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そわか  作者: 空雲雛太
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第十一話『買物』

 横断歩道一つであの騒ぎなのだから、電車に乗せようと思ったらさらに大変だっただろうなと、夏樹はそう思った。

 家の近くの商店街にあるデパートは比較的小規模な三階建てなのだけれど、それでもユーリエにとっては青天の霹靂だったらしく、外装で唖然とし、自動ドアに驚愕して、店内に踏み入ると感嘆としていた。

 商店街の小さなデパートですらこの反応なのだから、都市部に連れて行ったらさぞ驚いてくれるだろうなと、夏樹は自分のそんな想像と目の前ではしゃいでいるユーリエに苦笑いをこぼす。


「なつき、れもん、リヘルヘメイ! レイヘンネ、レイヘンネヘンチュウニルレツヘネネメヘイレム!」


 欣喜雀躍の(てい)でユーリエがエスカレーターを指差し、未知との遭遇に対する興奮で輝く瞳を夏樹と檸檬に向ける。

 遊園地に訪れた子どもみたいに跳ね回る姿に思わず頬を緩めるが、落ち着くのを待っていては今日中に帰れるかどうか怪しくなる。

 夏樹は小さく咳払いをして気持ちを切り替え、ユーリエに声をかけた。


「ユーリエ、そろそろ行こう。洋服売り場は二階だから」


 デパートの内装は、一階が食品売り場、二階が生活用品売り場、三階が家具や玩具売り場になっている。

 冷凍食品の入っている棚を興味深そうに眺めていたユーリエは、名前を呼ばれて顔を上げると、とてとてと夏樹に歩み寄り、先ほどまで眺めていた棚を指差して楽しそうに口を開いた。


「ムニイヘムユ、なつき! エニテリ、ヘペリニリヘイネリニニエヒ、ツユネフレメメヘイレミヘ! テムユネフ、ミメヒエリニフレメメヘテリテ、ヒリニエムニヘムレ!?」


「あはは、楽しんでもらえてるみたいで良かった。でも今は服を買いに行きたいから、この階の探検はまた今度ね」


 戻ってきたユーリエの手を檸檬が取って、エスカレーターのほうに軽く引く。

 それで未知への興奮から現実に帰ってきたユーリエは、少しだけ不安そうに上目遣いになる。

 おそらく、何故手を引かれたのかが分からないからだろうと夏樹は想像したが、それだけではなかった(あるいは、そうではなかった)らしい。


「……いきまーしょ?」


「……そう。『行きましょう』」


 先ほど覚えた単語で檸檬に尋ねるユーリエの瞳には、不安と期待が入り混じっていた。

 檸檬が微笑み返して歩き始めると、嬉しそうに笑って後をついて行く。どうやら先ほどの交差点でのやり取りで、言葉の意味を覚えて自分のものにしたらしい。

 事あるごとにおどおどしていた昨日までとはえらい違いだなと、夏樹は相好を崩す。

 エスカレーターに乗るタイミングが掴めずに半泣きになるユーリエを見て思わず笑ってしまったのは、その直後のことだった。


  ◇


 真っ赤な顔のユーリエに涙目で睨まれながら歩くこと数歩、目的の洋服販売エリアにたどり着く。

 夏樹に笑われた怒りと羞恥心のせいだろう、一階のときより反応は薄かったけれど、それでもそわそわしながら、店内に並んでいる洋服にちらちらと視線を向けているので、興味がないわけではないようだ。


