を囮にして逃げるなんて、男の子というか人としてアウトだと思う。
というか、いい加減ユーリエに服を着せてあげないといけないな、などと夏樹の思考が四散し始めた辺りで、突然目の前の化け物が緑色の淡い光に包まれた。
何事かと身構える夏樹とユーリエだが、光はすぐに溶けて消えてしまい、直後に化け物が咆哮を上げて崩れ落ちる。
唐突な事態の変化に呆然とした夏樹だったが、倒れ伏した化け物の向こう側に誰かがいるのを認めて、何が起こったのかを察することができた。
「……ミュウヒウチュメレ……?」
「嘘でしょ……!? このタイミングで『三人目』って……!」
黒衣に身を包んだ女性の姿は、夏樹の知る『シスター』と呼ばれる人たちを彷彿とさせる。
伏し目がちな瞳と控えめに構えられた鍵型の武器の刀身は鮮やかな緑色で、紅い瞳の女の子とは逆側の手首に小さな鍵がくくられている。
能力の詳細は分からないが、彼女が放ったであろう緑色の光に当たった化け物が、たったの一発で膝を折って立てなくなっている。
立ち上がろうともがいているようなので、どうやら一撃必殺の類いではなく拘束系のスキルのようだが、敵を目の前にして動けないなら結果は変わらない。
いつ二発目が放たれても避けられるよう、神経を張り詰める。
ずし、ずしと背後からは化け物の足音が迫り、正面の緑眼のシスターは緑色の淡い光を纏った武器を構えて、夏樹たちに何かを告げる。
「……ヘンミメレネヘ、ツメヘルヘメイ!」
「…………! なつき!」
シスターの言葉を受け、ユーリエは夏樹の手を引いてしゃがむ。
ユーリエの動きを真似て伏せると、それを待っていたようなタイミングで緑眼のシスターが武器を振り抜いた。
緑色の淡い光が夏樹たちの頭の上を通過し、背後の化け物に命中する。
途端に、化け物は何かに押しつぶされたかのように地面に張り付き、押さえつけられた子供のようにバタバタともがき始めた。
「今の、明らかにあの化け物を狙って……? あの人、もしかして味方……なのかな?」
化け物を沈めた緑眼のシスターは姿勢を正し、野球のサインか何かみたいに空いている手で額や肩などに何らかの順番で触れてから、武器を背中に隠すようにしつつ空いている手を胸の前で握って俯く。
数瞬の後に上げられた顔に浮かんでいた笑顔は、服装から想像される通りの、控えめで穏やかな笑顔だった。




