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そわか  作者: 空雲雛太
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第十話『外出』

 その日の朝、眠っていた夏樹はいきなり何者かの襲撃を受けた。

 すわ、紅い瞳の女の子の襲来かと慌てて起き上がると、目に映ったのは見慣れた幼馴染の顔だった。

 何をそんなに怒っているのか、熟れたトマトのように真っ赤になって夏樹を睨み付けている。


「れ……檸檬? どうしたのいきなり……痛っ!?」


「――――っ! ――――――――っ!!」


「痛っ、ちょ、痛……! 何なに!? 何で僕無言でひたすら殴られてんの!?」


「れもん、イヒフイヘルヘメイ! イツヘミニチレンユチュレミヘミレツヘニテユヘミネニヘムレメ、ネヌムネメユヘミユ……!」


「――――――――――――っ!!!!」


 いつの間にかやって来ていたユーリエの制止も聞かず、むしろ一層激しく檸檬は夏樹をボコボコにする。

 結局、なぜ警告無しでいきなり殴ってきたのか、顔を真っ赤にした檸檬は頑として答えてくれなかった。


  ◇


「……服を買いに行きましょう」


 支度をして朝食の席に着いた夏樹に、檸檬は唐突にそう言った。

 本当に唐突に、いただきますを言うより早く、である。

 食事前の挨拶に馴染みのないユーリエも違和感を感じたらしく、何の話をしているのだろうと少し不安そうにしている。

 突然のことではあったものの、檸檬の言葉が足りないのはよくあることなので、夏樹も落ち着いて聞き返す。

 というか、リビングに入った瞬間から、夏樹も檸檬に聞きたいことができていたのだ。


「……その話ってもしかして、今檸檬が僕の服を着てるのと関係ある?」


「……もちろん」


 半眼で尋ねる夏樹に対し、鷹揚に頷いて檸檬が答える。

 原因不明の檸檬の怒りに文字通り叩き起こされた夏樹は、その後逃げるように洗面所に行って顔を洗うなどした後、檸檬が階段を下りてリビングの扉を開けた音を聞いてから、自分の部屋に戻った。

 夏樹が寝巻きから着替えたのはこのときなのだが、思い返してみれば確かに、服の枚数が少ないような気はしていた。

 余計に引っ張り出してしまった分の服を、慌てて突っ込んだように荒れているのも、不思議に思っていた。

 しかしまさか、寝巻きに続いて私服まで奪われるとは。

 ユーリエが着ていた服は土汚れが酷く、洗濯機に入れるのも躊躇うような有様なので、仕方ないといえば仕方ないのだが、さすがに普段着なら母のものがあるのではないだろうか。