「……これ、似合いそう」


 あれこれ見ながら檸檬が手に取ったのは、毛編みで前開きの、薄手のセーターみたいな服だった。

 服の種類については明るくないが、前に檸檬が似たようなものを着ているのをチョッキと言ったら殴られたことだけは覚えている。

 あの時にこの服の名前を教わったはずなのだが、思い出せるのは檸檬の拳の痛みだけで、肝心の服の名前が出てこない。


「……ユーリエ、試着してみて」


 また聞かれたときに殴られないよう記憶を掘り起こす夏樹の横で、檸檬は手にとった服と丈の長いスカート(あれは確か『ワンピース』だったはず)をユーリエに渡す。

 ユーリエはびっくりしたように目を見開いたが、すぐににっこりと微笑んで、洋服を受け取る。

 しかし受け取った服を大切そうに抱えなおしただけで、試着室に足を運ぶ様子がない。


「………………? ユーリエ、どうしたの? サイズは合ってるはずだけど、一応試着しないと後で困るかもしれない」


「………………?」


 檸檬が試着室を指差して促すが、ユーリエはそちらを見ても不思議そうな顔をするだけで、いまいちこちらの意図が伝わっている様子がない。

 どうもどうやら、服を購入する前に試着するという発想が無いらしい。


「……どうしよう。さすがにまた私が着替えさせるわけにもいかないし……」


 檸檬も夏樹と同じ答えに行き着いたのだろう、どうすればユーリエに服を試着してもらえるかを考えている。

 とはいえ、これが夏樹だったならまだしも、檸檬はユーリエと同性なのだから、一緒に試着室に入って着替えさせても問題ないのではないだろうか。

 そう思って尋ねてみるが、檸檬はゆるゆると首を横に振った。


「……昨日のお風呂でも、すごい抵抗されたから。家でならまだしも、お店で騒がれるのは困る」


 確かに、またあんなに暴れられたら、店員にもおかしな誤解をされかねない。そうなったら檸檬はもう二度と、この店を利用できなくなってしまうだろう。


「それなら、檸檬が試着して見せたら? お手本を見せたらきっと、僕らが何をしてほしがってるのか分かってくれるよ」


 手の届く範囲にあった服を手にとって、檸檬に渡す。

 なぜかボタンやチャックの付いていない前開きのシャツに、透けているかのような薄手の丈の長い上着とズボンだ。

 檸檬は受け取った服をじっと見てから、おもむろに口を開く。


「……あなたは、私にこれを着てほしいの?」


「へっ? うーん……まあ、そういうことになる……のかな」


 それ以外に、ユーリエに試着をするよう伝える手段が思いつかないわけだから、きっとそういうことになるのだろう。


「……私は、こっちのほうがいい」


 ズボンの代わりにスカートを取って、心なしか嬉しそうに試着室へと入る檸檬を、少し意外な気持ちで夏樹は見送る。

 制服以外のスカートは普段あまり履いていなかったので、てっきり嫌いなのかと思っていたのだが、そういうわけでもないのだろうか。

 しゅるしゅると、微かに聞こえてくる衣擦れの音に赤くなりながら(服を脱いでいるのは分かっても、なぜそんなことになっているのかが分からないのだろう、ユーリエも真っ赤になっていた)、しばらく待つ。

