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7.(3)

 涼の実家は公園から百メートルも離れていない場所にあった。公園から見渡した周囲は住宅街といった雰囲気ではなかったが、一本道を入ると一区画だけ民家が建ち並ぶ場所があった。


「結局コンビニ行けなかったから飲み物は何もないけど、文句言わないでね」


 リビングのソファに座りながら涼は言う。

 室内に置かれた家具はほとんど使われた形跡もなく、まるで新品のようだった。両親はいつから海外で暮らしているのだろう。

 なんとなく涼の性格にも納得してしまう。きっと彼女はずっと一人で頑張ってきたのだろう。高齢の祖父母の迷惑にならないように、強くあろうと……。


「とりあえず、座って」


 涼が音羽を見ながら隣をポンポンと叩いた。音羽が大人しくそこに腰を下ろすと、その隣には瑠衣がドカッと座った。残っているのは一人用のソファだけだが、理亜はその場に立ったまま涼を見つめている。


「座らないの?」

「一つ、確認したいんだけど」


 理亜は涼を睨むように見つめながら言う。


「わたしの話を聞いてどうしようっていうわけ?」

「それは話の内容によるけど」

「内容、ね……」


 理亜はつまらなさそうに呟くとソファに腰を下ろして足を組んだ。そして薄く笑みを浮かべながら「じゃあ、教えてあげるよ」と挑発的な口調で続ける。


「わたしは人を殺した」


 その瞬間、涼が表情を引きつらせたのがわかった。涼は理亜の言葉を見定めるかのように彼女を睨むと、制服のポケットからスマホを取り出してテーブルに置く。


「殺した相手は、この子?」


 そこに表示されていたのは、昨日の夜にも見た香澄美琴の画像。理亜はその画像を見ると無表情に「よく見つけたね」と言った。


「友達に彼女と同じ小学校出身の子がいるの。その子のツテで、最近の彼女のことがわかったんだけどね」


 涼は言いながらスマホの画面を見つめる。


「この子、あなたの何なの? 宮守さん」

「普通に考えたら何だと思う?」


 質問に質問で返され、涼は戸惑ったように理亜へ視線を移す。


「え、普通に考えたら?」


 彼女は少し考えてから「双子?」と首を傾げた。すると理亜は「正解」と笑って人差し指を涼に向けた。そしてソファの背にもたれてふんぞり返る。


「香澄美琴はわたしの双子。そしてわたしは彼女を殺した。以上、状況説明終わり。さ、どうする? 下村」

「どうするって……」


 困惑したように彼女は眉を寄せる。


「それが本当なら、警察に――」


 途端、理亜は声をあげて笑った。まるで涼が何か面白い冗談でも言ったかのように。音羽と瑠衣は呆気にとられて彼女を見ることしかできない。

 理亜はひとしきり笑うと目尻に浮かんだ涙を指で拭いながら「あー、だよね。うん。そうだよ、普通は。下村の反応が本当の正解」と笑いが残る声で言った。


「普通はって……」


 涼はさらに困惑した様子で音羽を見てきた。


「崎山さんたちは違うの?」


 音羽と瑠衣は同時に頷く。そして顔を見合わせてから「助けようと思ってる。わたしたちは」と言った。


「……助ける?」

「そうだよ。理亜が今の生活を続けられるように助けるんだ」

「今の生活……?」


 涼は呟きながら理亜を見る。


「今、あなたどうやって生活してるの? 家は?」

「あるけど?」

「は? なによ、それ。どこに住んでるの?」

「香澄美琴の家」


 それを聞いて涼は言葉を失ったようだった。しばらくフリーズしたように動きを止めていたが、やがて「つまり」と額に手を当てながら口を開いた。


「今、宮守さんは香澄美琴として暮らしてるの?」

「そういうこと」


