第九話『団欒』
六連星夏樹と夜凪檸檬は、幼馴染である。
両親同士の仲が良く家も近所で、さらに夏樹の母は出張、父は海外転勤と家を空けることが多かったために、夏樹が檸檬の家で寝泊りすることも多かった。
今回は夏樹が疑似一人暮らしを熱望したために現在の形になったが、夏樹の生活を心配した両親が檸檬に夏樹の世話を頼んで合鍵を渡していったくらいなので、夏樹的には大反対でも、両家の両親が檸檬の案に反対はしなかった。
問題はむしろ、身元不明の外国人である、ユーリエのほうだ。
「……というわけで、仕送りの生活費を二人分増やしてほしいんだけど……」
『いやいやいや、レモンちゃんはともかくとして、何でその……ユーリエちゃん? の面倒まで見なきゃなんないのよ……』
電話で事の経緯を説明すると、受話器の向こう側から露骨に嫌そうな母の声が届く。
母から見れば、顔も知らない外国人ホームレスのユーリエは、得体のしれない不審人物以外の何者でもないだろうから、その反応は妥当だろう。
「だってさ、見ず知らずの土地で家に帰れなくて困ってるんだよ? 何とかして力になってあげたいじゃんか」
『……そこだけ聞くと、何だかのっぴきならない犯罪に巻き込まれてる匂いしかしないんだけど……』
確かに、異世界召喚うんぬんを伏せたままユーリエの現状を正確に伝えると、外国でかどわかされて人身売買の商品にされてしまったようにしか聞こえないかもしれない。
しかしだからといって事情を包み隠さず話せば、今度は夏樹が痛い子扱いされてしまうだろう。
母を納得させられる説明ができずに歯噛みしていると、母の嘆息する声が聞こえた。
『はぁ……まあ、いいや。レモンちゃんが大丈夫って言ってるなら、それを信じましょう』
「あ、うん。ありがとう。できれば息子の言葉も信じてほしいけど」
『アンタはダメね、人を疑うことを知らないから』
失笑を含んだような母のため息には一言物申したかったけれど、それより早く母が話を進めてしまったために、抗弁できなかった。
是が非でも正したかったわけではないが、お前は騙されやすいバカだと言われたみたいな不満が胸中にくすぶって面白くない。
『分かったわ。そういうことなら、少し多めに仕送りしてあげる。レモンちゃんもいるなら、横領の心配もないしね』
「母さんの息子への信用度低すぎない!?」
母から預かったお金で着服したものなんて、お使いのお釣り以外にはないのに。
夏樹の抗議をけたけたと笑って受け流し、母が続ける。
『自分から首突っ込んだんだから、ちゃんとその子の面倒見なさいよ』
「分かってるってば。それじゃ、またね」
『はいはーい。レモンちゃんのこと、泣かしちゃダメだかんね』
最後になぜか檸檬のことを付け足して、母は通話を切った。
ユーリエの話をしていたはずなのに、どうして檸檬のことが出てくるんだと首を捻りながら、夏樹も受話器を置く。
それを見て、ユーリエに自己紹介していた檸檬が声をかけてきた。
「……電話、切っちゃったの?」
「うん。もしかして檸檬、母さんに何か話があったの?」
少し困ったような顔が意外で、夏樹はそう尋ねる。
伝えるべきことは全て伝えたはずだが、何か言い忘れたことがあっただろうか?
それとも、檸檬と母はやたら仲がいいので、何日かぶりにお喋りがしたかったのだろうか。
だとするなら気の利かないことをしてしまったなという反省と、始まると長い二人の会話を防げた安堵感の中から言葉を探している夏樹に、檸檬が少し恥ずかしそうに言った。
「……ユーリエの下着……たぶんおばさんと同じくらいのサイズだから、貸して下さいって……」
「…………ああ……」
なんとなく聞いてはいけないことを聞いてしまったような気がして、夏樹は少し気まずくなる。
どう見たって着替えを持っていなそうなユーリエの替えの服は確かに必要だが、檸檬のものでは何というか、部分的に余ってしまうだろう。
本当に成人しているのかさえ怪しい夏樹の母のものを借りようというのは、至って然るべき判断だった。
「新しく買ってくるのはダメなの?」
「……当たり前。そんなことしたら、あなたとユーリエを二人きりにしなくちゃいけなくなる」
「檸檬の幼馴染への信頼感も相当低いよね!?」
さすがに女子に悪さを働くような疑いを掛けられる前科は無いはずだが。
もしや母が最後に言っていた『レモンちゃんを泣かせるようなこと』というのも、そのことだろうか?
