檻の中の天才たち1
日がすっかり落ち、夜の闇が砂漠を包み込む頃。
レース会場に隣接した小綺麗なレストランは、ドラゴンローズの貸し切り状態になっていた。
「いやぁ! 俺たちのリュカがぶっちぎりのチャンピオンだぜ! 見たかあのシャリダンの間抜け面!」
特大ジョッキを片手に、顔を真っ赤にしたデイヴが椅子の上に立って雄叫びを上げる。
「ちょっとデイヴ! みっともないから降りなさいよ!」とマイカが裾を引っ張り、バッカスとテリーが腹を抱えて笑っている。
リュカは、手元のグラスを見つめながら照れくさそうに微笑んでいた。
膝の上では、ラビが笑う絵文字を画面に浮かべて、ご機嫌に揺れている。
「楽しそうなところ、邪魔してすまないね」
不意に、テーブルの横から声が落ちてきた。
アロハシャツにサングラス姿の男——シュライが立っていた。
「おっさん、誰だ? サインなら後にしてくれよ」
ライムが鋭い視線を向けながら前に出る。
シュライはゆっくりとサングラスを外し、アロハシャツのポケットから黒い手帳を取り出してテーブルに放り投げた。
そこには、地球と剣を模した重厚なエンブレムが刻まれている。
「『地球防衛軍』……!?」
ライムの顔からスッと血の気が引き、デイヴたちも一瞬で酔いを冷まして身構えた。
「捕まえに来たわけじゃない。むしろ逆だ」
シュライはリュカを真っ直ぐに見据えた。
「君を、特例で地球防衛軍の『流星候補生』として迎え入れたい。リュウジさんの妹だからじゃない。今日の君の走りを見た上での、軍としての正式なスカウトだ」
「私が……流星に?」
リュカは息を呑んだ。それは、亡き兄が背負っていた世界最高のパイロットの称号。
「なぜ、防衛軍がこんな場末の違法レースを?」
警戒を解かないライムの問いに、シュライは皮肉げに肩をすくめた。
「軍の監視網を甘く見ないことだ。ウチの司令官はずっと、君のような『原石』がどこかで生き延びていないか探していたのさ。……それに、もう時間がないからな」
(時間がない……?)
リュカの脳裏に疑問がよぎるが、シュライはそれ以上は語らず、ただ右手を差し出した。
「どうだ? 君なら、間違いなく兄さんのような英雄になれる」
リュカは背後を振り返った。
ライム、デイヴ、マイカ、テリー、バッカス。全員が、複雑な表情を浮かべながらも、リュカの夢を後押ししようと無理に笑みを作っている。
この世界で、IDも持たない自分たちがどれほど無力か、嫌というほど知っているからだ。
リュカは向き直り、シュライの目を真っ直ぐに見返した。
「行く。でも……条件がある」
「条件?」
「ここにいるドラゴンローズのメンバー、全員を連れて行って。それが無理なら、この話はなかったことにして」
その言葉に、一番驚いたのはライムたちだった。
シュライは困った顔で、頭を掻いた。
「君の才能は認める。だが、彼らは違法レースのクルーとメカニックだ。軍に入れば、更に優秀な専属サポートが付くぞ!」
リュカは腕に巻かれた、擦り切れたミサンガをそっと撫でた。
「優秀かどうかじゃない。……私たちは、あの『地獄』を一緒に生き抜いた家族だから」
リュカの瞳の奥に、暗く、冷たい記憶が蘇る。
——太陽の届かない、あの薄暗い旧校舎。
——腐った床板と、鼻をつくカビの匂い。
——そして、「出荷」を待つだけの、絶望の日々。
