裏町 酒場にて
裏町のとある酒場。
この裏町には酒場がいくつもあるが、大抵の酒場は酔っ払いや、不良たちに暴れられている経験が多々ある。
しかしそんな中、一件だけ酔っ払いや不良達に暴れられることもなく、むしろそんな彼らを叱咤激励している酒場があった。
さっきまで不良達がいたお陰で、店は賑やかだったが、今は客が一人もいないじょうたい状態だった。
酒場のマスターは不良達の食べ散らかした食器を片付けながら鼻歌を歌っていた。
「よう、マスター。相変わらず活気がいいな」
マスターは入ってきた老人を見ずに吸っていたタバコを灰皿に押し付けた。
「こんな客もいない酒場でよくそんな事が言えるな爺さん。うちに来る前からもう酔っ払ってんのか?」
老人は適当なテーブル席に着いて被っていた帽子を取った。
「何を言うか、この裏町ではまだ一度もゴロツキに襲われてないなら大繁盛だろうが。大抵の酒場は店の半壊なんぞ日常茶飯事さ」
「ハッ、そういうのは褒めたうちに入ってねぇよ」
そう言ってマスターは老人に酒瓶とグラスを渡した。
「相変わらずじゃのう。もっと年寄りには愛想よくせんか」
老人はグラスに酒を注ぎながら言った。
「酔っ払いに愛想よくしてもチップも貰えねぇからな、損しかねぇ」
マスターは再びタバコに火を点けて吸い始めた。
「しかし懐かしいの、10年前なんかはここには何にも無かったのにのぉ。、いつのまにかゴロツキのたまり場となり、今では店も出ているくらいじゃ。昔はそんなこと考えられんかったのうマスター」
老人が懐かしそうに昔の事を語りだした。
「あ、あーそうだな。懐かしい」
「ん?なんじゃ、昔になんか嫌な思い出でもあったか?」
「嫌、そうじゃねぇんだが・・・」
マスターが珍しく言葉を濁した。
「なんじゃい。たまには若いモンの悩みを聞こうじゃないか。わしの酒を一杯やるからこっち来い」
「できれば溜まったツケを返してくれる方が嬉しいんだがな・・・」
マスターは渋い顔をしながら、それでもグラスを持って老人の席へと行った。
「細かいことは気にするな、ほれ」
老人はマスターのグラスに並々と酒を注いだ。
「おいおい、そんなに飲ませるなよ」
「若いもんが何を言っとるんじゃ。それグイーっと」
そう言われてマスターは一気にグラスに注がれた酒を飲み干した。
「それで、どうしたんじゃ。マスターも何か訳ありの過去があるのか?」
「いや、そうじゃないんだが・・・。実は俺は昔の記憶が全くないんだ」
「記憶が無い?それはあれか、記憶失踪とか言うやつか?」
「・・・失踪じゃなくて喪失だよ。俺は記憶喪失らしい。ガキの頃の記憶なんか微塵も無い。家族の顔すら覚えてないんだ」
「ほ~、珍しいの。話は聞いたことはあるが、実際になったという話は初めて聞いたの。よく一人で生きてこれたのう」
「六年くらい前に俺はこの店で倒れててな。起きたときは自分がなんでここにいるのかわからなかったが、一枚の書置きが机に置かれていてな、筆跡は女だった。」
マスターはグラスを見つめながら答えた。
「なんじゃ、別れた女房か?」
「いや、詳しい事は書かれて無かった。待っててくれ、手紙は取っておいてあるんだ」
マスターは一度カウンターまで戻り、一枚のボロボロの紙を持ってやって来た。
「随分ボロボロじゃのう。何度も読み返したのか?」
「あぁ、何か思い出すかと思ってな」
そう言ってマスターは紙を老人に渡した。
紙には短い文が書かれているだけだった。
『協力に感謝するわ、お礼にあなたにはこのお店はあげる。夢だった酒場でも開いたら?』
老人はじっと紙を見てマスターに返した。
「何も覚えておらんのか?」
「あぁ、これを見ても協力やら何やら記憶に無いんだ」
「ふぅむ。これの他には何も無いのか?」
「ん?あぁ何も無かった」
老人は瓶に残った酒をそのまま一気に飲み干してマスターを見上げた。
「ところでマスター。お前さんは何も気にならないのか?この街の人間が誰も自分を知らないことを」
「何を言ってるんだ?」
「それどころか、お前さんは手紙通り店を開いたのに知り合いを名乗る人間は誰も来なかった。違和感を感じなかったわけではあるまい」
「・・・爺さん、何が言いたい」
「自分がこの街の人間では無いと考えた事は無かったか?よく一度も島の外にでなかったのう。・・・安心しましたよ」
いきなり老人の口調と声色が変わったのでマスターは驚いて一歩下がった。
「誰だあんた、いつもの爺さんじゃねぇな」
老人は黙って立ち上がり、指を鳴らした。
すると老人の足元から煙が上がりそれは天井まで上がったが店中に広がることは無かった。
マスターはさらに一歩さがりじっと煙を見ていた。
やがて煙の中から黒い服を来た腕が飛び出してきた。
そして煙の中から男が一人歩み寄ってきた。
その人物は真っ黒な服装で真っ黒な帽子を被り、若い男だった。
「なんだお前は、手品師か?そんないい趣味した格好しやがって」
マスターは握りこぶしを作り、男を睨みつけた。
「手品師ですか、いい線いっていますがちょっと違いますねぇ」
男はニヤニヤしながらマスターに近づいた。
「さて、あなたの長年の悩みを解決して差し上げましょう。あなたの本名はガロン・ローレル。かつてはここで暴れていたゴロツキの一員でしたよ。あなたには兄と義理の姉と姪がいるんですが、覚えていないでしょうな」
「何を言っていやがる。あんたは誰だ」
「いや~、結構大変でしたよ。この街の住人の頭からあなたの存在を消し去るのは。あぁ、ちなみに私は名前が色々あるのでね、とりあえずは悪魔と言っておきますよ」
「寝ぼけたこと言いやがって、今すぐ出て行け!」
マスターは男に対して怒鳴りつけることはできたが、背中は冷や汗でびっしょりだった。
かつてもこんな感じがあったような気がする。マスターは頭の隅でそんなことを考えていた。
「怖いですねぇ、ですがこちらものんびりしていられないのでね。話すと長いですし、思い出してもらいましょうか」
そう言って男はマスターに近づき、頭の上に手を置いた。
いつの間にかマスターの目は虚ろになっていて、頭に手を置かれてもピクリとも動かなかった。
「さて、思い出してもらいますよ、ガロン・ローレル。あなたの知りたがっていた過去を」