人生の大半を共に過ごした人たちとの絆に涙していると、檸檬が意を決したように頷いて、夏樹に視線を向ける。
「……私はおばさんにもう一回電話するから、夏……あなたは私の着替えを取ってきて」
「今夏樹って言いかけなかった?」
「あなたは私の着替えを取ってきて」
「頑なだなぁ……」
ユーリエと肩を組んで帰ってきたことを、どうやら未だに怒っているらしい。
ひょっとして引っ込みがつかなくなっているだけではないだろうかと思いながらもリビングから出ようとして、夏樹は檸檬のセリフに引っかかりを覚える。
「……檸檬……さっき、なんて言ってたっけ?」
「あなたは私の着替えを持ってきて」
「……だよね……それってさ」
羞恥心が喉を塞いで言葉が出ないが、言わないわけにはいかない。
というか、ユーリエのそれには気がついて、どうして自分のそれに気が回らないのだろうと毒づきながら。
「それってさ、その……下着とかはどうするの?」
恥ずかしさに耐えて搾り出したセリフに、しかし檸檬は顔色を変えなかった。
心なしか頬の赤らみを強めながらも、夏樹を睨みつけたまま同じセリフを繰り返す。
「……あなたは、私の、着替えを持ってきて」
「………………マジすか」
そんなに恥ずかしいなら頼まなきゃいいのにとぼやいたら、跳び蹴りを放たれた。
◇
檸檬の母の冷やかすような言動に辱めを受けながらも帰宅すると、お湯張りが終了したことを告げる電子音と機械音声が夏樹を出迎えた。
リビングに入ると、何かを探すようにわたわたと首を振るユーリエと、夕食の下準備をしている檸檬が目に映る。
「ただいま。檸檬の着替え、取ってきたよ」
「……おかえり」
夏樹を一瞥して短く報告に応じ、檸檬はコンロの火を落とす。
おそらくはお湯張りが終了したことを告げた声の主を探しているのであろうユーリエが、その音に反応してコンロにも興味を引かれたらしく、好奇心に輝く瞳をそちらに向ける。
最初に比べたらずいぶんと色んな表情を見せるようになったなと微笑ましく思っていると、檸檬が夏樹に近づいてきて手のひらを差し出してくる。
着替えを渡せという意味だろうと解釈し、夏樹は檸檬の家から持ってきた着替え一式を入れたバックをその手に握らせた。
「……ん、ありがと。……あと……夏樹の寝巻きも、貸して」
「僕の? って、ああ……ユーリエの分か」
下着は夏樹の母のものを借りたのだから、寝巻きもそうすればいいのにとも思うのだが。
しかし夏樹が気付いたことに檸檬が気付かないとも思えないので、恐らく替えの分も出張先に持って行ってしまっているのだろう。
「……ちなみにさ、その場合僕の分のパジャマはどうなるの?」
「……中学のときのジャージとか」
「まあ、そうなるよね……」
寝るときに着たことがないので落ち着かないが、まさかお客さんであるユーリエにジャージを着させるわけにもいかないので仕方ない。
部屋に寝巻きを取りに行こうとして、ふと今の檸檬の言葉を思い出す。
「……そういえば檸檬、今僕のこと『夏樹』って呼んだ?」
「…………っ! あなたの寝巻きも貸して!」
「はいはーいっと」
檸檬の照れ隠しの攻撃を避けて、二階の自室に向かう。
寝巻きを取って一階に戻ると、ユーリエの手を引いた檸檬が脱衣所の扉を開けたところだった。
「檸檬、持ってきたよ」
「……ありがと。ほら、おいでユーリエ」
「…………???」
夏樹から寝巻きを受け取った檸檬は、恐怖心と好奇心の入り混じった顔のユーリエを脱衣所に連れ込んで扉を閉める。
ユーリエの体を洗うのと一緒に、シャワーなどの使い方を教えるつもりなのだろう。
『エニ……れもん? リンリテイツヘイ……ぇ、エニっ! ヒウミヘイレミリニユヌイヘイメツミュムニヘムレっ!?』
『……どうしたの? ユーリエも早く脱いで』
『えええエニっ、ヘンネメレリイメツミュムニニ、リウイウニテ、ミニ……ユルネイニヘテヒインイレムレっ!』
『……暴れないで。服が脱がせにくい』
『ぁ、ゃ……っ! ヘレヘムれもん、ユヘミっ、イユレメンニネメネルネツヒュイレム~っ!!』
案外お風呂が嫌いなのか、ユーリエの抵抗する声と、意地でもお風呂に入れようとする檸檬の格闘する音が聞こえてくる。
声と音だけ聞いてると、ユーリエが檸檬に襲われてるみたいだなと思いながら、夏樹はそそくさと自分の部屋に戻った。
◇
異空間でのリアルなバトルの後にバーチャルなバトルを体感する気力が湧かず、ゲームをやらず漫画も読まずにぼーっとしていたら、一階から檸檬の声が響いてきた。
『……お風呂空いたから、入っちゃって。晩御飯のあとに温めなおすのも面倒だから』
「ん、りょーかーい」
返事をして、部屋を出る。
階段を下りていくと、リビングのほうで檸檬が夕食の準備をしている音が聞こえてきた。出来立ての暖かい食事にありつこうと思ったら、あまりゆっくりと入浴してもいられないだろう。
そういえば、怪我をしているときに入浴するのは、良くないのではないだろうか?
