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7.(4)

 泣き出してしまった瑠衣を宥め、音羽たちは三人で寮に戻った。

 すっかり陽は暮れ、食堂も閉まっている時間帯。夕食にと買ったコンビニ弁当を三人は音羽の部屋で食べていた。

 誰も何も言わない。ただ黙々と味気ない弁当を平らげ、それぞれぼんやりとした様子でペットボトルのお茶を飲んでいると、ふいに涼が「考えたんだけど」と口を開いた。


「現状、一番の解決策は警察にすべてを正直に話すことじゃない?」

「却下」


 強く瑠衣がその意見を否定する。彼女はペットボトルをドンッとテーブルに置きながら「冗談でもそんなこと言うなよ」と涼を睨んだ。


「どうして?」

「は? お前、バカなのか? 考えなくてもわかるじゃんか。理亜、捕まるだろ」

「どうして?」

「どうしてって……」


 そこで瑠衣は眉を寄せた。


「そりゃ、アレだよ。他人の人生を盗んでるわけだし……?」


 しかし実際のところ、それがどういう罪になるのかわからないのだろう。彼女は困った顔を音羽に向けてきたが、音羽にもわからないので首を傾げるしかない。そんな音羽たちを見ながら涼は「彼女は誰も殺してないわけでしょ?」と続けた。


「そりゃ、たしかに今は美琴として生活してるけど。ていうか、あの子って何してるの? 学校行ってるの?」

「さあ……。知らないけど、行ってなさそうだよな?」


 瑠衣が首を傾げる。音羽は頷いた。


「引きこもってるって言ってた」

「てことは、身分詐称の罪に問われたとしても微妙な感じっぽいよね。何もしてないんだから」

「てか、身分詐称って罪になるんだ?」


 瑠衣が首を傾げながら呟く。涼は頷いた。


「詐欺罪ね。でも、今の状況だとそれは微妙なところ。香澄家の人が同じ家に住んでいながら宮守さんと美琴が入れ替わってることに気づいてないのも、きっとあまり接触がないからなんじゃない? 仲が悪いとか」

「うん。美琴が怪我をしてからは両親との関係は良くなかったって」

「ふうん。それって幸せな人生?」

「え……?」


 音羽は言葉に詰まり、瑠衣に視線を向けた。瑠衣も微妙な表情で眉を寄せている。涼はため息を吐いて「わたしにはとてもそうは思えないんだけど」と床に手をついて身体を反らした。


「まあ、金銭的には恵まれてるのかもしれないけど」


 彼女は天井を仰ぐと「あの子、ちょっと痩せてたね」と続けた。


「……そう、だね」


 音羽は頷く。確かに再会した理亜はここで暮らしていたときよりも痩せたように思う。そして、以前ほどの元気もない。

 音羽は俯き「さっき出て行くとき、苦しいって言ってた。小さな声で」と彼女の背中を思い出しながら言った。


「苦しい……?」


 涼が呟く。音羽は頷き、顔を上げる。


「もしかして、戻りたいのかな。宮守理亜に」


 涼は音羽をじっと見つめると「さあ、どうだろうね」と息を吐いた。そして身体を起こすとテーブルに置いていたペットボトルを手に取って一口飲む。


「そもそも、どうしてあの子は美琴に成り代わろうとしたんだろうね」

「どうしてって……」

「だって、宮守理亜としての人生が不幸せだったようには思えないし」


 そう言う涼を、瑠衣は無表情に見つめている。


「まあ、仲が良かったわけじゃないから分からないけど……。だけど中学の授業参観にはおばさん、ちゃんと来てたのよ?」


 彼女は少し首を傾げながら続けた。


「そのときのおばさんの様子は、普通に子供のことを微笑ましく見守ってるって感じだったし、いいお母さんって雰囲気だった。あれがウソとは思えない。あんただって家に不満があるわけじゃないんでしょ?」


 涼の視線が瑠衣に向く。彼女は考えるように「そりゃ、まあ……」と頷いた。


「たしかに金持ちじゃないけどさ。でも、まあ、普通に暮らせてるし。こんな俺を追い出したり、邪険にしたりもしない。一応、心配だってしてくれてる。他の家のことはよく知らないけど、悪い親じゃないとは思うよ」


