第十三話『連携』
ユーリエの力によって訪れることのできる黒い異空間の構成は、実にシンプルだ。
真っ暗な空があり、真っ黒で真っ平らな地面があり、その一部の区画に黒い箱が山積みになっていて、壁と通路を形作っている。
黒い箱の山の高さはまばらだが、通路に面した一番低い箇所なら、夏樹でもジャンプで手が届く程度の高さだ。
炎に続いて風を操り始めた女の子を相手に劣勢に陥っているユーリエを援護するためには接近戦を仕掛けるしかない夏樹は、だから現在、紅い瞳の女の子にこちらの動きを気取られないよう近くの路地に入って隠れ、その壁面の縁に手をかけ、なけなしの腕力と脚力を総動員して山の上に上ろうとしている。
他の道を通って回りこむのも考えはしたが、戦闘の流れで二人が移動してしまって見失ってしまうとも限らないし、何より、ユーリエから離れたところで例の化け物に襲われたら、夏樹は五秒と持たずにグロ画像にされてしまう。
惨めなほど無力な己を呪いながらも箱の山の上に到達した夏樹は、ひとまず周囲を確認する。
前回は、この箱の山の上からも化け物が襲ってきたので警戒したのだが、幸いにも今回は夏樹以外の姿はない。
「……ヘンミメレヒユメニムネヘネネイユネ。チュツヒミヘ、エネヘニリヒユイイヘニネヘミレツヘニレミメ?」
下の通路から、紅い瞳の女の子の嘲るような声が響く。
一瞬、出会ったばかりの頃のユーリエが夏樹を呼ぶのに使っていた『ヘンミメレ』という単語が聞こえた気がするが、もしもそうなら、声の調子から察するに、何らかの形で夏樹を馬鹿にしたものと思われる。
ユーリエを置いて逃げたのだと思われているなら(不本意ながらも)好都合ではあるのだが、もし夏樹の狙いが女の子にバレていて、あんな無能如きが何をするつもりなんだか的な嘲笑であったなら、少なからず夏樹の行動を把握しているということであり、打撃を与えることができずに対処されてしまう危険性がある。
念には念を入れて、作戦を立て直すべきかと及び腰になる夏樹の耳に、柔らかな、それでいて芯のあるユーリエの声が届く。
「ミウネメ、ユミリペミイリヒヘム。ツレイネリニインイヘムレメヒ、なつきテヘンミメレネニニ、ネンヘレエプネツレミイヘムレメ」
優しげな声だった。
慈しむような――愛しむような声だった。
理由は分からないが、どうやらそれは紅い瞳の女の子の逆鱗に触れたらしい。
二人の武器がぶつかる音をBGMに、女の子の叫び声が響く。
「ユミリペミイ……!? チンリヘイツヘイムニヘヒミヘメ、イレヘヘイレニミネ!! エネヘテリムヘメメヘニユ!? ミンチへイヘレミメレニ……ヘムレヘルヘメイヒイニツヘイヘエイヘニ!!」
「リウ、ユヘミテエネヘニリヒペニレヒユメメヘミミレメン。ヘツヘニイヒニヒヘレヘツヘレメヒ、ヒリニムニミヘヘンミメレニリヒユ……なつきニリヒユ、ユヘミテミンチレム!」
強い意志の宿った、ユーリエの声が聞こえる。
どんな形であれ、おそらくは嘲られていた夏樹のことをきっと、擁護してくれている。
ユーリエへのそんな信頼は、弱腰になっていた自らの心を奮い立たせるには充分すぎた。
夏樹は黒い箱の山の上から顔を出して、紅い瞳の女の子の位置を確認する。
幸い女の子は夏樹の狙いに気づいていたわけではなかったらしく(あるいは、夏樹のことなど忘れてしまうくらいに、ユーリエのセリフが聞き捨てならなかったのだろうか?)、ユーリエとの打ち合いに掛かりきりになっているようだ。
夏樹はズボンのポケットの中から、唯一女の子への対抗手段……に、なれる可能性があるような気がしなくもないものを取り出して握り、女の子めがけて箱の山の上から飛び降りる。
「イエスっ!! ウィーキャァァァァァァン!!」
「…………っ!?」
「なつき――っ!?」
叫びながら、夏樹は紅い瞳の女の子の上に飛び降りる。
鍵型の武器の加護的なもののせいか、人一人が着弾したにも関わらず大したダメージにはならなかったが、ついさっき馬鹿にしていたやつから一発もらってしまったのは、やはり相当腹立たしかったらしい。
着地に失敗した夏樹に向けられた女の子の瞳は、明らかな怒りに燃えていた。
前回の夏樹が、死の恐怖を覚えたのと同じ状況……だが、今回の夏樹には『切り札(……に、なれる可能性があるような気がしなくもないもの)』がある。
夏樹は炎の剣と化している武器を振り下ろされるより先に、女の子の眼前に『それ』を突き出しながら……『決定ボタン』を押した。
――――ピピッ、パシャッ!