リュカの意識は、煌びやかなレストランの光から、数年前のあの重苦しい孤児院の闇へと沈んでいった——。
◆第二章:檻の中の天才たち
地下通路の崩落事故から生き延びたリュカが行き着いた先は、クリシュラ渓谷にある孤児院だった。
しかし、そこは「保護施設」などという生易しい場所ではなかった。
容赦ない日差しが照りつける、蒸し暑いトタン屋根の室内。
孤児たちは、生ぬるい風しか出ない三台の扇風機の前を奪い合うように群がっている。
壁の向こうの職員室からは、ガンガンに冷房を効かせた部屋で談笑する大人たちの声が漏れ聞こえていた。
「チッ……何で俺がこんなゴミ共の面倒なんか」
中肉中背の職員・ブースが、大きな温食缶を嫌味たらしく蹴り飛ばした。
蓋が開き、中から酸い匂いのするドロドロの赤い液体が見えた。トマトペーストを水で極限まで薄めただけの、泥のようなスープだ。
ブースの後ろでは、赤髪の女院長・パロメがデスクに足を乗せ、ガムを噛みながら警棒を弄っていた。
「問題さえ起こさなきゃ、あと一年でこんな底辺の施設からはおさらばだ。……あーあ、イライラしてきた」
パロメは立ち上がると、くちゃくちゃと噛んでいたガムを吐き出し、あろうことか孤児たちの食事であるスープ缶の中へペッと吐き捨てた。
「ほら、餌の時間だ。配ってこい」
「……へいへい」
ブースはニヤニヤ笑いながら台車を押して部屋を出ていく。
そんな蒸し暑い大部屋の隅で、施設に来て一週間になる七歳のリュカは、汗を流しながら床に這いつくばって絵を描いていた。
擦り減ったクレヨンで描かれているのは、兄・リュウジと、母・メグ、そして自分が笑顔で手を繋いでいる絵だ。
「お兄ちゃん、お母さん……」
リュカがその絵をそっと胸に抱きしめた時だった。
「おい! お前、クレヨンなんか使ってんじゃねぇよ!」
頭上から降ってきた怒声にリュカが肩をビクッと震わせる。
見上げると、大柄な男の子と、人相の悪い取り巻き二人が見下ろしていた。
——ドンッ!
「きゃあっ!」
リュカはいきなり肩を突き飛ばされ、床に倒れ込んだ。その隙に取り巻きたちが無理やりリュカの手から絵を奪い取る。
「返して!」
「生意気なんだよ新入りのくせに!」
——ビリビリビリッ!
男の子はせせら笑いながら、リュカの家族の絵を真っ二つに引き裂き、床に投げ捨てた。
「クレヨンはお前にはもったいねーんだよ!」
破られた絵を見て、リュカの目からポロポロと涙がこぼれ落ちる。
「コイツ泣いてやがるぜ!」
「悔しかったらやり返してみろよ!」
取り巻きがリュカの背中を踏みつけ、下劣な笑い声を上げる。
周囲の子供たちは見て見ぬふりをして目を逸らした。この施設で目をつけられれば、次は自分が標的になるからだ。
(誰も助けてはくれない。……もう、嫌だ)
リュカは反撃することも諦め、ただ床に蹲って泣きじゃくることしかできなかった。
——バシッ!
その時。
リュカを踏みつけていた男の子の肩を、薄汚れた腕が力強く掴んだ。
振り向いた男の子の顔が、一瞬で恐怖に引き攣る。
そこに立っていたのは、背の高い、鋭い眼光を持った女の子だった。
「おい。クレヨンが何だって?」
低く、ドスのある声。
「い、いや……この新入りが……」
「そのクレヨン、お前の物だっけ?」
「それは……」
——ドスッ!