 理亜は肩をすくめた。


「その生活を、あなたたちは守ろうとしてる?」


 音羽と瑠衣は同時に頷く。瞬間、涼は「何を言ってるの……?」と信じられないものでも見たような顔で呟いた。


「わかってる? 宮守さんは人を殺したって言ってるの。なんで助けるの? 人殺しは罪でしょ。ちゃんと警察に行って償わないと――」

「でも理亜は悪くない」


 涼の言葉を遮って瑠衣が言った。涼は怒ったような顔で「悪くないわけないでしょ!」と声を荒げる。


「人を殺したら、それがもう悪いことなんだから。それくらい子供でもわかる――」

「ストップ、下村さん」


 音羽は涼の肩を掴んで彼女を振り向かせると、その頬を両手でパチンと挟んだ。涼は目を大きく見開いて動きを止める。


「一回落ち着こう。ね?」


 音羽の言葉に彼女は小さく頷いた。それを確認してから音羽は手を離し、理亜の名を呼んだ。


「さっき公園で何か見せようとしてたよね。あれ、なんだったの?」

「ああ、あれか」


 理亜は思い出したように床に置いていたバックパックを膝に乗せると、中から封筒を取り出した。見覚えのあるそれは、理亜が音羽に送ってくれた手紙に使われていたものと同じだった。しかし中から取り出されたのは便箋ではない。何も飾り気のない白いルーズリーフだ。理亜はそれを開くと無言でテーブルに置いた。


「これって……?」


 音羽は呟きながらそれを見つめる。そこには小さな文字で短い文章が三行のみ綴られていた。


 ピアノが弾けない人生なんていらない。

 もう疲れました。

 さようなら。

 

 その三行の後ろには『美琴』の文字。


「まさか、遺書?」


 呟いた涼の言葉を、音羽はルーズリーフを見つめたまま聞いていた。

 そう。これは遺書だ。少なくとも文面だけを見ればそう思える。

 答えを求めて理亜へ視線を向けると彼女は微笑んでいた。どこか、疲れたように力なく。その笑顔を見て音羽は呆然とする。


「――殺してないの?」


 理亜に向かって呟いた声は掠れていた。理亜は微笑んだまま小さく頷く。そして視線をルーズリーフに向けた。


「でも、見てたんだ。あいつが飛び降りるところを」


 彼女はそう言って小さくため息を吐くと「で、盗んだ」と続ける。


「あいつの人生を、そっくりそのまま盗んだんだよ。わたしは」

「――ねえ、ごめん。わたしには話が見えないんだけど、そもそもどうして双子なのに違う家庭で育ったの?」


 涼が遠慮がちに口を開いた。音羽は理亜を見たが、彼女は答える気がないようだ。


「理亜は、本当は香澄家の子供なんだって」


 答えた音羽に涼は眉を寄せながら「養子?」と聞く。音羽は首を横に振った。


「生まれたのは香澄の家だけど、戸籍上は宮守家の実子」

「なにそれ……」

「宮守家の子供もね、理亜たちとほとんど同じ時間に同じ病院で生まれたんだって。でも宮守家の子供は生まれてすぐに死んだ。理亜たちの母親はまだ若くて双子を育てることはできないから、一人を宮守家の子供として渡したんだって」

「それって養子じゃないの?」

「売ったんだよ」


 ふいに理亜が口を開いた。そして嘲笑を浮かべながら続ける。


「あいつらはわたしを宮守の家に売ったんだ。どうせ死んだ子供だって医療ミスか何かだったんだろ。それを隠蔽するためにわたしを売ったんだ。金まで渡して」

「そうじゃないって母さん言ってたよ」


 静かな口調で瑠衣が言った。理亜は驚いたように目を見開いて瑠衣を見る。


「子供は死産だったのかもしれないって。でも、子供がどうしても欲しかった母さんはショックで双子の一人を自分の子供と信じ込んだんだって。だから父さんと香澄の人たちが話し合って理亜を宮守の実子として引き取ったんだって、そう言ってた」