 瑠衣の言葉に涼は「そうね」と頷いた。


「宮守さんの家は普通の家。世間一般的にね。その普通の家での普通の生活が嫌だったっていうのなら、それはただの我が儘じゃない?」


 涼の口調は冷たい。まるで理亜のことを嫌悪しているかのようにすら聞こえる。しかし、その顔は無表情だった。


「下村さんは嫌いなの? 理亜のこと」


 音羽が訊ねると、彼女は「別に、そういうわけじゃないけど」とペットボトルを握った。ボコッと鈍い音が響く。


「彼女が自分の我が儘に崎山さんを巻き込んだことが許せないだけ」

「……なんで下村さんがそれで怒るの?」


 すると涼はどこか辛そうな視線を向けた。そして「それは――」と呟いたきり口を閉ざし、俯いてしまった。

 なんとなく気まずい空気が部屋を支配していく。それを打ち破ったのは大きく背伸びをして立ち上がった瑠衣だった。彼女はそのままベッドの上にうつ伏せに倒れ込むと枕を抱えて「そもそもさぁ」と涼へ視線を向けた。


「なんでお前、そんなに音羽に構うの?」


 涼は目を丸くして顔を上げる。


「え……。なに?」

「いや、だから。なんでそんなに音羽に構うんだって。お前と音羽って別に仲良しってわけじゃないんだろ? 性格的にもさ、二人って友達にならないタイプじゃん。絶対」

「……あなたにそんなことわかるわけ?」

「わかるよ。誰が見たって二人は同じクラスでも別グループの人間」


 瑠衣は肩をすくめた。すると涼は深くため息を吐いて、ちらりと音羽を見てきた。

 たしかに音羽もそうだろうと思う。実際、彼女と話をするのは寮内でだけだ。学校でもたまに話をすることはあるが、仲良くお喋りをしたという記憶はない。

 それなのに、なぜか彼女は音羽のことを気にかけてくれる。心配をしてくれる。その理由は彼女がクラス委員だから。そう思っていたのだが、違うのだろうか。

 考えていると「たぶん、崎山さんは覚えてないと思うけど」と涼が音羽を見ながら静かな声で言った。


「一年のとき、わたしはあなたに助けられたの」

「……わたしに?」


 予想外の言葉に音羽は目を丸くする。涼は「やっぱり覚えてないよね」と息を吐きながら頷いた。


「入学してすぐ、クラス委員を決める投票があったでしょ」

「ああ、うん。誰も立候補しなかったから投票になったんだよね」


 そして彼女が選ばれたのだ。まだ誰もクラスメイトのことをよく知らない時期だった。それでも涼が選ばれたのは彼女の人当たりの良さによるものだろう。いつまでも一人でいた音羽とは違い、彼女は入学式の日からクラスメイトたちと打ち解けていたように見えた。


「わたし、本当はクラス委員なんてやりたくなかった」

「え……」


 涼は笑って「だって、面倒でしょ?」と首を傾げた。


「誰もやりたがらない仕事を全部押しつけられて、放課後は委員会とかあってさ。みんながやりたくないように、わたしだってやりたくなかった」

「でも断らなかったよね? 一応、拒否権だってあったような気がするけど」


 いくら投票とはいえ、嫌がる生徒に強制的に委員を押しつけるようなことはこの学校ではしない。あくまでも本人の意志を確認してから決めるようになっているのだ。しかし、担任にどうするか聞かれた涼は断ることはしなかった。ためらう様子もなく、素直に引き受けたのだ。

 涼は嘲笑を浮かべると「八方美人だから、わたし」と息を吐くように言った。


「自分でもわかってる。中学のときだって、流される感じで生徒会役員とかやってたし」

「押しに弱いってやつ?」


 瑠衣の呆れたような言葉に涼は頷いた。


「クラス花壇の世話もね、正直なんでわたしがって思いながらやってたの」

「なんだそれ」


 瑠衣が不思議そうに首を傾げる。


「一年生のときはクラスごとに花壇が与えられるの。そこでみんなで季節の花を育てるっていう、この学校の伝統行事なんだけど――」


 しかし、実際は誰も世話などしない。高校生になってまで花壇の世話なんて誰もやりたがらないのだ。涼はその頃のことを思い出しているのか、困ったような笑みを浮かべて言葉を続ける。


