第9話 ラーメンと共に進む
フロア一帯に広がる、なんともクセの強い独特の匂い。漂う空気にすら、脂が滲んでいるような気がする。
のれん越しに騒がしい店内をのぞけば、誰もが一心不乱にすする、その麺。
美味を讃えるその熱気を前に、今か今かと並ぶ列。
お腹が空いたでしょう?
今日はとんこつラーメンです。
今度の出張先は福岡だった。彩はいささか不安である。何せ東京から飛行機で約二時間。多少食べれるようになったとはいえ、落ちた体重は増やしている途中。明らかになくなった体力を思えば真夏の長距離移動は不安であった。
だが、いいチャンスでもある。ここを乗り切れれば、また一つ段差をあがれるのでは。
同行者は上司の掛川さん。気さくな彼が同行するのだ。そんなに不安になることもない。
案の定、商談はほぼ掛川さんが回してくれた。先週必死に作った資料も、かけた時間が不憫になるほど、あっさりと説明され、和やかに談笑し、「今後とも」で締め括られる。
「今日が最初なんだ。あのくらいでいいんだよ」
掛川さんは帰りのタクシーの中、彩にそう笑いかける。目尻の皺が、余裕そうだ。
「気張ったら腹が減ったな。まだフライトまで時間があるし、飯を食いに行こう」
福岡空港に来たら、行かなくてはいけないところがある。
掛川さんはそう言って、賑やかな土産屋のフロアには目もくれず、迷いなくエスカレーターを登っていく。
「ラーメン滑走路」
なんとも眩しい滑走路が、目の前に現れた。
各店から、とんこつの強烈な匂いが立ち込め、豚もまた獣であったことを思い知る。
掛川さんはよほどお腹が空いていたのだろうか。足早に各店のメニューを確認し、比較的列の少ない店に並ぶ。彩に食べれるかどうかの一応の確認は取ってくれたが。
ほどなくして運ばれて来たラーメン。掛川さんは焦る気持ちを抑えて、まずはスマホでパシャリ。食べ物の写真を撮るタイプの人だったのか、と彩は思った。掛川さんは彩が見ていることなど気づきもせず、満遍の笑みで写真をチェックし、そのまま箸を割った。白濁としたスープはやや茶色い、豚骨ベースに醤油だろうか。大きなチャーシューが真ん中に敷かれ、麺を覆い隠す。ネギとチャーシューのシンプルな表面。のぼってくる湯気に、豚骨と肉とネギの匂いが混ざっている。掛川さんは大盛りに、味玉付き。
では、まずはスープから。
熱々のスープに、深いコク、そして塩気。一口では終われない濃い味に、もう一口と、れんげを口に運んでしまう。口から喉へ、喉から食道へ、そして腹へ。じんわりと染み渡っていく、その味。
麺は真っ直ぐな細麺。真横から掛川さんの豪快にすする音がする。彩も負けじとすする。なんの抵抗もなく、するするっとやって来た麺に、どこかほっとする。スープを含みながら、噛めば噛むほど麺のコシと小麦粉の甘味がする。麺をすすってはスープをすする。二つで一つの、この世界。
「福岡きたら、これ食わないとな」
大きなチャーシューを頬張りながら、掛川さんは言う。
「どんなに出張の予定が立て込んでても、これだけは譲りたくないんだよ」
ふぅ、と掛川さんは息を吐く。額には少し汗が滲んでいる。
「ちょっとばかし、無理したんだろう」
ずっとラーメンばかり見つめていた掛川さんが、ふいに顔を上げる。
「たまには肩の力抜いて、手放せ。人に回すことを覚えろ。じゃなきゃいつまでも下は育たないし、一人ですり減るだけだぞ」
眉間に皺を寄せる掛川さんの言葉は、麺よりもまっすぐだ。彩の箸が止まった。
三秒。三秒だけ彩の目は泳ぐ。濁ったスープが揺れている。けれどまたまっすぐ掛川さんを見返して笑う。
「頑張ります」
はぁっ、と掛川さんは大きなため息をついて再びラーメンを啜り始めた。彩はもう一度スープを飲む。
大丈夫。
もう少し頑張れるから。