 これから先、どんな顔をしてあの服を着ればいいんだと胸中でぼやいてから、夏樹は檸檬に説明を促した。


「服って、ユーリエのだよね? わざわざ買ってこなくても、母さんのやつを借りたらいいんじゃない?」


「……今はそれで良くても、おばさんが帰ってきたら、それじゃ回らない」


 言外に檸檬が夏樹の服を着ている理由を聞いてみたが、当然のように無視された(檸檬に限って、気付いてないというのはあり得ない)。

ともかく、今の檸檬のセリフは、母のいない現状であれば夏樹の案でやっていけるという意味ではないだろうか。

 服は決して安いものではないのだから、母が帰ってきてから買ってもらったほうがいいのではと思案する夏樹に、檸檬が続ける。


「……それに、ユーリエも女の子。可愛い服を見て回るのは、きっと楽しい」


「ああ、なるほど……」


 要するに、目的は服そのものよりも、ユーリエをこの世界に慣れさせることらしい。

 互いの名前を交換したことで、ユーリエの警戒心は幾分和らいだ。

 けれど、今自分の名前が夏樹たちの会話に出てくるたびにびっくりしていることからも分かるように、ユーリエにとっては、分からないことのほうが圧倒的に多い。

 だから檸檬は、ユーリエとの心の距離を縮めるためのレクリエーションとして、服を買いに行くという提案をしたのだろう。


「うん、分かった。それなら今日は、ユーリエの服を見に行こう。家を出るのは、何時頃にする?」


「……朝ご飯を食べ終わって、お弁当の準備が終わったら」


「ん、りょーかい……って、お弁当? お昼を外で食べるのはいいけど……普通にファミレスとかじゃダメなの?」


「……馬鹿」


 至極もっともなことを言ったつもりなのに、短く端的に罵倒されてしまった。

 理不尽な扱いに釈然としないながらも、夏樹と檸檬の会話が分からずに半泣きのユーリエに笑顔を向けて、夏樹は意識を切り替える。


「……じゃ、今日の予定も決まったことだし、朝ご飯を食べよっか! いただきまーす!」


「……いただきます」


「……い……いひゃあひ……っ! いてゃはき……ぅぅ~っ!」


 昨日の夕食ではお祈りをしていたユーリエだが、どうやら郷に入っては郷に従うことにしたらしく、夏樹たちと同じように食事前の挨拶を言おうとしている。

 『いただきます』がうまく言えず、悔しそうな顔で涙を浮かべているのが、少し可愛かった。


  ◇


 異世界召喚の物語において、異世界へと飛ばされる主人公が世界観の違いに戸惑うということは、少なくとも夏樹の知る範囲ではあまり無い。

 物語の基本骨子だけでなく、舞台となる異世界についても『科学の代わりに魔法の力で発展を遂げた世界』というフォーマットが、ある種の『お約束』として定着しているためだろう。

 『異世界召喚』と聞けば、聞く機会のある人の大半がそれらを思い浮かべるこのご時勢に、主人公が異世界召喚に関する知識を持っていないというのはリアリティに欠けるというか説得力が足りないというか、読者が感情移入しにくくなってしまうのだろう。

 だからと言うと言い訳がましいが、夏樹はユーリエのいた世界にも魔法文明があり、科学技術の存在に驚きはしてもすぐに慣れるだろうと油断していた。


「ちょっ、引っ張んないでよユーリエ! 大丈夫だって、今は動かないから!」


「ヘレヘムなつき、レヘヘフニテリネニリツヘイレム!! リヒユミなつきテ、リニウリエニペレリニニレネユイユメメヘイムニヘムレメ! エンネニニプフレツヘメ、チンヒウニミンヘミレイメム~~~っ!!」