「やっぱり誰もやらないんだよね。でも花を枯らして先生から小言を言われるのはクラス委員だからやらないわけにもいかなくて……。本当に面倒だなって思ってた」

「クラスの奴に頼めば良かったじゃん。手伝ってくれって。お前、友達多いんだろ? 音羽と違って」

「一言余計なんだけど」


 音羽が言うと瑠衣はニヤリと笑った。涼も軽く笑って「たしかに」と頷く。


「友達はいたけど言えなくて」

「なんで?」

「だって嫌われるかもしれないじゃない。みんなやりたくないってわかってるのにさ」

「ふうん」


 瑠衣は意外そうに眉を上げた。


「そういうの、気にしない奴かと思ってた」

「するよ、普通に」


 涼は力ない笑顔で「誰だって人に嫌われたくないでしょ」と続けた。そして音羽へ視線を向ける。


「でも、崎山さんは違った」

「……わたし?」

「うん」


 頷いた彼女の表情は懐かしそうで、柔らかい。


「手伝ってくれたのか? 音羽が」


 瑠衣の質問に涼は「そうなの」と嬉しそうに微笑んだ。


「崎山さん、毎日来てくれてたでしょ? 朝、授業が始まる前と放課後に」

「……まあ、行ってたけど」


 音羽は曖昧に頷く。

 たしかにあの頃は毎日のように花壇へ行っていた。誰も手入れをしなかったら、せっかく植えられた花が可哀想だと思ったから。

 しかし、そこで涼と会ったことは数える程度だったように思う。そのときだってこれといった会話をした記憶はない。そう言うと涼は「そうだね」と笑って頷いた。


「わたしが花壇に行く時間って崎山さんとは少しズレてたし。崎山さん、わたしが行くとすぐに帰っちゃったし……。でも先生から聞いたんだ。崎山さんもしっかり世話をしてくれてるから助かるねって。それであなたのことが気になって。時々、教室でも話しかけたりしたんだけど、覚えてる?」


 音羽は少し考えてから首を横に振った。


「そっか。まあ、そうだよね。個人的に話しかけたというよりは、友達と一緒の時に流れでちょっとだけだったから」

「なんだよ、それ。ちゃんとお礼言わなかったのか?」

「言いたかったんだけど、できなかったんだよね」

「なんで?」


 瑠衣が怪訝そうに首を傾げる。涼は「だって」と薄く微笑みながら音羽を見た。


「お礼なんか言ったら、崎山さん引いちゃう気がしたから」


 それは確かにそうかもしれない。しかし、と音羽は首を傾げた。


「それだけで、わたしが下村さんを助けたってことになるの? 別にたいしたことしてないと思うんだけど」


 すると涼は微笑んだまま「ううん、それだけじゃない」と柔らかな口調で続けた。


「体育祭も文化祭も、学校行事があると必ず手伝ってくれてた」

「それはみんなで手伝ってたよね?」

「たしかにそうなんだけど、だけどみんな気が向いたときだけだったり、ほんの少しだけだったり……。でも、崎山さんだけはちゃんと最初から最後まで手伝ってくれてた」

「それ、ただの真面目じゃね?」


 瑠衣の視線が音羽に向く。音羽は苦笑しながら「ヒマだったからね」と答えた。


「そうだとしても、わたしは嬉しかった。すごく」


 音羽に向ける涼の表情は穏やかで柔らかい。普段見ることのない彼女の表情になんとなく恥ずかしくなって、音羽は彼女から視線を逸らした。そして両膝を抱え込む。

 涼の優しい声は続ける。


「崎山さん、話しかけても会話は続かないし目も合わせてくれなかったから、もしかしたら人見知りなのかもって思って。それからはあまり話しかけないようにしてた。でも、会話がなくても二人で行事の準備してるときとか全然気まずい感じとかなくて。不思議なんだけど安心して一緒にいられた。穏やかな気持ちになれた。崎山さんのおかげで面倒だった委員の仕事も嫌な気持ちになることなくできたんだよ。全部、あなたのおかげ」


 ちらりと視線を向けると、彼女はとても優しい笑みを音羽に向けていた。まっすぐな笑みを。

 音羽は再び彼女から視線を逸らすと「わたしは、何もしてないよ」と呟く。


「崎山さんにとってはそうかもしれない。だけど、わたしにとっては違ったの。だからね、助けてあげたかった」


 涼の声色が少し変わって、音羽は顔を上げる。彼女はクッションを抱きしめるようにしながら低く続ける。


「宮守さんがいなくなったとき、あなたのことをわたしが助けたかった」


 そのとき、ふいに記憶に蘇ってきたのは心配そうな表情を浮かべた涼の姿だった。教室や寮で彼女は話しかけてくれていた。あれはクラス委員という役割があったから。そう思っていた。だけど、そうではなかった。