 仕切りのカーテンが開かれて再び姿を現した檸檬の服装が違っているのを見て、ユーリエは目を丸くしていた。


「……れもん……ミニツル、レヘリウニュウミヘイネイヘムユネ? レツヘニリヘミレツヘユレツヘニヘムレ……?」


「……大丈夫。ユーリエも、着替えてみて」


 不安げなユーリエを試着室に押し込んで、カーテンを閉める。

 最初は二の足を踏んでいるようだったが、やがて躊躇いがちな音が、カーテンの向こうからしゅる、しゅると、か細く漏れてくる。

 その弱々しさに想像をかき立てられて、そろそろと恥ずかしそうに服を脱ぐユーリエの姿が脳裏に浮かんでのぼせかける夏樹の頭に、激痛を訴える電気信号が駆け抜けた。

 どうやら隣の檸檬に、足の小指を踏み抜かれたらしい。


「……っつぅー……っ! いきなり何すんの、檸檬……!」


「……………………っ! ……………………っ!!」


「痛っ……ちょっ、痛っ!? 何で更に追撃を……っ!?」


 夏樹の抗議の視線は取り合わず、檸檬は無言でがすがすと夏樹の足を踏み続ける。

 原因不明の執拗な体罰の時間は、遠慮がちにカーテンの開けられる音によって終わりを告げた。


「エニ、リネエイユミレミヘ……れもん、なつきテヒウミヘウツルレツヘイムニヘムレ?」


「……見ちゃ駄目。頭の中で辱めを受けるから」


 恥ずかしそうに出てきたユーリエは、うずくまって足を押さえている夏樹を見て不思議そうにしている。

 冷ややかな檸檬の視線が浴びせられているのを肌で感じるが、事実無根の濡れ衣とも言えないので、夏樹は反論することができない。


「……うん、ばっちり。ユーリエによく似合ってる」


「…………? エツヒ、リニ……エミネヒウ、ニテイレム……?」


 足の小指の痛みと脱衣姿を想像してしまった気まずさのデュエットで下を向いたままの夏樹の頭上から、そんな会話が聞こえる。

 何を言われているか分からないながらも褒められていることは伝わっているらしく、ユーリエの声音には困惑と嬉しさが混在している。

 そんなふうに思ってから、夏樹はそういえば檸檬のことを褒めていなかったことを思い出す。


「あの……!」


「……着替える。覗いたら、死なすから」


 顔を上げると夏樹の想像を裏付けるように、檸檬が拗ねて怒ったときの目を夏樹に向けてそう言い、試着室の中に消える。

 またここで二人の着替える音を聞いていたら今度こそ殺されかねないので、夏樹は一言だけ言い残して、そそくさとその場を離れる。


「檸檬もさっきの服、可愛かったよ!」


「………………。ばか」


 だから、檸檬の最後の呟きに照れ隠しするような響きがあったことには、残念ながら気づけなかった。


  ◇


 その後、その後のことは思い出したくもない、とでも書いて描写を省きたくなるような精神的体罰(不思議な言葉だ)を経てから、夏樹たちはデパートを出る。

 このまま家路についても何ら問題はないのだが、今日はユーリエにこの世界に慣れてもらうためのレクリエーションということで、遠回りをして周囲を散歩する運びとなった。

 檸檬の企画したレクリエーションが功を奏したのか、ユーリエは召喚されたときから想像もできないくらい活発に、あちこちを興味深そうに眺めている。


「なつき、エメテネンヒユプニヘムレ?」


「あれは標識だよ。『ひょうしき』」


「ひょーひき?」


「んー、まあ大体合ってる」


「れもん、エニテリニリネレエネエムニヘムレ?」


「……公衆電話。あれは『こうしゅうでんわ』っていうの」


「……って公衆電話!? あんなのまだあったの!?」


「………………?」


「……大丈夫、何でもない。気にしなくて大丈夫よ、ユーリエ」


「……たいしょーぷ?」


「ん、んんー……まあ、大体合ってる……かな?」


「なつき、エニイムニリヒテ、リヒメニリヒペヘネンヒイウニヘムレ?」


「ああ、あれはベンチだよ。ベンチ。言いにくかったら『椅子』でもいいと思うけど」


「……ぺんちー?」


「うん、やっぱり『椅子』で覚えよう! その発音だと全く別の物になっちゃうから!」


 時々気になるものを指差して何かを尋ねてくるのでその名前を答えると、嬉しそうに笑って口の中で繰り返す。

 普段何気なく通っている道でも、ユーリエの好奇心を通して見ると様々な発見があって、夏樹たちにとっても楽しい時間が穏やかに過ぎていく。

 そんな時間の、ひとまずの区切り。

 檸檬の用意したお弁当を広げるために目指していた公園の手前で、夏樹たちは足を止めた。


「………………っ!?」


「ちょっ……嘘でしょ……!?」


「……この子、ユーリエと同じ……」


 その脅威を知る夏樹とユーリエは身構え、檸檬もただならぬ気配を察して警戒する。

 そんな三人を、親の仇でも見据えるみたいに。

 紅い瞳の女の子は、睨みつけていた。


「……リニツルリウ……ヘンミメレヒユメニ、ユウミニヘリムレエイメヘイヘヘレヘニ?」


「レツヘルヘメイ、ユヘミニメンヒウユイリネウフリミテ……!」


「ネイニヘミュウネ……ミメヘレミエユメミウニミヘイムニネメ!!」


 女の子の、正体不明の怒りが具現化したかのように、紅い刀身の鍵型の武器が出現する。

 平和的な解決は……望めない。

 そう悟ったのだろう、苦しそうに顔を歪めて、ユーリエも紫色の刀身を閃かせた。


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