「へえ。どこまで本当なのやら」


 理亜は鼻で笑う。


「ねえ、死んでしまった子はどうなったの? 宮守家の子供として届けは出されてるんじゃないの?」


 涼の問いに音羽は「それはわからないけど」と理亜を見ながら言った。


「でも死産だった場合は出生届も出さないらしいし。戸籍謄本には……」

「載ってなかった」


 理亜が短く答えた。


「でも母さん、違法なことは何もしてないって言ってたからちゃんと正規の手続きをしたんだと思う。お金だって、理亜の養育費として一度だけもらったって言ってたよ。でもそれ以降は断ったって。理亜はうちの、宮守家の子供だから」


 瑠衣の言葉に、理亜は「ふうん」と呟いて軽く笑った。


「そんなの、どっちでも一緒だよ。結局わたしは死んだ子供の代わりにされた。それがすべて」

「それを知って、あなたは香澄美琴と交流を持ったの?」

「いや。それを知ったのは美琴と仲良くなってからだよ。最初は、ただほんとに自分にそっくりな子がいるって偶然知っただけ。好奇心から会いに行って、それで仲良くなった」

「それって、もしかして中三の頃?」

「さすが委員長。名推理だね」


 ピッと理亜は涼を指差す。涼は嫌そうに顔を歪めて「やめて」と理亜を睨んだ。


「でも、そう。なるほどね。あなたが変わったのって、美琴の影響だったのね……」


 涼は少し考えるようにテーブルに置かれたルーズリーフを見つめると「つまり」と続けた。


「あなたは双子の片割れと再会して親しくなったけど、ピアノが弾けなくなった美琴は心が癒されることなく、ついに自殺したってことね? それを機に、あなたは美琴と入れ替わって生活を続けている、と」


 理亜は無表情に涼を見つめていた。そこにどんな感情が込められているのか音羽にはよくわからない。わずかに細められた瞳には、何か複雑な感情が宿っているようにも見える。


「そう……」


 フウッと涼は息を吐くと「あなた、何も悪くないのね」と理亜をまっすぐに見据える。瞬間、理亜が驚いたように目を見開いた。


「は?」

「だって、あなたが宮守家の子供になったのも美琴が死んでしまったのも、あなたのせいじゃないでしょ?」

「ようやくわかったのかよ」


 瑠衣が涼を睨む。


「だから俺たちは理亜を助けたいって言ってんの。理亜は何も悪くないんだから」


 涼は瑠衣を横目で見ながら「まあ、でも」と付け加える。


「美琴として生きてるっていうところが問題だと思うけどね。彼女が自殺したとき、その場にいたのに通報しなかったんだから」

「それは、たしかに……」


 涼はため息を吐くと理亜に「香澄家のご両親は今の状況、知ってるの?」と聞いた。


「知ってるわけないじゃん。わたしを美琴だと信じてるよ」

「そう」


 涼は頷き、そして首を傾げた。


「あなた、何がしたいの?」

「え、何がって……?」

「あなたは、これからどうしたいと思ってるの?」


 真面目な表情で涼は真っ直ぐに理亜を見据えている。理亜は戸惑ったように視線を彷徨わせ「わたしは――」と口を開く。


「わからない」

「わからない、ね」


 涼の声は冷たい。彼女は理亜を見据えたまま「それ、無責任だってわかるよね?」と続けた。


「たしかにあなたは悪くないのかもしれない、だけど今の状況を招いたのは美琴が死んだときにあなたが警察を呼ばなかったせい。それなのにこの状況から助けて欲しいって崎山さんたちにお願いするのは――」

「違うよ、下村さん」


 思わず音羽は涼の言葉を遮る。音羽は彼女を見ながら「違う」と繰り返した。


「何が違うの?」

「理亜は助けを求めたわけじゃない。ただ聞いただけだよ。さっき下村さんに言ったみたいに、人を殺したって言ったらどうするって。それでわたしは助けるって決めたの」

「そんなの……」


 涼はなぜか怒ったような顔で「一緒じゃない」と低く呟いた。


「一緒? 違うよ。だって決めたのはわたし――」

「宮守さんからそう言われたら、きっとあなたは助けるって言う。そんなの簡単に予想できるじゃない。宮守さんはあなたがそう答えるって分かってたんじゃないの? ねえ、違う?」