鈍い打撃音。
大柄な男の子が腹を押さえて崩れ落ちた。取り巻き二人は悲鳴を上げて蜘蛛の子を散らすように逃げていく。
女の子は床に倒れるリュカを見下ろすと、無造作に手を差し出した。
「立ちな」
リュカが恐る恐るその手を取ると、女の子は力強くリュカを引き上げた。
「アンタ、そんなんじゃ一生舐められっぱなしだよ。これからどうするかはアンタ次第だけどな」
そう言い残し、女の子は振り返って歩き出した。
「おーい、ライム!」
声の方を見ると、部屋の奥のテーブルで、三人の男の子と一人の女の子が手を振っていた。
女の子——ライムと呼ばれた彼女がテーブルに着くと、褐色の肌に、頭へゴーグルを乗せた男の子がリュカに向かって優しく手招きをした。
「なぁ君! こっちに来ないか?」
戸惑いながらリュカが近づくと、東洋系の女の子が横の椅子を引いてくれた。
「私、マイカ! よろしくね!」
「僕はバッカス! 将来有望のエンジニアさ!」
「俺はデイヴ」
「俺はテリーだ」
次々と自己紹介をしてくれる彼らに、リュカは目を丸くしながらボソリと名乗る。
「リ、リュカ……です」
デイヴはリュカの腕に付いている、六芒星のペンダントが付いた白と赤のミサンガを見つめた。
「それ……」
「お兄ちゃんが、くれたの」
「もしかして、リビオンのパイロットだったのか?」
リュカが頷くと、デイヴたちは「すげぇ!」と目を輝かせたが、リュカが俯いてしまうのを見てハッと口をつぐんだ。
重苦しい空気を切り裂くように、ライムが立ち上がり、リュカの目を真っ直ぐに見据えた。
「お前の気持ちは分かる。ここにいるヤツは皆、過去に悲しみを背負っている。じゃなきゃ、こんなゴミ溜めにいるはずないだろ」
ライムはリュカの頭を掴み、無理やり上を向かせた。
「顔を上げろ、リュカ。お前の目はまだ死んでない。だから助けてやった。……だがな、俺もただの善人じゃない。自分の力で歩こうとしないヤツは仲間にしない」
ライムの瞳には、子供とは思えないほどの凄みが宿っていた。
「もしここから出られたら、お前は何がしたい? 何を目標に生きていくんだ?」
背後にいる他の孤児たちの冷ややかな視線。
張り詰めた空気の中、リュカは息を吸い込み、震える声を絞り出した。
「わ、わたし……お兄ちゃんのリビオンを直して、パイロットになりたい! それで、いつか世界一のレーサーになる!」
その言葉を聞いた瞬間。
ライムの口角が上がり、テーブルの四人もパッと顔を輝かせた。
「ほほう、パイロットか。……デイヴ、お前と一緒だな」
バッカスの言葉で、デイヴは思い出したように尋ねた。
「兄貴がリビオンパイロットってことは、もしかして運転プログラムは受けているか?」
デイヴの問いかけに対して、リュカはコクリと頷く。
「成績は?」
「一応、A+判定だったけど……」
「うひょー! だってよ。どうする?」
ライムに向かってデイヴはウィンクすると、舌打ちをしながら顔を逸らした。
「リュカ。飯の後、部屋で話そう」
テーブルにいた皆は、ライムの一言で一気に笑顔になった。
リュカは訳もわからずポカンとする。
「これで俺らの仲間だな! よろしくな! ここで何か分からないことがあったら俺が教えてやる!」
バッカスはリュカの肩に腕を乗せた。
その光景を見ながらデイヴたちはクスクスと笑う。
「おい、何だよ!」
「いきなり先輩面か?」
——カンッ! カンッ! カンッ!
突然、金属を叩く不快な音が響き渡った。
ブースが温食缶をお玉で叩きながら、下劣な笑みを浮かべて立っている。
「クソガキ共! 餌の時間だ! 食費分たっぷり働けよ!」
その声を聞いた途端、周囲の子供たちは怯えて萎縮し、リュカもビクッと肩をすくめた。
ライムはブースを鋭く睨みつけながら、袖をまくってリュカに自分の手首を見せた。そこには、赤く焼け焦げた「根性焼き」の痕があった。
見れば、デイヴも、マイカも、全員の腕に同じ火傷の痕が刻まれている。
大人の理不尽な暴力に抗った、反逆の証だ。
「泣くな、リュカ。……必ずアイツらには制裁を加えてやる。約束だ」
ライムが突き出した拳に、リュカは自分の小さな拳を合わせた。
恐怖で冷え切っていたリュカの胸に、初めて小さな「火」が灯った瞬間だった。