携帯電話の撮影音が、無機質に響く。
敵対している夏樹が、女の子にとって未知の行動を起こせば、『何をされてるか分かんないけど、何かよく分からない攻撃を受けている』と思い込ませることが出来るのではと思っての行動だ。
どうやら目論見はうまくいったらしく、撮影の予備動作音やシャッター音、少しでも目くらましになればと思ってオンにしたフラッシュに、紅い瞳の女の子は相当驚いたらしい。
何らかの攻撃だと思って避けようとしたのか、背中から倒れて転んでしまっていた。
カメラ機能のフラッシュに驚いたのは女の子だけではないようで、直線上にいたユーリエも腕で顔を覆いながら、不安そうな視線を夏樹に向けている。
「大丈夫、安心してユーリエ! 何枚写真を撮ったって、寿命が縮んだりはしないから!」
「…………たいちょーぷ?」
「うん、大丈夫!」
ユーリエは、夏樹の言葉を繰り返しているだけで、恐らくその意味までは理解していない。
また、仮に言葉が通じたとしても、多少の信頼関係があるからといって『大丈夫』の一言に安心できるほど、恐怖の感情とは単純なものではない。
『知らない』ことに由来する恐怖は、他人の保証で払拭できるようなものではない。
それでも……ユーリエは夏樹のことを、信じてくれたらしい。
紫色の瞳に決意の光を灯すと、紅い瞳の女の子に向かって武器を振り下ろす。
未知の閃光(カメラ機能のフラッシュ)に警戒心を集中させていた女の子は完全に出遅れて、ユーリエの攻撃をモロに食らってしまう。
どうやら女の子が立て直す前に押し切るつもりのようで、ユーリエは連続で武器を振って畳み掛けるが、女の子もやられっぱなしでは終わってくれない。
地面を転げ回ってユーリエの攻撃を逃れると、素早く体勢を立て直して武器を構え、振り下ろされたユーリエの武器を受け止める。
紅い刀身の周囲を渦巻く炎の風がユーリエの武器を弾き、グラついたユーリエに踏み込もうとする女の子。
大きく振りかぶった女の子がユーリエに武器を振り下ろす前に、夏樹は再び携帯を構えてカメラ機能を使用した。
――――ピピッ、パシャッ!
「…………っ! メツリレメ、ヒメヒメヒウツヒウミイ……っ!」
予備動作音で振り返り、両腕で顔を覆ってフラッシュを防御する女の子。
自分のやっていることが何なのかを知っている夏樹から見れば、(自身の振る舞いも含めて)恥ずかしさと『何やってんだ僕』感に穴があったら侵入するよう促されるような光景だが、自分が何をされているのか分からない女の子のほうは、不快感と怪訝さでパッケージデザインされた、物凄く忌々しそうな視線を夏樹に向けている。
プラシーボ効果とかで体調を崩したりしてくれないかなとか夏樹が考えてる間に、紅い瞳の女の子の撮影拒否で生じた隙を突いてユーリエが武器を振り抜く。
左右からの挟み撃ちが鬱陶しくなったのだろう、紅い瞳の女の子はユーリエの攻撃を回避しながら、鍔の鍵穴に鍵を差し込む。
これまでの戦闘の様子から察するに、ユーリエたちの武器のスキルには恐らく、継続的に発動するタイプと瞬間的な威力を生むタイプがあるらしい。
前者は武器の間合いが広がったり、刀身に炎や風を纏わせたりする能力。
後者は衝撃波や火球を飛ばしたりする能力。
そして、継続型から瞬発型に……あるいは逆の場合、どうやら武器を操作し直す必要があるらしいということも、何となく分かった。
紅い瞳の女の子が現在使用しているスキルは、武器に炎や風を纏わせているのだから、継続型だろう。
現在の再操作が、能力の発動型を切り替えるためのものか、風を纏った状態から炎を追加したようなバージョンアップのためのものかは分からないけれど、放っておけば紅い瞳の女の子の出力が上がってしまうことだけは間違いない。
「させるかぁぁぁぁぁぁぁ!!」
「っ!?」
「なつき、ユレヘ……っ!」
武器の操作とユーリエの攻撃に意識を傾けている女の子に、夏樹は肉薄する。
驚いて振り返った女の子の胸ぐらを右手で、女の子の右腕を左手で掴み、勢いよく体を捻る。
それは、中学の体育で習った投げ技の一つ。
「………………っ!! 大塚先生直伝、背負い投げっ!!」