 少しずつ声を荒げながら涼が理亜を睨みつける。すると理亜は視線を俯かせてしまった。


「そうかもね」


 音羽はそんな理亜を見つめながら「関係ないよ」と微笑んだ。視線を上げた理亜は不思議そうに首を傾げる。


「理亜がわたしに何を求めていたとしても、逆に何も求めていなかったとしても、わたしは……。ううん。わたしたちは理亜を助けるって決めたと思う」


 言いながら理亜は瑠衣に視線を向けた。瑠衣が力強く頷く。


「助ける、助けるって……。どうするつもり?」


 涼の低い声は少し震えているように聞こえる。見ると、彼女は視線を床に向けて唇を噛んでいた。


「下村さん?」


 思わず彼女の肩に手をかける。その手を彼女は強く掴むと「本人がどうしたいのかもわかってないのに、何をしようっていうの?」と視線を上げた。その鋭い目は理亜に向けられている。音羽の手を掴んだ彼女の指がグッと食い込んでくる。


 ――確かに、その通りだ。


 音羽は思う。

 結局、本人の意志を確認しないことには音羽たちには何もできない。何を優先させるべきなのか分からない。それを実感していたのだ。

 実際、彼女は言った。もう何もしなくていい、と。それが彼女の本心なのだとしたら、自分たちはどうしたらいいのだろう。

 音羽は理亜へ視線を向ける。彼女はじっと音羽を見ていた。不安そうな、幼い子供のような目で。そして小さく口を開く。


「わたし、どうしたらいい?」


 そう言った声はか細く、震えていた。音羽は思わず彼女に手を伸ばそうする。しかし片手は涼に掴まれたままだ。涼はさらに強く音羽の手を握ると「崎山さんに聞かないで」と押し殺したように言った。


「これは崎山さんの問題じゃない。あなたの問題でしょ。あなたが自分で決めなさいよ」


 涼の声が震えているのは、きっと感情を押し込めているからだろう。必死に何かを我慢するように、強く音羽の手を握りながら言う。


「あなたは、どうしたいの?」

「わたしは……」


 理亜は泣きそうな表情で俯いてしまった。瞬間、瑠衣が「理亜をいじめるなよ!」と怒鳴った。彼女は立ち上がると音羽を飛び越えるようにして涼へと詰め寄る。


「なんで理亜をいじめるんだよ! お前、関係ないだろ!」

「いじめてないでしょ。よく考えて。わたしは当然のことを言ってるの」


 それでも冷静に涼は言葉を返す。そのとき理亜がゆっくり立ち上がった。彼女は無言でキャップを深く被り直すとドアへ向かう。


「理亜?」


 音羽の声に彼女は俯きがちに視線を向けて「ごめん」と微笑む。


「ちょっと、考えてみる」


 そう言って彼女は視線を瑠衣に向けた。


「ごめんな、瑠衣。巻き込んじゃって」

「……さっきから言ってる。理亜は何も悪くない。俺が勝手に巻き込まれたんだ」

「そっか」


 理亜はそれだけを言うとドアを開けた。


「どうして警察に通報しなかったの?」


 部屋から出かかった理亜の背中に涼が問う。彼女は足を止めると振り向くこともなく「言ったじゃん」と答えた。


「盗んだんだよ。恵まれた人生を」

「その人生はどんな感じ? 楽しい?」


 理亜は答えない。ただ彼女が俯いたのがわかった。音羽は思わず立ち上がって彼女の方へと足を踏み出す。


 ――苦しいよ。


 ドアが閉まる瞬間、理亜の声が聞こえた。


「理亜!」


 しかし、そのまま彼女は出て行ってしまった。

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