「安心してってば、ほら、あれを見……うわわわわ、変わっちゃう変わっちゃう、ユーリエ早く!」


「へメヘム~~っ! イネネイヘムレメ、エニヘフニテリネネルネムレヘレツヘルヘメイ~~~っ!!」


「ユーリエ、ちょっと落ち着いて! お願いだから僕の話を……ぎゃぁーっ、もうダメだぁーっ!!」


「……夏……あなたも落ち着いて。信号なんて、また変わる」


 周囲の通行人が奇異の眼差しを注ぐ中で、檸檬が騒ぐ二人を淡々とたしなめる。

 夏樹がユーリエと格闘している間に歩行者信号は青から赤へと変わり、程なくして停車していた車も動き出す。

 それを見て夏樹が脱力すると、危機は去ったとばかりに、ユーリエも夏樹の服の裾を掴む手から力を抜いた。


「リウ……なつきツヘペ、ネニユレンネエヘイムンヘムレ? エンネリレンネリニネエムリヒユユリニミウヘネンヘ、ルヒュネムニレム!」


「あ、うん。ごめんなさ……え? 今の、僕が悪いの……?」


 拗ねたような顔で上目遣いに夏樹を睨むユーリエに、思わず謝りかけてから夏樹は首を傾げる。

 力は抜いたものの、未だに夏樹の服の裾から手を離さないのも、そうしたら夏樹が道路に飛び出して轢かれてしまうとでも思っているからだろう。

 現代社会に慣れている夏樹のほうが、科学文明に不慣れなユーリエに心配されている現状に少なからず凹む夏樹には目もくれず、檸檬がユーリエに話しかける。


「……ユーリエ、あれを見て」


「…………?」


 檸檬が指を指す方向にユーリエも視線を動かし、歩行者用信号に目を留める。

 歩行者用信号の色は、赤。

 ユーリエがそれを目に映したと見たのだろう、檸檬が続ける。


「……次に、あっち。あれはこっちと違って、青いでしょう?」


「………………」


 檸檬の指の動きに合わせて、ユーリエも首を動かす。

 車両用の信号が青なのを確認し、目の前の歩行者用信号と見比べる。

 初めはそれらが何を示すのか分からないようだったけれど、車両用信号が青から黄色、赤へと変わるのを見て、驚いたように忙しなく二つを見比べる。

 数瞬の後、歩行者用信号が赤から青に変わったのを見て、驚きと興奮のないまぜになった瞳を檸檬と夏樹に向けた。


「なつき、れもん! イレ、テリニイミネチヒミヘニ……! エメテイツヘイネンヘムレ!?」


「……ん、不思議ね。仕組みは私も知らないけど……」


 未知の存在を目の当たりにしてはしゃぐユーリエにそれっぽい相槌を打ってから、今度は停車している車とその車線上の信号をそれぞれ、檸檬は指で指し示す。


「……あの信号、赤いでしょう? 赤い信号の正面にある車は動かない。……もう一度、あの信号を見ていて」


 今度は赤信号を指差したまま、じっと信号が変わるのを待つ。

 ユーリエもすっかり引き込まれ、再び信号の色が変わるのを今か今かと待ち構えているのが分かる。

 そうしてとても長い十数秒が過ぎると、車両用信号の色は再び赤から青に変わり、停車していた車が走り出す。


「っ!?」


「……分かった? 信号の色が青の間は、安全」


 信号に集中して周囲への注意が疎かになっていたのだろう、動き出した車のエンジン音に驚くユーリエに言いながら、檸檬はもう一度歩行者用信号を指差す。

 再び赤くなっている信号に目をやったユーリエは、不安げな視線を檸檬、それから夏樹へと移す。

 檸檬が何を言いたいのかが分からないのかもしれないし、あるいは自分の見つけた答えに自信が持てないでいるのかもしれない。今夏樹の服の裾を握る手に力が込められているのは、夏樹が心配だからではないはずだ。

 檸檬を見ると、向こうも夏樹に目配せをしている。

 ユーリエの背中を押す役割は、夏樹に任せるということなのだろう。

 夏樹も視線で返事をして、信号が変わるのを待つ。

 車の通り過ぎる音以外に何も聞こえない、静かで長い待ち時間が続く。

 緊張した面持ちのユーリエが、車両用信号と目の前を通る車の間で視線を何度か往復させた後に、車両用信号が青から黄色に変わる。

 信号の色の変化を見たユーリエは、弾かれたように夏樹を見た。


「……この様子だと、檸檬が何を言いたかったのか、ちゃんと伝わってるみたいだね」


「……そう」


 賞賛の意味を込めて言葉を向けると、檸檬はほんのり頬を染めてそっぽを向いてしまう。

 交差点にある全ての信号が赤くなる一瞬を経て、歩行者用信号が三度(みたび)青くなる。

 夏樹は不安そうなユーリエの背中を軽く叩いて笑いかけ、名前を呼んだ。


「さ! 行こう、ユーリエ!」


「………………」


 夏樹と無言で歩く檸檬に促され、ユーリエが足を踏み出す。

 恐る恐ると、まず一歩。

 おどおどしながら二歩、三歩と続け、四、五、六歩と小走りになって、横断歩道を渡りきって振り返る。

 最初の三歩でびくびくしていたせいか、歩行者用信号が青から赤に変わったのは、ちょうどそのタイミングだった。


「………………」


 停車していた車が動きだし、さっきまで自分の歩いていた場所を走り抜けるのを、ユーリエは放心して眺めている。

 やがてその瞳に感情の色が戻り、きらきらと輝き始めたのを見て、夏樹はつい笑ってしまう。

 知らなかったことを知り、経験として自分のものにできたことを喜んでいるユーリエの様子が子どもみたいだったから。

 きっと同じことを思ったのだろう、ユーリエを挟んで反対側の檸檬が優しげに微笑んで、ユーリエの手を取る。

 少し驚いたようだったけれど、ユーリエもくすぐったそうに笑って檸檬の手を握り返す。

 ふわふわするような気持ちでそれを見ていた夏樹に、ほんのり熱を帯びているような視線を檸檬が向けた。


「……行きましょう、あなた」


「え……あ、うん」


 小さい頃に初めて会った時のような落ち着かなさを感じながら、夏樹は歩き出す。

 それに合わせて足を踏み出す檸檬に、言葉が分からないせいで僅かに出遅れたユーリエが続く。

 こんな形の繋がりに心当たりがある気がして落ち着かない夏樹に、ユーリエが何か期待の込められた口調で言った。


「いき、ま、しょー?」


「………………。うん、行こっか!」


 返事をして少し歩調を速めると、ユーリエは嬉しそうに笑って、それに倣う。

 そんなユーリエに()かれる檸檬の、呆れを含んだ笑顔を見て、また夏樹は思う。

 やっぱり、こんな形の繋がりを知ってる気がする。

 それが何という名前だったかは、胸中ですら呟くのが面映かったので、忘れることにした。



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