ガタイの良い強面の体育教師の名前や技名をわざわざ叫び、背中に当たった柔らかい感触に対する男の子な邪念を打ち払って、全力で女の子をブン投げる。
地面に叩きつけられた女の子の空気を吐き出す音に、畳でもない場所で投げ飛ばしてしまった後悔が首をもたげるが、いやいや向こうもこっちを殺しにきてるんだからこれくらいと、気持ちを切り替える。
夏樹が紅い瞳の女の子を背負い投げしたことによって、夏樹とユーリエが並ぶ形になってしまった。
こうなってしまった以上、自分が前線に出ていても邪魔なだけなので、ひとまず下がってユーリエに頼ることにする。
「ごめんユーリエ、また少し戦線離脱するね!」
「レツヘルミウ、レヘエンネルヒュネリヒユミヘ……! リメネイユツヘメ、れもんニインイフレレムレメネ!」
「何で今檸檬の名前が!? よく分かんないけど、ものっそい嫌な予感がする!」
咎めるような視線とともに向けられたユーリエのセリフに死刑宣告めいたものを感じて戦慄する夏樹に構わず、ユーリエは女の子の前に出て武器を操作する。
鍔に空いている鍵穴に鍵を差し込んで捻り、外れた刀身を半回転させる。
そうして露になった鍔の内部に、刀身を外すために使った鍵を差し込み、その上から刀身を嵌めこんで、黒塗りの空に突き立てる。
武器の纏う輝きが強くなり、放たれる紫色の光は刀身に沿って伸びて、巨大な剣の形を成した。
「……って、いやいやちょっと待って!? それってあれだよね、昨日化け物の群れを粉微塵にして辺り一帯を更地に変えたやつだよね!? さそがにそれはオーバーキル過ぎ……」
「……やぁぁぁーーーーーっ!!」
予想されるリアルグロ画像の放映を止めようとする夏樹の声は届かず、ユーリエは気合を込めて武器を振り下ろす。
一発、二発と叩きつけられる光の刃は地面を抉り、衝撃の余波が周囲の箱の山を砕く。
辺りを震わせる轟音の嵐の中、両腕で頭を覆って破壊の余波から守りながらも、夏樹はその破壊から目を逸らせなかった。
……ユーリエに、人殺しをさせてしまった。
戦いをユーリエ任せにしていた自分に、それを非難する権利などないし、するつもりもない。
けれど、未知に怯え、それを知る喜びに頬を緩めていた普通の女の子に汚れ仕事を任せてしまったことは、明確に夏樹の罪だ。
それだけではない。
紅い瞳の女の子だって、夏樹たちに襲いかかってきていたとはいえ、きっとユーリエと同じ、この理不尽な異世界召喚の被害者のはずだ。
もし彼女がこの事態を仕組んだ側だとするなら振舞いに余裕が無さ過ぎるし、携帯のカメラ機能に対する過剰な警戒からも、紅い瞳の女の子が仕組んだ側——すなわち、召喚する側ではなく召喚された側であることを証明している。
ユーリエと同じように理不尽に翻弄されたであろう女の子に、ユーリエと同じように力になることができなかった……力が無かったばかりに、誰も守れなかった。
クレーターをいくつか作ったところでユーリエの武器は砕けて、空間を揺るがすような破壊の嵐が収まる。
呆然と立ち尽くす夏樹の前で一陣の風が逆巻いて、黒い粉塵を払いのける。
そこには、ボロボロになりながらも立ち上がってユーリエを睨みつける、紅い瞳の女の子の姿があった。
「ミンネ……レヘウニレムネンヘ……!」
「えっ……いや、マジで!? まともに食らえば原形が残らないレベルの攻撃だったのに……!」
自分でそう言った直後、解答はそのセリフの中にあることに思い至る。
つまり、まともに食らわなかったのだ。
紅い瞳の女の子が操れるのは、炎と風……あるいは他にもあるのかもしれないが、とにかく自らの周囲に風のドームを作り、ユーリエの光の剣を弾いて直撃を免れたのだろう。
紅い瞳の女の子が生きていたこと、ユーリエが女の子を殺していなかったことへの安堵は、だから一瞬で風化する。
さすがに防ぎきることはできなかったようだが、女の子はまだ動ける。
そして、最低限鍵型の武器を操作して振るうことができれば、現在丸腰のユーリエと夏樹を仕留めるくらい、わけはない。
ぎい、と、紅い瞳を嗜虐的に歪めて、女の子が笑った。