湯船に浸かってから化け物にやられた傷のことを思い出してそんなことが気になったが、本当に酷い怪我であったなら、そもそもこんな簡単に忘れはしないだろう。
念のため化け物にやられた辺りを押したりして調べてみたが、どこにも異常は感じられなかった。
「やられたときはめちゃくちゃ痛かったんだけどなぁ……」
殺されるかもしれないという恐怖心が、実際以上に傷に痛みを感じさせたのかもしれない。
あるいは夏樹にも、何か隠された能力があるのだろうか?
「怪我がすごい早さで治ったんだから……治癒能力? そんな能力が本当にあるなら、他人に使えたりしないのかなー」
そうすれば、再びあの異空間に巻き込まれたとしても、ユーリエを助けることができるのに。
そんなことをしばらく考えてから夕食のことを思い出し、急いで湯船から上がる。
着替えてリビングに急ぐと、すでに色とりどりの食事が並べられ、檸檬の寝巻きに身を包んだユーリエと(お風呂でのぼせたのか、顔が少し赤い)、夏樹の寝巻きに身を包んだ檸檬も席についていた。
「……やっと出た。早く座って。ご飯が冷める」
「うん、その前に何で檸檬が僕のパジャマを着てるのかを聞かせてほしいかな」
どう考えても、わざわざ自分の寝巻きをユーリエに貸す必要はなかっただろう。
「……何か、変?」
「いやいやいや、だって檸檬のパジャマは動かす理由がないじゃん! 普通に自分のやつを着たら良かったでしょ!?」
「……何の話なのか、私にはさっぱり分からない」
「いやいやいや……え? 何これ、僕の言ってることのほうがおかしいの……?」
あまりにも堂々とした檸檬の振る舞いに、夏樹は自分の中の常識への信用を削がれていく。
どう考えても、わざわざ自分の寝巻きをユーリエに貸す必要はなかっただろうと思うのだが……。
「……早く座って。ご飯が冷める」
「あ、うん」
結局結論がうやむやなまま、檸檬に促されて着席する。
考えてみれば、初対面の異性の寝巻きに身を包むのは、精神的な負荷が強かったかもしれない。
きっと檸檬は、その辺りに配慮して自分の寝巻きをユーリエに貸したのだろう。
そんな風に納得して、夏樹は目の前の食事に意識を切り替えた。
「……じゃ、いただきまーす!」
「……いただきます」
「………………!? い……ぇ……?」
食事前の挨拶をする夏樹と檸檬の間を、慌てたようなユーリエの視線が忙しなく行き来する。
一体どうしたのだろうと首を傾げる夏樹に、檸檬が言う。
「……たぶん、食事の前に挨拶をする習慣が無いんだと思う」
「ああ、なるほど……」
そういえば日本でも、宗教によっては食事前にするのは『挨拶』ではなく『お祈り』だ。
納得するとともに、自分の常識とは異なる習慣を前におろおろするユーリエを見て、思わず苦笑いがこぼれる。
ユーリエだけでなく、夏樹たちもきっと、こんなふうに戸惑う機会が増えるのだろう。
すでに始まり始めている新たな日常を目の当たりにして、夏樹は穏やかな高揚感を覚えていた。