「――ごめん」


 気づけば、謝罪の言葉を口にしていた。

 彼女の気持ちに気づくことができなかった。あの頃は周りのことなんてどうでもよかった。理亜のいない世界には何もない。まるで自分だけ別の世界に閉じ込められているような、そんな気すらしていた。

 その世界には自分以外には誰もいなかった。

 だから気づかなかった。

 涼が与えてくれていたはずの優しさに。


「ごめん……」


 もう一度、同じ言葉を口にする。涼は悲しそうに笑って首を横に振った。


「あのときね、もっと崎山さんと色々お喋りしておけばよかった、仲良くなってればよかったって心から後悔してたの。そしたらあなたのことを助けることだってできたかもしれない。助けることはできなくても、ほんの少しの支えくらいにはなれたかもしれない。そう、思った……」


 彼女は言って不安そうな視線を音羽に向ける。


「だからね、最近様子がおかしいあなたを見て今度こそって――」


 涼は深くため息を吐いた。


「ごめん。こんなの、私もただの自分勝手な我が儘だ。ウザかったよね。きっと」


 音羽は「そんなことないよ」と笑みを浮かべる。


「まあ、ちょっと不思議に思ったりはしてたんだけど、今の話を聞いてわかった。それに色々と心配してくれてるのはわかってたから、だから、ありがとう。下村さん」


 素直な気持ちを口にした音羽に涼は一瞬驚いたような顔を浮かべたが、すぐに笑みを浮かべた。クッションを抱きしめながら心から嬉しそうに。

 そんな涼を呆れたように見ながら瑠衣は深くため息を吐く。


「瑠衣ちゃん?」


 不思議に思って声をかけると、彼女は「なんかさぁ」とゴロンと転がって仰向けになる。


「結局、一緒なんだよな」

「一緒?」

「そ。なんか俺たちみんなさ、助けたい助けたいってそればっか。バカみたい」


 ため息混じりに彼女は言う。音羽と涼は顔を見合わせ、そして力なく微笑む。


「そうだね」


 音羽は答えるとベッドに寄りかかりながら小さく息を吐いた。

 瑠衣の言う通り、助けたいだけなのだ。みんな、ただその人のことを想っているだけ。


「――この気持ちは、何なんだろうね」


 呟いた音羽の言葉に瑠衣と涼が一瞬だけ音羽に視線を向ける。


「わからないよ」


 答えたのは涼だった。瑠衣は何も言わない。きっと彼女も同じ。わからないのだろう。


 どうしてこんなにも助けたいと思うのか。


 そのとき、沈黙が広がっていた部屋に涼のスマホの着信音が鳴り響いた。彼女は慌てて画面を確認すると「あ、もうこんな時間になってたんだ」と立ち上がる。


「なに、門限?」

「門限はとっくに過ぎてるでしょ。じゃなくて、ルームメイトが心配してるから今日はもう戻るね」


 涼は音羽を見ながら言った。音羽は彼女を見上げながら「うん、おやすみ」と頷く。そのとき、彼女の右手が音羽の方に伸ばされた。そう見えた。しかし、その手はすぐに下げられ、彼女は「また明日ね」と微笑んで出て行った。再び部屋には静けさが戻ってくる。

 音羽はぼんやりと机の方へを視線を向けた。そこにはまだ箱から出してもいないペンダントがある。


 理亜と色違いの、お揃いのペンダント。


 彼女はあれをどうしただろうか。捨ててしまっただろうか。それともつけてくれているのか。今日はパーカーを着ていたから確認することはできなかったけれど。

 そんなことを考えているとふいに視線を感じた。振り返った先では、身体を横に向けた瑠衣が音羽を見つめていた。


「なに?」


 音羽が首を傾げると彼女は「別に」と答えてゴロンと音羽に背中を向ける。音羽は立ち上がって机の前に移動すると、箱からペンダントを取り出した。


 ――やっぱり、綺麗。


 思いながら音羽はそれをギュッと握りしめる。


「助けようね、絶対」


 ペンダントを握りしめながら呟いた音羽の声に「うん」とベッドから小さな声が答えた。


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