第4話 真夜中の上タン塩
そのタン塩は、最高においしかった。
兄に呼び出されたのは、午後九時過ぎ。
兄と言っても血の繋がりはない。けれど彩にとって兄は兄であったし、兄以外の何者でもなかった。
彩のことを夫に聞いたのか妹に聞いたのか、兄は突然に電話をしてきて、とりあえず迎えに行くと、車でやってきた。
が、こんな時間に家のそばに迎えに来られたところで、行くあてがない。下町にはこんな夜遅くに入れる洒落たカフェなんてないと思うし、あったとしてもあまりに急で探しようがなかった。
とりあえず車を走らせたものの、妙案も思い浮かばず、ボリュームを抑えた音楽が気まずそうだった。
「焼肉行くか。まだラストオーダーギリギリ間に合う」
「焼肉!?」
「飯は食べてないだろう。別に食べなくても、一口つまめりゃいいさ」
ほどなくして、焼肉屋に到着したのだ。
「なんなら食えそう?」
流石に店内は閑散としていていた。そりゃそうだ、なんせ平日の、九時半ももう過ぎた。ラストオーダーは十時だからまだ間に合うものの。下町の中にこっそり隠れているような、そんな店内だった。明かりは暗い。若い店員が、ラストオーダーぎりぎりの来店に戸惑っているのが伝わった。
聞かれたところでわからない。わからないが、わかる。ここはいいお値段の焼肉屋だ。
兄は何やら店主と顔見知りのよう。今日は不在のようだが。
「カルビとか脂っこいのはちょっとつらい……タン塩とか、歯ごたえいいやつの方が好きかな」
「オッケー。じゃぁ上タン塩と上ハラミな。他は?何か食えるか?」
彩はぎこちなく笑って首を振る。
ウーロン茶で乾杯をする。そういえば、兄と会うのは久しぶりだった。兄は随分老けた。口の周りにいつからこんなはっきりと皺が見えただろうか。きっと兄も、彩の顔を見てそう思っているはずだ。
肉は、なんとも艶やかであった。
「勝手に焼くけど、無理して食うなよ」
網の上に置かれた肉は、期待通りの音を鳴らした。肉からぽたぽたと垂れる肉汁。兄は甲斐甲斐しく肉の世話を焼く。
何の話をしただろうか。会話の手前に肉を焼く音があった。
「食えそう?」
彩はこくんと、頷く。
焼き上がった上タン塩。レモン汁をちゃんとつけて、口へ運ぶ。口の中は一瞬で芳醇な肉の香りで満たされる。程よい歯ごたえ。肉の甘み。
あぁ、決してベジタリアンにはなれそうにない。
「うまいだろ?」
彩は口に肉を頬張ったまま、今度は力強く頷いた。
「無理して食うな。でも食えるなら食え」
その夜食べたのは上タン塩三枚に、上ハラミ一枚。
静かな夜中の静寂に、肉を網で焼く音が優しく響いていた。




